第11話 イベントが沢山


 もう既に心の中は大嵐が過ぎ去った後の様相を呈している。


 カサンドラの心象風景のあちらこちらに瓦礫が散乱し、全く思考が追いつかない状況だ。

 冷や汗が背筋に流れてゆくのが分かる。


 恥ずかしいのはリタも同じなようで、何度も頭をブンブン振って身もだえていたようだが、しばらくするとようやく心が落ち着いて来たらしい。


「…ええと、カサンドラ様。

 私が今日こちらにお邪魔したのには、理由があるんです」


「是非お伺いしたいですね」


 カサンドラの存在を確かめ、喜ぶためだけに強引に屋敷を訪れたのではないと彼女は言った。


 まだ顔全体に朱が射すような状態では説得力がなかったが。


 カサンドラのいる別邸に来てくれた以上、何かしらの用件があったと解釈するのは自然だろう。


「私達、昨日カサンドラ様をお迎えしたわけですが…」


 この世界に戻って来た時のことは鮮烈な記憶となって、カサンドラの中に残っている。 

 恐らく、二度と体験し得ないだろう奇跡をこの身に浴びたのだから…


 まだ一日しか経っていないということが、信じられない。


「それが、私達も驚いたんです!

 カサンドラ様を迎える儀式をするという話を聞いた、学園時代の生徒がたくさん、王都に集まったんですから!」


「…はい、確かにわたくしも皆様のお姿に大変嬉しく思ったものです」


 王城の中央広場に、溢れんばかりの人が集まってくれた。

 その中にはかつてカサンドラと同じ学年だった者や上級生だった人達もいたように記憶している。

 遠いところから来てくれたのだと知って、胸がジンと熱くなった。


「で、恐らくまだ大勢、王都にいるんですよね。

 皆さん是非カサンドラ様にお会いしたいと言っているようで。

 まぁ、しばらくそっと見守りましょう、押し掛けるのはナシ! って話で現状落ち着いているんですよね。


 …あ、私、こうしておうちに押しかけちゃいましたけど!

 生徒の代表って思って下さい!」


 生徒の代表があんなとんでもない際どい質問をしてきたのか…


 喉の奥まで出かかった言葉を飲み下し、カサンドラは彼女達の配慮に感謝していた。

 レンドール家の別邸は、確かに普通の屋敷と比べて広いだろう。

 だが、あくまでも別邸。


 使用人の数だって、レンドール家の面々の世話をする程度の数に抑えられているはずだ。

 入れ替わり立ち代わり、ひっきりなしの訪問を受けることになっては負担が大きかっただろう。敢えて自分に接触しないよう、注意してくれたというのはかなり気を遣ってくれたものだと思う。


「で、これは私個人の勝手な思い付きというか、提案なんですけど。

 急ですが、明日――学園の同窓会、やりませんか!?」


「……同窓会?」


 突然の提案に、カサンドラは翡翠色の双眸を大きく見開いた。


「私達、卒業式とか出来なかったですよね。

 卒業パーティーも…

 一応卒業したって経歴にはなりましたけど」


 三年間の学園生活の最後を彩る、卒業パーティー。

 今は学園の昨日が停止していると言うし、代替のイベントが催されたわけでもないのだろう。それは確かに、寂しいことかも知れない。


「カサンドラ様がいなくなってしまった二年前に、学園の生徒だった人達。

 皆、また学園に集まりましょう! って話なんです」


「まぁ!」


 半分も、学園生活は終わっていなかった。

 まだまだあの狭い、子どもだけの社会で生活するものだと思っていたのに…


 それが叶わず、現状に至る。

 自分が二年間不在だったことも要因の一つと考えると、何とも申し訳ない気持ちになってくるのだ。


「昨日突発的に決めたことなんで、まだ誰にも相談してないんですけど…

 カサンドラ様がオッケーなら、私皆に声掛けて回ります」


「本当に急なお話ですね…?」


「はい!

 昨日まで…カサンドラ様の召喚を成功させることだけ考えてましたし。

 それに!」


 リタは満面の笑みを浮かべて、両手を挙げた。


「あんなに沢山元生徒達が王都に来てくれるなんて、凄いですよ!

 私達、できるだけ知られないように動いていたはずなのに…

 示し合わせたように、ほぼ全員集合なんて!


 このままカサンドラ様に挨拶だけしてバイバイって言うのも、寂しくないです?」


 

 生徒の中には、カサンドラに会うことさえ出来ない人だっているだろう。


 王城やレンドール家に出入りできない生徒達は、昨日カサンドラの姿を見ただけで王都を去らなければいけないのだ。


 改めてそう認識すると、カサンドラだって気が引ける。

 レンドール出身だから、地方からここまで何日も馬車に揺られて大変だっただろうことも身に染みて分かるし。


「ですが、今は学園が閉鎖されているのですよね?

 勝手な都合で解放して良いものですか?」


 カサンドラは現実的な視点に立って、生き生きとした表情を見せるリタに問う。

 これが彼女の暴走ならば止めなければいけないのでは?


「大丈夫です…というか、何とかします!

 第一、カサンドラ様のお名前を出してNOを言える人が、この国のどこにいるんですか」


 ええ…?

 そう言われると、正直戸惑いの方が先に出る。


 自分が皆に迷惑な我儘を押し通してしまうことになるのか?と。


「卒業パーティーみたいに派手には出来ませんけど、集まるくらいなら大丈夫ですよー。

 万が一駄目って言われたら――



    国王陛下にお願いします」



「リタさん!?」


 ここで出て来るとは思わなかった、王国で最も偉い人の存在にカサンドラはぎょっと肩を揺らした。


「陛下は良い人ですよ、カサンドラ様のこと凄く気に掛けてましたし。

 お願いしたら、どうにかしてくれると思います」


 どうやらリタと国王陛下は、意外と話をする仲…らしい。

 どういう経緯でそうなったのかは分からないけれど、アーサーの父親が悪い人だとは思っていないし。亡き妻をずっと想っている一途で愛情深い男性であることも分かっている。


 一時は王子との不仲説も囁かれていたが、実際はそうではなかったことも。


「本当は制服持参で集まりたいんですけどね。

 流石に制服持って王都に来ている人はいないでしょうし。

 私、この後すぐにラルフ様に相談して、お知らせして回ります!」


 王都を訪れている元学園生徒達にすぐに連絡が出来るものなのだろうか。

 まぁ、ヴァイル家の伝手があったらその程度は問題にならない気もする。


 リナやリゼがもし協力してくれるなら、当然ロンバルドやエルディムにも話が行くわけで…万が一国王陛下の耳に届いたら、もっと大掛かりな事になるかもしれないが。


「皆様にお会いできるのなら、嬉しいです。

 けれどご迷惑では?」


「そんな風に感じる人は、最初から王都に集まってないと思いますよ!

 カサンドラ様のことが気がかりだから、来てくれたんですし」


 とても現実とは思えず、不安という感情を中に詰めた風船を掲げるカサンドラ。

 それをスパーンと撃ち落とすようなあっけらかんとした物言いは、多少容姿が大人びても彼女のままだなぁと感じてしまう。


「皆が幸せになれるなら、『聖女』の特権使っちゃえば良いですよ。


 だって、キャロルさんやミランダさん、シャルロッテさん…

 クラスメイトも、皆!

 カサンドラ様のこと、ずっと待ってましたよ。

 今から明日の事を伝えるのが楽しみです!」


 自分のために王城まで来てくれたのだから、全員に会いたいと思う。

 だけど流石にこの別邸に招待するのは難しいし、かと言ってお城にまた集まって欲しいなんて、まだ王城の関係者でもないカサンドラから言い出せるはずもなく。


 学園の同窓生だから、学園の大ホールで…というリタの案は、理に適っているようにも思えたのだ。


 まぁ、急だけど。

 明日って…!


 貴族社会の『約束』アポイントメントは、何週間も前から押さえておくのが当たり前だ。明日集まって遊ぼうね、なんて学生時代のノリ、もしくは庶民のノリそのものである。


 準備期間を伸ばすほど、滞在日数が伸びるから、しょうがないのか。


「あ、それとですね。

 今度王城で聖アンナ生誕祭が行われるって、カサンドラ様は知ってますか?」


 矢継ぎ早に話が飛んできて、息つく暇もない。

 アグレッシブなお嬢さんだ。


「私、ラルフ様から聞いたんですけど。

 カサンドラ様、初年度の聖アンナ生誕祭の前に、生徒会の役員の皆さんと合奏されたとか?」


「え? は、はい。

 今となっては、懐かしいお話ですが」


 合奏…

 日曜日、生徒会の皆で集まって、内輪の演奏会をしたことを思い出す。

 アイリスの微笑みと一緒に、爽やかな初夏の一幕を過ごした時間に想いを馳せた。


 同時に、ズンと重たくなる記憶もセットで。




   ……フルートの練習、頑張ったっけ…




 まさかのラルフの提案。

 王子の前でみっともない演奏を見せられないと、アレクを巻き込んで毎日必死に練習を繰り返していたこともザーッと走馬灯のようにカサンドラの頭の中を巡っていく。



「私もカサンドラ様や王太子、それにラルフ様達が合奏してるところ、見たいです。

 合奏の件を聞いて、なんで観客もいないの!?

 勿体ない! って凄く悔しかったので…


 これは私の勝手なお願いなんですけど、生誕祭の日に聴かせて欲しいなと」


 キラキラ目を輝かせ、とんでもないことを「お願い」してくるリタ。

 やっぱり感情が追い付かない。


「ラルフ様の演奏、リタさんはいつでも好きなだけ聴くことができますよね?」


 今更カサンドラに楽器を演奏しろと…?


 別に何も楽しくないと思うのだけど!?


「私、合奏も大好きなんです。

 演劇で役者をしていた時も、劇場二階で音楽隊が演奏していて迫力があって。

 あ、カサンドラ様を困らせたいわけじゃなくってですね。

 これも――私が昨日勝手に盛り上がってただけで!


 勿論、無理になんて思ってないです。

 いいなーと思っただけで…!


 今年の聖アンナ生誕祭は、いつもと違った演出をしたいと提案もあったそうなので、その…」



 今から…フルートの練習をしなければいけないのだろうか?


 一瞬眩暈がしたけれど、でも確かに合奏はとても楽しかったし達成感もあった。

 それに…


「ふふ…もしもそれが実現するのであれば、是非シリウス様とジェイク様にもお声掛けをお願いしますね」


「え? シリウス様は知ってますけど、ジェイク様って楽器演奏できるんです?

 …楽器壊れません!?」


 リタは信じられないと言った顔で、手の甲を口元にあてる。

 座ったまま、綺麗に後ろに仰け反った。


「一度聴かせていただいたことがあります」


 カサンドラの誕生日の日、彼らに集まってもらって演奏を聴かせてもらったことも芋づる式に記憶から引っ張り出される。




 ――ああ、短い学園生活の中で、沢山の思い出を詰めて来たんだなぁ 




「わぁ、それは良いことを聞きました!

 ラルフ様には、このことも合わせて相談しないと!」



 完全にリタはその気だ。

 彼女のエネルギーを侮ってはいけない…


 かなりの高い確率で、聖アンナ生誕祭で合奏の話が持ち上がる事だろう。




 『俺を巻き込むな!』  と、ジェイクの声が何処かから聴こえた気がした。

 渋面でこちらを睨みつけるシリウスの幻影も。






 ※ ※ ※ ※







 アレクは別邸の自室に戻り、一人になった途端大きな溜息をついた。


 兄がカサンドラに対して計り知れないほどの感情を抱えていることは知っていたつもりだが、まだまだ自分の認識が甘かったようだ。


 今度会った時、一言忠告した方が良いのかなと思ってしまった。

 まぁ、来週にはレンドールに行く身の自分の言うことが、果たしてアーサーにとってどれだけの抑止力になるかは分からないけれど。




   兄様、浮かれすぎでしょ…!




 兄の今までの絶望を理解している自分でも、ちょっと待てと言いたくなる。


 まぁ、クラウス侯がいるわけだし、何より日が経てば少しは冷静になれるはずだ。

 そう信じるしかない。


 だが今日は、カサンドラとアーサーに起こった事とは別に、アレクにとって衝撃とも言える出来事があった。意外にも、そっちの方に思考のリソースを割かれてしまう。


 カサンドラが神殿にいるリナや、関係者にお礼を述べに行くと言って一時間近く待機していた間に起こったことだ。


 神殿前にある小さな庭園に、四阿あずまやがあった。

 陽射しも強かったので、そこでしばらく待機しようと思って歩いていたその時。


 ドンッ、と。


 誰かが自分の背後に突進してきたのである。


 吃驚して振り返ると、そこには見覚えのない女の子が呆然と尻もちをついていた。

 自分と同じくらいの歳かな?

 どこかで見た事があるような気もする…


 金髪の緩く波打つ長い髪、そして少し灰色がかった瞳。

 そう、その瞳に大きな違和感を覚えたのだ。

 文字通り、焦点の合わない目というか。


 ――どこを見ているのか分からない、視線…


「大丈夫ですか?」


 普通に歩いていたアレクが悪いわけではない。

 後ろから突然ぶつかってきた相手が勝手にこけたのだから。


 だが驚き硬直している女の子を放っているわけにもいかず、アレクは彼女に手を伸ばす。


「……?」


 だが、彼女はアレクの手を見ることもないし、ただ時が止まったように座り込むだけ。


 一体どうしたのだろうと怪訝に思っていると…




「ジュリーーー!

 どこに行ったんだ、ジュリー!」



 バタバタと大きな足音を立てて、長身の男性が回廊の奥から駆けてくる。

 そんな彼はアレクの姿と、そして目の前にへたり込んでいる女の子の姿を同時に視界に入れた。


「あ! ああああ貴方様は、カサンドラ様の弟ぎみ!?

 …ジュリー、一体何があった!?


 …あの、ウチの愚妹が…まさか御身に失礼なことをしでかしましたか!?」


 血相を変えてこちらに話しかける青年の勢いに、流石のアレクもちょっと呑まれる。


「実は、彼女が僕にぶつかってしまっ」



「ひぃぃ!

 大変申し訳ありません、どうかお赦しを!!」


 最後まで話を聞かず、彼は華麗に地面に伏した。

 その鮮やかな、流れるような動きにアレクはただただ呆然とする他なかったのだ。


「ええと…

 あ、貴方は確か、ビクターさん?」


「まさか、私を覚えておいでで!?」


「シリウスさんとお話しているところを何度かお見かけしました」


「大変光栄です」


 いつまで地面にひれ伏しているつもりなのか。


 …そう言えば過去、カサンドラの新入生当時こんな奇妙な行動をする最上級生がいた――と言っていたような。


 まさかそんな男性がいるわけがない、大袈裟だなと思っていたのだけど…



 ルブセイン伯爵家の長男だったっけ? 

 貴族令息に突拍子のない行動に驚き戸惑っていると…




「お兄様…と…

 あら? 私の目の前にいる方って、おじさん…おじいさんじゃない…の?」




  は!?



 自分を指して「おじさん」なんて言い出した人間は初めてで、アレクはそれに大きな大きな衝撃を受けたのである。

 差し出した手を引っ込めることも出来ず、混乱の坩堝に引き込まれていく。




「ジュリー! お前は黙っていなさい!


 …アレク様、我が家の愚妹が大変失礼なことをしでかしたようで!

 どうかご容赦ください。


 この子は……目が見えないのです」




 焦点の合わない目。

 濁った色。


 ボーッとして、何を考えているのか分からない。



「ほら、立って謝罪しなさい、ジュリー。

 この方は王太子妃殿下の弟君、とても偉い方なんだぞ。

 お前が急に駆けだすからこんなことに」


 膝を立てて立ち上がり、女の子を抱え上げるビクター。

 女の子は、兄の言葉を遮って何故かはしゃいでいた。





「お兄様、この人、子どもなの? 嘘でしょう?

 絶対人生何周もしてる!

 気配…おじいちゃんみたいだもん。

 ふふっ!」





   アレクは目が点になった。





「黙ってなさい!

 シャルの事で頭が痛いのに、お前まで…!

 ……申し訳ございません、大変失礼いたしました!」



 これ以上の暴言は吐かせない、という並々ならぬ決意を秘め、ビクターは妹の口を塞いでその場を駆けだしていった。





 まだ13歳なのに、お爺さん呼ばわりされるとは…?









   たった一瞬の邂逅。








 ※








   「でも……     」







 兄の手で馬車の中に無理矢理放り込まれた少女は、誰にも聞こえないように呟いた。


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