LAST : アーサー (Beloved)
カサンドラ――『女神』を召喚する。
この話は本来秘密裏に行われる予定だったが、彼女が失踪して以降多くの騎士や魔導士、神殿関係者達が彼女の行方を変わらず追ってくれていた。
この二年、手を緩めることなく四方八方、国中を探し続けてくれていたのだ。
もしかしたら、どこかに記憶を失って隠れ住んでいる可能性も無くはない。
かつてアレクがそうだったように、誰かに匿われているケースを考えないわけにもいかなかった。
捜索隊の努力をなかったことにするのはあまりにも不義理であるし、何より神殿関係者にとっては
諸々の援助を得ている以上、内々で済ませる規模ではなくなっていた。
事前に告知せざるを得ない状態だったが、それがどこからどういう風に漏れ伝わったのか。
自分達が学園にいた時に通っていた生徒達がほぼ全員、王宮を訪れていると聞かされ、広場前の様子を見下ろし…その圧倒される大勢がひしめく光景に驚いてしまった。
早い者は一週間前からずっと王都に待機していたと言うし、地方に帰ったはずの令嬢、令息達も示し合わせたように続々と城門をくぐってきている。
まるで二年前の学園内を再現するかのような人の波には、アーサーもバルコニーから確認して大きく感傷に浸るところである。
「……凄い騒ぎですな。
もしも娘が戻って来なかったらと思うと寒々しく、身が凍る想いですよ」
ポン、と肩を叩かれて心臓が大きく飛び跳ねる。
恐る恐る振り返ると、そこに立っていたのはクラウスだ。
身が凍るなどとうそぶいているが、相変わらずどこか機嫌の悪そうな感情の見えづらい男性である。
「彼女のためにこんなに多くの人が集まってくれて、嬉しいですね」
「そうか…うん、ここから見た限り、結構な辺境からわざわざやって来た者も多そうですな。本当に帰ってくるか分かりもしない、僅かな時間しか接することもなかったあの子のために」
カサンドラと顔見知りではなかった生徒も大勢いるはずだ。
見も知らない人のために、わざわざ集まってくるというのも不思議な話ではある。
「二年ほど前…
あの子に『宿題』を出しました」
ふっと、クラウスは珍しく口角を上げた。
「残りの学園生活で必ず、”地方の生徒”達の待遇を何かしらの形で改善するように…と。
当時の貴方の後ろ盾となるならば、私一人が動いたところでエリック達に潰される可能性も大いにありましたからな。少しでも多くの味方を得て――地方と中央という大きな対立軸に大きな火をつけてでも、貴方を後援しなければならないと思っておりました」
「はい、確かに彼女から聞いています。
まだ状況が見えない中、貴方の言葉はとても力強かったことを思い出しました」
彼はゆっくりと、背中を向けて歩き出す。
「全く…
『世界を救え』などと、そんな大きな宿題を出したつもりはなかったのですがね。
何を勘違いしたのやら。
昔から、大人のいうことを素直に聞く子ではなかった。
…変わりませんね」
「侯爵」
「アレクが貴方を探していましたよ、準備もあるのでしょう?
早く大神殿に向かってはいかがですか」
もしも彼女が帰って来たら、『娘』と思ってくれるのだろうか。
今迄見た事のない、彼の穏やかな表情が一瞬見え、胸が詰まった。
泣くには早すぎることは分かっている。
でも皆、カサンドラがまた帰ってくるということに期待しているし、大勢に受け容れられていた証拠のような気がした。
嫌いだったり、無関心な相手に、わざわざ会いに来る人はいないだろう。
彼女の噂がどんな形で国中に伝播し、共通認識になっていったか…
この二年間の鬱々とした日々のことを思い出し、それが決して無駄ではなかったと思い知らされる。
※
「兄様ー。今回の触媒に使う、姉上の『想い』の籠った物品のことなのですけど」
アレクがこちらに手を振りながら、神殿の廊下を小走りに駆けてくる。
「リゼさんが言うには、やっぱりもう少し原型が残っている方が良いんじゃないかという話になりまして」
「そうか…」
彼女がどこにいるのか、次元や世界を隔てて捜索するためには強い道しるべが必要だ。
魂が籠った、彼女の存在とハッキリと結びつく「モノ」。
「マフラー、酷いことになっちゃいましたね…」
アレクは悲しそうに視線を伏せる。
エリックに乗り移った悪魔により、王城が半壊状態にされてしまった時。
アーサーの居住空間も他の場所と同じように蹂躙され、大切にしまっておいた彼女との思い出の品――彼女の編んでくれたマフラーがボロボロの状態になってしまった。
引きちぎられた『残骸』としか言えない、辛うじて残った部分をかき集めてみたものの、元に戻す方法はない。
捨てることも出来ずに残していたそれを、カサンドラを捜す触媒にしてはどうかと提案したのだ。
だがもう少し精度を高めたいと言われても…
「……少々、抵抗はあるが…
他ならぬキャシーのためだ、どうかこれを」
「…手紙ですか? そう言えば姉上、いっぱいお手紙書いてましたよね。
懐かしいです」
「これはあの日、彼女が残した手紙だ」
「――あ…」
彼女がこの手紙を残してくれなかったら、一体自分はどうなっていたのだろうか。
あのまま黒い感情に塗りつぶされて、何もかもがどうでも良いと自棄に陥っていたのかもしれない。
自分でもどうしようもない憤りを鎮め、己を取り戻すことができたのは彼女の直筆のメッセージのおかげである。
手紙というかなりプライバシーに関わるモノを、いくら三つ子でも彼女達に託すと言うのも気が引けたのだけど。
そんな悠長なことを言っている場合ではない。
「なるほど、
「あまり他の人達には知られないように、取り扱いには気を付けて欲しい。
まさか触媒として使い終わった後に、消失するなどということはないだろうね?」
「え、僕もそこまで分かりませんよ。
でも…姉上が戻って来られたら、また書いてもらいましょう、そうしましょう!」
完全にテンションがおかしくなっているアレクは、先日から大変情緒不安定である。
時折ボーッとしていたり、何もないところで頷いたり、困ったような顔をしたり。
これから行われる召喚儀式の結果で、今後の未来が大きく変わると思えば精神面が安定しないのも当然のことだ。普段あまり感情を昂らせることなく、
「えーと、準備はほぼ完成していて…
後はシリウスさんが召喚陣を起動させて、その後リナさん達が姉上がどこにいるのか捜しますよね。これがどれだけ時間がかかるか分かりませんが、その間僕達も空間を渡れるだけの『通り道』を維持しなくちゃいけないから…」
もしもカサンドラを見つけることができなければ。
どこで諦め、打ち切ることにすれば良いのか…引き際を指示するのは極めて難しい判断になるだろう。
彼女達は限界を超えても、捜し続けるのかもしれない。
大海原に漂う一隻の小船を見つけるような途方もなく遠大な作業である。
いくらその小船まで繋がる道しるべがあったとしても、世界を超えた壁の向こうに呼びかけるというのは並大抵のことではないはずだ。
彼女達三人の奇跡を頼る他はない。
自分たちにできるのは、術を行使する際の補助くらいなものだ。
「――創造神ヴァーディア。
汝の
聖女に今
シリウスの『力在る言葉』に呼応し、床一面にびっしりと書き込まれた文様がかつてない光輝を放った。
この光を途絶えさせないよう、継続的に魔力をそそぎこみ続けなければいけない――分かってはいたが、底なし沼に全身の魔力を吸い取られるような虚脱感に頭痛が襲い来る。
・ ・ ・
「まだ…遠い、どこ…?」
「いないの? 光、途切れそう…ん、こっち」
ぽそぽそ、と三つ子は目を閉じたまま互いの状況を共有し合う。
彼女達の表情は青白く、額に汗の玉が浮かんで床に滑り落ちていく。
とめどなく。
どこにいるか、届くのか
まさに雲を掴むよう
一体何時間、自分達は魔法陣に己の魔力を注ぎ込み続けているのだろうか。
これでラルフの奏でる魔力増幅装置の補助がなかったら、早々に根を上げていたかもしれない。
大神殿の天井近く、暗い穴が渦巻いている。
その穴の中は渦巻く「闇」だ。
ただ、そこを切り裂くように白い閃光が縦横無尽に遥か彼方先まで貫き走る。
「あ、繋がった?」
「…懐かしい気配…!」
「リナ、間違いないか?
別人に繋がったなど、洒落にならんぞ」
「はい、多分、この先繋がってます!」
何も見えない深淵の闇。
この渦の向こうに、本当にカサンドラがいるのだろうか。
現実感は全く無かった。
でも――彼女に戻って来て欲しかったら、呼びかけるしかない。
向こうの声も姿も、分からない。
ただ、闇の中にぼんやり、うっすらと金色の球体が見えた気がした。
それが彼女の存在、『魂』を映したものではないかと、無意識の内に手を伸ばす。
漆黒の空間の中、浮かび上がるその輝きはとても綺麗だと思った。
言葉をどれだけ尽くしたら、彼女はこの世界に還ってくれるのだろうか。
納得して、自分を選んでくれるのだろうか。
無理にこちらに攫ってきたいわけじゃない。
だけど彼女が、もう自分達を忘れたいと思っているのであれば…
語り掛ける言葉を尽くし、シリウスに焦りの表情が見え隠れした時。
それまでじっと黙っていたアレクが、中央の台座の上に浮かびクルクル回転していた一通の手紙を手に取った。
既にカサンドラを見つけることが出来たなら、その触媒自体は不要なものであるが。一体何を?
「貴女が兄様に書いた、この
これまで必死にアーサー達が言葉を選び探し、彼女に語り掛けていたのに。
アレクの突拍子もない行動に、誰もが虚をつかれた次の瞬間だった。
『あああ! 待ってくださいアレク! それだけは!!』
こちらに届いた彼女の声は、とても懐かしく。
彼女の表情や仕草さえ、スッと浮かび上がってくる自然なものだった。
それまで緊迫感や悲壮感に包まれていた儀式の間に、
皆、目を大きく見開いた。今の声が、自分達の幻聴ではないか、と互いに疑い合いながら。
身長より高い杖を両手に掲げる三つ子の腕が、大きく震えた。
想いが届いているのなら、もう説得の必要はないのかもしれない。
―― 帰っておいで ――
不安で悲しくて仕方なかった
この世界のどこにもいないと思うと、存在の遠さに絶望した
可能性だけの話ばかりで、未来が見えない夜ばかり
まるで手品か何かのように、天井近くに空いた漆黒の”穴”から人間が落ちてくる。
彼女を抱き留め、ぎゅっとその存在を確かめる。
姿を消して以後、自分の記憶と何も変わらないカサンドラの姿に涙がこぼれ落ちそうになった。
色々なことを、後悔した。
自分のしていることは間違っているのではないかと、彼女にとって迷惑な想いなのかと心を焼かれるような焦燥感に苛まれたこともある。
誰か一人でも欠けていたら?
彼女がこの世界に帰ってくることは出来なかったのではないか。
沢山の偶然、奇跡が折り重なって、もう一度会えた。
「……お帰り、キャシー」
もう 二度と離さない
<空白の二年 ―彼女が消えた世界― / END>
※後日談に続く
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