53 : アレク ( There's no night that won't end)


 その日、アレクはレンドール領から王都へ出向いていた。


 誰かに会いに行くため…という理由とは、少し違う。

 今日は兄であるアーサーが、宮殿で王太子の宣誓を行う。


 その儀式へ参列を求める声がかかったのでおよそ一年ぶりに王都へとやってきたわけだ。

 未だに社交界やら王立学園は閉ざされている現状だが、恐らくこれを機に新しい国としての体制が始まっていくのだろう。


 現在閉鎖されている王立学園に籍を置いていた生徒は特例で卒業と見做され、この卒業が要件であった諸々の手続きが進むという形になる。


 今まではこの王立学園を卒業しなけれな爵位を継承する権利がないだとか、一部の仕事に就けないという制限だらけだった。


 そんなボトルネックが一気に解消される形になった。


 建国の時代より国の根幹を形作る施設としての歴史を持つ王立学園。

 今後どのように運営されるのか未だに議論が続いているそうだ。


 まだ入学する年齢に至っていないアレクにとってみれば、どういう変化があるのは気になる話。しかし今は自分の二年先の未来より、その日行われる兄の晴れ姿をこの目に焼き付けるので思考のリソースを奪われてしまう。


 国王陛下を始め、主要な貴族の当主たちが一堂に会するというのはかなり壮観な光景なのだが。


 この儀礼の祭典で、前例と大きく変わったのは宣誓の方式らしい。

 それまで代々の王太子候補は、国王陛下に太子として認められた後、御三家――ヴァイル家、ロンバルド家、エルディム家の当主に『信任を得る』という形になっていたそうだ。

 彼らは新しく立った王太子にとっては先達のような存在で、教えを乞う的な関係だったのだろうし、向こうも年配。慣例のような定められていたその慣例が、どういう話し合いがあったのかは分からないが――


 三家の当主が片方の膝をついて跪き、礼をとるという形式になった。


 表向きに見える他所からの景色は、特に何も変わらないだろう。

 元々、三家の当主が王家を支えるという建前だったのは事実。歪な内情を知らなかった多くの人間ばかりだ、この差異に気づく人はいないはず。


 ――今まで『三家』が持っていたものを返すという、事情を知っている者にしか分かりようのない決意のようなものである。


 まぁ、そうやって表明したところでいきなり全ての貴族階級などを剥奪・更地にして一から王家に集権し再構築するというのは無理な話だ。

 バランスをとりながら采配されていくのだろうが、権力や特権というものは集約するときよりも、再配置することの方が難しい。


 また、彼らの婚約者は『救国の聖女』。

 その事実が厳然とある以上、やり方を間違えると王家の浮沈に関わる問題にもなる。パワーバランス的な関係でこういう恭順の示したとは言え、この代でバッサリどうこう、という話にはならなさそうだ。


 …そもそも…


 王太子が婚約者なしって、前代未聞だよね…

 下手をしたら今の王統が絶えるし。



 

 だから三家の対応がどうというよりも、そのことが気がかりな貴族が多かったのではないかと思われる。





 ※




「兄様、お疲れ様です」


 久しぶりに兄とゆっくり話ができる時間ができて、嬉しい。

 だが、カサンドラがいなくなってしまって、もう少しで二年になると考えると複雑な気持ちである。

 簡単に彼女に再び会えるなんて思っていなかったけれど。

 こうも進展がない状態では、もう既にこの話は消えてしまったのでは…?と疑心暗鬼になることもあったのだ。王都にいれば状況がすぐに把握できる事も、遠く離れたレンドールでは周回遅れの情報になってしまうこともある。


 過去、クラウスが王都やカサンドラの様子を知りたいと逐一手紙で報告させていた理由も、今となっては分かり過ぎる程納得できる。その場にいないと、こんなにも実態を把握できないものなのか…と。


「ありがとう、久しぶりだね」


「お会いできて嬉しいです」


 会いたくても何故か絶対に会えなかったアーサーに、機会があれば会うことが出来る。

 過去の経験で随分鍛えられてしまった精神力のせいか、会いたい人に会えないというのは慣れっこだという悲しい体験のせいか。


 レンドールにいる間、やきもきしていたけれども、兄に会おうと思えば会えるという現実はアレクの心を幾分癒してくれた。


「卒業要件が今回特例で緩和されたことで、色んな事が先に進んでいるようですが。

 結局学園ってこの先どうなるんでしょう?」


 あの若さで、当主になってしまった三人にはかなり同情してしまうところだが、まぁ他の誰が後継者となって兄を助けるのかと言われれば思いつかない。


「そうだね、もう少ししたら学園制度を別の形で再開するよう、話を進めているところだよ」


「やっぱり学園制度は続くんですね…」


 これを機に学園制度なんてなくなってしまえば楽なのに、と思っていたアレクは少々がっかりしてしまう。

 聖女を教育するための学び舎として設立された学園は、もはやこの国を「一つの国」たらしめるために有効な手段。この王国の代名詞的な存在でもあったし、自分も近い将来学園に行くのか…と若干、顔が引き攣った。


「そんなに心配しなくても大丈夫、今後は校舎を男女で分けて互いの交流は最低限になる予定だ。

 これはシリウスも強く言っていたのだけど、学園は二年くらいで必要な教養・講義を全部履修するような仕組みにしようかと。

 優秀で問題のない生徒は、一年で卒業できるくらいで丁度良いのではないかな」


「ああ、男女別になるなら僕としても有難いですね」


「男女間のトラブルを徒に増やしかねない状態だったからね。

 資金を投入して貴族の子女を学園に通わせるなら、効率良くした方が良いと。

 …あの状態の学園だと、アレクが大変そうだと心配していたよ」


 それをシリウスが言うのかと思うと、かなり複雑な気持ちである。

 彼なりにこちらに気を遣ってくれたことは分かるけれども。


 でも男子生徒だけで一年、もしくは二年一緒に寮で過ごせるのは普通できない経験だ。

 俄然、通えるのが楽しみになった。



「兄様の立太子が無事に宣誓されて、本当に安心しました。

 これで陛下も少しは安心してくれますね」






「――キャシーを喚び戻す、召喚の日が決まったんだ」



 あまりにも唐突な発言にアレクは鳩が豆鉄砲を食ったような表情になる。

 数拍置いた後、ようやく喉から声が発される。


「えっ!? ちょ、え、本当ですか!?

 …確かに、兄様がケルンからお戻りになられて、大きな進展があるだろうという話は聞いていましたけど」


 ケルンから無事にアーサーが帰国したと聞いてもう半年近い時間が流れているとは言え、思った以上に順調に進んだのだろう。


 カサンドラがいなくなってからずっと、呼び戻す手段を捜し続けていたのに。

 ここにきて一気に、日程が決まったと言われてアレクは驚きを隠せなかった。


「ケルンの王太子には随分便宜をはかってもらえてね、今回の件に必要そうな秘術書や魔術道具をいくつか無償で貸与してもらえたんだ。

 昔あちらの国で研究されていた空間転移系の魔術原理が随分参考になったかな」


「…そうだったんですか…

 帰国まで二か月近くかかったと侯爵からお聞きした時は、一体どうなることかと肝が冷える想いでしたけど!

 それだけの成果があったのなら、皆の心配もチャラですね!

 ケルンがそこまで力になってくれるなんて、正直驚きです」


 海峡を隔てた果ての王国ケルンと、そんなに親交があると聞いたことはなかった。

 そもそもクローレス自体、北と西は海、東は峻険な山脈、更にレンドールの南には大きな大河が流れてその向こうは砂漠…という他国とのやりとりの少ない地形なのである。

 陸続きで国境を接する多くの国が、過去に聖女の名のもとに統一されたということは、現在から考えても恐るべき偉業だったのだと思う。

 その分内政問題が困難極まるという別の悩みを抱えてしまったけれど。


 過去にクラウスが”西大陸を一つのまとまった国として統制がとれるなら、代々の三家の当主は多少人間性がアレでも十分よくやっていると思う”と語ったのは真実なのだろうな。


 求められる能力を比べた結果、エルディムの先代当主の座は三男のエリックが継いだわけだし。貴族社会で普通に行われる下剋上…。

 中々苛烈な内情だったことは予想がつく。


「――キャシーが『帰還』した暁には、最初の訪問先に是非選択して欲しいと念をおされて来たくらいだ」


「それは楽しみですね!

 姉上も国賓待遇でケルンに招待されたなら、凄く大きな実績になると思いますよ!」



 王太子妃の立場で、歴史のある旧国ケルンから来訪を熱望される女性など初めてではないだろうか。

 アレクは興奮して、兄の間近に詰め寄ってしまう。


 いや、そんな実績のことより何より!


 またカサンドラに会えるかもしれない…!


 その望みだけを抱いてここまで過ごしていたとは言え、やっと実現するのかと思うとあまりにも現実味がない話ではないか。 



「ああ、本当に…長かった」



 今までの負荷を全て吐き出すかのような、万感を込めた吐息が漏れる。

 兄は現在、誰かから命を狙われているわけでもなければ、理不尽な待遇を受けているというわけでもなく。

 彼の立場という一点を考えるのなら、不幸ではない。


 隠し事があるわけでもなく、友人達との関係も今まで以上に良好だと思うし。


 世界も兄も救われた、その事実を知るのは一部だけだけど…


 世界の皆が幸せになりました、めでたしめでたし、と〆るにはあまりにも空いた穴が大きすぎるのだ。


 『兄を救ってほしい』という願いを込めて現れたカサンドラは、世界を救った後忽然と姿を消してしまった。だけど彼女のことを幻だと忘れるには、彼女の残した痕跡はそのままで。


 皆の記憶にずっと残っているから、このまま『女神』という名前で概念化してしまうのはアレクとしても、アーサーとしても耐え難い。



 また逢いたいと思う。



 もしもこの世界を選んでくれなかったのなら…それは彼女の意志だ。

 哀しいけれども、自分たちが割り切らなければいけない問題。



 帰って来てくれる…と信じている。

 いざ現実のものとなり、日程まで教えられた時に「ワーッ」と叫びだしたい気持ちになった。色んな感情がごちゃ混ぜになって、それまで奥底に閉じ込めていた姉とのやりとりが一つ一つ思い出として浮かび上がって来たからだ。



 いきなり人が変わったようだと驚いた日のことが、まざまざと瞼の裏に浮かび上がってくる。

 それでも幼少時の記憶を持って自分を弟と呼んでくれるカサンドラはどこまでいっても自分の姉でしかなかった。

 もしも過去のカサンドラが異世界での記憶を”吸収”してしまったのなら、それは考え方や価値観、人格が変わるものだと思っていたし、今でもアレクの中では真実だ。


 クラウスはまるで人格を乗っ取られた別人だと考えていたかもしれないが、決して正確に表しているものではない…と思う。

 少なくとも、もはや元のカサンドラの記憶や人格と分離することができない状態になってしまった。自身の記憶や体全部を捧げる覚悟で助けを求めたのだとしても…


 彼女を『カサンドラではない』と言うことなど、とてもアレクには出来ない。




「姉上…戻って来てくれます…よね」


「そう信じるしか、私にはできない」


 絶対に、確実に、今まで誰も起こした事の無い奇跡を起こせる! なんて保証はどこにもない。

 異世界に戻ってしまった人間を、再び探し出して召喚する…のではなく、彼女に戻って来てもらえるよう『説得』しなければいけないのだ。


 もしもこの世界のことを忘れていたら?

 やっぱり元の世界にいたいと望んだら?

 そもそも、彼女を見つけることができなかったら?


 不確定要素が多すぎて、真剣に研究を重ねて実現までこぎつけるなんて、と驚く人の方が多いのではないだろうか。


 ここまでこぎつけたのは兄や彼女に関わって来た人の執念のなせる業だと思う。



「今日は、その打ち合わせなども兼ねて、『皆』で晩餐会の予定だ。

 シリウス達も、アレクにこの話が出来るのを楽しみにしていたから、聞いてあげて欲しい」


「皆…と言いますと、皆さんですよね?

 わぁ、本当に久しぶりです!」


 カサンドラがどこに行ってしまったのか、この世界に起こった真実に対する後始末をどうするか…学園で皆で話し合った日を懐かしく思えた。

 絶望の二文字しかなくて、彼女に二度と会えないんじゃないかと思うと、その時の兄の気持ちを想像するだけで鬱々とした気持ちになったものだ。



 再び自分がその中に加えられる時が来て、しかも待ちに待った報告を聞かされるなんて…! この二年間、ずっと全身に重石をつけられていた状況から一転する話ではないか。



「召喚の日まで多少空くけれど、アレクは王都に滞在しているといいよ。

 クラウス侯もそれを望んでいる」


「ホントですか!? 良かった、またとんぼ返りになるのは嫌なので!

 …レンドールの方は特に大きな問題もないですし、エルマー子爵が色々助けて下さっているので大丈夫でしょう」


 アレクは嬉しさの余り、両手を挙げそうになった。

 いや、まだ喜ぶには早すぎる。


 この感情が報われるのは、カサンドラが戻って来たときだけなのだ。




「……チャンスは一度きりだと考えている。

 どちらの結果になっても、私達はキャシーの選択を受け容れるしかないんだ。

 無理矢理彼女を連れ戻したいわけじゃない、それではクラウス侯も決して納得しないだろう」


「そうですね…」


「私はそうなってしまった場合も、聖女とは違う別の奇跡を、一生求め続けるのかもしれない。

 うまくいかなかった時の事を考えたくはないけれど…


 どういう形になったとしても、ここで一つの区切りが訪れることは確かだ。

 結果次第で、アレクの縁談に関して慎重にならざるを得ない状態だということは、考えておいてほしい」


「……兄様」


「私は今日、王太子の宣誓を行った。

 だけど私は王族の義務だと言われたところで、キャシー以外の女性と結婚するつもりはない。

 そうなった場合、アレクに『クリス』へ戻ってもらう検討の余地さえ、生じるということだ」


「…やめてください、僕は…」


 既に捨てた名前、クリストファーという存在に自分が戻る。

 現在の国王陛下の正統な後継者を残すために、アレクが王族に戻って兄の跡を継ぐという話が現実味を帯びると言うことだ。


「私も考えたくない。

 ただ、その日に全てが決まるのかと思うと、芋づる式に色々な状況パターンが浮かんでくるんだ。

 …帰って来てくれると信じているはずなのに、その思考と地続きでそうでなかった場合を想定してしまう…

 きっとリタ君なら、その可能性なんて考えず純粋に100%期待するのだろうけど。

 私はそこまで楽観的に考えられる性状ではないから」






 こればかりは持って生まれた性格に左右される、常に最悪を想定しないといけない立場に置かれている兄。嫌でも、望まぬ結果になった後のことを仮定しなければいけない…





「大丈夫です、兄様!

 姉上は絶対戻って来てくれます、ここまできたんです!

 今日の晩餐会、楽しみですね。

 …皆と笑顔で話ができるなんて」


 カサンドラのことを笑って話題にできることは、もうないんじゃないかと落ち込む日々もあった。朝起きたら、あの日の続きが訪れるんじゃなかなって期待して、そうじゃない現実に頭を抱えて。






 何も間違っていないのに、一番大切なものを失った。

 それが堪えがたかった。









    明けない夜は、ない。

 

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