49 : アーサー (The Choice)



 婚約者が病気…ね。



 流石にそこまで予想していたわけではないが、エドワード王太子が『聖女に会いたい』と言った理由は概ね自分の想像していた通りの話だ。


 きっと何か、『聖女』に要求するのだろう。

 誰かを治癒してみせるというのは、分かりやすい”効果”だ。


 だがまさかケルンの王太子が、そこまで自分の婚約者に入れ込んでいたことは予想していなかったことなので、少々面食らった。


 彼らケルン王国、王太子の婚約周りの醜聞に関してはエリックがそれを都合よく脚色して、ジェイクやラルフ、シリウス達に婚約者がいない理由を用意周到にでっち上げていたものだ。それだけの意味しかない。


 距離が離れすぎているがゆえに交流も数える程しかなく、ポートウェルを実効支配してこちらの様子を伺っている国。中々胸襟を開いて仲良くお話というわけにもいかない。



 王太子が一方的に婚約破棄をして、別の女性を運命の人だと騒ぎ立てている。

 そのせいで公爵家は王家に不信感を抱き、自分の娘をクローレスの御三家に嫁がせるかもしれないという、水面下で実しやかに囁かれていた「噂」。


 全部エリックが仕込んだものだ。


 決して全て鵜呑みにしていたわけではなかったが、中々想像力が逞しい形で捻じ曲げて準備していた話だな…、と苦笑せざるを得ない。


 婚約者の公爵家側としても、娘が病気にかかってしまったため婚約を破棄される事態になったと言うよりは、王太子側が一方的に不義を働いてしまったという話にした方がマシだ、という判断だったのだろうか。

 

 その辺りの噂のやりとりの事は定かではないけれど、最も割りを食ってしまったのは王太子のようだ。

 婚約者の公爵令嬢が将来の「王妃」になるには困難な病状を抱えた以上、彼女と予定通り婚姻することは不可能だろう。少なくとも、障害なくすんなり結婚できるわけがない。

 病気に罹った婚約者を不満に思った国王たちが、健康な王妃候補として別の女性を薦めるのも当然の話なのだろうな。



 だが、簡単に気持ちが切り替えできるわけがない。



 ――この女性が”駄目”になったから、今度は別の人と。





    カサンドラがいなくなってしまったから、じゃあ別の人と。





 馬鹿にするな、と言いたくもなる。





 ああ、気持ちは分かるよ。

 凄く分かる。




 どうしても治したい    どうしても連れ戻したい


 どうしても結婚したい   どうても一緒にいたい


 奇跡に縋ってでも     聖女に縋ってでも



「アーサー王子。

 お前は自分が何を言っているのか、分かっているのか?

 ああ…言葉足らずだった。

 騙す形で聖女を連れてきてもらった事は、勿論謝罪する。


 ただの利害の一致、そうだろう?

 本当に彼女らが聖女というのならば、その力を見せて欲しい。

 彼女達がジェニファーを治すことで、私は彼女を手に入れられる。

 彼女は救われる。

 ケルンは、貴国の女神召喚の儀を執り行うに必要な、最大限の協力を惜しまない。


 …結果的に、王子は女神と再会することができる…それは素晴らしい奇跡の因果だと思わないのか?」


「そ、そうですよ!

 私達は王子に命令されたわけじゃないです。

 自分の意思なんで! いいですよね!?」


 眉間に深い皺を刻み、必死の形相でリゼが訴えてくる。

 その切実な想いは、自分にとってとても甘美に映り、まるで禁断の果実のような響きを持つ。

 『今回だけ』と、彼女達に病気を癒してもらうことで、カサンドラと再び会うことができるなら。それが大きな近道と言うのなら。


 己を曲げても、縋ってしまいたくなる。

 それこそ、エドワード王太子のように。



 もう一度、強く拒否する。

 彼女達が勝手な判断で暴走しないよう、自分がここにいるのだから。


「…駄目だ。君達に、『癒しの力』は使わせない。

 それを止めるために、私は君達に同行した」


 三つ子だけで向かわせるなど、とんでもない。

 ノコノコこの国を訪問してしまったら、カサンドラに会えると言う結果だけを求めてケルン側の要望を聞いてしまうだろうことは容易に想像がついた。


 勿論、そうでなければいいな、とは思っていた。

 図々しく、他国に現れた聖女に奇跡を求めるなんて常識で考えればあり得ない。

 だが人間、窮地に立たされれば何を言い出すか分からない…そんな現実も、アーサーは良く分かっているつもりだ。



 彼女達が利用されることだけは、どうしても許容できない。



「リゼ君、君は過去ジェイクに忠告されたよね?

 その癒しの力は二度と使うな、と」


「……それは…でも、いくらそう言われても、私は…

 これは、例外ですよ、例外!」




「そうやって、今後も『例外』を積み重ねていくのかな?」



 リゼは賢い。

 だから、唇を噛み締め、悔しそうに顔を背けた。


 ここで王太子の要望を汲んでしまったら?


 何かの目的があれば、自分の命を削って、他人を癒しても良い。

 その選択肢を自分で「選ぶ」ということは…


「君達は、事の重大さを分かっていない。

 死の淵にある人間を救う力があるということは、人間の生き死にを『選ぶ』立場になってしまうということ。否が応でも…ね。

 一つの穴を通せば、そこから拡がっていくものだ。

 苦しむのは君達…私は、それを容認したくない」


 彼女達の命も寿命も力も、彼女達だけのものだ。

 かつて王国にいた癒し手たちが、何故その力を封印するに至ったのか。

 己の生命を削り他人を救う奇跡の力は、「ちょっと強い魔法」という枠を超えた神に等しい力。


 自分の選択の余地を残してしまえば、彼女達は今後も無意識に考えてしまうだろう。

 自分の愛する人、友人、大切な人…


 もしも救いが必要になった時に、大きな罪悪感を抱くことになるかもしれない。





    カサンドラのためになら、人を救うことができたのに…と。





 元々彼女達は心根が優しい人たちなのだ。

 救える命を救えない、ということは心を病む原因にもなる。


 『例外』だと自分を誤魔して今その力を使ってしまえば、今後同じような場面に遭遇する度に彼女達は「選ばなければいけない」。

 カサンドラのためだったら、人を癒せる。人の命を救える。


 それは、逆説的に考えたら今後の彼女達の人生の中、苦しむ人に遭遇してしまった場合――

 人の命を「救わない」という選択を、能動的に選ばせ続けることになるのでは?


 助けることが可能な状況で、敢えて手を差し伸べず「死なせてしまう」。

 当たり前の光景なのに、逐一「今回の件」で意識させてしまうことになりかねないのではないか。


 状況的にしょうがないじゃないか、と外野が言うのは簡単だが。人の気持ちはそんなに簡単に割り切れないだろうな。

 罪悪感に耐えられなくなったら、彼女達は目に見える者全てを救いたくなってしまうのではないか。過去の聖女アンナがそうであったように。


 命の重さに差なんかない――良い言葉だ。

 だがそうではない現実に、彼女達のような普通の感性の女の子が耐えられるのだろうか。



 最悪の展開になってしまいかねない、そうアーサーは考えてしまう。




 カサンドラと誰かの命を比較して天秤に乗せる業を、彼女達に背負わせたくない。



 それに三人とも、自分の友人の恋人である。

 彼女達の命を削るような真似をしてくれとも言えないし、この先の負担を押し付けてしまうなんて考えたくなかった。


 カサンドラが還って来てくれたとしても、彼女達の中に影を落としてしまうことになるのではないか。自分さえ良ければそれでいいのか、彼女達を利用するような真似をしてもいいのか…


 そんな風に考えていると、安易に彼女達にお願いすることは、間違っているのだという結論に至ってしまう。



「…あのですね。

 私達の身体? 心? …寿命か何かを心配してくれているかもしれません。

 でも王子、私は…

 このままカサンドラ様が還って来ない世界で、余分に何年長く生きられたところで、嫌なんですよ!

 …本当に!

 これっきり!

 今回だけです、だから私達に任せてください!」


 リゼの訴えに、アーサーはやっぱり首を横に振る。


「駄目だよ、リゼ君」


 流石にエドワード王太子の前で言葉には出せないけれど。

 もしもあんな『奇跡』を目の前で見せることになってしまったら…


 ケルンから無事に帰国することができないのではないか、という心配も過ぎる。


 易々と捕まえさせはしないが、代わりにあれもこれも、と要求が積み重ならないなんて誰が言えるだろうか。

 万が一の危険を冒すことは、彼女達を先導してきた自分にはとてもできる話じゃない。



「そんな顔をしないで欲しい。

 こちらの件が駄目になってしまったからと言って、キャシーに会えなくなるわけじゃない。

 時間がかかるかもしれないけれど。

 そこまでの負荷をかけてまで、実現したいわけではないよ。

 君達は…キャシーにとっても大切な人だから」




「……!

 嫌だぁぁぁぁ! もう一年待ったよ!

 まだまだかかるの?

 …皆がカサンドラ様の事忘れちゃうよ、そんなの嫌だ!」



 まるで駄々をこねる子どものように、座ったままのリタが足で床を何度も踏みしめる。とんでもなく行儀の宜しくない妹を諫めるはずのリゼは、ふらっと部屋の角へと離れる。

 こちらに背中を向けてしゃがみこみ、リタと同じように大声で泣く。



 自分の意思で、という気持ちと

 王子からの拒絶の狭間で、彼女達が行き場のない想いを抱えていることが伝わってくる。



 あんまり、そんな風に動揺しないで欲しい。

 今回は諦めて欲しい。



 アーサーは左手で自身の胸元をぎゅっと掴む。

 『お願いするよ』の一言で、この場は全部上手くいくのかもしれない。



 自分は…クラウスの言う通り、我儘だ。

 ある程度開き直ることができたとしても、その我儘を叶えるために三つ子達の今後を犠牲にするのは違うと思う。



「大丈夫だよ、リタ君。

 私も、君達もずっとキャシーの事を忘れるはずがない。

 私達が覚えている限り、いつか再び彼女を喚び戻すことができるはずだ」



 自分に言い聞かせる。

 これが最後の手段というわけではない。

 そのために彼女達にこの国で奇跡を起こさせるのは、余りにも危険すぎる。


 …三つ子を自分に任せて送り出してくれたということは、シリウスたちが信用してくれたから。

 ここでカサンドラのために、禁じられた力を解放して帰って来ただなんて、どんな顔をして伝えればいいのか。


 今まで気が強いと思っていたリゼや、何があっても前向きで元気な姿勢を崩さなかったリタが、声を上げて子どものように泣いている姿は…心に突き刺さる。


 彼女達の望みを叶えてあげるべきなのか?

 いや、それは……


 聖女が自分勝手に力を使うことは、今後の体制の綻びを意味する事だ。

 だから許容できない。


 だが縦しんば王族じぶんが「許可」を出してしまえば、彼女達は王家の道具という存在になり果ててしまうのではないか。



 様々に枝分かれしていく可能性に、足元が暗くなる。


 恨みがましげなエドワード王太子の視線。

 そして感情を爆発させて泣いてしまう聖女たちという、かなり騒然とした時間が少し過ぎたころ。




「あの…怖れながら申し上げます」



 それまで俯き、考え込んでいたリナが顔を上げたのだ。

 突然話しかけられ、エドワード王太子はパッと顔を輝かせる。


「おお、もしかして君がジェニファーを」


「私としてもそうしたい想いでいっぱいですが、王子のご意思を無視した行動はできません。

 …王太子様、貴方は…婚約者のご令嬢の病が回復することが望みなのですよね」


「その通りだ、今の状態が続けば彼女が長くないことは誰の目にも明らかだ!

 …だがどうしようもない、どんな薬も祈りも彼女の病を治すことはできなかった。

 だから聖女の奇跡が最後の綱、どうしてそれを分かってくれないのか!」



 まさかリナが何かとんでもないことを言い出すのではないかと、アーサーはその様子を観察する。動揺している様子は見られるものの、少なくとも姉二人よりは落ち着いているように見えた。


「それならば、…癒しの力を使わず、現状可能なことを提案いたします。

 まず、できることを全て試すべきです」



「何だ、言ってみろ、聖女よ。

 奇跡など起こさないと誓ったその身で、一体何が出来ると?」




 完全に、裏切られた人間が見せる表情だ。


 勝手に期待して、勝手に失望して。

 エドワード王太子は、憤りや苛立ちを隠すことなく、立ち上がったままリナを見下ろす。


 その威容に、泣いていた二人も何ごとかとリナの傍に寄り添い、まるで王太子から庇うようにリナの前面に腕を回している。






「それは――…」





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