48 : リタ (Wish)


 とんでもない目に遭ってしまった…。


 リタはまだ少し痛むお腹を庇うように、馬車を降りる。

 ケルン王国中枢部、王城へとようやく自分たちは辿り着くことができたのだ、と今更ながらに驚きを隠せない。


 この道中は平和なようで、決して順風満帆というわけではなかった。

 やっぱり遠出するのは神経を使うし、街の人達から『聖女様』と持ち上げられるのもあまり良い気持ちがするものではない。

 自分達は普通の女の子だ――という自負がある。


 否応なくステージの明かりを浴びせられる状況に、段々倦んでストレスも感じてしまうのだ。まぁ、だからと言って、見た事もない魚を炙って食べたのは悪手だったかもしれない。

 そこは要反省と言ったところか。


 何はともあれ、ケルン王国のお城に辿り着くことができたのなら、もう半分近くミッションを完了していると言って良いだろう。

 クローレスの王城もとんでもない大きさだったのを覚えている。

 悪魔によってめちゃくちゃにされたお城一帯が、あっという間に建て直されていたことに、狂気を感じたのも記憶に新しい。

 魔導士たちの、石も浮かせる風魔法のお陰と言うことは理解しているものの…魔法って怖い。


 ケルンの王宮は建築様式が違って、荘厳かつ重厚な空気感に包まれているようだ。


 神殿や聖堂の中に入ると感じる静謐な雰囲気が、広大なお城全体を包んでいるというか。

 どこからともなく聖歌が流れてきそうな、古めかしい厳かな場所。


 …要は、自分の苦手な空気がぎゅっと凝縮されている。

 大声で笑ってしまったら、警備する兵士の槍に一突きされそうだ。

 肌までピリピリする王城の正門をくぐり、自分たちは『招き入れられる』。


 ケルンの騎士たちは長槍が標準装備のようで、そのピンと天井を貫くように並ぶ銀色の刃先が物々しさを加速させていると言っていい。


 緊張して何かやらかしてしまわないよう、王子の数歩後ろをゆっくりと歩く。



 双開きの金縁扉の前に案内される。

 ゆっくりと扉が開くと同時に、内側から盛大なファンファーレが鳴り響く。

 入口に掲げられているケルン王国の旗の下、煌めく照明の中王子は静かに一歩、踏み出した。

 到底正気ではいられない、自分の場違い感に足が震えそうになる。


(…リタ、行こう)


 背中をポン、と叩かれて視線を向ける。

 真っ白い軍服――騎士たちに戦乙女ヴァルキュリアみたい、と大変好評だった姉のリゼが正面を見据えて立っている。

 どこか険しい顔だ。

 同じ顔なのに、自分にはこんなにもキリっとした真面目な表情は出来ないだろうと思う。



 


「遠方よりよくぞ参られたな、クローレスの王子。

 おお、そちらがくだんの聖女――ふむ、なるほどなるほど」



 壇上の玉座に座る年配の男性の頭には、ピカピカの王冠が填まっている。

 クローレスの王様はあまり王冠を被って公務をしないので、珍しさのあまりついじっと見つめてしまう。

 豪奢なふかふかのマントを羽織り、胸元にはじゃらじゃらといくつも勲章が提げられている。優しそうな壮年男性に見えるが、こちらを品定めする視線に背筋が凍り付く。


「この度はお招きありがとうございます、国王陛下。

 我が国の王も、変わらぬよしみを、と」


 王子がなんだかんだと話をしているのが、素通りしていく。

 何故なら、玉座に深く腰を下ろす国王の斜め前に一人の男性が立っていて。彼が王を上回る刺すような視線でジロジロとリタたちを観察しているからだった。


 濃い藍色の、腰まで伸びる長い髪の男性。

 恐らく彼がこの国の王子様、いや王太子なんだろう。


 道中で教えてもらった名前は、エドワード王太子。

 為人ひととなりはさっぱり分からないが、ラルフや王子のようなタイプとは少し違って見える。ちょっと偉そうと言うか、対峙した相手を呑んでかかりそうな雰囲気。

 上げた口角が、挑発的に映る。


 リタは完全に石像か彫像と化し、全く動けない。

 あまりにも緊張をすると笑いたくなる時があるが、流石に今だけは堪えなければ!


 ただただ、時間よ過ぎろ!と、神様に念じるくらいしか出来なかった。

 声を発することなくお辞儀だけで済ますことができたのは、事前に王子から広間で発言を控えるようにと指示があったからだ。


 意図せずクローレスの代表者みたいなていで整列しているのだ、迂闊なことを言ってしまえばそのまま外交問題に発展しかねない。


 豪華絢爛な大広間、わけのわからない挨拶の言葉、そしてさっきから一瞬でも目を話すことのない王太子の視線が全身を貫いていくかのようだ。


 動いてはいけない無言を強いられる罰ゲームが終わりを迎えたのは、国王が手を大きく叩いた時だ。


「クローレスの王子、そして聖女に紹介しよう。

 ――彼は我がケルンの太子、エドワード。


 此度のクローレス使節団を歓迎させよう。

 …どうか心行くまで、歓待もてなしを受けてくれたまえ」





 堅苦しい場が解散したとホッと胸を撫でおろしたと思ったが、今度は王太子が壇上からこちらに歩み寄ってくる。ブーツの足音は、敷き詰められた絨毯に掻き消されて聞こえない。



「皆さん、お疲れのところ大変申し訳ないのですが。

 どうか私に、これまでの苦労をお聞かせ願えませんか?

 さぁ、場所を変えましょう」

  

 異国の地で、衆人環視に珍獣のように晒されるよりは、王太子の招待に応じた方がまだ気楽であろう。

 そもそも、彼が三人の聖女に会いたいなんて言い出したから、自分達はここにいるのだ。


 話をして満足したら、さっさと出すもの出して欲しい。

 一日でも早く王都に戻って、カサンドラを喚び戻す準備を進めて欲しいと思っている。




 ※




「ははは、堅苦しくて申し訳ない。

 疲れただろう。

 私もああいう雰囲気は好かないのだけど、クローレスの王子を非公式で迎えるなどできないからね」


 エドワードは大きなソファにどっかりと腰を下ろし、ニヤッと笑う。


 広い談話室のような場所に通され、リタは部屋の中をキョロキョロと見渡した。

 目の前の足の短いテーブルの上に、人数分のティーカップ。


 侍女が下がった後、他に人影が見えなくなってしまったのだ。

 ついさっきは広間で大勢に囲まれていたかのに、まるでプライベートな私室に案内されたかのように、室内に衛兵の一人もいやしない。


 いくらなんでも、王族同士の話の場で、互いに護衛もつけずに対面で話をするって…

 そこまで交流はなさそうだし、友好的な関係でもないという話ではないか。

 貿易国、国交のある国の一つ。


「本来、私はお呼びのかかっていないお邪魔者かもしれないけれどね。

 流石に聖女達だけで訪問させるわけにはいかない、そこは理解してもらえると助かるよ」


「…まさかアーサー王子まで来るとまでは思ってなかったから、実は内心仰天しているよ。

 エリック卿やダグラス将軍は元気かい?

 まぁ、特にあの赤髪のオッサンは怖いから、来て欲しくはないんだけど」


「こちらには報告していないが、その二人は…

 例の件が原因で、残念なことになってしまった」


「…へぇ、そうか。

 あの化け物…おっと、猛者を殺せる存在がこの世にあったとはね…

 やはり大陸の伝承通り…悪魔は異常だな。

 おお、怖い怖い、この国に現れて欲しくはないものだ」


 案外フレンドリーと言うか、親しみやすい雰囲気でリタは少しホッとした。

 すすめられ、端っこの方に着席する。

 砕けた物言いに感じるが、王太子の雰囲気はやっぱりロイヤル仕様で庶民の自分にはただただ遠巻きに見守るしか出来ない存在に見えてしょうがない。



「早速なのだけど、例の魔法道具を返還願いたい。

 …そして…貴国の秘術を貸してもらえるという話は、真実なのだろうか?」


 雑談を挟むのももどかしく感じたのか、単刀直入に口火を切ったのは王子の方だ。

 出された紅茶に口をつけることもなく、真剣な表情でエドワードを見据えている。



「……ああ、そうだ。

 私は叔母から話を聞き、確かに『聖女』に会いたいと願った。

 それが叶うなら、勿論女神召喚に協力を惜しむことはない」



「あ、それならもう会えましたよね?」


 つい、ポロッと口を突いて出た。

 先程までの喋ってはいけない空気からの解放で、口元が緩んでしまったのかもしれない。

 ヤバい、と口を覆った。


 エドワードはやはり挑発的な笑みを浮かべ――リタだけではなくリナ、リゼを順番にゆっくりと視線を遣るのだ。


「君達が三つ子であると言うのは、確かなのだろうね。

 でも本当に悪魔を討ち払ったという、『聖女』なのかな?」


「……え?」


 リタは一瞬困惑した。

 聖女本人でなかったら、こんな仰々しい使節の一員で参加しないし、こんな浮かれた格好なんか恥ずかして出来やしない!

 そう叫びたいけど、王族の前ということで口を無言で開閉して抗議するくらいしか出来なかった。




「私は、君達が聖女である証をこの目で見たい。

 …君達が聖女であると言うのなら…



  私の婚約者の病を、治してみせてくれ」




 予想外の方向から飛んで来た要望に、しばらくリタ達は唖然とする他なかったのである。


 確かに言われてみれば、自分達が『聖女』であるという証拠を提示するのは大変至難の技である。ケルンの神職に就く人間が見ればパッと見て分かるものかと思っていたが、そういう分かりやすい判別方法はなさそうだ。


 いや…もしかしたら、聖女であるという事実を確認する方法を、ケルン王国は何か持っているのかもしれない。


 真相は分からないが、王太子は婚約者を治癒する奇跡を見なければ納得しないという強い意思を持っているのは確かだ。

 ここにきて、やっと彼の目的が分かってしまう。



 ――最初から、そのために自分達は呼ばれたのだ。



 会えば済む話だなんて浮かれていた自分は、何と考えがなかったのだろう。



「婚約者さん、ご病気なんですか?」


 リゼが困惑しながらも、話を進めようとしている。


「ああ、二年ほど前から…進行性の病を患ってしまってね。

 原因は一切不明。

 今ではもう、身体を起こすのも難しい状態なんだ」


 悔しそうに、エドワード王太子は拳をぎゅっと握りしめる。

 その懊悩に嘘や偽りは見えない。


 詳しく聞くと、意識ははっきりしているけれども、動くとすぐに息切れをして倒れてしまう。…グリムと似たような症状だったと感じたが、彼よりも状態は酷そうだ。


「私は…ジェニファーを愛している。

 彼女以外と結婚するなど、考えられない。

 …それなのに姉達が、病に冒された彼女と婚約を解消し別の相手と結婚しろと言うんだ」


 一国の王太子たるもの、病床に就いている女性と結婚するのは大変難しい話だろうことはリタだって想像がつく。

 自分が日頃元気で、風邪などもひかない健康体だから、今の生活が当たり前なんだと思っていた。


「彼女の病の事は公に伏せてあるけれども、流石に限界だ。

 この状況下、家族は当然のように、他の女性を薦めてきたさ。

 ――その女が我が物顔でしゃしゃり出て、私の『恋人』だなどと吹聴して回る、もううんざりだ」


 リタだって、知ってる。

 世の中には沢山、病気や怪我で苦しんでいる人がいるということ。

 王太子の婚約者は、このまま治らなければ…緩やかに命の灯が消えてしまう危険な状態。


 彼は自分の婚約者に対する想いを切々と訴え、それはリタの心を大きく動かすものであった。

 ケルン王国の協力は必要で、ここでこの依頼を断ってしまったら…

 何のために時間をかけてここまでやってきたのかわからなくなる!


 絶対に目的を果たす、そのために自分達が王太子の婚約者を治せばいいというのなら。

 躊躇うことなどどこにもない。




「分かりました、じゃあ私が…」


 リタが前のめりになって王太子の願いに応えようとした瞬間。


 大きな溜息が落ちる。

 リタの声を遮り、水を差すような嘆息を漏らしたのは王子だ。



「やはりそのような事じゃないかと思っていた。

 …だから、私が一緒に来たんだよ」



 希望に満ち溢れ、顔を跳ね上げるエドワード王太子の顔色がサッと変わる。




「王太子、今回の話は到底受け容れられるものではない。

 それ・・が条件であれば…

 私達はこのまま帰国せざるを得ない、ご理解頂こう」 



「アーサー王子!

 お前は…お前なら、この気持ちが分かるだろう?

 是が非でも、女神をこの世界に呼び戻すと言っていたそうじゃないか。

 女神とやらはお前の婚約者だって?


 素晴らしいエクセレント


 ああ、いいじゃないか、心温まる美しい話さ!

 私も…その奇跡の恩恵に預からせてくれ、ああ、なんだって協力してやるさ。




  頼む…もう、奇跡に縋るしか、無いんだ…」

 



 …助けたい。


 何も持たない、無知な自分が唯一出来る人助けで…

 王太子の婚約者を治すことで、結果的にケルンから最大限の協力を得られるとするならば!


 カサンドラとまた会える日が、ぐっと近づいて現実になる、手が届く。





「王子、なんで止めるんですか!

 私達に任せて下さい」


 これくらい、役に立たせてくれてもいいじゃないか。

 リタが王子に喰ってかかると、隣に座っていたリゼも呼応するように立ち上がり、王子に詰め寄る。


「私達のことを心配してるのかも知れませんけど!

 大丈夫です、これは二度とない大きなチャンスですよ?

 王太子の婚約者様、ご病気で可哀想だと思わないんですか?」


 人助けも出来る上に、今後に大きな進展が見込めるとしたら。

 王太子の条件に、頷かない方がどうかしている。



「王子、どうか…お許しください。

 必要なことだと思うのです。

 …私達の意思は、尊重していただけないのでしょうか?」



 リナも困惑した様子で、恐々と声を上げる。


 出来ないことをしろ、と命令されれば困る。


 だが、現実にリゼは人一人の重篤な病を救った経験があるのだ。


 彼女に出来るのなら、自分やリナにもその力があるのだろう。




 出来るのに、それをするなというのは――酷い話じゃないか!





 自分達の意志は決まってる。

 にも拘わらず、王子は険しい表情を緩めることなく、誤解の余地を与えず淡々と答える。

 首を横に振って、苦々しく…

 声を、何とか絞り出す。







「駄目だ。

 仮にそれが可能だとしても、癒しの力を使うことを『私は許可しない』」




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