50 : エドワード (Last hope)




 自分の意志を無視して決まった許嫁に、興味はなかった。

 いや、少し違う。


 肝心の婚約者と距離が近すぎたのが、大問題だった。

 エドワードとジェニファーは親戚筋にあたり、幼馴染という関係だ。

 幼い頃からお互い頻繁に行き来するような仲で、半分既に家族のようなもの。


 それを微笑ましく思ったのかどうか知らないが、気付かない内に幼馴染のジェニファー公爵令嬢が自分の婚約者ということに決まって、吃驚した。


 友人として、普通に仲が良かった。

 でも彼女の真面目で高潔な姿勢は時に口うるさく感じることもあったし、結婚するならもう少し『可愛い系』の女の子がいいなぁ、と密かな夢を持っていたのだ。

 彼女はいわゆる清楚系クールビューティ、堂々とし凛とした立派なレディだ。


 恋人にしたいとか結婚したいなんて、思ったことない。

 そんな話が浮上したと耳にした瞬間、うげっと声が出たのを覚えている。

 不満があったエドワードは――ジェニファーに愚痴を言いながら、自由に遊び続けていた。


『お前と結婚するとかないよなー、俺、別の子と結婚したいわー』


 王宮で開催される舞踏会で目ぼしい令嬢とコンタクトをとるのは大変楽しかったし、女の子達に手紙を送るのもジェニファーに相談していたくらいだ。

 性差を感じない友情で結ばれていると思っていた。


 15の誕生日に、ジェニファーと婚約が正式に決定した時、エドワードは荒れに荒れた。

 

 人間的に好きなのと、恋愛的な好きの意味合いは違うだろう。

 ジェニーは良い奴かもしれないが、嫁にしたいタイプじゃないんだよ。

 絶対窮屈な生活になる奴!



 エドワードは大変苛立ち、何度も彼女との婚約を破棄できないか試行錯誤を繰り返した。


 そもそもジェニーだって、王妃になりたいとかいう柄じゃないし、嫌に決まってるだろ。

 顔は美人だし、気が利く奴だとは思う。

 でも自分よりも似合った堅物タイプの男と結婚した方がいいんじゃないか?

 その方が幸せになるんじゃないか?



 エドワードは自分の好みの女性に声を掛けて遊ぶことも多かったし、ジェニファーも特に何も言わないからその状況を特に疑問に思わなかった。



 なんで親同士の決めた話で、『友人』と結婚しなきゃならんのだ。

 勘弁してくれ。

 お互いもっと似合った相手がいるだろう。

 そもそもジェニファーとは親戚だぞ?

 はとこの関係で結婚とかヤバくない?


 それが自分達の間にある、共通認識だとエドワードは信じて疑っていなかった。



 自分たちを取り巻く現実が変化したのは、彼女がよくわからない病気にかかった事を知った時だった。

 つい先週まで普通に外出して会話をしていたはずのジェニファーが風邪をひいたという。



 ――そりゃあ、まぁお大事に。



 それから二年、ずっと悪化の一途を辿り、今ではほぼ寝たきりの状態になるなど、想像もしなかった。


 ジェニファーと会う機会が減り、気持ちが軽くなったように感じたのは最初の一月くらいなものだ。



 結婚とか婚約とかどうでもいいから、早く元気になれよ。

 お前のツッコミがなかったら、物足りないんだよなぁ。



 ベッドで横になるジェニファーに笑いかけたら、彼女は真面目な顔をしてエドワードを見据えた。相変わらず睫毛長いな、景色が見えづらいだろと笑うエドワードに、彼女は言ったのだ。


『早く婚約を解消して下さい。

 こうなってしまってはもう、私に貴方のパートナーは務まりません』



 いつも通り、冷静に淡々と提案を受けてエドワードは複雑な気持ちになったものだ。


 じゃあ婚約を解消すればいいのかと思ったが…


 何だか凄くモヤモヤして、嫌だった。

 今までずっと、相棒のように当たり前に近くにいた人がいなくなって、別の女性が傍にいると考えるとしっくりこない。

 今までなんだかんだジェニファーがいたから、色々フォローしてもらえたんだよな、と思うと罪悪感が半端ない。



 ――そう、彼女は自分にとって空気そのものだった。

   空気がなくなってしまって、エドワードは初めて『苦しさ』を知った。



 なんて勝手な話だろう。

 今まで手放したいと思っていた相手がいざ手を離れようとして初めて大切な事に気付くなんて。元々痩せていた彼女は、甲斐甲斐しく世話をされていても徐々に痩せていって、その姿に慌てた。


 今までの自分は馬鹿だった、やっぱりジェニファーと一緒に居たい。


 だが状況は決して良化することはなく、ジェニファーと婚約を解消しろと迫られ、新しい女性たちを押し付けられるようになった。


 違う。

 そうじゃない。 



 そう言っても、元々エドワードがこの結婚に乗り気でなかったことは城にいる大勢の知るところであった。

 外堀が埋められ、与えられた女性と結婚する他ないのかと項垂れたこともある。



 それに追い打ちをかけるように、公爵から婚約の件がジェニファーからの希望だったと今更聞かされて――

 自分の過去の所業を思い返して死にたくなった。


 ああ、分かってた、知ってた。

 プライドが高く素直じゃない、他人に弱味を見せるような奴じゃないことくらい。


 それでも真実を知ってしまえば、彼女の望み通り「縁」を切るというのが耐え難く、とても出来なかったのだ。


 意地でも彼女の病気を治すと決意したものの、何を試したところで悪化する一途。

 ジェニファーの親、そして自分も国中の薬師や医師を集めて彼女の容態が回復するよう最善を尽くした。

 だけど変わらない結果、弱っていく姿を目の当たりにするのは辛かった。

 まぁ、彼女が深層のお嬢様だから今日まで生きながらえているのだ、とも言えるだろうが。この状態を維持するだけでも、甲斐甲斐しい看病が必要不可欠。



 奇跡を探した時に報せが入った。


 クローレス王国で起こった恐ろしい災厄、そして過去の伝承。

 癒し手…

 『聖女』。


 あの国とは殆ど交流がなく、叔母の経営する商会を通して色々と希少な資料を取り寄せたりしたものだが。





 ――『聖女』と会えるだって?





 彼女達なら、ジェニファーを『治して』くれるのだろうか。

 もう万策尽き果て、他に採るべき方法が見当たらなかった。


 これ以上婚約者問題を棚上げすることはできず、エドワードの状況は文字通り逼迫していたのである。





 ※




 最悪だ。

 聖女が奇跡を起こせるのなら、その癒しの力でジェニファーを治して欲しい、ただそれだけの話なのに…



 クローレスの王子が、それを邪魔するという悪夢のような想定外の事態が起こってしまった。

 ノーリスクで神にも等しい癒しの術を使えるだなんて思っていないが、女神召喚のためならば――その奇跡を見せてくれるに違いない。


 しかも女神を喚び戻したいという王子が一緒だ、絶対にジェニファーを治してもらえるのだと気が昂っていたというのに。当てが外れるとはこのことじゃないか。


 どこにでもいそうな十人並みの容姿の女子たちだ、精々王子のために『聖女』の役目を果たせばいい。

 

 まさか聖女がジェニファーを治したがり、クローレスの王子がそれを留める光景が繰り広げられるなど、想像できたことではない。


 なんでだよ!

 こっちの望みを叶えてくれれば、協力するって言っているだろう。

 王子には、何のデメリットもない。

 三人も聖女がいるんだ、何かあったとしても大きな問題にならないはずじゃないか。


 それなのに頑なに、愚かにもこちらの提案を断り続ける王子を見て絶望の二文字がエドワードを襲った。


 折角、ジェニファーを治す手だてが向こうから飛び込んできてくれたと思ったのに。

 あと一歩なのに。


 どうして、困っている人を救ってくれないんだ。

 本当に聖女か、と恨み節さえ吐き出してしまいたくなる。

 治せるというのなら、治してみせろ。


 それが出来ないなら――人の死なんてどうでもいい、自分さえ良ければいい、傲慢な人間じゃないか! 逆切れする一歩手前だった。



「それならば、…癒しの力を使わず、現状可能なことを提案いたします。

 まず、できることを全て試すべきです」


 一人の聖女が、そう言った。

 神々しい力を内に秘めているとはとても思えない、三人の娘。

 だがその蒼い瞳ははっきりとした強い意志が覗き、吸い込まれそうになる――目が離せない。


「何だ、言ってみろ、聖女よ。

 奇跡など起こさないと誓ったその身で、一体何が出来ると?」



「それは――私達がこの国を訪れる際、持ち込んだ『薬草』です」


 えっ、と室内の空気が凍り付く。


「はぁ…愚かなことを。

 話を聞いていなかったのか?

 そんな一山いくらの薬草で、我が婚約者の病が治るだなどと」



 馬鹿にされているのかと、エドワードは眉根を寄せた。



「私達の国が、降臨した悪魔によって大きな被害を受けたことは王太子様もご存知かと思います。

 実際に王城の破壊の痕は酷く、見るに堪えない無惨な状態でした。



 …その際、王宮植物園の管理人が命と引き換える覚悟で、薬草園から希少な植物を採取したそうなんです」



「ゼスが?」


 クローレスの王子も、不思議そうに彼女の話に食いついてくる。


「はい、植物園はもう見る影もありませんが…」


「そうだね、再建を考えることさえ気の遠くなる話だ。

 一朝一夕で古今東西の貴重な植物が集まり、栽培できるはずもない」



 植物園…

 確かにケルン王国にも、貴重な薬の材料になる植物を栽培しているスペースがある。

 全く興味がないので、足を踏み入れた事もないが。

 あれが完全に破壊されたとすれば、甚大な被害を被ったと言っても決して言い過ぎではないだろう。


「クローレスで最も希少な、王族御用達の薬草。

 特殊な環境下で管理され、長年栽培されてきたと聞いています。

 ゼスさんは唯一残ったその葉を一緒に、荷物に詰めて渡してくれたのです。

 私はその効果は分かりませんが、きっととても効果の望める薬草なのだと思います。


 王子、そちらを王太子様の婚約者様にお渡しするのはどうでしょう。

 少しでも容態が回復するのなら、完璧とは言いませんが王太子様の望みに叶いませんか?」



 成程、奇跡は使わないものの、希少な治療薬をこちらに提供してくれる…というわけか。

 だがそれはあまりにも期待値が低い話だ。


「そんな僅かな可能性に賭けろというのか」


「ケルンとクローレスでは植生が大きく違う。

 効果があるのかないのか、試してみなければ分からない。


 我が城の薬草園は現状、再建が後回しになっている場所でも有り…

 今後、栽培出来ない可能性が高い極めて希少な品ということになる。

 こちらとしても避けたい提案だ、それは理解願いたいね。


 王太子の納得のいく結果になる保証はないが、彼女の言う通り――何も試さないよりは良いと思うけれど」



 クローレスの王子が微笑みながら、言う。

 いや、笑っていないな。

 絶対に、聖女の奇跡は「渡さない」。

 だからその案で妥協しろと、こちらに譲歩を迫っているのか…



 そんな不確実なモノなど、こちらは望んでいないというのに!





「よし、それではその貴重な薬とやらを、今すぐに渡してもらおうか。

 もしもジェニファーの体調が良化すれば、秘術を貸与するまではいかないが、そちらの国から渡った『神の涙』は返還すると約束しよう」



 ああ、惨めだ。

 そんな可能性が僅かもないような、他国の薬なんかに縋らなければいけないこの状況が。

 そこに、奇跡を起こして病さえも癒せるという『聖女』が三人も並んでいるというのに…!

 その奇跡のひとかけらも、こちらに貸し与えてくれないクローレスの王子が憎たらしくてしょうがない。





 王子が指示し、持ってこさせた薬草袋の中には確かに他のモノとは文字通り色が違う植物が混ざっていた。

 入れ物に入っている乾燥した葉っぱの先は玉虫色に光っているように見えた。



 まぁ、見た目が多少普通の植物とは違っても、ジェニファーの病に効くとはとても思わないけれど。あらゆる治療薬を求め、部下に海を渡らせたこともあったのだ。





 こんな薬草一つで、こちらが満足すると思われるなど甚だ遺憾だ。





「まぁ、薬を飲んだからと言ってすぐに効果がわかるわけでもない。

 異国よりの客人よ、しばし滞在願おう」





 救いなど、自分にはないのかもしれない。

 だけど「これ」しかないというのなら、賭けてみるしかないじゃないか。





 ああ…なんであの王子にはこの気持ちが分からないのだ。

 多大なる苦労をしょい込んで女神召喚などという大言壮語を吐く癖に…

 わけのわからぬ、意地を張る。



 ――異国の人間だからだろうか。



 あいつの考えていることは、分からない。

 愛する人のためなら何でもする、何を犠牲にしても厭わない。


 それが『真実の愛』って奴じゃないのか。





 ※







 公爵家の離れ、別棟に向かう。

 そこには相変わらず、青白い顔をして横たわっている一人の女性の姿が見える。



「……」



 視線だけ、こちらを向く。



「すまない、ジェニー。…お前を治してもらえるはずだったのに…

 それが叶いそうにない」



 こちらをボーッと眺める彼女は、静かに首を横に振る。

 声を出そうとすれば激しく咳き込み、その四肢が痙攣を繰り返し、見ているだけでも辛くなる。

 こんな、今にも命の灯が消えそうな人間を前に、良くも見捨てるような真似をしてくれたな。…人を癒せぬ聖女など、平和な世に一体何の存在価値があろうか!





「クローレスの王子が、希少な薬草を渡してくれた。

 …期待はしていないが…

 試してみないか、ジェニー」





 都合よく、この薬がジェニファーに合うだなんて楽観視はしていない。

 聖女の奇跡の恩恵にあずかれないから、仕方なく、だ。



 彼女の体調が変わらなければ、このまま彼らを手ぶらで帰してやろう。

 奇跡の出し惜しみをした向こうが悪いのだ。






「薬師に煎じさせた薬湯だ。

 …飲めるか?」



 

 匙から飲ませるのも時間がかかる、彼女の身体は確実に病に蝕まれ、手の施しようがないと誰もがジェニファーに関わることを怖れた。

 もしかして伝染する病なんじゃないかと酷い憶測で中傷されたこともあった。




 ここに聖女がいたら、ジェニファーを哀れんで救いの手を差し伸べてくれるのだろうか。

 クローレスの王子が頑なにジェニファーに会うなと、三人に釘を刺していたのが忌々しい。



 そこまでして聖女を気遣う理由など無いだろう。

 好きなように、困っている人を救わせ、悦に浸らせれば彼女達も本望だろうよ。



 いっそ目の前に聖女なる存在が現れなければ、こんなにどす黒い感情に支配されることは無かっただろう。そこにいるのに手を差し伸べてもらえない…

 その事実に、はらわたが煮えくり返りそうになる。





 もう駄目なのか。

 エドワードは彼女の傍に座り込み、顔を覆ってベッドに顔を伏せる。











 微かに、声が聞こえた。

 そう呼ばれるのは、いつぶりの事だろう。









「――……エディ……?」




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