44 : リナ (Travel)
カサンドラがこの世界から姿を消して、もうすぐ一年が経とうとしている。
本当だったら、皆一緒に学園の最上級生だったのにな…と、この一年の空白がリナの胸を締め付ける。
未だに学園という機構が再始動する気配もない。
このまま忘れられてしまうのだろうか。
始まりの場所がなくなってしまう。
そんな焦りに襲われるものの、現状学園の制度は棚上げ状態のままだ。
誰が学園の指揮をとるのか、考えるよりも先に考えなければいけないことは山のようにあった。
そもそも学園が再開したとして、研究の時間が少なくなるのは困る。
それだけ、カサンドラを呼び戻すのに時間がかかってしまうことになるのだから。
あれから何も変化がないのか、と問われれば違う。
――とても大きな岐路に、自分たちは立っているのだ。
※
事態が大きく動き始めたのは、ラルフが王都に帰還してすぐのこと。
長期間留守にしていたラルフが帰ってきてリタが踊りながら喜んでいたのもつかの間の話だ。
数日後、自分達三つ子にも招集の声がかかった。
かなり緊迫した空気だったから、何があったのかと驚いたものだ。
「あの、私達に何かご用でしょうか」
リナが躊躇いがちに口を開くと、王子はニコッと微笑んだ。
「そうなんだ、君達にしか頼めないことが発生してしまったからね」
王子から聞かされた話は、とても単純なこと。
「ケルンから、我が国より秘密裏に持ち出された『神の涙』を返還してもらう。
そして――彼の王室に古来より伝わる魔術道具も、今回の召喚に限り貸与してもらえる話がついたそうだ」
まさに破格としか言えない満額回答に、リナは内心大きく驚いた。
別の王国で、古来より伝わる古の秘術の知識を貸してもらえるだって?
それもラルフが関わっている以上、見当違いな代物ではなく――間違いなく今回の件に関わる秘宝なのだと思う。
それなら、本当にカサンドラを召喚するための魔法陣が完成するかもしれない。
自分達にとって未知の「穴」を、異国の秘術が埋めてくれるのなら成功の可能性は格段に上がると言っていいだろう。
リタはよく分からないと首を捻っていたが、リゼもリナも前のめりになって耳をそばだてて話を聞く。
「だが、条件があってね」
ラルフは軽く溜息を落とす。
まぁ、こんな美味しい話を何の見返りもなく善意で!なんてあり得ない話だ。
何かしら、こちらに要求するものがあるのだろう。
クローレスの国宝か? 関税権か? シンプルに、お金か?
ドキドキ、と固唾を飲んでリナはラルフの言葉を待った。
「ケルンの王太子が聖女たちに会いたいと、面会を申し出て来たんだ。
僕の一存で決められることではないから――こうして持ち帰ったわけだけど。
…ケルンは召喚技術に長けたお国柄な上、信仰心に篤い。
女神の加護を受けた三人を、是非ケルンに招待したいと」
ゲッ、とでも言わんばかりにリゼは眉根を寄せた。
「行くのは構いませんけどね?
まさか、三人いるんだから一人くらいケルンに寄越せー、なんて言い出しませんか?
大丈夫です?」
すくに脳裏をよぎる、ありそうな話をリゼが呟くと、
『そうなったら戦争だ』
正面に並んで座るジェイク、ラルフ、シリウスが同時に青筋を浮かべて即答した。
大事にするのは辞めて欲しいが、少なくともクローレス王国としてはそんな話にならないよう進めていくとのことらしい。
他国から見れば、「三人いる」というのはいくらでも替えが利くスペア扱いなんだろうな、と想像せずにはいられない。
「ケルンの王太子は愚かな人ではないよ、私達と争いたいわけではないはずだ。
ただ、どちらにせよ秘術を借りるため、こちらから『お願い』にいかなければならないのは事実。
そこで――このケルン渡航には、三人と共に私が向かおうと思っている」
『えええ!?』
これには自分達が驚きのあまり、椅子ごと後ろにひっくり返りそうになる話だ。
「王子がそんな長期間中央を離れて良いんですか!?
私たちだけでも大丈夫ですよ!?」
リタは大慌てで王子を止めようとした。
海外に行くこと自体も驚きの事実な上に、更に王子も同行なんて全く考えられない話だったからだ。
「王子の身に何かあったらどうするんですか?
国交のある国とは言え、決して安全が約束されているわけでは」
リゼもかなり動揺している。
リナだって同じ想いだ。
「我儘だととらえてくれても構わないよ。
私だけ、何もしないで彼女を待つだけなのは…もう耐えられないんだ。
この件が万事うまくいった場合…キャシーと会える確率はかなり高くなると私は思っている。
――君達に任せるだけなのは、私としても気持ちの行き場が無い」
シン、と静寂が部屋の中に落ちる。
王子の寂しそうな笑顔を見て、それでも駄目だなんてリナには到底言えやしない。
そうか…と、俯く以外、反応のしようがなかった。
王子だって王族でも貴族でもない、ただの小娘三人衆がケルンに出向くなど、心配でしょうがないだろう。
もし自分達が今回の件で失敗してしまったら、何かアクシデントがあったら?
今回の召喚の話は一気に停滞してしまうだろうし、二度とカサンドラに会うことができなくなる怖れもあるわけだ。
そんな状況で何週間、場合によっては何か月も城で待つというのは思った以上にしんどい話なのだと思う。
「アーサーが同行するということで、入念に準備を行う。
留守は我々が預かる、フォスターの三つ子にはアーサーと共にケルンへ「機嫌伺い」に向かって欲しい」
シリウスは淡々と、決定事項であるかのように自分たちに言い含める。
まぁ、そうしなければ貴重な魔法道具も、貴重な知識も手に入れることが出来ないなら、行くしかないのはその通りだけど。
まさか…自分達が王都を離れることになるとは、その日の朝まで考えてもいなかった。
まさに寝耳に水という状況に、リナは大いに翻弄されていた。
「あの、ジェイク様は同行されないんですか?
いつも王子の護衛役じゃないですか、まさか居残りですか!?」
リゼはリゼで、話の流れで聞き逃せないところを的確に突っ込む。
しかしその焦りようを受けても、ジェイクは肩を竦めて首を振るだけだ。
「俺もこないだ長く空けてたからな。
そんなに頻繁に出れないんだよ。
心配するな、ライナスやアンディも随行させる予定だ」
「じゃ、じゃあラルフ様も…」
リタの顔がサーっと青くなる。
「僕も今回は同行する予定はないんだ。
ああ、実際に様子を見て来たけど、この季節なら海も荒れないそうだから。
気をつけて行っておいで。
ゲイリー商会に船便を手配してもらう話になっている、とても大きな船だったよ」
隣で、「折角久しぶりに会えたのに」と、リタが滂沱し机に突っ伏している。
「王子、貴方が他国に赴かれることを陛下は了承されるでしょうか?」
「勿論だよ、リナ君。
陛下と宰相の許可はいただいているから問題ない。
過去にはケルン王太子の立太子の儀に招待されたこともあるんだよ、実際に参列できなかったけれどね。
…二国の関係を考えれば、会いに行くことはおかしな話でもない」
もう何を言っても、絶対にケルンへ渡航し、何かしらの成果を得て帰る…という意気込みだけが伝わってくるのみだ。
これを機会にケルンと友好関係になれれば、一つ外交問題が棚上げできるんだけどね、と王子はニコニコ微笑んでいる。
ハッキリ言ってリナはクローレス以外の国を全く知らない。
授業で習うのは主に国内の話で、こんな国があるんだという程度の知識しかなかった。
そもそも、実家のあるセスカ領に住んでいた頃はこの国のことさえ良く知らなかった。
自分の住む家、村、街――明日の天気を心配するだけで良かったくらいだ。
それが一気に視界が広がり、リナは過去の自分の浅薄な知識を恥じる想いである。
王子やシリウス達は、色んな国の人とも関わらなければいけない、言葉では分かっていてもピンと来なかった。
偉い人と言うのは大変だなぁ、と。
リナはしみじみそう想い、戸惑いに目を白黒させる他無かったのである。
毎日のように顔を合わせ、話をしていたシリウスと会えなくなることは寂しい。
心細いし、できれば一緒について来て欲しいとお願いしたい。
だけど彼はここでやることがあるから残るのだろうし、彼がいなかったら研究進捗に大幅な遅延が生じることはリナでも分かる。
国の中心にいるべき人がごっそりいなくなるのも困る。
だから”しょうがない”、理屈では分かっている。
このケルン渡航の結果、自分達は大きく前に進めるんだって。
その晩、家に帰った後はかなり長い沈黙が続いた。
ケルン王国に行くことが出来るのは興味深いし、それで目的を果たすことができるなら喜んで向かう。
その一方で、好きな人と離れ離れになるのは、辛い。
王子の心境を知っている以上、この気持ちも我儘なんだろうなぁ、と思うと自分達に出来ることは沈黙しかないわけで。
ここが最後の踏ん張りどころだろうと、視線を合わせる。
自分たちがケルンで失礼なことをせず、誠心誠意お願いすればきっとケルン王国も協力してくれるはず。
そうすればカサンドラに会える、彼女の居場所を突き止め、この世界に再び呼び戻すことが出来る…!
王城の雰囲気は一気に慌ただしいものとなり、どこを見ても緊張感が溢れ大勢の騎士たちが廊下を行き来している姿を何度も見た。
かなりの人数になるのかな、とおっかなびっくりしているリナだったが――
※
「…リナ、話がある」
突然、シリウスに声を掛けられた。
かつてない、真剣な面差しだったので、ドキッとする。
断る理由なんて一切ないので、誘われるままにシリウスの私室にお邪魔した。
あまり訪れる機会のない部屋に案内され、入った途端――息を飲んだ。
「え? 皆様、お揃いで…?」
シリウスの部屋には、ジェイクとラルフ。
彼らが友人なのは分かっているが、そこに自分一人が呼びつけられる理由もわからない。
少し戸惑い、考え込んだ。
「リゼとリタも呼んでいるのですか?」
ポンッと手を打った。
もしかして、長旅に出立する前の激励会でもサプライズで開いてくれるとか?
シリウスの部屋は決して狭いわけではないが、そこにラルフやジェイクと言う人達も在室すると一気に面積が狭く感じてしまう。きっと存在感が在り過ぎるからなのだろう。
「いや、今日はお前に話がある。
お前にしか頼めないことだ」
――彼らの真剣な眼差しを前に、リナは黙して何度も頷くことしか出来なかった。
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