43 : リゼ (Embarrassing)
ジェイクが戻って来た翌日、何となく魔法研究所に居づらくて騎士団棟の方に足が向いてしまった。
今現在シリウスが例の首輪の分解作業に大変集中しており、「話しかけるな」オーラを放ち原理解明を行っているのでとても近づけない。
リナさえも遠慮して距離を置いているくらいだから相当である。
知識欲の塊…。
気持ちが分かるのが、難しいところである。
使命感も勿論あるけれど、それと同時に楽しい玩具を手渡された気分なんだろう。
多分あれ、昨夜寝てないな…
そっと魔法研究所の扉を閉めたリゼは、ごく自然にジェイクの執務室に向かう。
他に行く場所がない、という事情もあった。
家に帰っても落ち着かないし、城内をウロウロするわけにもいかないし。
「…失礼します…
――え!?」
ジェイクの部屋の扉をノックし、返事を待って慎重に扉を開ける。
そろっと中を覗くと…
「王子? それにグリムも」
ソファを挟み、来客と話をしているジェイクの姿があった。
王子がこちらを見て軽く手を上げる姿を目の当たりにし、ヒッ、と肩が上下する。
「すみません、お邪魔しました」
そそくさとその場を退出しようとしたリゼを引き留めたのは、グリムである。
「え、折角だからリゼもゆっくりしていきなよ。
アーサーがここにいるの、君と同じ理由だからさ」
「…シリウスの手伝いを、と思ったんだけど…
どうも余計なお世話だったみたいだからね。
時間が空いたから、お邪魔しているところだよ」
「
空になったカップをソーサーに戻しながら、ジェイクは楽しそうに笑っている。
「そうだね、正直に言えば他の場所より幾分か気楽だよ」
相変わらず王子のにこやかな笑顔が眩しい!
目が潰れる!
和気藹々と和やかな雰囲気だったのは見て取れるので、リゼは退出するタイミングを見失い、彼らと一緒にソファに座ることにした。
王子とこの兄弟は幼馴染って関係だったっけ…
凄く自然に王子と話をするグリムは、初めて会った時と印象が変わらず飄々としたお調子者というイメージだ。顔の作りはジェイクと似ていないので、どちらかと言うと王子の方の血縁者に見える。
「どんなお話をされていたんですか?」
「ジェイク達が戻ってくるのが遅かったから、何か事情があったのかと気になってね」
「まぁ、こっちもお使いをあっちこっちこなしてたから忙しかったんだって。
…ジェイクが幼女を拾うからこんなことに」
「人聞きの悪いことを言うな、あれは普通の子どもじゃなかっただろ…!」
肩を竦めるグリムの隣で、心底嫌そうに顔を顰めるジェイク。
「後でリゼ君も聞かせてもらうと良いよ、私も久しぶりに心が踊る話だったからね」
「…?」
リゼは首を傾げた。
絶対に浮上することはないんじゃないかと思われた王子の心が動く、という現象に全くピンとこなかったからだ。
「僕も生まれて初めて生きてるドラゴン見れたからヨシ!」
グリムは拳を握りしめ、聞き馴染みのない単語を口にした。
ドラゴン…ドラゴンかぁ…
脳内で翼の生えたデカい蜥蜴が飛翔し、軽い眩暈に襲われる。
そんなもの見たくない。
実在していたのかという衝撃と、本人が言う通り瞳に輝きが灯る王子を見ていると、
男の子って
「…ってそんな生き物の話はどうでもいい。
問題はレンドールの話だろ」
「そう言えば昨日、何か問題が起こったとか言ってましたね?」
昨日バタバタしていたとは、ジェイク本人の言である。
すると、王子とジェイクは顔を見合わせて何とも言えない、微妙な表情を浮かべるのである。
代わりに打って変わってハイテンションなのは、グリムである。
「リゼ、デイジーって子を知ってるよね!?」
「? そりゃあ勿論知ってるけど?
同級生だったし、私達にとっても良くしてくれるカサンドラ様のご友人だし」
急にデイジーの名前が出てきて、リゼは青い目を大きく開いてしまう。
彼女の事は本当に好きだし、感謝もしている。
聖アンナ生誕祭ではドレスを貸してくれたし、その後もジェイクと話が出来るようにカフェに誘ってくれたり。
カサンドラと一番仲が良かった貴族のお嬢様であることは周知の事実。
確かカサンドラと同郷だから、顔なじみだったという話だが…
そう言えばデイジーは今何をしているんだろう。
取り巻きというものを作らなかったカサンドラが唯一傍にいても遠ざけることのない、従者役とはとても呼べない『お友達』だった。
デイジーの気さくで明るく、ハッキリとした性格から繰り出される物言いにはリゼも好感を持っていたものである。
「僕、デイジーと結婚したいと思っててさ。
だけど中々彼女が頷いてくれなくて、困ってるんだ、ハハ」
困っていると言いながらも、本人、凄く嬉しそうなんだけど。
いやいや、待って?
え?
デイジーとグリムが? 何で?
どこでどう転がったら、その組み合わせになるの?
もしも王子が目の前にいなかったら、勢い任せにグリムの胸倉を掴んで問いただしていたかもしれない。流石に彼の前で、『聖女』らしからぬ振る舞いはやめるべきだと、ギリギリの理性で踏みとどまった。
混乱するままにジェイクに「どういうこと?」と訊き返すのが精いっぱいだ。
しかしジェイクの方は、完全に曇った眼で、橙色の双眸に全く力が入っていない。
口を結んだまま、一言も説明しようとはしなかった。
「デイジー嬢は現状、婚約者がいない令嬢。
年齢的にも彼女の相手をご両親が決める段階に入っているそうなのだけど…
デイジー嬢自身は、王都に住む男性と結婚したいという希望を持っている」
「意外ですね。
レンドールの人って、地方の貴族の方と仲良くなるものだとばかり…
あ、カサンドラ様は例外ですよ! 勿論!」
リゼは両手を振った。
地方の貴族様と中央の貴族様が懇意にしていると言う姿が、学園生活を通してもイメージしづらい。そう言えばカサンドラはレンドールのお姫様だった、王子が気を悪くしていないと良いのだがと心臓がバクバクと大きな音を立てる。
「僕って、今は君に治してもらったから元気な身体なんだけど。
少し前までいつ死ぬかわかんないひ弱な人間だったワケ。
だから結婚の話、されたこともないんだよね。
…丁度良いって思うよね」
「何が?」
「デイジーが僕と結婚したら、デイジーは王都に住めるし。
僕だって今後、家の都合でイヤな相手と結婚させられる可能性がなくなる!
こういう選択もありだなって」
軽っ。
なんて軽いノリで結婚相手を決めるんだこの人…
理解できない感情が渦巻くリゼは、唖然とする他無かった。
「なんでデイジーさんは王都の人と結婚したがるんでしょうね?
そこまでレンドールを出たい事情が?」
ふと口をついて出た疑問を受け、王子は少し控えめに微笑んだ。
「…キャシーの傍にいたいと言ってくれているそうなんだ」
「あ…」
そうか、カサンドラがこの世界に戻って来てくれたら、彼女は王子と結婚して王都ですっと暮らすことになる。デイジーがレンドールの貴族と結婚してしまったら、中々カサンドラに会いに行くことが難しくなるだろう。
いつか誰かと結婚「させられる」のであれば、せめてカサンドラの近くにいたい。
それはデイジーらしさを感じる考え方だ。
同時に貴族の世界って嫌な人とでも結婚しないといけない人も多いんだな…と改めて現実を突きつけられた気持ちだった。
「私からは何も言えませんが、デイジーさんが良いなら…その、いいんじゃないでしょうか。
あ、でもデイジーさん嫌がってるんですよね?
無理矢理は絶対ダメですよ」
彼女はカサンドラが帰ってくることを信じて疑っていないのだな、と思うとすごく勇気づけられる。カサンドラのことを知らない人は彼女の存在が次第に薄れていくかもしれないが…
共に過ごした日々を共有する自分たちの中で、そんなことはあり得ない。
絶対に戻って来てくれるはずだと、期待してしまう。
「それがさ、もう爆笑なんだけど。
デイジーはジェイクの事が嫌いみたいでさー、ロンバルドの一員になるのがイヤなんだって!
めっちゃ面白くない? そんなこと本人に面と向かって言えるお嬢さん、どこにいるんだって話だよ」
膝を叩いて笑うグリムと対照的に、ジェイクは凄く不本意そうにむすっとしている。
「…まぁな、冷静に思い返せば、俺もカサンドラには大概やべー事言ってた気がするし、それをガルドの娘が気に入らないのも理解はできる」
どこに立ち、どの角度で見るかで相手の印象は変わるものだ。
そして最初に抱いた第一印象が後々まで尾を引く…リゼも何となく理解している。
最初に嫌なことをされた相手を好きになるというのは、恋愛の物語内ならともかく…
現実を生きていれば難しい話なのだと思う。
「私はデイジーさんが王都にいてくれたらすっごく嬉しいです、頼りがいがあります!
けど…嫌なのに無理矢理来て欲しいとも思えません。
確かに難しいお話ですね」
そこの組み合わせが意外過ぎて、点と点が繋がらない。
何をどう言えばいいのか、リゼの立場からでは全く五里霧中の話であった。
「それがさ、またややこしい話なんだけど。
…実は僕の誘いに難色を示すデイジーを見て、クリスの奴が茶々入れて来てさー」
はぁぁ、とグリムが肩を大仰に竦めた。
クリスと言われてもピンと来ずに記憶を辿ったが、そう言えばカサンドラの義弟は王子の弟…第二王子のクリストファー。
グリムには詳しい世界の事情は説明していないものの、そもそも第二王子とは昔馴染みで親交があったことは話に聞いている。
周囲の人にアレクの事情を黙っていてくれているのは、有難い。
「クリスも、各地方並びに中央から押し寄せる縁談にうんざりしてたのかな。
デイジーと結婚するのも良いかもなんて、言い出したんだよ」
「…アレク様が? デイジーさんと?
でも、かなり年下ですよね?
有りなんですか?」
あのカサンドラの義弟…兄に負けず劣らず美少年のアレクが、デイジーと結婚?
うわぁぁ、こっちも全然想像がつかない!
頭がオーバーヒートしそうだ!
「別に珍しくない話。
五つくらいなら、許容かな。
…一応、デイジーの選択に任せるって形になってるんだけどさぁ。
僕はこっちを選んだ方が絶対得だと思うんだよ、ねぇアーサー!
アーサーだって、クリスにもっと似合いの家柄のお嬢さんが来て欲しいでしょ?
いくらでもいるんだから、クラウス侯に推薦してあげてよ!」
「私はクリスが選ぶ相手なら誰でも良いと思っているから、口出しはしないよ。
クラウス侯も一任のお墨付きを出しているようだし」
王子の心象は全く読めないが、きっと驚いただろうな、と思う。
「で、でも、でも…
もしデイジーさんとアレク様が結婚されたら…
カサンドラ様とデイジーさんが義理の姉妹に?」
――究極の選択!
ここにいないデイジーの内心を想像するだけで、リゼは口元が引き攣ってしまう。
どちらも「無理にでも!絶対結婚して!」という強引な誘いではないことが、また悩ましい。
不自由には不自由なりのいい面もある…とリゼは思う。
自分で選択ができないなら、「こうなるしかなかった」と訪れた結果を他責に出来る。
不自由な中で、自分は最大限努力したと自分に言い訳ができるのだ。
建設的ではないが、自分の心を守る一つの方法ではあるだろう。
だけど完全に自由な選択となると…
結果に常に責任が伴う。
今後何か彼女にとって不都合なことが起きてしまった際、彼女は自分の選択を常に片隅に置かなければいけない。
後悔する余地のない、不自由か。
後悔するもしないも自分次第の、自由か。
もちろんリゼなら、自分の選択に責任を持ちたいから――自由であることを好む。
だが自分の生まれが庶民だったからこそ至れる思考だとも自覚している。
最初から不自由であった貴族のお嬢様が、急に選択という『自由』を与えられてしまうことの戸惑い、恐怖…
それを想像すると、胸の奥がキュッと痛くなる。
どれを選ぶかは彼女次第、という言い方もまた、無責任な気がするのだ。
かと言って、嫌がる彼女を無理矢理誰かと結婚させるというのも難しい話だし…
「僕と結婚した方が良いと思わない?
だっていつでもアーサーの婚約者と会えるところに住めるんだしさ。
お互い都合も良いし――」
「私は…どっちにも賛成できません」
リゼはグッと拳を握りしめた。
「『都合がいい』?『丁度良い』?
グリムもアレク様も、そんな軽い気持ちで女性に求婚とか…
ないです、ない、絶対無しです!」
考えれば考える程、デイジーをそんなに悩ませているのかと思うと、状況に納得がいかなかった。
「そもそもデイジーさんは、ジェイク様に真正面から物申せるくらい自分を持った、しっかりしたお嬢さんなんですよ?
行動力もあります!
グリムがいなくても、カサンドラ様が戻って来られたら――家を捨てる覚悟で王都まで単身乗り込んでくるくらいのことはしてみせますよ!」
身分さえ捨てて、一から王宮で下働きで雇われるように就活するくらいのバイタリティがありそうなデイジーだ。それは彼女を軽んじていると思ってもしょうがない。
目の前できょとんと首を傾げる能天気なグリムに、指をさして叫んでしまった。
「どうしてもデイジーさんと結婚したいの? 嫁にしたいの?
それなら!
王子やジェイク様みたいに――
相手をちゃんと愛してないと駄目でしょう!?」
心に渦巻く不満をグリムに炸裂させてしまったあと…
リゼは、目の前にいる男性陣の顔を思い浮かべ、サーーーッと視界が真っ暗になった。
駄目だ…恥ずかし過ぎて、二人の表情が見れない……!
え? 私、今何口走った?
馬鹿じゃない?
王子の前で何言ってんの!?
「…えーと…そろそろシリウス様のお手伝いに行ってきます…
――お邪魔しました!」
全てをそのまま投げうち、凍れる空気を置き去りにしてリゼはジェイクの執務室を後にした。
……いや、間違ったことは言ってない。
言ってない…けど……
外に出て、顔を覆い嘆くほどには、恥ずかしかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます