42 : リゼ (Get back)
ジェイクが王都に戻って来たという報せをリゼに教えてくれたのは、彼本人でもフランツやら騎士団の人間でもなく――
今朝から謁見の間で行われていた報告会に、嫌々参加していたリタであった。
謁見の間の厳粛な雰囲気の中、特にリタが何かするというわけではない。
王様や王子たちへの公式な報告や連絡が行われる形式的な会議で、王様の近くで立っているだけの簡単なお仕事である。
…いや、簡単ではないな。
王城のメイン施設が見事に建て直されてからというもの、今まで通り王権の権威主義も復活とういうことで、多くの文官や武官達が謁見の間に並ぶところに添え物として置かれるのは大変窮屈なことであろう。
少なくともリゼは嫌だ。
自分がメインで陛下に報告や陳情という立場ならともかく、いてもいなくても良いよ的に、ちょこんと配置されるのは居心地が悪い。
聖女は王国の味方ですよ、王国に属しているんですよ、という念押しアピールみたいなものだが、一々それに応えているリタは凄いと思う。
リゼは午前中ずっと、リナと一緒に魔法研究所に籠って資料を漁っていたために、外野の声は全く届いていなかった。
いつ帰ってくるのかな? と不安や寂しさばかりが募る日常を送っていたのだ。
まさかの今日、リタが謁見の間に予告なくジェイクが現れてビックリ仰天したそうだ。
「いやー、なんか慌ただしいなって思ってたんだけど、ジェイク様、昨晩遅く王都に着いたみたいでね?
一通りのことを王様…っていうか宰相と王子に成果報告してたよー」
「何それ聞いてないんだけど」
「時間帯的にバタバタしてたでしょうし、またこちらにも来てくれるでしょう?
…それにしても、思ったより長かったわね」
リナも吃驚、目を丸くして話を聞いていた。
彼女のいう通り、当初は数週間なんてアバウトな予定を聞かされていたけれど。
一月経っても帰ってこない、それから一週間、二週間…
――カーマインで何か事件に巻き込まれたか戻れない事情でもあるのか、と。
シリウスあたりが凄くイライラしていたので、こちらとしても無事を祈るしかなかったわけだ。何かあっても死ぬような人達じゃないとは分かっているが…
流石に音信不通状態が長く続くのは精神的に堪えた。
ラルフも結構長い間王都を離れているのだが、クローレス王国内の移動なので何かあったら当然連絡も来るはずなのでリタは結構呑気である。
帰って来るよね?
このままグリムと一緒に行方知れずとか、とんでもない事にならないよね?
かなり心臓に悪い日々だったが――
同じ地上にいるはずの自分でさえ、ここまで胃がキリキリして落ち着かない状態で、精神的に宜しくなかった。
カサンドラと同じ世界にさえいられない王子の心境を想像すると、背筋が凍るどころの話ではない。
というか王子が淡々と日々を過ごしている手前、自分が不平不満など言えようはずもなく、王子の強靭な精神力にただただ敬服するのみである。
自分だったら絶対耐えられない…
数週間という範囲に収まっている期間でさえ、安否消息不明の状態が続けば落ち着かなかったのだ。
王子と同じ状況に置かれてしまったら、絶対に病む。
毎日しんどいだろうに、周囲に気遣わせないよう感情の起伏なく過ごしている王子。
一刻も早くカサンドラにこの世界に戻って来て欲しいと願わずにはいられない。
その進捗をおおきく捗らせるだろう「成果」をジェイクたちが持ち帰ってくれたのなら、先の見えない難問の尻尾が少しでも掴めるだろうか。
…成果なしで帰って、謁見の間で報告って事はないだろうから上手く行ったんだと信じたいが…
「いやー、それにしてもやっぱ凄いわ、あの人騎士で貴族だわ」
腕を組んで、うんうん、と大きく頷くリタ。
聖女様用の衣装で、普段通りのアクションをされると全くありがたみがなく感じてしまう。リタの演技力が凄いのか、それとも「素」のリタがあまりにも普通の女の子過ぎるだけなのか。
真っ白な衣装の裾を汚さずに歩けるのは純粋に凄いな!とリゼは感心しているのだけど。これが訓練のたまものというものか。
「謁見での報告だから騎士の格好してて、ちゃんと目上の人には敬語だもんね、私、普段との温度差で風邪ひくかと思った!」
「えっ!」
レアな場面が見れただと!?
「それなら私も参列すればよかった…!」
思わずその場に膝から頽れ、テーブルの上を拳で叩く。
儀式の時や公的、フォーマル仕様のジェイクは殆ど目にする機会がないので、機会を逸した事への後悔がザッと過ぎった。
だからと言って、自分が毎回謁見に参列するのはごめん被る話ではあるのだが。
長い間姿を見ていないことや帰城の報告ももらえていないこと、何だかその他諸々の不満や感情が渦巻いて心の中がごった煮状態である。
「見たかった」
「確かにレアなシーンではあるけど…
最初にあの姿見てたら、リゼはジェイク様の事好きになってないだろなーって思っちゃった。
リゼ嫌いでしょ、ああいう貴族社会の縮図」
「………。」
リタの言う通り、王子や他の貴族と変わらない立ち居振る舞いの姿を最初に見ていたら、絶対お近づきにはなりたくなかっただろうな。
その後実態を知る機会があっても、第一印象って大切だ。
恐らく「そっち」が素なんだろうと思って、距離を置いていたはず。
たまたま学園で出会ったから、惹かれた――分からないものだ。
いや、それこそがかつてこの世界を支配していた運命力なのかもしれない。
この世界のことを考えるとたまに、お酒に酔ったような嫌な気持ちになることがあるけれど。そういう偶然を齎してくれたこと自体には、感謝している。
「あ、そうだリナ。
シリウス様が呼んでたよ」
リタが肩を竦め、椅子の上に座って書き物をしている妹に声を掛ける。
それも何だか納得できない。
折角六週間ぶりくらいに帰って来たというのに、こちらに報告も無ければ会いに来ることもない、呼ぶこともないという状態にモヤモヤする。
――ジェイクが南方に発つ前から少し感じていたことだが、何となく見えない壁というか若干避けられている節がある。
学園生活でもそういう状況に陥ったことがあるので、多少の耐性はついているのだけど。
実際今は呑気に自分達の事だけを考えていればいい状況ではない。
カサンドラにもう一度逢いたいし、皆だってその想いは変わらないわけだ。
…ミランダだって、情勢が落ち着いたら恋人と結婚するのかなと思っていたら、カサンドラがいないのに先になんて無理と言い。
リタ情報によると去年卒業したケンヴィッジのアイリス先輩も、伯爵令嬢のキャロルもそんな話をしている場合じゃないと言う。
誤解を恐れずに言うのなら、学園関係者全員、喪に服しているような状態と言える。
世界は救われ、王国も救われ、新しい世界が始まった。
でもカサンドラの事を知っている人たちは、そういうキラキラとした希望と活力に満ちた『夜明け』の空気に浸ることは出来ないのである。
彼女が戻って来てくれれば…と、縋ってしまう自分の心が弱いのだろうか。
そして、そこまで皆で協力して彼女が自分達を選んでくれなかったらと思うと怖くて足が竦む。
彼女さえ戻って来てくれるなら、全員が幸せになれる。
逆に言えば、戻って来なかったら幸せにはなれないんじゃないか。
そういう穏やかならない緊迫した空気が、王城にはいつも纏わりついている気がするのだ。
…努力すれば、願いは叶うのだと信じてた。
叶わないことは、自分の努力不足なのだ、と。
でも、ジェイクの事を好きになってから分かったが、望みや希望は決して自分だけの努力で「どうにかなる」とは限らなくって。
儘ならない現実の方が世の中にはゴロゴロしていて。
結局自分は視野の狭い田舎者だったんだと思う。
…カサンドラに置いて行かれたら?
皆が諦めてしまうような状況になったら?
自分が「頑張る」だけじゃどうにもならないことがある、
無力さや焦燥感に苛まれるのは自分だけじゃないのだ。
グラグラ揺れる積み木の前で、自分達は少しずつお城を組み上げている。
これが完成したら――
でも、誰かがくしゃみをした衝撃で積木が崩れ落ちてしまったら、二度とここまで積み上げられないんじゃないか。
得も言われぬ、普通ではない空気感が続き、恐らく自分もジェイクも、互いにどういう風に接すればいいのか分からない。
罪悪感…とは少し違う。
よく分からない感覚だ。
深海に沈み、浮き上がれない。
たまに見つける空気の泡で何とか息を継いで、苦しくなっての繰り返しだ。
「あー、駄目だ、切り替えよう」
頭を大きく振って、側頭部を手のひらで叩いた。
できることが残されているのに、何で駄目だった時のことを考えてしまうんだ。
…それもこれも、全部ジェイクが悪いのではないか、という結論に至る。
ここまで不安になるのも、弱気になってしまうのも、彼が長い間王都からいなくなっていたせいで…
しかも行きも帰りも知らされるのがリタ伝いとか、自分は一体ジェイクの何なのだ、と叫びたいのに叫べない、不安定さに襲われる。
まぁ今更、ふわふわ綿菓子のように浮かれた対応など期待してはいない。
が、この絶妙で奇妙な空気感は心の中に焦りも同時に産みつけていく。
ふと顔を上げると、こちらに向かって微笑みかけている『彼女』の姿が見えた。
『――辛いのは最初だけです。
もしも身体を動かすことに慣れ、馬に乗れるようになったとしたら……
ジェイク様は遠乗りが趣味でいらっしゃいます。
もしかしたらお誘いがかかるかもしれませんよ?
一緒に素敵な景色を楽しみたくはないかしら、リゼさん?』
…あの時、カサンドラに背中を押してもらえなかったら、今の自分はここにはいないんだ。
※
リゼはジェイクがいると思われる騎士団棟の一角を猛然と突っ切っていた。
「ジェイク様!」
分厚い硬質な扉を押しのけて、ノック後躊躇わずに部屋に入る。
「…うお、吃驚した!
今からそっち行こうと思ってたのに」
その言葉通り、いつも騎士団で着ているサーコート姿。
殆ど変わっていない彼の様子に、ホッとした。
どこか怪我をしているわけでもなさそう。
――出禁扱いなど知らぬ、という勢いで中に通してもらい、やっと六週間ぶりに会うことができたわけだ。
「帰って来たなら、帰って来たって教えてくださいよ」
「いや、ちょっとレンドールで面倒なことになってさ。
宰相に別件で報告もあったし…やることが…はぁ、まぁそっちは良いか」
彼は物凄くどんよりした表情で、息の塊を落とす。
レンドール?
カーマインじゃなくて?
よく分からずポカンとするリゼの近くに歩み寄り、ジェイクは可笑しそうにニヤニヤ笑った。いたずらっ子のような表情で。
「久しぶりだな、リゼ『様』」
いきなり顔を近づけられ、殊更名前を強調する呼びかけを受けてリゼの思考が一旦止まる。
「――!
その呼び方やめてください」
「お前が俺に敬称つけるんなら同じことするぞ」
そう言えば、出かける時にそんな話をしていたなぁと思い出す。
完全に忘れていたわけではないのだが、久しぶりに会っていきなり呼び捨てるとか自分に出来る芸当ではない。
以前も彼に言った通り、相手を尊敬する意味での「様」付けという意味ではなく、完全に癖だ。一つの愛称のような馴染み方をしているので、大変違和感のある呼び名である。
しかし今後も様をつけられてしまうのは大変困惑する。
到底それを自分の新しい愛称だ、なんて受け容れたくないのでここは彼の要望に素直に従った方が得である。
「………ク。」
観念して、小声でぶつぶつ呟いた。
あまりにも慣れないことなので、掌に汗をかいてしまう。
「おかえり、ジェイク。」
ぎゅっと正面から抱きすくめられ、息が止まるかと思った。
鼻の先に、記憶より少し伸びた赤毛が少し触れる。
…絶望に瀕していても、いずれお腹は空く。
…焦燥感に身を焼かれていても、いつかは眠くなる。
――今は違うと、理性では分かっているのに、会いたくなる、好きだなぁって思う。
自分を動かす『全て』だった想いを棚に上げることは、心が未熟な自分にはとても難しいことだった。
ぎゅっと広い背中に腕を回す。
脳裏にふと差し込んできたのは、カサンドラと王子が一緒にいる姿。
三人一緒に生徒会室に行ったとき、二人の凄い接近シーンを見てしまって心臓が口から飛び出るかと思ったんだっけ。
二人が一緒にいる光景を見るのが好きだった。
すごく勇気づけられたし、カサンドラの真っ直ぐな態度は、自分達の憧れそのものだったんだと思う。
戻ってこないなんて、それは『無い』。
「ジェイクさ――じゃなかった、ジェイク!」
リゼはこちらを上から覗き込む彼の肩を、ぐっと掴んだ。
「早く、カーマインから持って帰って来たもの、見せて!
カサンドラ様、絶対待ってる。
…私も、会いたい!」
頭の上に、ポンッと彼の掌が乗る。
「勿論。
一旦シリウスに預けてるから、一緒に行こうか」
できることから、コツコツと!
自分が人に勝ることがあるとするなら、それは…
諦めない往生際の悪さだけなのだから。
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