41 : デイジー (Again)


 いきなり、『結婚する?』と話しかけられるとは思わなかった。


 全く深く考えない、余暇の日に過ごす遊びを決めるかのような、軽い口調だったグリムには驚きしか感じない。

 あまりにも吃驚し過ぎて、ジェイク本人の目の前で思っていたことを口走ってしまうほど動揺してしまった。…まぁ、本音だ、別に嘘はついていない。


 グリムは――ジェイクの腹違いの弟だと言う。

 ハッキリ言えばほぼ初対面に等しい。


 カサンドラを探している最中、魔物に襲われたかけた時に助けてもらったのは記憶にあるのだが、あまりにも激動の一日だったので鮮明に彼の顔を覚えていなかった。

 むしろ命が助かったあと、見知らぬオジサンに担ぎあげられて避難させられた事の方が印象に強く残っている。

 あの時の記憶を呼び起こそうとすると、上下に揺さぶられた吐き気が蘇るようで嫌な気持ちだった。


 …救いは、グリムの話はこちらの意志を最大限尊重してくれるとジェイクが約束してくれたことである。

 もし心がまえもなくグリムが勝手に父親に打診を入れて来たら、もはや留まることなく婚約状態に持ち込まれることは明白だった。ガルド家にとってもかなり有益な話になるので、蹴るはずもない。


 ――三家とつながりのある家は、嫌だ。


 でもグリムは全く動じず、デイジーに自身と結婚することのメリットを語ってみせる。確かにデイジーにとっては何物にも代えがたい話なのは事実だ。

 きっと同じように話を持ち掛けられることもあるかもしれない。


『先走った勝手なことはさせない。

 そっちに迷惑かけたら、苦情は俺にいれてくれ』


 ジェイクの言葉も嘘ではないだろう。

 弟可愛さに我儘を聞くという様子でも無かったし、完全に「首を突っ込みたくない」という感情が駄々洩れだったし。


 カーマインでの「作業」が終わった後に、再びグリムがレンドール邸に寄るなんて言い出して、一層混迷が続いていた。


 嫌なら断れば良い。

 ロンバルド家に繋がるような縁談なんか受けたくもないというのは、偽らざる気持ちの部分だ。


 だが…



 ※



「本日は、私に何かご用でしょうか?」


「忙しいのにごめんね、デイジーさん。

 今日は少し貴女に聞きたいことがあって」


 自室でうんうん悩み唸り、頭を抱えてとじこもっていたデイジーは、アレクに呼びだされて再びレンドール邸へと足を向けることになった。

 もしやグリムが宣言通り、用事を終えてやってきたのか?


 戦々恐々、ビクビクしながらデイジーが訪れると、幸い通された一室にグリムの影が見えず、とりあえずホッと一息ついた。

 まだあれから時間も経っていないし、すぐに相まみえることになるとは思っていなかったが、この状況はかなり心臓に良くない。


「いえ、私にお答えできることであれば何なりと」


 アレクはテーブルの上に、何枚かの手紙――封書を並べていた。

 そこにはデイジーの知っている家の名前、お嬢さんの名前が…


 アレクもまた、先日のデイジーと同じく全く「無」の表情でそれらの手紙を視界に入れている。


「あの、アレク様、こちらは一体…」


「この間ジェイクさんから押し付けられた、中央からのお手紙です。

 って言うかほぼお嬢さん達の釣書入りなんですが」


「あっ…な、成程…」


 アレクはまだ婚約者が決まっていない。

 もしもカサンドラと王子の結婚話が白紙になってしまったら彼女と婚姻するだろう――最終相手とでも言わんばかりに、今までアレクには定まった相手も浮いた話も出てこなかった。

 クラウス侯の秘蔵っ子と言えば分かりやすいだろうか。


 このままレンドール侯の跡継になるのなら、空いている彼のパートナーに名乗りを上げる家は引きも切らないだろう。今までだって、レンドール内の有力者達がこぞってアレクにそういう話を持ちかけていたのは聞き及んでいる。


「お話をいただくのは僕より年下のお嬢さんが多いのですが」


 アレクより年下…と言うと、8歳、9歳…いや、もっと年下かも。

 丁度年齢が釣り合った娘を持つ貴族たちが、アレクに殺到するのもよく分かる。


「中には姉上と同い年くらいの方からもお話があるんですよね。

 一応、どんな方なのかデイジーさんにお分かりの範囲で人柄などを教えて頂ければと」


「そ、そうだったのですね…」


 山のように話をもらえるなら、適当に切って捨てればいいものを。

 話という縁があった以上は、とりあえず一件一件真剣に考えると言うのは、カサンドラが以前言っていた生真面目で几帳面な為人に大きく合致する。


 デイジーの知っている女子生徒は三人だったが、彼女たちとも顔を合わせて話をしたことが何度かあった。カサンドラは派閥だなんだというものに一切興味を持たない人だったが、問題がありそうな女生徒について情報収集をするのも自分の役目と、学園中の女生徒達と顔見知りの関係だ。


 …特に王子とカサンドラが目に見えて仲が良好になって来た頃から、カサンドラに近づこうとする女子生徒が目立つようになったので目を光らせていたという個人的な事情もあったし。何より、向こうの方から声を掛けてくる機会も増えて来た。


 今まで田舎の貴族の娘と、無視に近い扱いだったのに。

 王子と親しくなった途端、デイジーがカサンドラの同郷で側近であるというだけで、この手のひらの返しよう…と、内心驚いていたのを覚えている。


 そういう話を一通りすると、「はぁ…」とアレクもどんよりとした表情で溜息を落とす。

 一々、そういう情報を聞いて回るのも大変だし、会った事もない人との縁談の難しさにデイジーも半ば同情してしまう。


「何もアレク様が自らお考えにならなくとも、クラウス様にお任せすればいいのでは?」


「…このお相手選びも、僕の裁量ということで任されているんですよ。

 自分にとって有益な相手を選べばいいと言われまして。

 僕としては勝手に決めてくれた方が話は早いんですけど」


「まぁ、侯爵に信頼されているということですわ」


 自分の家の跡取りにどんな嫁をあてがうかを選ぶのは、当主の最も重要な役割の一つである。なのに、アレクに任せるなんて…相当信頼していないと出来ない立ち回りだ。


「――多分そういうの考えるの面倒なだけなんですよ、あの方」


 常識的な範囲内の嫁であれば、誰が相手でもそうそう揺らぐことのない絶対的な基盤がある、婚家の助力など欲してはいないというアピール。

 状況に適った最良の相手を選ぶはずだと言うアレクへの信頼関係。


「そう言えばデイジーさんは、グリムさんとの話はどうされるんです?

 僕は前にも言った通り、良い話だと思うんですけど」


 こちらに話の矛先を向けられ、デイジーは言葉に詰まった。

 冷や汗が滴り落ちる。


 グリムのいう条件は、決して悪いものじゃない。

 ただ…ロンバルド侯弟の奥さんになるということは、仕える主がジェイクになってしまう。

 姻戚関係? それは可能な限り避けたいという拒絶反応。


「デイジーさんはジェイクさんに思うところがあるというのは分かっています。

 でもこうなった以上、ジェイクさんは絶対に貴女を蔑ろにはしませんし、リゼさんもいるので王城で凄く動きやすくなると思うんです。

 あの人、一族に対する責任感は強いですから、味方にした方が得ですよ?」


 ふと、入学したての頃を思い出す。

 カサンドラと王子の仲を何とか縮めたいと思っていた、そしてリゼもジェイクのことが好きだった。だから一緒にカフェで食事なんてこともあったわけだ。

 …そこに、グリムが加わるのか?



 …意固地になることはないのだろうか?



 そもそも、相手に対する好悪の感情なんて本来持ってはいけないもの。

 自分の家に有利な姻戚関係を築くことを、両親に期待されている。

 時には明確に敵対する「家」に、人質のような形で嫁がされるケースだってある。


 デイジーの目的が果たせるのなら、グリムの話は決して酔狂なものではない…かもしれない。


「グリムさんと結婚したら、私はカサンドラ様とまた会えますか?

 …学園での生活のようにとは言えませんが、お会いする機会もあるでしょうか」


 うーん、うーん、と頭を抱えて悩んでいると、アレクは不思議そうに首を傾げた。


「デイジーさんは、そこまで姉上の事を考えてくれているんですね。

 姉上が戻ってこない可能性だって、ゼロではないのに」


「カサンドラ様がお戻りにならないなど、とても考えられません!

 王子と親しくなられて、私、どれほど嬉しかったことか…!

 あんなにも想う方がいるのに、戻ってこないなんて!」


「……。」


 そりゃあ、最初はカサンドラのことは苦手だった。

 ハッキリ言えば、憂鬱で、学園に入学するのが嫌でしょうがなかった。


 でも蓋を開けてみたら、カサンドラは思っていたような人ではなくて…

 ただの普通の恋する女の子だった。


 人間って、好きな人のためならここまで変われるんだ!? と、驚愕し、畏敬の念を抱いたものだ。


 特待生たちと一緒に行動することもあったし、かと言って他の令嬢たちを無視するわけでもなく、彼女は常に自分の位置をフラットにできるよう考える人だった。


 自分を友人だと言ってくれて嬉しかったし、言葉の通り彼女の好意や信頼を感じることが出来て楽しい毎日だったのだ。


 彼女は我儘を言えるような人ではないし、誰かに酷い扱いを受けてもそれを詳らかにして糾弾するような人じゃない。事態が丸く収まるように立ちまわる人だから…


 凄く僭越だけれども、自意識過剰だとは分かっているが、他の女官たちや侍女にカサンドラのことを任せきりにしたくない、自分も役に立ちたいと思っている。


 そのために、自身の「ちょっと嫌だな」程度の気持ちで、機会を無駄にしてもいいのか、自分は意地を張ってチャンスを逃しているのではないか?

 と頭の中がグルグル回って、収拾がつかない。


「姉上と王子は、仲が良かったですか?

 僕、姉上の相談役みたいな立場だったので…」


「ええ、勿論です!

 入学したての頃は、やはり距離感がありましたけれど…」 


 何故だか、嬉々として当時の思い出話を語ってしまった。

 あまり他人の色恋沙汰に興味が無さそうなアレクが、ここまで関心を持って興味深そうに話を聞いてくれるのが意外だ。


 もっとスマートというか、クールな少年だと思っていたのに。

 

 特に、進級した新学期の初日から王子がいきなりとんでもない爆弾を投げつけた話をした途端、アレクは笑いを堪えきれないように肩を震わせて横を向いた。


 あ、この人もこんな風に笑うんだ、とデイジーは少しほのぼのした気持ちになった。


 真剣な表情だったり、難しい表情をしていたり、さっきのように表情のない世捨て人のようなどこか老成しているともいえるアレクは、どこか近寄りがたく感じていたものだ。



 お姉さんカサンドラの事が大好きなんだろうなぁ。


 カサンドラに身近に理解者がいて良かったな、と釣られてデイジーも笑ってしまう。



「姉上が戻って来られた時、デイジーさんがどういう状況なら喜ばれるでしょうね。

 無理をして、望まない結婚をしたとあっては姉上は悲しむと思うのです」


「それは…ですが、貴族の娘なんてそういうものですし…」


 自分の望みが叶うこんな良い話は二度と転がってこない、ということだけは分かる。

 成し遂げたいことのために、結婚という制度を利用するのは何も政略に限った話ではないだろう。政治的な話以外に、メリットがあるなら悪いことじゃない。


 アレクも腕を組んで、しばらく「うーん」と思案していた。

 そして、先日のグリムと同様に良いことを思いついたとばかりに指を掲げたのだ。




「じゃあ、デイジーさん。僕と結婚します?」





 ポンッと頭が爆発した。


 え? 何? え…?


 自分の知らない言語で話しかけられたのか? と思うほど、理解を拒む声にデイジーの意識はしばらく遠い空を漂い暴れていた。



「……アレク様…?」


「レンドール家の奥さんになると大変だから。そこはお勧めしかねる部分ではあるんですけどね。

 それに、グリムさんと結婚した場合と違って頻繁に姉上に会いに行けるわけではありませんし」


「???」


 何で自分がレンドール家に嫁に行くという仮定で話が進んでいるのかさっぱりわからない。立て続けに、夕食のデザートを決める程度のノリで婚姻の提案をされるとは思わなかった。


「そんな! 滅相もありません!

 私がレンドールに…など、怖れ多くてとてもとても考えられません!」


「僕としても、考えて見たら色々都合が良いかと思ったので。

 姉上のことを知ってらっしゃる方の方が僕も気が楽ですし、それにガルド家ならクラウス侯も駄目とは言いませんしね。

 丁度良いんじゃないです?


 ――無理にとは言いません。

 グリムさんでも僕でも、姉上を基準に考えて『良い方』を選ぶって言うのでいいんじゃないです?

 選択肢は多い方が良いでしょう?」




 グリムの話を受ければ、ロンバルド家の侯弟の奥さんということになるけれども、その分王宮に出入りがしやすくカサンドラと会う機会は増えるだろう。


 アレクの話を受ければ、距離こそ遠い場所に住むことになるが、カサンドラの義妹に?

 え?そんな馬鹿な…自分が? それは許されないのでは!?

 でもレンドール家の人間として王妃になるカサンドラを支えることが出来る…




  どっちが、自分の望み?

 








    こんな凄い二択、他に存在する…?



 



「わかりません…こんなお話、私には分不相応なお話ですので、とても現実のこととは」


 完全に思考の容量がオーバーし、デイジーは滝のように汗を流していた。


 第一、グリムにせよアレクにせよ、両方美少年が過ぎる!

 王子や彼の幼馴染達と一緒に並んでいても全く遜色ない美形の隣とか、冷静に考えて恥ずかしいし自分には耐えられそうもない。



「でも実現するなら…

 どちらがカサンドラ様のお役に立てることなのか?

 判断が難しく、あああ…」



 口は回らないのに、目は回る。






「はは、姉上が帰って来たら、来なかったら…とか。

 そういう事で悩まないの、凄いですよね。

 それだけで…僕は、救われます」








 年相応のアレクの笑顔に、一層デイジーは深い深い穴の中に突き落とされた気分になってしまったのである。




 


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