40 : リタ (Connected)
ある日、ラルフに呼びだされて一緒に夕食をとることになった。
《
ヴァイル邸に馬車でお呼ばれされては、断る理由はない。
普段互いの行動範囲が被らないので、ゆっくり話をするのは何週間ぶりだろうかと嬉しくなる。
…ジェイクが遠方の国に出てはや二週間、いつ頃帰ってくるのか皆目見当もつかない状態なので、リゼは毎日、一人でいる際は
基本我も気も強い彼女の、魂が抜けたようにボーッとしている様子を見た時には目の錯覚かと己の目を幾度も擦ったものだ。
自分やリナの前では一切気にしている素振りもないのは、彼女なりのプライドの表れなのだろう。別に毎日会っていたわけじゃないのに、会おうと思えば会えるのと、いつ会えるかわからないのは心の置き場所が違うということか。
まぁ、気持ちは分からないでもない。
そんな彼女に「ラルフ様に呼ばれたから出かけてくる」と告げることに罪悪感がありまくりだったが、八つ当たりされなくて良かった。
…そもそもリゼが今物思いに耽っているのはジェイクのことではなく…
自分の発言が原因なのかも。
そう思うと、やっぱり良心がチクチク痛い。
※
「ええっ! ラルフ様も長期間お出かけですか!?
嘘でしょ!」
しばらく益体もない雑談をしていたが、その途中でとんでもない話題をぶっこまれてしまって肉を喉に詰まらせる寸前だった。
顔を真っ赤にして水を飲み干し、混乱する頭を押さえる。
「私も一緒に行きたいです」
「申し訳ないけど、それはできない。
君は王都で待っていて欲しい」
どうしてだと食い下がりたかったが、自分の存在が邪魔になり得るパターンはいくらでも思い至ることができる。
その一つ一つを懇切丁寧に解説されたら、リタの心が粉々に砕け散ってしまいそうだ。
自分は――まだラルフにとっての何者でもない。
彼は恋人と思ってくれているかもしれないが、自分達の関係は好きな人同士という簡単な言葉で表現されるだけのもの。
そこに何か、明確な契約や約束事項があるわけではない。
貴族社会の結婚事情には詳しくないが、今の自分たちは年端も行かない少年少女が、花畑で「大きくなったらお嫁さんにしてね」程度の淡く儚い、状況によっては簡単に露と消えるようなものではないか…
そんな疑惑がぬぐえない。
「二週間…遅くとも一月の間には戻って来るし、心配は要らないよ」
もう既に準備は整っているということで、明日には発つとか…
皆、旅支度早すぎない?
遠出し慣れてるにも程があるだろう。
「…そっか…そうなんですね」
「今の間に、もし相談事や要望があったら話して欲しい。
アーサーやシリウスがいるから、特に心配はしていないけどね」
「……じゃあ…」
今までずっと、喉に引っ掛かっていた、「疑問」を彼にぶつけてもいいのだろうか。
「私のモヤモヤ、聞いてもらっていいですか?
…出来れば、誰にも聞かれないところがいいです」
そう言えば、何となく察してくれるだろうと思った。
他人には到底聞かせられない、世界の『真実』。
分かってる。
今更誰かに打ち明けたところで、心が軽くなるわけじゃない。
単に一人で抱えるのが怖くて、リゼを巻き込んでしまっただけだ。
カサンドラのことを考えれば考える度に浮き上がってくる、正体不明の気味の悪い『恐怖感』。足元に絡みつき、そのまま影の中に引きずり込まれそうになる――気付いてしまった、落とし穴。
※
ラルフの部屋に入れてもらったのは初めてではないが、やはり緊張する。
お利口さんに待っている大型の犬を数匹、一頻りもふもふした後にラルフの隣に座った。
「…それで、一体何に悩んでいるのかな?」
悩み事とは無縁で生きて来たはずだった。
だけどこの状況で、悩まずにいられるほど能天気な性格ではなかったのだ。
「私って…ううん、私やリゼの持つ『記憶』って、全て世界が創ったものなんでしょうか」
「……?」
「だって私は、リナに呼ばれてこの世界に移動してきたって状態だったんですよね?
でも…
ずっと自分が三つ子であることに疑いを持っていませんでした。
幼い頃の記憶もあります。
テオと遊んだ記憶も、リナやリゼと家族として過ごしてきた共有の思い出も沢山持ってます。
この世界が三年間を繰り返していたという話なら…
私たちの存在は、入学式前は存在していなかったってことですよね?」
何の違和感もなく、生まれてから今までの記憶があって。
楽しく家族と語らえて、三つ子で良かったってしみじみ思っていた。
だけど自分たちがこの世界に受け容れられたことで、当然世界に矛盾が生じてしまう。
そこを補正、修正する世界の力が働いたと考えるなら、自分たちは実際に二年前までこの世界にはいなかった。
リナたちは三つ子だった!
――そういう記憶が世界に植えつけられ、改変された状態でスタートしたということなのだろう。
じゃあ自分って何だ?
それまでの記憶は?
かつて自分がいた世界が他にも在るのか?
それとも、自分はリナの願望によって生み出された『架空』の存在なのか?
一度気になり始めたら、凄く怖くなった。
「この記憶って何でしょうね、私は鮮明に覚えてます。
16年間の姉妹としての思い出を、共有しているんです。
本来そんなことはあり得ないはずだから、この記憶は実在しない…創られた偽造された記憶ですよね?
なんて言うか、それを考えていくと…
今、この瞬間も全部記憶に置き換わって――過去になってしまう。
全部現実じゃなかった、夢かもしれないって、凄く怖いんです」
今までの自分を形成していたと思っていた過去の経験や記憶が、勝手に都合よく捏造されたものであるかもしれない。
こんなことを訴えても、今さら誰も答えてくれはしない。
正解は分からない。
あまり要領を得ないリタの話を、ラルフは真剣に聞いてくれた。
考えても無駄なことだけど、一度気づいてしまったら止められない。
「考えられるパターンとしては、三つかな。
まず、君達だけは生まれた瞬間に遡って、再度『主人公』としての人生を歩むことが出来た――という歴史の修正作用が働いたってこと」
「うーん…確かに、あの体験が嘘や虚構だったとは思えないんですよね。
リナの聖女パワーで、私たちだけ16年前に遡ったってことでしょうか!」
それもそれで凄まじい、時間を操る事さえできる神の奇跡だ。
アレクとカサンドラとリナの三人の願いが、時空も時間も越える奇跡を生み出してしまった、と。そう考えると、ほんの少しだけ心が軽くなった。
「えーと、一つは私が思ったように、私とリゼは入学式の直前にこの世界にやってきて、自分達に関する記憶は都合よく世界が創り出した…って話ですよね」
改めて、自分の存在自体も大概この世界にとって異物だな、と思う。
もともと平行世界の住人だから、帰らなくても許されるだけの話なのか?
「じゃあ、もう一つって何ですか?」
「『世界五分前誕生説』」
ラルフはさらっととんでもないことを言い出した。
世界が五分前に生まれるってどういうこと?
「哲学的な思想になるのかな。
…この世界にあるありとあらゆる存在は『ゲームの世界』を再現するための大道具や小道具。
この三年間を繰り返すだけなら、実在の過去なんて要らない。
そもそも全てのこの世界で起きた出来事が、『そういうことにした』という最初から存在しなかった…
アーサーも、僕も、シリウスも、リナ嬢も、全て。
この世界が始まる、ループの開始時点の五分前に世界によって一瞬で記憶や想いを創造されただけなのかもしれない。
この世界の創造主は歴史さえ創り出せる力がある、カサンドラも言っていただろう。
矛盾なく世界を成り立たせるため、「そういうことになっていた」って」
演劇でお芝居をする際に、役になり切るために経歴や背景を頭にインプットするが、それを人ならざる力で強制的に人形に入れ込むように植え付けている…と考えたら途方もない話だ。
しかも無数の人間に、それらの世界を共有させるなんて神様って凄すぎない?
「それ…凄くゾッとする、オカルトめいた話になりません?」
「そうでは「ない」という証明は誰にもできないんだよ。
少なくとも人間の僕達にはね」
ラルフは苦笑し、肩を竦めた。
「だからね、リタ。考えるのはやめよう。
…仮に存在しない過去だろうが、僕達は記憶を共有してここに存在しているんだ。
皆同じだよ。
自分たちが確かな存在だなんて、誰も証明してくれない。
――例え世界に創り出された過去や記憶でも、アーサーやジェイク、シリウスたちとの記憶は本物だ。その年月を否定されたくない。
記憶を共有しているなら、それはもう僕達の中の真実なんだ」
過去に遡る以外に過去を確かめる方法はない。
もしかしたら、二年以上前に遡ろうとしたら世界自体がまだ存在していなかった…なんて可能性もゼロじゃない。
「僕は、過去のことを覚えていて、君と色んな記憶を共有してきた。
好きになっていった気持ちの流れも、思い出も全部残ってる。
その上で君のことを愛しているし、未来もそう。
カサンドラは、そういう世界に僕達を導いてくれたんだろう?
リタやリゼ嬢だけがそんなに不安がる必要はない、皆同じって考えたら気が楽にならないかな」
ああ、何となくわかった気がする。
自分達はいつ、元居たはずの世界に還ってもおかしくない状態だったのかもしれない。
自分たちもまた、世界を救うという大それた役目の一助を果たせたなら、お役御免のはず。
ここに自分の存在が繋ぎ留めているものは何?
世界を救った後、ここに残ってる理由は?
『外側』の記憶を持つ存在のカサンドラとは違って、あくまでも自分たちは平行世界の存在、ここに馴染み受け容れられる存在だったから?
それだけ?
自分やリゼをこの世界に留めるモノは何?
そう考えた時、ストンと腑に落ちた。
この世界で自分達が得て来た色んな人の「愛」なんじゃないかなって。
リナもそうだし、友人もそうだし――
リゼも沢山の仲間ができて、色んな人に必要とされて自分の
中でも大きな『想い』は、自分のラルフへの好きって気持ちで、ラルフから向けられる愛情なんじゃないかなって思う。
愛は世界を救う、か。
聖女アンナはアホの子ってシリウスが言っていたけど、彼女の言葉は嘘じゃない。
むしろ、聖女の存在を通して《世界》そのものが伝えたい、
メッセージそのものに思えてくる。
「何だか聞いてもらえてスッキリしました。
考え始めると、グルグルしてドツボにハマりそうで」
気づいてしまった瞬間、足元が崩れてそのまま海の底に落下するんじゃないかという衝撃を受けたものだ。
でもリタもリゼも、この世界を以外を知らないし、この世界での出会いは大切な思い出で宝物だ。
――過去が存在していたか、それに囚われていても証明できないんだからしょうがない。
「リゼもこの話をしてからモヤモヤしてて、考え事する時間も増えたみたいですし。
私と同じで、夜眠れないこともあるかもですねー」
「…そんなに悩んでいる様子なら、今日はリゼ嬢と一緒に夜を過ごすのもいいかもしれないね。
もう夜も遅いから、家まで送るよ」
「あ、そうですね!
いえ、もう久しぶりに三人同じ部屋で寝ます!
寮でも今のお屋敷でも部屋が別々だから、昔を思い出して一緒に寝るのは有りですよね、うん!」
正確に言えば実家に戻った時に一緒に雑魚寝をしていたが――
子どもの頃はずっとそうだった。
仮に世界に創られた、存在しない過去なのかもしれない。
だけど自分たちは確かに同じ時を共有し、三つ子の姉妹として親に愛されて16年間生きて来た。
…実在しなかった過去でも、今実行すれば、「現実」だし。
そもそもリタはややこしいことを考えるのが苦手だ。
ラルフの言う通り、概念論に終始して考えたところで結論はなく、自分の足元が揺らぐだけ。自分の存在を疑えば、
大丈夫。
自分をこの世界に留めてくれる、『愛』がある。
※
「あのさ、リタ。
色々私のこと考えてくれてありがたいとは思う。
うん、リタに聞かれて私も答えらんなかったし、お互い不安だった、うん」
家に戻ってリゼとリナの二人に報告した瞬間、リゼは頭痛を押さえるように額に指を沿えた。うーん、と苦虫を嚙みつぶしたような顔だ。
「そこまできたらラルフ様の部屋に泊まって来なさいよ。
私のことなんか気にしてるシチュエーションじゃないでしょ、何考えてんの」
ぽん、とリナはリゼの肩を叩く。
そして残念そうに、ふるふると首を横に振っていた。
――神様、私の姉妹は、姉妹愛を無下にします。…酷くない?
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