38 : アレク (Fiance)


 その日、レンドール侯爵邸にアレクの客人が三人訪れることになった。




 三人の内二人は、事前に連絡があった通りジェイクとグリムの兄弟だ。

 どうやら彼ら兄弟は南の砂漠国家カーマインに用事があるらしい。


 カサンドラ召喚のための重要な魔法道具を入手するためと聞いて、ソワソワが止まらなかった。


 もしもクラウスに家の事を任されていなければ、彼らと一緒について行きたいくらいだ。

 カサンドラのために何かできることがあるというのは、アレクにとっても救われる話だから。


 王都から遠く離れたレンドールに帰還してからというもの、自分だけ何も協力できない状態でとても悔しい想いをしていたのだ。

 自分が王都に残るよりも、クラウス侯が宰相として王都に残る方が良いという判断が下った以上、それに逆らうつもりはないけれど。

 不満は勿論ある。


 レンドールのあちこちの魔導書を集めさせ、それを解読するくらいしかできることがない。

 かなりもどかしい時間を過ごしていたアレクにとって、二人が旅程の途中に立ち寄ってくれることはありがたかった。



 …だが、もう一人の予定外の来客と重なってしまったことは予定外だ。



 ジェイクたちが来るのを今か今かと外門近くで待っていると、知人に声を掛けられた。

 本来なら立ち話というのも失礼な話なのだが、向こうも中に入るのは遠慮するし、立ち話で結構だと言いながら――アレクに難しい相談を持ってきたのである。


「うーん…困りましたね」


「…申し訳ございません。

 アレク様にしかご相談できず」


 目の前で落ち込む一人の女性。

 彼女の名はデイジーだ。

 

 カサンドラの傍仕えのような形で王立学園に一緒に通っていた彼女は、元々レンドールの貴族のお嬢さんである。アレクがここに戻ってくるよりずっと早く、彼女は生家に戻っていたのだ。


 アレクが侯爵の代役として家を任されていると言う話を聞きつけ、多くの貴族や重鎮たちが目まぐるしい頻度で挨拶に訪れた。


 ガルド子爵と話をする際にデイジーも同行しており、彼女の姿を見て驚いたものだ。実家に戻った以上、再会するのはおかしな話ではないけれど。

 デイジーを見ているとすぐ傍にカサンドラもいるのではないか…


 そんな錯覚をしてしまう。


 カサンドラはデイジーのことをかなり厚遇していたし、以前の彼女からは考えられないほど親しみを持って彼女に接していた記憶がある。彼女をレンドール別邸に招いて、歓談する姿は幾度か見かけたことがあった。


「僕は中央に、あまり干渉できなくて。

 クラウス侯にはお伝えしますが、あまり期待しない方が…」


「そうですよね。

 私のワガママということは分かっているのです、でも…」


 悔しそうに唇を噛み締め俯くデイジーに何と声を掛けたものか、とアレクも腕を組んでしばらく考え込んだ。


 自分は侯爵の代役という立場であって、重要な案件の決定権は持っていない。

 だから彼女の相談に、大船に乗ったつもりでいろとは言えなかった。

 デイジーの気持ちが分かるからこそ、中途半端な立ち位置の自分が苛立たしく感じてしまう。




「おーい、久しぶりー!

 こんなトコで、何立ち話してるんのー?」


 前方の丘を越え、二頭の馬が姿を見せる。

 こちらの姿を見つけ、ブンブン手を振って馬を走らせてきたのは――グリムだ。


 難しい顔をして立ち尽くすアレクの様子を不審に思ったのか、彼はひょいっと馬から飛び降りる。そして、俯き加減で元気のないデイジーの姿を矯めつ眇めつジロジロ眺める。


「…ん、君って確か、アーサーの婚約者の…従者?

 ――誰だっけ?」


「姉上のご学友の、デイジーさん。

 彼女は、ガルド子爵家のお嬢さんですよ」


「ああ、思い出した思い出した!

 あの時は吃驚したよ!

 魔物がうじゃうじゃいる場所に突撃してくる、命知らずなお嬢様!」


「……! 

 その節は命を助けて頂きありがとうございました。

 …ええと…お名前を存じ上げず、申し訳ありません」


「あ、そっか、あの時はすぐにフランツに連れて行かれたんだっけ?

 僕グリム! ジェイクの腹違いの弟だよー、宜しくねー」


 幼い時の記憶そのままに、彼はすごく飄々とした掴みどころのない少年である。

 造作の整った美しい顔で、兄弟そろって同じ橙色の瞳を持っているが。

 二人の印象は、全く違う。


「……よう、アレク元気にしてたか…って。

 お前、カサンドラの」


 彼もまた馬から降りた後、困惑気味のデイジーを見つけて驚いたような顔をする。

 と言うか学園が今機能しているのなら、ジェイクにとってデイジーはクラスメイトという関係性である。全く以て他人と言うわけではないし…


「アレク様、今日はお忙しいご様子ですし、また後日…」



「なんで? アーサーの婚約者のクラスメイトなら、ジェイクとも顔見知りでしょ?

 ここで偶然会うなんて凄い確率!

 せっかくだし、一緒に中で話しようよ。

 女の子を文字通り門前払いしちゃダメでしょ、アレク」


 キョトンとした顔のグリムの発言に、それもそうかなと思ってしまう。

 もしかしたら彼女の抱える悩みを、彼らなら分かってくれるかもしれない。

 アレクもできるだけデイジーの力にはなってあげたいので、ここで顔を合わせたのも何かの縁だと、彼女もレンドールの来客として迎えることにしたのである。


 全くの他人…というわけではない。

 ジェイクは言わずもがな、同級生だし。

 デイジーはあの恐ろしい運命の日、魔物に襲われかけているところを、グリムに助けられ命拾いをしたという話も聞いた。


 この場にカサンドラがいないというのがかなり奇妙な状況に思えたが…

 姉の学園時代を知っている人と話を出来るのが、少しだけ嬉しかった。


 


 ※




「で、君は何に困っていたの?」


 応接室で前のめりになり、グリムはデイジーの顔を覗き込む。


 アレクは王子時代、あまりグリムと会話をしたことがない。

 幼い頃はグリムがロンバルド家を継ぐ話になっていたので、もっぱら兄のアーサーと行動を共にしていた。


 跡継ではなかったジェイクが自分の遊び相手になってくれていた記憶がある。

 …まぁ、そんなに頻繁に遊んでいたわけではないけれど。


 王宮から出る機会の少ない自分を不憫に思ったジェイクに、馬に乗せてもらったっけ。

 あの時見た滝の景色は、未だに強く印象に残っている。


「ええと…」


 言い淀むデイジーに代わり、アレクが事情を説明する。

 この二人の前で婚姻関係の話題は、なかなか出し辛いだろうし。


「デイジーさんには、まだ結婚のお相手が決まっていないのですが…

 とうとう、子爵が縁戚の男性との縁談話を進めているようで」


「へー、まぁ、しょうがないよね。

 貴族の子どもなんて、そういうもんでしょ」


 無理矢理政略結婚を押し付けられる。

 それはデイジーも覚悟していたことだったろう。


「…このまま、レンドールの貴族と結婚してしまえば、私は…何度も王都に向かうことはできないでしょう。

 それが、耐えられない程辛いのです。

 カサンドラ様がお戻りになった時、傍でお仕えしたい。

 せめて近くにいて、お話に触れられるようなところに住み続けたいのです」


 入学前は、カサンドラの従者役に乗り気ではなかったデイジーだった。

 しかしその後の交流を重ねることで、すっかりカサンドラに想いいれてしまったことはアレクも知っている。


 悪魔が蘇ったあの恐怖の一日、カサンドラの姿が見えないと、周囲を駆け回って危険地帯をウロウロし探し続ける姿は当然グリムもジェイクも知っていることで。


 ただの貴族のお嬢様の我儘というわけではなく、心の底から一緒にいたいのだという気持ちが伝わってくる。

 第一、カサンドラが帰還する保証なんてどこにもないのに、帰ってくると最初から信じ疑っていないその姿勢はアレクには眩しかった。


 詳細を知らされていないにも関わらず、デイジーの確固たる想いは純粋で一片の曇りもない。

 王都から離れたところで過ごすアレクにとって凄く心強かったくらいだ。


「デイジーさんが王都で暮らしていくためには、当然王都に所縁のある方と結婚する必要がありますよね?

 中央に住む、彼女と年齢や家柄の釣り合う家に心当たりが無くて。

 侯爵のツテを頼るのが一番なのでしょうが、お忙しい時にこの案件を持ち出すのも気が引けるんですよね」


「ふーん、そっか」


 なるほどなるほど、とグリムは何度か頷いた。

 そしてしばらく天井を見つめたかと思うと、やおら指を立ててにっこり笑顔になったのである。



「じゃあ、僕と結婚する?」



 その一言で、隣でコーヒーを飲んでいたジェイクが不意打ちを喰らって噎せた。

 デイジーもアレクもポカンとしている。


「僕、元々いつまで生きれるかわからない人間だったからさ、婚約者とか話にも出た事ないんだよね!

 僕と結婚すれば王都に住めるし、好きなだけ王宮に入り浸れるよ!

 騎士団に入って出世して、聖女の近衛兵になるのが今の目標だし」


 一生に一度の大切なことを、あっという間に決める人間がどこにいるのだろう。

 しかし彼は結構乗り気だった。


「僕も家の事情で変なのと組み合わされるより、君みたいな人と結婚した方が気楽だし。

 ガルド家はレンドール侯爵家とも繋がりがある、ロンバルドとしても中々良縁だと思うんだけど。

 良い話でしょ?」


 そんな明け透けな笑顔を向けられ、ジェイクも絶句中である。

 貴族同士の結婚に恋愛感情は不要、それが不文律であるのなら。

 ここでロンバルド侯爵家次男――もうすぐ侯弟となるグリムと結婚するのも、家としては「有り」なのか?


 アレクも一瞬計算した。

 予想外だが無くはない案に思えてしまう。


 彼の言う通り、騎士の奥さんになるなら王宮の近くに住むのだろうし。

 カサンドラが王妃として王宮に住まう間、何かにつけて会いに行くことも可能な距離な気もする。デイジーの望む生活が、実現するということだ。




「申し訳ありません…

 とても勿体ない話ですが、それはちょっと…お受けし難いと言いますか」


「え? 結構良い条件だと思うけど…

 デイジーさん、駄目な理由があるの?」


 王都の貴族なら誰でも良いとばかりに縋って来たデイジーの躊躇いぶりに、アレクの方が驚いた。


「ええと…正直に申し上げても良いでしょうか?」


 デイジーの真顔につられ、アレクも彼女の「駄目な理由」を聞くべく耳をそばだてる。







「理由は…その、私、ジェイク様が嫌いなんで!

 縁戚になるのはちょっと!」







 いきなり凄い理由が暴露され、しばらくその場に静寂が訪れた。

 え? 何、この空気?



「あ、違います違います!

 嫌いは嫌いですけど、どちらかというと苦手の方の…」



 するとジェイクが重たい溜息を落としてカップをソーサーに置いた。


「俺、お前に何かしたっけ?」


「まぁ、覚えていらっしゃらない?

 あれだけカサンドラ様の事を邪険になさって、それで覚えていらっしゃらない?」


「……。

 あのな!

 当時のカサンドラの話を聞いて、それでアーサーの婚約者として認めろとか、俺らがすんなり受け容れるとでも?」


「カサンドラ様はただの一度たりとも、お三方のことを悪く言うようなことはありませんでした、ただの一度たりとも!」



 吐いてしまった暴言を今更取り消すことはできない。

 だが完全にこれを機会と、デイジーは声を張り上げた。


 バシバシバシ、とテーブルを叩く。



「確かに事情が何かおありだったのかも知れませんが、対応が酷すぎました!

 どれだけ悔しかった事か!


 …ええ、分かっています。

 リゼさんはずっとジェイク様の事を慕っておいででしたし、決して根は悪い方なのではないのだということも。





     でも私は未だに貴方が苦手です」




 色々身の竦むような想いもさせられたし、と。

 デイジーは「無」の表情でそう言い切った。




「ははは!

 すご、面白っ!

 ジェイクが女の子に嫌われてる姿初めて見たー!

 すっげー勇者! ヤバいね!」



 グリムなどは完全に面白がって爆笑している。

 まぁ、それもジェイクに対して「暴言吐いても復讐をするような人じゃない」という別の部分での信頼があっての本音なのだろうが。

 恐らくシリウスやラルフには同じことを言えないだろうし。



「お話を頂戴出来るのであれば、三家以外の方だとありがたいのですが」


「いや、中央でウチらと縁がない家の方が珍しいって。

 …別にいいじゃん、アーサーの婚約者が帰って来たら、ちゃーんと僕が責任もってジェイクに謝らせるから、学園でのイザコザはチャラにして? ね?」


 何故か軽い感じで話を持ち出したグリムの方が、一層興味を持ってデイジーの背後に移動して声を掛けている。

 まるで興味のある人間に近寄る犬のような挙動に、アレクもジェイクも何も言うことができなかった。


 



「――いえ、本当に結構です」




 デイジーは能面のような顔をして、きっぱりと言い切った。


 



 問答無用で突っぱねるデイジーと、話を執拗に進めようとするグリムを遠巻きに眺めていると、肘で突かれた。

 振り返ると、ジェイクが難しい顔をしている。



「なぁ、アレク」


「何です?」 


「カサンドラってさ、俺らの事怒ってた?」


「いえ? 別に。

 貴方たちに嫌がらせされたわけじゃないですし」


 むしろ、逆に彼らの応対はフェアだなくらいは思ってそうだ。


 カサンドラが本気で邪魔で、やろうと思えばもっと手を回して足を引っ張るのが可能な立場なのに、そういう直接的な危害はなかった。


 つかず離れず、いがみ合うわけでもなければ、仲良しというわけでもない。

 カサンドラの話を聞く限り、割と絶妙な位置取りだったと思う。





 ※





「あそこまで一本芯が通ってるって、中々無いって!

 言いたいこと、飲み込まずに言えるってわかりやすくて良いよねー」


 デイジーが帰った後も一人浮かれるグリムを見て、アレクは悟った。







     この兄弟……

     気の強い女性が好きなんだなぁ。





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