37 : アーサー (Each position)
「……。」
「……。」
アーサーは今、正座をし姿勢を正す心づもりで、その場に座っていた。
実際には…
宰相の執務室に呼びだされ、二人きりで向かい合っているだけなのだが。
クラウス侯の考えていることは、はた目にはよく分からない。
常に不機嫌そうな険しい表情で、言葉も少ない。
勿論彼がカサンドラの父親である、という以上に良い人なのはアーサーもよく分かっている。
…だからこそ、彼に呼びだされた後、しばらくの間無言、沈黙の流れる空間がいたたまれなくてしょうがない。
「――王子」
「はい、私に何か」
クラウス侯は、ジーッとこちらを見つめている。
彼に呼びだされる理由があるとするなら…やはり、御前会議でのやりとりだろうか。
一応、事前に彼に話はしていたものの、自分でも驚くほど感情が制御できなかった。
あんな風に、大騒ぎを起こすなんて、考えてもいなかったのだ。
それはジェイクに言った通りだ。
いや、多少、ここで自分の意見をハッキリ示すことが出来れば、二度と同じ問題が発生しないだろうと打算が働いた面があることは、否めない。
あの場にジェイクたちがいなかったら、流石にそこまで魔力を開放して目に見えた怒りを露にすることはなかった…と、思う。
「王子があの娘を特別に想っていることは、重々理解しています。
ですが、あのようなやり方は感心しませんな」
「はい、申し訳ありません」
アーサーは素直に頭を下げる他なかった。
「陛下は貴方には負い目があるため、意見をすることはないでしょうが。
私しか言える人間がいないのであれば、その役目を果たしましょう」
若干倦んだような表情を浮かべたものの、彼は小さく咳払いをする。
眉間に皺を寄せてアーサーに向き直った。
「自分の要望を力任せに押し通すなど、貴方の考えることとは思えませんが」
「…これきりです。
二度と同じ轍は踏みません」
他のどんな境遇も受け容れられるだろう。
だが、彼女以外の人間が自分の隣にいることが、想像しただけで耐えられなかった。
もしもそんな話が人の口の端から漏れるようなことがあっては…
「そもそも、王子はあの娘を神格化し過ぎなのです。
誰もが誰も、あの娘に”貴方と同じ重さ”を持っているわけではない。
それを求めるべきではない。
――自分の価値観に沿わない人間をあのような形で拒絶するのは、傲慢です」
「……クラウス侯は…世界を救ってくれた彼女に対して、評価が過少すぎる気がしますが」
やはり自分の娘だとは思っていないから?
心の奥に、言い表せないモヤモヤした感情が靄のように立ち込めていく。
「親だからこそ、評価が厳しくなる…ということもあります。
あの子は結果論で言えば、世界を救えたのかもしれません。
ですが、その方法は迂遠だったと思いますし、決して最良の選択を採ってきたわけではありませんでした。
もしも彼女が最適化された行動をとることができれば、もっと犠牲の少ない結末もあったのかもしれませんな。
まあ、それは私にも、誰にも分からないこと。
無茶を言っているのは、理解しています。
ただ私は、この騒ぎで亡くなってしまった人、傷ついた人のことを考えると手放しで褒めることなどできない。
犠牲者が一人でも出てしまった以上、私達に『ハッピーエンド』はあり得ない。
お分かりになりますか?」
自分にとっては彼女の行動の全ては、最良の結果だと今でも思っている。
「それは…あの時、私が…エリックの言葉に乗ってしまったことも一つの原因で…」
他の人にとっても、カサンドラの存在は救いになったはずではないだろうか。
皆、彼女に感謝するべきだと心の底から考えている。
閉ざされた3年間を永遠とやり直すよりは、今の方が良いはずだ。
何度も何度も、無為に繰り返される時間の牢獄から、世界が解放されたことは間違いない。
でも――
『幾度繰り返してもキャシーがいる3年間の方が良かった』とクラウスが嘆いていたことを覚えている。
多くの人が傷つき、中には亡くなってしまった人もいる。
自業自得だと片付けられない、災厄に巻き込まれた人も大勢いるだろう。
決して、カサンドラのせいではありえない。それだけは違う。
だけど犠牲をしょうがない犠牲だったと自分たちが割り切るのも、違う。
――エリックと同じ思想に行きつくのではないか、と。
そうクラウスが考えているのかもしれない。
…アーサーは救われた側。
…エリックは害そうとした側。
同じ平面では語りたくないが、彼らの罪の清算の多くの部分を、「世界の運命」に昇華させてしまう提案をした以上、何も言えなくなってしまう。
「聖女を王妃に立てれば良いという意見も、決して私利私欲、ご都合主義と言う面だけではなく、様々な内実があっての進言だったのでしょう。
真剣にこの国の未来を憂う人間だったかもしれない、そんな人を力任せに従わせるのは感心しませんよ…という、忠告です」
彼の静かな声が、頭の中にガンガンと響いていく。
耳が痛くてしょうがない。
今までの自分だったら、とても考えられない行動だったということは、自覚しているから。
「やはり、貴方はまだ子どもですね」
「…クラウス侯?」
「いやいや、貴方は昔から随分大人びていると評判だったでしょう。
何をするにもソツなくこなし、事を荒立てることのない沈着冷静な少年だ、と」
「……」
ソツがないかどうかは自分では何とも評価しかねる。
だが、事を荒立てたくないと思って、その場を丸く収めることだけを考えていたのは…全てがどうでもいいから、という気持ちの裏返しであった。
決して譲れない、所謂「確固たる信念」がない。
だから自分の方が対応を変える方が楽だったし、誰かを押しのけてまで欲しいものなんか無かった。
だって、大切なものは全部奪われてしまうかもしれない。
怖かった。
…執着は弱味。だから、これだけは譲れないという強い想いを今まで持ったことがなかったのだ。
一度自分が手に入れたはずなのに、離れてしまった哀しみと絶望。
それを再び手にするために、どんな犠牲も厭わないと誓った。
クラウス侯にワガママだと言われ、でもシリウスに「ワガママでも良いじゃないか」と背中を押され…
口をぎゅっと引き結び、何も声に出せなかった。
「どのように事を収めるのかと興味があって見せていただきました。
それも今回限りです、次はありませんので」
彼に大きく失望されてしまったのだろうか、
それも仕方ない話とは分かっているが、他ならぬクラウス侯をガッカリさせるのは心が苦しかった。
「…はい、重ね重ね面目ありません」
ペコっと頭を下げた後、クラウスの様子を伺うと…
困ったような曖昧模糊とした笑みを浮かべているのが見えた。
「一人の大人としては、そう言わざるを得ないという話。
…娘を持つ親としては、そこまで想いいれてもらえるのはありがたいことに違いはないですよ。
『立場』というのは、中々、難しいものですな」
心臓が、ドキッと大きく跳ねる。
「クラウス侯は…
彼女を、
少しだけ、また気まずい沈黙が落ちる。
彼はどんなことでも、性急に結論を出すことはない。
この間、どんなことを考えているのだろうかと想像するだけで、時間が永遠に止まってしまったかのような錯覚に陥るのだ。
「王子がご説明下さったように、あの子が自分で『こちら側』を選んでくれるのであれば…
あの子の父親で在りたいと思っていますとも。
まだ納得するのに時間はかかるでしょうがね」
その返答を聞いて、膝から崩れ落ちるんじゃないかと言うくらい、大きな衝撃を受けた。
一体どんな事情があって彼の態度が軟化したのかは分からないが、とても嬉しかったのだ。
あからさまに、自分の娘じゃないと言わんばかりの態度だったのに。
…決して簡単ではない結論だっただろうに、自分達の価値観に少しずつ寄り添ってくれているのだろうかと感じ、胸の内がぎゅっと熱くなる。
――キャシーが、この世界を選んでくれたら…
彼女は今、何をしているんだろう。
自分が救った世界の事を忘れて過ごしているのだろうか。
それとも、こっちに来たくても来れない状況なのだろうか。
…会いたい。
※
今頃、ジェイクはどの辺りを通っているのだろうか。
無事に帰還してくれるのを願うのみだ。
彼が自ら、カーマインに向かってくれると言い出してくれたのは、かなり頼もしい話である。下手な人間があそこに踏み入れれば、厄介なことになりかねない。
親戚がいるから、多少の融通が利くと思いたいものだ。
「…あの人には一生勝てる気がしない」
シリウスと話をしている最中、つい昨日のことが思い出され…
何の脈絡もなくポロッと思っていることが声に出てしまった。
「は? …ああ、クラウス侯のことか」
全く別件で呼び止められ、話をしていたのに急にそんな返答を聞かされたシリウスも困惑気味。
だが、その一言で色々察してくれるのだから、気心の知れた間柄は気楽だとも思う。
「実際、手腕を間近で見ていればよく分かることだがな。
…
陛下が彼を頼みにして、カサンドラとお前を結婚させようとしていた理由もな」
「人を使うのが上手いのだろうね。
…レンドール領自体が、元々色んな小国が合わさってできた連合国のようなものだったと聞くし。
仕事を丸投げできる相手かどうか、判断するのが異次元の早さに思える」
「クラウス侯の「同窓生」が王宮に多くいるという側面も大きい気がするがな。
…聖女計画のために出来たのだか何だか知らないが…
王立学園という制度自体は、このまま廃れるに惜しい」
地方でも中央でも、貴族の子女は皆王立学園に通って、卒業の要件を満たさなければ王様に家督を継ぐことを認めてもらえない。
地方の領主たちからはかなり非難の声が多いものの、このお陰で中央の貴族、有力者、豪商と顔見知りになれるというメリットもある。
「陛下の人当たりの良さを使える仕事の押し付け…いや、割り振りぶりも、見ているこちらの方がぎょっとしてしまうくらいだ」
シリウスが手放しで人を褒めるのは相当珍しい。
朝食に何か悪いものでも食べたのかと疑いたくなる。
「陛下が精力的に政務をされている姿を見るとね、凄く嬉しい気持ちになるよ。
…侯爵のおかげかな」
今まで三家、特に宰相のエリックに睨まれ、いつ命を脅かされるかとおだやかではいられなかった頃と比べれば…
水を得た魚のように楽しそうに過ごしている。
カサンドラを婚約者にすると陛下が言い出した時、レンドール侯爵が四大勢力になってくれるだろうという話は、夢見がちで藁をも縋るような壮大な夢だと思っていたが。
なるほど、本気を出して殴り込みに来ていたら、エリックたちも相当手を焼いただろうな…
レンドールを治めることにしか関心が無く、中央への野心が一切なかったことは幸いだったのか何なのか。
そんな彼でも、娘のことを考えれば王子との婚約話を受けるし――
もしカサンドラがレンドールを巻き込むような選択をするなら、冷静に切り捨てる覚悟を持ち、領主として揺るぎない存在だったわけだ。
色んな立場を同時に持っている人間だからこそ、『立場が違えば大変だ』という言葉には万感が込められている気がする。
「キャシーから父親を奪うことにならず、ホッとしているよ」
「…そうだな、カサンドラが戻って来た時に、存在を受け容れられないなどと言われれば…
冷静ではいられないだろうからな」
誰だって、親子の縁は大事だ…と簡単に一般論として言えないのは、シリウスだのジェイクだの、親子というだけで問題があるようなケースもあるからだ。
まぁ、結構特殊な事例だと思うが。
シリウスが宰相から静かに叱られることがあっても、かなり素直にいうことを聞くし、補佐官として動き回っているのは――自分の父親が、彼のような考え方の持ち主だったら良かったな、という憧憬の念があるからかもしれない。
そんなことを本人に言ったら、「くだらん憶測は気分が悪い」とヒネくれた反応しか返って来ないだろうが。
「…親、か」
シリウスは眼鏡の位置を指先で押し上げ、呟いた。
「そろそろ、フォスター家ともしっかり話をしなければならん」
自分たちやカサンドラに親がいるのと同じように、聖女となってしまった三つ子にも親がいる。しかも今回の詳細を、未だに説明できていないと言う。
相当に非現実的な話でもあるし、三つ子についての正式な待遇も未だに検討中と言う状況だ。報告しづらいのは、分かる。
「…結局、リナ君たちはあれから一度も故郷に帰っていないのだったね」
「手紙は出しているようだがな」
「ご両親も心配しているのではないかな、王都に呼び寄せれば良いと思うけど」
「その辺りはフォスターの三つ子の考え方次第だろう。
要望があればいくらでも場所は用意できるから、それはいい。
ただ…何も知らせずに婚姻の約束と言うわけにはいかんしな…」
「……三人揃って行くのだけは、辞めてあげてほしいかな」
ロンバルドとヴァイルとエルディムの嫡男が、「お嬢さんを嫁にください」なんて言い出したら、普通の神経を持った市民なら、心臓が止まってもおかしくないのでは?
下手をすれば、聖女の親かつ、三家の外戚になるわけで。
アンタッチャブルで誰も逆らえないスーパー外戚――別の権威が生まれてしまいそうだ。
慎重な対応が求められることになるのだろう。
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