36 : ジェイク (Nickname)


 大変な騒ぎを起こしてしまった御前会議は終了し、アーサーと共に彼の執務室に向かったジェイクたち。

 それまで無言を貫いていたジェイクだったが、部屋に入った途端にアーサーの肩を思いっきり掴んで前後に揺さぶる。


「――あぁぁぁさぁぁぁぁ!?」


 我慢など出来ず、叫んでしまった。

 近くにいるシリウスもラルフも、額を押さえて同時に溜息をつくばかり。


「お前な、何考えてんだ! 予定と全然違うじゃねーか!」


「いや、本当にすまない、ジェイク。

 私も『怒るフリ』に徹しようとしていたのだけど、つい、演技に熱がこもってしまって」


 涼しい顔でそう言われては、ジェイクも脱力する他ない。


(絶対嘘だ!)


 ジェイクはそう確信しているものの、いつもの王子様スマイルで躱されては追及が大変難しい。


「最大の目的は達成したのだから、いいのではないか?」


 シリウスは、若干呆れた様子だったが…

 今更時間を巻き戻すことはできないし、目的が達成したと言えば飲み込まざるを得ないような気もする。


「アーサーが宣言するのはいいのだけどね。

 僕達が彼女達と結婚を考えているという案件を提出する機会…完全に逃してしまった形だね。

 陛下や大臣たちの前で、公に伴侶として認めていただく機会を一か月間失ったということだけど」


 憮然とした表情のラルフも、内心思うことがあるのだろう。

 その想いを、アーサーの前で口にするのは――かなり憚れることなので押しとどめる。



 シリウスから、『聖女の一人をアーサーの嫁=王妃に』という話を聞いた時はふざげるなと怒り狂ったものだ。

 とても冷静でいられなかったが、怒ったところで一層面倒な騒ぎになるだけだ。

 どうすれば、そんな厄介な進言を跳ねのけることができるのか?


 全く歓迎されないその案を二度と誰も口に出せないよう、釘を刺す方法は?


 その結果、アーサーがカサンドラ以外の女性と結婚しないという宣言をし、それを陛下や他の大臣に認めさせることで話を早々に終わらせてしまおうと言う話になったのだ。


 今はまだカサンドラ捜索は続いているし、女神が還ってこないなど不謹慎だと聖女に王妃になれという圧力も小さいだろう。

 しかしこのまま放っておけば、聖女を王妃候補にという機運が高まりかねない。

 先手を打って、国王や宰相――クラウス侯爵に予め根回しをした上で、あの茶番を仕掛けてみせたのだ。


 公私問わず、その話題を場に持ち出されることのないように。

 誰にとっても不愉快でしかない。

 他人の都合に振り回されるつもりは全くない。


 アーサーは大きな感嘆を表し、シリウスに向き直る。


「それにしても流石シリウスだね。

 一体どんな話をけしかけたら、あんな風に大胆な進言を…彼にさせることができるのかな?」


 アーサーがカサンドラに執心していることは、この王宮にいる者なら余すところなく知る周知の事実だ。

 あんな提案をしてアーサーの逆鱗に触れないわけがない。


 敢えてあの場で聖女の話題を俎上に乗せるような愚かな言動を引き出したわけだ。

 …どんな情報操作を行ったんだ、シリウス。


「…それが私の仕事だ、どうでもいい。

 しかし、あそこまでお前に暴れられてしまっては、聖女の話はできんな。

 フォスターの三つ子の行き先はまだ宙に浮いたままだ」


「お前がちょっと怒ったフリをして、その話を禁句タブーにすることさえできれば良かっただろ?

 そうしたら俺は、リゼを嫁にもらうってあの場で報告できたんだ!」


 続けざまに聖女の結婚相手に立候補し、そこで異議がなければ後でああだこうだと言われることもない。

 文字通りの婚約者になれただろうに。


「うん、だから本当に自分でも思った以上に――腹が立ってしまってね。

 そういう筋書きだと分かっていてもなお、抑えられなかったんだ」


 虫も殺せないような完璧なアルカイックスマイルで物騒なことを言われては、それ以上何も何も言えないではないか。


「しかしレンドール侯爵も大した御仁だね、いくら事前に話をしていたとは言え…

 あのパニック状態で涼しい顔が出来るのは凄い胆力だと思うよ。

 僕はアーサーより、平然としている侯爵から目が離せなかったんだけど」


 うーん、とラルフが考え込む通り、ただ強面の壮年男性の見た目をしている新しい宰相は、どんなことがあっても眉一つ動かさないポーカーフェイスが徹底している。

 あれでは彼が何を考えているのか、すぐに判断するのは難しいだろう。


「もっと全力で手伝え。

 俺一人にアーサーを抑えつけろとか無茶ぶりすんな」




 文句を一頻りいったところで、今後の話に移る。



 とりあえず、クローレス王国内にはない他国の魔法技術の知識を得るため、どういう工程で探索を進めていくのか話し合う。


 自分は明日からカーマインに長旅ということになっているが、あとは山を越えた東か、海を越えた北の国か。

 ああだこうだと話を続けて行けば、あっという間に陽も落ちる。



 明日からグリムと一緒に、数週間の旅程を予定しているものの――



 王都を長期間離れるということをリゼに言いづらく、結局前日になっても話ができないままだった。

 正直に言えば、そう告げた時、リゼがどう反応するのか見るのが怖い…という心境で、とても言い出せなかったのだ。


 簡単に「いってらっしゃーい」と手を振られてしまえば、めちゃくちゃガッカリするだろう。

 かと言って、自分がしばらくいないことを悲しまれでもしたら…自分は間違いなく、リゼと離れたくなくなりカーマインに向かいづらくなってしまう。

 国柄が国柄ゆえ、絶対に彼女を連れて行きたくはない。


 自分の手で何か重要な役割を果たしたいという思いは、実現しなければいけない。

 もしリゼへの後ろ髪で決意が揺らいでしまったら、グリム一人に全てを任せてしまうことになる。

 まさか、自分の意志でカーマイン行きを決めた癖に、結局グリムに丸投げなんて出来やしない。



 そんな複雑な胸中が、出発の朝までずっと続いていた。

 …大丈夫。



 騎士団の連中がリゼにちょっかいをかけられないように、騎士団は出入り禁止にしているし、自分の不在の間はフランツやジェシカにリゼの事は任せてある。

 信用できる相手、そして普段妹達が一緒にいるのだから――大丈夫。


 



 ※



 人数を多くしてもしょうがないので、グリムと一緒にレンドールを経由してカーマインに。途中でレンドールに寄って、アレクに渡し物をして…


 久しぶりに兄弟馬を並べて城門に向かって歩いていた。


「え、ジェイク。まだ彼女に留守にすること言ってないの?

 何考えてんの?」


 唖然とした顔で隣を歩く馬上の人、グリム。


「急にいなくなったら吃驚するでしょ。

 これから顔見せに行く?」


「…そうだな…」


 まだ早朝だ、恐らく彼女達は自宅の《餐館》にいることだろう。

 ちょっとだけ顔を出して、行き先を告げて、そのまま向かえば良いだけの話だ。

 長期間離れることになるのは心情的にかなり苦しく、不安もあるのだが…

 自分にできる事があるなら、それを優先したい。


 行き先が奴隷とハレムの国でさえなければ…

 あの国の王様は、気に入った女性をポイポイ攫って後宮に放り込むという噂も聞いている。

 とてもじゃないが連れて行ける場所じゃない。


 すぐに帰ってくる、別に心配は要らない…そう一言言って、用事を済ませてさっさと帰ってくればいい。

 そう決心したジェイクだが、その橙色の小さな双眸にあり得ない光景が飛び込んできた。


 まだ街が目覚めていない早朝、城門を開けると腕組みをして怒り心頭状態のリゼが立っていた。


「…ジェイク様。

 こんな朝っぱらから、どちらへ遠征に?」


「言ってなかったっけ? ちょっとカーマインまで。

 グリムと一緒に、しばらく城を明ける。

 悪いな、土産はちゃんと持って帰ってくるから」



「はぁ~…。

 なんか言いたいこと沢山ありますけど、二人が帰ってからにします。

 外交問題にならないよう、無茶は控えてくださいね。

 こっちはこっちで、できるとこまで進めときますから」


 あっさりバイバイ、と手を振られるのもそれはそれで心にグサリと突き刺さる。

 いや、勝手にカーマインに行くと決めて何も教えていなかったのは自分だし。


 リゼのことが好きで、自分は恋人だというつもりでいる。


 あの日、彼女に想いを告げた時から何一つ変わっていない。

 だが今の状況は手放しで恋愛を楽しんでいる場合ではなかった。

 整備された学園の中でのやりとりという枠を超え、世界を巻き込んだスケールの話の渦中に放り出されて、皆未だに地に足がついていない状況でもある。


 以前通りと言うわけにはいかず、さりとて先へ進むには心理的抵抗の強い状況で。

 自分の感情はどこまで許されるのだろうか――自問自答を繰り返す。




「じゃあ、ジェイク様。

 戻って来たら、また遠乗り行きましょう!

 たまには二人でゆっくりしたいですし」



「――…!そ、そうか。その約束忘れるなよ」




「ええ…なんで僕の目の前でイチャつくの?やめてよマジで」


 横からうんざりしたグリムの声が響き、リゼはその時初めて彼の存在に気付いたかのように肩を跳ね上げた。


「え、グリム、いたの?」


「いたよ。最初から。ジェイクと一緒に」


「いるならいるって、早く言って欲しかったんだけど…

 …グリムも、身体が治ったからって無理しちゃダメよ」


「分かってるって」


 この会話のやりとりに、ジェイクは大きな違和感を抱いた。

 グリムがリゼと仲がいいのは良く知っている話だ。聖女の力で自分の病を直してもらった弟は、まさにリゼの信奉者の一人のようなものだ。


 互いに気安い関係であるのは、重々承知していたつもりだが、何かがおかしい。

 その違和感にようやく思い至ってジェイクは、前のめりになり思わずリゼを指差していた。


「おいリゼ、なんでグリムは呼び捨てで俺は相変わらず「様付け」なんだ?

 おかしくないか?」


 学園に通っていた当時は全く何の違和感も覚えなかった呼称だが、今こうしてグリムと並んだ時、その差に雷を撃たれたようなショックを受けたのである。



「え? うーん、ジェイク様はジェイク様っていう一つの愛称みたいな…

 だってジェイクさんとか、言っててぞわっと鳥肌立ちますし」


「普通に呼び捨てで呼べよ!

 敬称無し、今度から無しだ!」


「ええ…そんな急に言われましても」


 リゼは難渋を示した。

 今まで慣れ親しんだ呼び方を突然変えるのも、互いに違和感を覚えるものだろう。


 でも弟のグリムが呼び捨てで、自分がそうじゃないのは納得できない…!



「呼び方なんて別にいいじゃないですか」


「良くない!

 ……リゼ、お前は『聖女』だよな?

 聖女っつったら、俺より立場は偉いよな?」


 明確に『聖女』なんて階級が設定されているわけではないが、彼女達がは大変尊い特別な立場であることは、万人が認めるところである。

 それこそ、王妃候補に名前が自然と挙がってくる程には。


「……な、何ですか急に」




「お前が俺を様付けするなら、俺もお前をリゼ様って呼ぶぞ」




 そう言い切ると、リゼはぞっと悪寒に包まれ自身を両腕で抱き締める。

 完全に目が死んでいた。



「辞めてください。

 ほら、見て下さいよ、この腕のサブいぼ! その呼び方、ホント無理なんで」


 リゼは驚愕の顔で、後ずさる。

 彼女の嫌いな節足動物に遭遇したかのような態度であった。

 

「じゃあ俺がいない間に、呼び捨てる練習しとけ、それで解決! わかったな!」





 ※





 そんなジェイクたちの不毛な言い争いを間近にするグリムは、ただひたすら天を仰いで溜息を落としていた。




 そして二人のやりとりを横目に、首を傾げる。





    なんでいつも喧嘩腰で話をするんだろう、この人達…  


 

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