35 : リゼ (Declaration)


 リタから爆弾を投下されて、一月余りの時が過ぎた。

 表面上は何も変わっちゃいない。

 時だけは誰に対しても平等に、同じだけ流れていく。


『王子の婚約者候補に、聖女を推す声が上がったらどうしよう…

 どう考えてもありえないよね!?』


 リタの考えすぎだ――と、リゼは王子の婚約者問題のことを考えないようにして過ごしていた。

 考えたところで、お偉い人達の決め事に自分がしゃしゃり出るのは越権が過ぎる。

 いくら自分達の今後に関わる事とは言え…だ。




 ※





 リゼは剣を構え、じっと相手を睨み据える。


 不敵な笑みをうっすら浮かべ『かかってこい』と指を動かす壮年の男性は――フランツ。


 久しぶりに師弟相まみえ、剣の切っ先を向けるも相変わらずの余裕ぶりに、反射的に身体が動く。


「――こ…の!」


 横に凪いだ剣の軌跡は完全に彼の得物に絡めとられ、そのまま振り払われる。

 剣の柄を握ったまま、リゼはバランスを崩して地面に大きく叩きつけられた。


 その衝撃で一瞬、呼吸が出来なくなる。

 座り込んで喉を押さえ、リゼは半分涙目だった。


「……っあああーーーーー! もう!

 体が動かない!」


「随分鈍ってるよなー、ハハハハ。

 来週も相手してやるから、怠けんなよー」


 ニヤニヤと自分を見下ろすフランツの態度は、学園時代のそれと何も変わらない。

 もう戻ることのできない、失われた日々が目まぐるしく脳内を巡り、思考を焼いていく。


「そりゃあ、毎日研究室に籠ってたら、こうもなりますよ!

 しかも騎士団の訓練所を使わせてくれって頼んでも、ジェイク様がダメだって言うし!

 私、なんで騎士団出禁なんですか!?」


 余りにも身体を動かさない日々が続いたので、ストレスが溜まっていた。

 現在フランツが騎士団でかなり重要な地位についたという話も聞いていたし、訓練施設ならフランツに会えると思ったのだ。


 騎士団棟の施設前でウロウロしている姿をジェイクに見つかった後、そのまま猫の首根っこを掴む形で入り口まで連れ戻され――ポイっと外に放り出されてしまった。


 騎士団立ち入り禁止だなんて言われてしまって全く納得できない。


『そんなにストレス発散したいなら、フランツをそっちに寄越す!』


 有言実行。

 フランツはあれから週に一度、リゼのために時間を作って訪ねてくれる。

 何と言うVIP待遇なのだろう。


 自分のストレス解消のために、フランツが自分達の家まで出張してくれているなんて、破格の待遇過ぎる。

 静かな場所で、フランツの指導を受けられているのは嬉しいけれど。



 何だか釈然としない。

 騎士団に行けば、ジェイクにも会えるし普段どんなことをしているのか、観察することもできるだろうに…


 騎士団を出禁になって以降、リゼは再び家と魔法研究所の往復に逆戻りである。


「しょうがない、お前が見世物になるのが嫌なんだよ、アイツは。

 …ただでさえ、騎士団内部はお前のシンパみたいなもんだし」


「リタに見世物役をやってもらってるのに…私ばっかり、そこまで気を回されても」


 魔法研究は無理!と早々に白旗を掲げたリナが、別の方法で役に立てる方法を探した結果…

 シリウスの要請を受け、『聖女様』として王宮に姿を現している。


 ニコニコと笑顔で手を振る聖女様の姿に、リゼは絶対自分はあんな真似できない、と頭を抱えた。これが培ってきた経験の差というものなのか。


「それじゃ、少し休憩するか? 『聖女様』」


「――蹴りますよ」


 彼は結局、あの後も態度が変わることがない。

 それがすごく嬉しかった。


 特別扱いも容赦もない、そんな普通の関係が貴重なものに思えるからだ。


 リゼが広い庭の長椅子に座っていると、隣にフランツも腰を下ろす。

 どっかりと彼が身体を椅子に押し付けると、木でできた椅子が大きく軋んだ。


「はぁ、今日はホントに疲れたー」


 完全にくたびれたオッサンと化したフランツが。両腕を椅子の後ろに投げ出して天を仰いだ。


「フランツさん、心の底から騎士団のお仕事が苦手なんですね」


「慣れたっちゃ慣れたけどな、やっぱり肩が凝るぜ、王宮騎士団は」


「しかも大将軍が空位だろ?

 ジェイクが成人するまでの期間、騎士団も落ち着かないんだわ。

 その余波で俺の仕事が増える、最悪」


「ああ、そう言えば三役って成人まで就けませんよね」


 学園をつつがなく卒業することによって、家を相続する権利や上位官職につく資格を『国王から』認められる、というのが王立学園のお題目だった。学園に通わなかったら跡継になれないということで、地方から中央から、様々な子息令嬢が集まっていたわけで。


 大将軍、宰相、大法官、これらの職は基本的に爵位を持つ『当主』が代々就く役職である。ゆえに、爵位を持っていないジェイクには将軍職に就けないわけだ。

 下級官吏や騎士はこの限りではないが、騎士団のトップは常にロンバルド侯爵。

 今までは、それで上手く回っていた。


 今、ダグラス将軍は動ける状態ですらなく、その座は空位だ。


「でも学園が機能してない現状、どうなるんでしょうね?

 その辺の慣習と言うか、許可というか」


 するとフランツは、ものすごーく嫌そうに顔を顰めた。


「ん? あー…それ、お前が聞くの。

 聞いちゃう? じゃあ、今朝あったとんでも事件を教えてやろうか?ん?」


 何故か彼は燃え尽きて灰になったかのように、がっくりと項垂れて眉をしかめた。


 一体今朝、何があったと言うのだ。


「今朝は、月一回の御前会議の日でな。

 …円卓を囲んで、お偉いさんたちがずらっと揃う特別な日なわけよ」


「うわっ、絶対そんな中に入りたくないです」


「だろ? でも俺さ、近衛隊として室内警護を仰せつかった。

 ジェイクは一応、ダグラス将軍の代役って形で出席してたし、ヴァイルの坊ちゃんもそうだな」


 カサンドラをいかに呼び戻すかと言う話し合いの席とは全く違った、緊張感あふれる時間がイメージされて、喉を鳴らす。


「でさ、会議も中盤に差し掛かった頃、一人の文官がある問題を提起したんだよ。

 さっきお前が言ったみたいに、学園の機能が失われた以上、現在通っている学生たちや入学していない貴族の子女はどういう扱いになるのか…ってな」


「王城の復興もひと段落しましたし、気になりますよ」


 完全に蘇ったと思えるのは王城を中心にした区域だけだ。

 まだ瓦礫の残っていて、手をつけられていない通りもいくつかある。日常に戻ったと言える人達は、王都の更に中心にいる人ばかりだろうが。

 少なくとも見かけ上は平穏を取り戻しつつあるのだ。


「今在籍している生徒は皆、卒業見做しという特例措置をとるべきではないか、とか話が進んでさ。すぐには無理でも、半年後位に…とか。

 いや、それはいいんだよ、うん。

 問題は…」


 思い出したくない、と言わんばかりにフランツは顔を覆った。


「あの文官野郎が、『王子の立太子までに、聖女のどなたかを婚約者に決めてはどうか』とか、馬鹿な事言い出しやがって」


 ギクッとした。

 心拍数が早くなったのが自分でも分かる。


「うわ…マジですか…」


 カサンドラを絶対に喚び戻すんだ、と決意している自分達にとってはあまりにも業腹な物言いである。リタが怖れていた事態が来てしまったのか、とリゼも気が気ではない。


「次の瞬間、会議室の照明…『輝石』がぜーんぶ粉々に砕け散ってさ」


 パリンパリン、と。

 まるで薄い氷を踏みつけるかのように、激しい魔力の奔流と共に『光』が消えた。


「で、一拍遅れてジェイク達が王子の背後に回って『それ』を抑えつけるの、めっちゃ頑張ってた。

 王子が背後から不死鳥でも喚びだすんじゃねーかって大騒ぎになったんだよ!

 あー怖い怖い」


 彼の背後に、炎の獣が見えたらしい。


「王子…怒っちゃったんですか」


「顔はいつも通りの涼しい笑顔だったぜ?

 『――で?』って文官に向かって一言言った時の会議室内の温度、絶対零度としか思えんかったわ」


 怒りに据えかね、態度に出さずにはいられなかったんだろうなぁ…

 あの王子がそこまで他人に対して「NO」を突きつける光景が想像できないし、だからこそ伝聞でも身が凍る想いだ。







     私は、カサンドラ・レンドール以外の女性とは結婚しない。






「王子がその場でハッキリ宣言して、俺も吃驚だ。

 王様や新しい宰相が素知らぬ顔なのが逆に怖かったわ」


 あの王子が…!

 いつも人当たりがよく、常に場を平和に収めるため、公の場で自分の意志で発言することの少ない王子が!?


「流石王子! そりゃそうですよね!

 仮初でも、うるさいのを黙らせるためって言っても、他の人を婚約者になんてするはずないですよねーー!」


 リゼは両手を挙げて大きく頷いてしまった。

 その場にいたわけではないけれど、あの王子が直前まで憤りをあらわにしつつ、断言をしたのだ。二度とこの話題が蒸し返されることはないだろう。


 少なくとも、王子の不興を積極的に買いに行く怖いもの知らずなんていないはず。


「それに王子がカサンドラ様以外と結婚しないってなったら、皆もカサンドラ様を連れ戻すのに全力で協力してくれますよね」


「まぁ、そりゃな。

 あの方が戻ってこないと、王子が誰とも一緒にならないなんて言い出したら…

 今まで以上に目の色を変えて、お前達に協力するだろ」


「良かった!」


 リタの危惧していたような事が現実で起こらなくて、ホッとした。

 偉い大人たちの事情なんてリゼには分からないし、王子がカサンドラ以外の人と結婚しないといけない王国なんて、少なくとも自分は認めたくない。


 スッキリ晴れ渡った青空の下、心も晴々としたリゼ。



「そう言えば、ジェイク様、まだ忙しいんですよね?

 そろそろお休みとか…」


 騎士団には出禁を喰らってしまったし、彼は魔法研究所の方には滅多に立ち入らない。

 だからたまに夕食を皆と一緒に食べるくらいしか会っていない。


 リゼはこうやって、フランツと組み手を行って運動不足を解消できる時間があるのに…



「へ? お前知らなかったっけ?

 アイツ、明日から数週間留守だぞ」


「数週間? 嘘でしょ、何も聞いてないんですけど」


 そんな長い時間…

 過去、彼がティルサに行った期間よりも随分長い。

 突然知らされ、リゼの頭は大混乱だ。


「あーあーあー、言いそびれたって奴だな。

 明日から、グリムと兄弟揃って遠征だ」


「聞いてない、聞いてないですよ」

 

 あまりにも唐突な話で、頭の中が大混乱だ。

 毎日会えるわけじゃないし、騎士団出禁になっちゃったけど。


 でも同じ王宮にいるんだって思えるだけで、嬉しかった。

 それなのに…明日から長期間、城を空けるだって?


「私も!一緒に行きます!」


「いや、無理」


 フランツは首を横に振った。

 取り付く島もないレベルで、彼はリゼの追及をあっさり流すのだ。


「それ、私が聖女だからですか? 自分の身は自分で守りますよ!」


「だってアイツが行くの、カーマインだからさ」


「…カーマイン…って、砂漠の?」


 リゼの脳裏に大陸地図が展開される。

 地理の授業で他国の位置関係に触れたことはあるが、名前くらいしか知らない。

 掘り下げられることのない国…


 レンドール領の更に南の大きな大河を渡った先の、砂漠の国。

 オアシスを中心に栄える、灼熱の王国。


「――奴隷とハレムの国、カーマイン。

 アイツらは、あの国の魔法道具をかっぱらいに…いや、譲ってもらいにいく予定」


 奴隷…

 大昔にはこの大陸にもそういう制度があった場所があると習ったことがある。

 だがそんな蛮習はとっくの昔に影を潜め、少なくともクローレス王国ではあり得ない。


「奴隷制御に使っている『奴隷の首輪』って魔法道具があるんだとさ。

 …特定個人の居場所を探知できる」


 首輪、と聞いて思わず自分の首を触ってしまう。

 奴隷が逃げ出さないよう、管理するために作られたとんでもない非人道的な魔法道具である、が。


「個人の気配を辿る…って言うのは、凄い技術ですね。

 うーん、かなり、興味あります。

 どんな魔法構築の術式が入ってるのか、見たい…!」


「だろ?」


「私も行きた」


「ダメ。

 国交ない国だし、聖女が来たなんてなったら誘拐されかねないしな。

 それに、奴隷の国だ。

 …俺は、お前にそんな国に行って欲しくはねぇな」


 偉い人間――貴族が人間の奴隷を鞭打ち、牛馬のように操り支配することが国是の国。

 それは価値観が合わない…分かり切ってはいるものの、釈然としない。





「私、ハレムって知らないんですけど、それって何です?」









「王子や坊ちゃんズには無縁の代物。


 今回は諦めろ、な」







 フランツにはぐらかされ、しばらく気になってしょうがなかった。


 後で調べておこう。

 知らないことがあるのは、許せない。








 少しずつ、事態が動いているのかな。

 …自分たちが頑張れば、カサンドラはまた戻ってきてくれるのかな?




 

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