33 : リタ (Marriage partner)
カサンドラがいなくなってからというもの、皆彼女の安否が気になってしょうがなかった。
常に何かに追い立てられている…というか、焦りで頭が真っ白になってしまうというか。
このままカサンドラに二度と会えないんじゃないかと思うと、すごく心細かった。
カサンドラは異世界に『戻って』しまったのだろうという話に辿り着いたとき、初めて事態が進展したのだ。
リタはすごく浮かれた。
空を見上げて、思ったのだ。
――ああ、こんなに世界って、明るかったんだなぁ。
今までずっと、不安で俯いていた気がする。
※
街の復興も随分進み、悪魔に文字通り踏みつぶされた建物が目に見えて少なくなってきた頃。
リタたちはようやく自分たちの『城』を手に入れることができた。
と言っても、本当のお城に住んでいるわけでも、ましてやお城を建ててもらったわけでもない。
なんと、街中に建てられていた『餐館』の一つに、三人揃って住むようになったのだ。
学園時代、王子やラルフたちが自分達の休憩室のように使っていた共用の建物である。
…いや、休憩に使うって…と、リタはそのスケールの大きさに打ち震えてしまっていたが。
屋敷としか言いようのない建物の一つが修繕を終え、三つ子たちが揃って引っ越すことになったのだ。
久しぶりにリゼとリナと一緒に生活できることに、幸せを感じている日々である。
王子は王宮に滞在してくれても構わないというが、流石に気が引けるし。
ラルフは今まで通りヴァイル邸に住んでいればいいと言ってくれたが…
リタの気が休まらなかった。
何故なら、リタにとってヴァイル邸は職場のようなものだったからだ。
召喚魔法についての研究に没頭したいリゼとリナと違い、リタは魔法論理学が大の苦手分野だ。
だからリタに求められた役割は――『聖女』としての外向き応対という物凄く目を背けたい話になってしまった。
この国中の人達は当たり前だが、聖女という存在を知っている。
大勢の人間がめちゃくちゃ会いたがって、一時期はあのリゼもストレスで胃に穴があきかける寸前まで追い詰められた。
どこに行っても自由が無い。
誰かに監視されている気がする。
護衛を連れないと行動できない…
こんな不自由な生活は自分たちにとって初めてで、カサンドラのことと合わせて心がかなり落ち込む日々を過ごすことになってしまった。
当の王子や、ラルフやジェイクやシリウス…という面々の方が自分達より忙しそうにしているので、我慢しないといけないのかなと思っていたのだが。
リタは、ラルフに直訴した。
このままだと息が詰まってヤバい。
『聖女』としての対応はちゃんとするから、せめてゆっくりできる家が欲しい。
ヴァイル邸にいると、あちこちから貴族だの役人だの、時には王様だのなんだのが出入りして、その度にリタも顔を出さないといけなかった。
色々話し合った結果、王城に近い『餐館』を三人の新しい家にして、そこから「お勤め」に通うという形におさまったのである。自分たちだけの平和な空間! ちょっと…いや、かなり広いけど!
今までカサンドラに関する話し合いを学園で行っていたけれど、次回からこの館を使用すれば良い。わざわざ学園に集まらずとも、王城近くに拠点があるのは便利だ。
敷地の外には勿論衛兵たちがぐるっと取り囲んでいるけれど、この館の中は自分たちの自由な領域。
ジェイクには散々危ないとか危険だとか、何なら女騎士を集めて放り込もうなんて話をしてきたが、自分たちは悪魔を倒したという実績を持っている。
それを前面に押し出して、見事自由を勝ち取ったのだ。
それに、時間があるときには彼らも普通にこの館に立ち寄ってくれる。
一緒に夕食を摂る機会も多かった。
もしかしたら、ヴァイル邸に居候していたときよりも、ラルフに会う頻度が多くなったかもしれない。
その代わり、リタは――
毎日のように王宮へ赴き、『慈愛の象徴』みたいな感じで、訪れてくる人達ににこやかに手を振る役目を仰せつかってしまった。
王国の体面もあるので、『聖女』が自由奔放なフツーの少女では良くないらしい。
自分たちのことを以前から知っていた人達には爆笑されるか吃驚させてしまうことになってしまったけれど。
白を基調とした裾の長い白い服と豪華な杖を持ってにっこり微笑むのが聖女の仕事らしい。
皆が自分を見て「ありがたや」と手を合わせて帰っていくのを、眺めるのみだ。
時には声を掛けることもあるが、結構気を遣う。
この屋敷から王宮に向かい、着替えをすませてスタンバイ。
遠方から来た人や、リタたちの本当の姿を知らない人たちは自分の存在や言葉で勇気づけられるらしいのだ。
聖女はこの災厄被害の復興に対するシンボルのようなものだ。
大勢の民の不平不満を抑え、安らげる存在でなければいけないのだとか。
この熱に浮かされたフィーバー状態ももう少しで潮が引くだろうと思っていたが、相変わらず聖女の姿を求める声が多い。
リタもそんなことをしたくなかったが、シリウスに頭を下げられたのでしょうがない。
神殿関係の期待圧力が半端なく、他の二人が別件で忙しいためにリタが『慈愛の象徴』として扱われることになってしまったのである。
まぁ、どこにでもいる十人並みの容姿の小娘が、悪魔を倒しましたー、なんて箔がつかないから、仕方のない話だ。
もし…自分達がこの後表社会から完全に姿を消して、行方を晦ませて自由に生きるのならこんな見世物小屋もかくやの扱いを受け容れなかっただろう。
今後、この王国で重要なポジションにつく人達の傍にいるとなったら、外聞もとても大切な話なのである。ハッタリも大事。だからリタは聖女業を頑張って来た。
――カサンドラ様がこの世界に還って来た時、胸を張って傍にいられるような状態でいなきゃね!
「はーーー! やーっと今日は休みだー!
ゆっくりできるーっ」
リタはその日、お昼近くまで寝入っていた。
リゼとリナは朝早くから、王城の一角に建つ魔法研究所に向かったはずなので、まさに! 今日は! 自由!
だが折角のお休みを一人で過ごすのは、いささか勿体ない。
『餐館』に友人を呼んでお茶をする予定も作ったし、昨日から楽しみで仕方なかった。
こういう精神的余裕が出たのも、カサンドラに会えるという可能性が少しでも具体的になったからだ。
もしも全部シリウスの妄想で、カサンドラが異世界にもどこにもいなかったら…と言う可能性も脳裏を過ぎるけれど。
そんなの考えてもしょうがないし、少なくともこの世界にいる気配を感じないのなら。
彼の話に全力で賭けてみるしかないじゃないか。
とにもかくにも、今日は聖女用にあつらえられた、白いヒラヒラの服を着なくていい!
絶対普段着で過ごす!
開放感に満たされ、部屋の中でストレッチをしていると――
リタを訪ね、キャロルが屋敷を訪れてくれたのだ。
慌てて広いロビーに向かう。
「リタさん! 今日はお招きいただき、ありがとうございます」
「わぁ、本当に久しぶり!
こっちこそ、来てくれてありがとうございますー」
広すぎる玄関で、招待客を出迎えた。
小柄で可愛らしい、品が良くも明るいニコニコ笑顔の女の子。
「キャロルさんとお話できるなんて、学園時代に戻った感じ!
懐かしいですね!」
しかしキャロルは、リタの全身を見て突然、両手で目を覆って俯いてしまった。
「お待ちになってください、リタさん!
貴女、なんてはしたない格好を…」
「…は?」
リタはきょとんとした表情で、自分の格好を見る。
別に、普通の上着にショートパンツという動きやすいいつもの格好をしているだけなのだが?
「脚! 脚が出てます!」
「えー…楽なんですけど」
困惑するリタに、キャロルは呆れた顔で静かに説教を始めた。
貴族のお嬢さんにとって、この格好は確かにダメだったかもしれない。
だって今日は暑いし、できるだけラフな格好でいようと決めていたのだ。
しかし自分の普段着の基準が、彼女達の中では全くダメダメだということが分かり、リタは神妙な顔で頷くほかなかった。
「まぁ、他に誰もおられないのでしたら…はぁ、全く心臓が止まるかと思いました」
「すみません、ハイ」
「この間お城でお会いした時は、まさに『聖女様』という装いで、私もうっとりと見つめておりましたのに」
「私、ちゃんと聖女様役をやれてましたか? 変じゃないですか!?」
「…ちゃんとも何も…リタさんは聖女様でしょう?
しっかりと皆さんの期待にお応えして振る舞っていらして、素晴らしいです」
まさかリリエーヌ役をしていた時代の経験が、こんなところでも役立つなんて思っていなかった。
「見世物になるのは、もう慣れっこですしね!
私は他の二人みたいに、仕事できませんから!」
応接室にキャロルを通し、お茶を淹れる。
ここに至るまでの緊張感や、切迫感が嘘のように穏やかな時間が流れていた。
餐館の中は隅々まで綺麗に整っているし、仮初とは言えここが自分の住んでいる家だなんて驚くばかりだ。
しかもキャロルがわざわざ遊びに来てくれたのだから、本当に嬉しい!
「そう言えば、アイリス様の怪我はもう大丈夫ですか?」
「はい、リタさんにもお見舞いをいただけて、お姉様も喜んでいました」
「最悪な事態にならなくて、本当に良かったですね」
「お姉様が瓦礫に閉じ込められていたと聞いた時は、私も血の気が引きました」
リタたちが知っている人は全員生きているし、欠けてはいない。
だが全く無傷というわけではなく、何名か魔物に襲われて怪我をしてしまった。
特に驚いたのが、アイリスが逃げ遅れてしまい、その結果怪我をした…という話である。
埋もれてしまった部屋の前で、あの三姉妹が半狂乱になって瓦礫を掻き分け、騒ぎを聞きつけた騎士に助けられたという話だ。
幸い、大きな家具が盾となって大怪我はしなかったようだが、精神的ショックが大きくてしばらく寝込んでいたそうだ。
大怪我はしていないとは言え、侯爵家の令嬢が左足を挟まれて一時とはいえ崩れ往く建物の中に取り残されたのだ。
本当に無事で良かったと、ゾッとした話である。
「それにしても、まさかリタさんが聖女様だったなんて驚きました」
「自分でも似合わないなって思ってます。
だけど、なってしまったものはしょうがないですし。
あ、でも! 私は全く変わってないですから!
いつも通りに接してもらえたら嬉しいです」
実際、聖女になったと言われてもその力を発動できるか否かの問題に過ぎない。
容姿や性格が変わったわけでもないので、皆が「すごいすごい」と持ち上げてくるたびに全身が痒くなることもあった。
あれから二月以上経ったのだから、そろそろ物珍しさも収まってくれないかな…と思っているが、その願いは届きそうにない。
「リタさんにお変わりがないことが、私にとって何より嬉しいです」
そう言ってもらえて、リタは涙が出そうになるくらい感動した。
自分は聖女と言う存在を演じなければいけない側で、慣れたとは言えしんどいなと思うことばかりだ。
この事件を契機に、自分が大きく変わっていくのではないか…それが怖かった。
でも以前の自分をそのまま受け容れてくれて、接してくれる人がいる。
家族以外に、素の自分でいられる人がいるのは幸せなことなのだ。
リタはしばらく、彼女の近況を聞きながら楽しい時間を過ごしていた。
――しかし、突然、キャロルは言いにくそうに口籠る。
「キャロルさん、どうかしました?」
「いえ…その…これは言おうかどうしようか迷ったのですけど。
念のため、お耳を拝借しても良いですか?」
彼女はかなり言いづらそうに、チラチラとこちらを眺めてくる。
キャロルの様子に、良くない報告があるのだと気付き、ドキッとした。
心拍数は上がる一方だが、気になってしょうがない。
話の先を促した。
ここまで意味深な態度をとられて、やっぱり話すのやーめた、なんてそっちの方が消化不良である。
「これはエドガーから聞いた話なのです。
真偽のほどは、怪しい…と先に添えさせてくださいね」
エドガーと言えば、キャロルの婚約者の名前だ。
ケンヴィッジ邸の晩餐会で会ったことを思い出す、真面目な好青年の容姿がホワホワっとキャロルの頭上に浮かんで来た。
「あの、ここだけの話なのです。
本当に、実現するかは全く怪しい話で、ええ、そんなことはあり得ないと思うのです」
何だか凄く念を押す姿に、リタも固唾を飲んで彼女の言葉を待つしかない。
「実は…
三人いる聖女のどなたかを、王子の結婚相手にしてはどうかというお話が…」
???????
何を言っているのか全く分からない。
彼女の言葉の真意、脳が理解を拒む。
たっぷり十秒は制止していたことだろう。
「はーーーー!? ちょ、ちょっとどういうことですか!?
王子の婚約者はカサンドラ様でしょう!?」
「はい、私も皆様も、それは重々承知しておりますわ。
しかし現実問題、カサンドラ様は行方知れずのまま…
長きにわたって王都にご帰還されないのであれば…
当然王子に新しいお嫁さんを、という話になりますよね?」
「なりませんよ!? 何言ってんです!?
正気ですか?」
あの王子がカサンドラ以外の女性、それも三つ子の誰かと結婚…だと?
冗談にしてもタチが悪いし、もしそんな会話をする現場に居合わせたら、間違いなく飛び蹴りを食らわせていたことだろう。
聖女の仮面なぞ、かなぐり捨てて。
全方向に失礼な話をする奴が王宮にいるという事実に、頭に血が上ってしまう。
「もちろん王子はお話を辞退なさるでしょう。
ですが…いつまでもそういう状態では国として宜しくないですよね?
いつか断り切れなくなるのでは?
木っ端役人や下級貴族らの宣う、世迷い事のままなら…と私も思っています」
「エドガーさんに聞こえるようなところで、そんな会話があったとか最悪なんですけど」
「私としては、リタさんはラルフ様とご結婚されるものだと思っておりました。
それなのにエドガーは『王子と聖女様の結婚が決まったら、一層明るい話題になるね』なんて言いますのよ、あやうく感情に走って手が出るところでした」
どこかアンニュイな空気を纏い、ふぅ、とキャロルは手で口元を覆う。
エドガーに会ったのは、自分がリリエーヌの姿をしている時だった。
あの姿でラルフの婚約者のフリをしていた以上、彼が誤認を続けていても仕方のないことだ。
王子と聖女が結婚したら、この困難な時期に明るい話題、慶事が湧いてお祭り騒ぎになることだろう。
だから、素直な反応を示してしまったのである。
「私、リタさんはラルフ様のお相手なのだと改めて説明いたしました。
…学園にいた人間は貴女たちと三家の御曹司との関係は周知の事実でしたが、頭の固い王宮のオジサンたちには上手く伝わっていないのですよね」
「そ、そんな…じゃあどうしたらいいんでしょうか。
王子から無理って言われるのは全然いいんですけど、むしろそうして欲しいんですが…
こっちから「嫌です」なんて無礼千万なこと言えるわけでもないですし」
そんな話が囁かれていること自体、王子の耳に入れたくない。
そして王子は争いごとを好まない人だし、相手の顔を潰すような返答はしないだろう。
きっぱり断らない間に、話だけが進んでいくとかありそうで困る。
あああああ…! リタは頭を抱えた。
「――リタさん!早くラルフ様と結婚してください。
…でないと、取り返しのつかないことになりますよ」
「私達はまだお付き合いを始めて時間も経っていないんですよ?
急に結婚とか言われても!」
確かにラルフのことは好きだ。
今までずっと、彼に好かれるため、彼の傍にいるために頑張って来た。
そして彼も自分を好きでいてくれて、嬉しかったのだけど…
その後なんやかんやで色々あって、現在自分とラルフがどういう関係なのかもハッキリ言って良く分からない。
脳内で一瞬、シミュレートしてみた。
『ラルフ様! 私と結婚して下さい!』
『突然急に、何を言い出すのかな?』
『だって、このままだと私、王子と結婚させられるかもしれません!
その前に結婚したいんです!
何なら婚約だけでも!』
みたいに言うの?
そんなの、ラルフと王子、どっちに対しても失礼じゃ?
そもそも――今もラルフは自分の事をどれくらい好きでいてくれているのか?
最近の距離感的に、多少フランクになったけど仲の良いお友達的な感覚になってしまっていた。
この状態で結婚?
全然、ピンとこないぞ?
「そんなこと言ってる場合じゃない」と、向こうもドン引き案件に相違ない。
自分たちだけじゃなく、皆それぞれ、忙しい。
学園に通っていたときと全然違う。
講義さえこなしていればいいんだ、という決まった枠組みがなくなってしまって…
大海原にポンと放り出された気持ちだ。
「婚約をしたとしても、王の命令があるなら解消は可能ですからね。
できればお二人には、先んじて結婚して欲しいのです」
「無茶言わないでください、今の状況では無理ですよ。
他に王子との話を回避できる方法はありませんか?
もしあったら、私、リゼやリナと、話し合います!」
「――既成事実…があれば、頭の固い方たちも、諦めて下さるかも」
――何言ってんの?(本日二回目)
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