32 : アレク (Separate matter)
アレクがレンドールの別邸に戻ると、侯爵夫妻と顔を合わせることになる。
…かつてない程、気まずい時間だ。
国王に呼ばれて王都までやってきたということだが、どう考えてもカサンドラの行方を捜しにやってきたとしか思えない。
折角侯爵と会えたと言うのに、気持ち的にとてもギクシャクしてしまう。
彼らはカサンドラが女神となってしまった理由も知らないし、ただ行方不明状態と言うことしか分かっていない状態だ。
何も知らない彼らと話をするのは、アレクにとってとても辛い。
『お前だけでも、無事でよかった』
再開した時に、クラウスがそう声を掛けてくれたことは忘れない。
本当ならカサンドラがいないことに焦れて、目付け役を任されていた自分に当たり散らしたって文句は言われない立場だろうに。
そんな夫妻に一体この複雑かつ、怪奇的な現象をどう伝えるべきなのか…
タイミングを見計らっているところだ。
「アレク、話がある」
珍しく夕食の後にクラウスが自分を呼び止めた。
ギクッと、動きが止まってしまう。
彼はあまり会話を楽しむような性状ではなく、こんな時間に呼びだされるのは珍しい話だったのだ。
カサンドラについて、ちゃんと話をしなければと思う反面。
彼らの受けるであろうショックを想像すると、迂闊に踏み出せない…
そんな状況のアレクを私室に呼んだ彼は、あまりにも予想外の発言を繰りだしてきたのだ。
「今日、王子から話を聞いた」
「は? え? 王子から?」
この段階で、嫌な悪寒が足元から全身を駆け巡った。
――ここしばらく兄はとても機嫌が良さそうだったことを思い出す。
それはカサンドラ奪還作戦について、ある程度の道筋が示されたからだ。
異世界に還ってしまったカサンドラを呼び戻すため、皆で協力しようと言うところで初めて前向きな展望が示されたのだ。
勿論アレクも嬉しい。
彼女と再び会える日を待っている。
その気持ちは、兄に負けずとも劣らないくらい強いと自負しているのだ。
「何故何の前触れもなく、古の魔物…悪魔が復活したのか。
『聖女計画』が何であるか、そして…
お前が置かれていた苦しい立場の話も、全てな」
「…え? えええ?」
驚きのあまり、自分の目玉が飛び出るかと思った。
そんな話を侯爵にするなんて、何も聞いていない。
これは間違いなくアーサーの判断、要するにスタンドプレーじゃないかと頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
――兄様ぁぁぁ!?
これだけ実の兄に詰め寄って、肩を掴んで揺すりたい衝動にかられたのは初めてだ。
クラウスの前で脂汗を流しながら、何とか平静を保っているものの…
「キャシーはもういない。
…それは、理解せざるを得ない話だ」
「ええと…その、姉上は…」
「その上で、お前に聞きたい。
お前も、あの娘に帰ってきて欲しいのか?
…あの娘を、カサンドラ・レンドールとして受け容れることに、何に違和感も抱かないのか?
曲がりなりにも、お前とは姉弟の関係だっただろう」
「……。」
アレクは観念した。
綺麗な言葉を並べても、クラウスの事は騙せない。
「正直に言えば…僕は今まで、姉上のことに、さほど興味がありませんでした。
あまり、親しみやすい女性ではなかったですし。
仕える家の総領姫だ…という意識しかなかったんです」
血の繋がった兄とは違い、他人だ。
そして彼女は決して優しい人ではなく、高慢な態度をとることも多く、アレクも何度も呆れたことがある。
彼女の目付け役として王都の別邸に同行することになったときも、面倒だなという想いしかなかったのだ。
「それは何回も強制的に逆行させられる世界の中でも、特に変わることはなかったです。
彼女も僕の事を、生意気な子どもだと思っていたでしょう。
態度から、節々に感じていました。
家族であって、家族ではない。
好きではないし、嫌いでもない。
僕達の関係は、ずっとそうでした」
今となっては懐かしい、昔のカサンドラ。
不器用な性格であったことは間違いないだろうが、他人に対する配慮が素で足りない人間だったことは覚えている。
彼女は、この世の中で大切なことを理解できなかった。
「いかに正しいことを言ったか」ではなく、「誰が言ったか」が重要な部分なのだということ。
言葉を聞いてもらえるよう、人に信頼されようとか好かれようとか、そういう意識に欠けていたのだ。
自分は侯爵令嬢、だから偉い。
そういうナチュラルな上から目線思考が、他人の心を曇らせていることに気付けない人だった。
別に悪人というわけではないけれど。
「…キャシーのことは、フローラに任せきりだったが…
甘やかす様子を放置した私にも責任があるだろうな…」
「でも姉上は、突然変わられました。
何ごとにも一生懸命で、優しくて…明るいし、面白い人になりましたよね」
あの感情をどう表現したらいいのか分からないが、アレクにとってカサンドラはあまり好ましくない相手から、興味深い対象という立ち位置に変わっていた。
彼女だけが、繰り返される世界の中で異質な存在だったのだ。
「僕にとっては、姉上は救世主のような存在です。
あの人にまた会いたいと思います。
それに…
僕は先日、シリウスさんの話を聞いて、大きな衝撃を受けました。
あの何も考えていなさそうに見えた姉上が、あんなに兄様のことを想ってくれていただなんて知りませんでした!
自分の存在を消されてでも、救世主を呼び寄せた――
『知らない誰か』に全てを委ねる選択をするくらい、愛情の深い人だったなんて、想像もしていなかったんです」
兄は、確かに美形だと思う。
傍から見れば、王子の中の王子だし、姉がキャーキャーとミーハーに騒いでいた姿は何度も目撃している。
それで相手にされなくて落ち込んで…というのを、嫌と言うほど見てきたのだ。
そんな彼女が、兄を救うために自分を犠牲にする覚悟があったなんて、思いもしなかった…
「この一年以上一緒に過ごしてきた『姉上』は、異様なほど王子の事が好きでした!
それしか考えていないのかという程、狂ったとしか思えない様子だったのです。
…あれは…今までの姉上の想いが、今でも繋がっているからなんだって、やっと納得出来ました。
その想いがあったから、姉上は世界まで救ってみせたんです。
僕は、凄いと思いました。
僕には素晴らしい姉が二人いる…そんな錯覚をおぼえてしまうほどです。
侯爵にとっては、納得できない部分が多い。それは理解しています。
…僕にとっては、昔の姉上も今の姉上も繋がっていて、同じにしか思えないです。
幼い頃の記憶を共有し、過去の話題も感情も知っていて、どうして「姉上じゃない」なんて思えるでしょうか。
根っこは同じなんじゃないかってシリウスさんも言ってましたけど、僕もそうだと思います。
だから…戻って来て欲しい。
僕の姉上は、過去と今、全てをひっくるめたあの人しかいないんです。
だから…だから侯爵が姉上を、「娘じゃない」なんて思って欲しくない」
それは自分のワガママだと思っている。
クラウスにとって、今のカサンドラは娘ではない存在で、だから死んでしまった、もういない、という表現になってしまった。
だがそれが嫌なのだ。
「姉上は侯爵のことを、当たり前ですが、何の迷いもなくお父さんとして慕っていました。
王子のために協力してくれると言った侯爵のこと、どれだけ姉上は頼りにしていたでしょう。
侯爵。
貴方にとって、僕達が探してる姉上は『本物』ではないかもしれません。
でも…姉上にとっては、侯爵がお父さんですよ。
少なくとも、この世界では侯爵だけがお父さんなんですよ。
娘じゃないなんて、言われたら…
姉上が、可哀想です」
何だかこの一年半の短い期間のことが、走馬灯のようにザーッと流れていく。
どれもアレクにとって、色のついた幸せな思い出なのだ。
クラウスは、ただ黙って話を聞くだけだ。
相槌もなく、表情に変化もない。
アレクの握りしめた拳に、じんわり汗が滲んだ。
壁掛けの時計が、ボーン、と音を立てた。
一度、二度、三度…
「正直に言えば、まだ腑に落ちない感情は残っている。
…だが、フローラやアレクはそう思うのだな…
分かった。
一度に色々な事情を知って、感情が昂ってしまったかも知れない。
後で、王子に謝罪に伺おう」
一体兄は何を言われてしまったんだろう、とアレクの心中は穏やかではなかった。
アレク以上に、アーサーにとっての『カサンドラ』は今のカサンドラだし。
過去のカサンドラの事を知らない兄が、もしかして変なことを言ってしまったのではないかと思うと、胃がチクチク痛んだ。
だから一緒に話した方が良いと前々から相談していたのに…
今更ここにいない兄に抗議したところでどうにもならないが。
兄があそこまで、誰かのことで前が見えなくなることがあるなんて、俄かには信じがたい。
恋愛の力はすごいと言うか、世界さえも動かし救う原動力。
侮れないものだな、と改めて思った。
「まぁ、その話はもう良い。
今回お前を呼んだのは、他の理由だからな」
「えっ、姉上の話、別件だったんです?」
執務用の椅子に腰掛け、全く表情を変えないクラウス。
一旦クラウスから視線を外し、もう一度しっかりと見返す。
やっぱり彼は無表情だった。
「実は…陛下に招集を受けたのだが」
本当の血の繋がった父の話が出るとは思っていなかったので、再び緊張感を持ってクラウスに向き直る。
「その席で宰相職に就くよう命じられてしまってな」
「クラウス侯爵が宰相に?
…確かに…今の現状を考えると…でも、いきなりレンドール侯爵が宰相になるのは…」
「エルディムの跡継ぎにやらせればいいだろうと、一旦辞したのだけどな。
どうにも、断り切れる気がしない」
普通に年月が経っていたとしたら、シリウスは次期宰相候補筆頭だったし、その順番が早く回って来ただけなのだが…
彼は今はそれどころではないと思う。
「中央はまだ混迷していますからねぇ。
できれば執政の経験豊富な方の方が、陛下も心強いでしょう」
「私の実務経験と言うよりは、『女神の父親』であることの方が、意味があるような雰囲気だったがな。
――かなり強い要請のため、辞退するのも難しそうだ。
下手をしたら勅命を出されかねない。
恐らく私は中央で宰相職をおしつけ…いや、任されることになるのだろう」
「侯爵が宰相に…って、すごい事態ですね?
驚きました」
「ああ、全く。
王都に足を踏み入れてからと言うもの、気の休まる暇もない」
娘は女神扱いされ、行方不明のままだわ
娘の居場所が分かったと思ったら異世界にいると言われるわ
その娘は実は本物の娘ではないと聞かされるわ
おまけに『聖女計画』の話まで全部打ち明けられるわ
国王陛下からの宰相職をぶん投げつけられるわ――
クラウスにとってはさぞ感情が追いつかない事態だと推測できる。
今も口をヘの字に結んで表情なく淡々としているのが、すごいなと思ってしまう。
「でも、シリウスさんが無理なら、誰を据えるかでかなり揉めそうです。
現在国民から女神扱いされている姉上の親、しかも王子の義父になる予定だったと考えたら、妥当なご指名ですね?」
他の貴族を宰相に置くのも、人選がかなり難航しそうだ。
そこでクラウスならば誰からも喜んで迎えてもらえるだろうし。
そもそも国王は、ずっとクラウスを中央に呼びたがっていたのだ。
三家の包囲網がなくなった今になって、その願いが叶うというのも皮肉な話である。
「そこで、アレク。
私の代わりに、レンドール領を任せたぞ」
「はっ?」
「何、お前には元々レンドールを継いでもらう予定だった。
それが数年、早くなっただけだ。
驚くことでもないだろう」
「早すぎますよ!僕はまだ学園に入学もしていませんよ?」
「この状況下だ、仕方あるまいて。
領地を空けるわけにもいかない。
私は次の宰相…エリックの長男がその位に着くまで、王都に留まることになる。
その間、レンドールは任せたぞ。
お前は優秀だ、飲み込みも早い、人望もある。
習うより慣れろの精神で、上手くやってくれると信じているぞ」
大抵のことは家令に聞けばどうとでもなる、とクラウスは突き放す。
「…えっ…」
本来であれば絶対にあり得ないような采配だ。
三家の当主が「いない」状態で新しい秩序を創り出すため、国王も考えて動いているのだろうな。
何だか、色んなことが動き出していて落ち着かない。
しかも自分がレンドールに戻ることになるなんて、不思議と考えもしないことだった。
※
もし、
クラウスは一体、どんな反応を示すんだろう。
カサンドラを受け入れるのか、突き放すのか?
――どうか、皆にとって『幸せ』な瞬間であって欲しい。
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