31 : シリウス (Summon)
アーサーの姿を探すため、その日シリウスは学園内を歩き回っていた。
真っ先に生徒会室の扉を開けたが、誰もいない。
衛兵の話によると、王子は学園内に入ったままだと言うし。
この広い学園の中で、相手の居場所が分からないことは本気で面倒だと思う。
この時間には誰がどの場所にいるはずだ、という、明確な区切りがある学園生活が懐かしい。
アーサーは普段、ジェイクを護衛要員にして、結構自由に出かけている。
だが今日は単身学園に足を踏み入れたらしいが、一体何のために…
今日は午後から例の召喚魔法研究の件を具体的に進めるため、話をすることになっていた。カサンドラ関係のことは学園の中で行ってきたので、その延長線という感じだ。
彼女のことは重要機密――トップシークレット扱いなのだから、できるだけ外部と接触のない場所であり、安全な場所であることが望ましい。
だがしかし、講義のない閉鎖された学園内は、いざ人探しを行うとなると広すぎる…
心当たりの場所を一頻り探し終えた後、シリウスはドッと徒労感に襲われた。
彼のことだから危険な行動はしていないと思うものの、姿が見えないと不安になる。
アーサーはカサンドラのことになると、どんな突拍子もないことをしてもおかしくない…と分かっているからだ。
もしやと思って保健室を覗いたが、そこにもいない。
丁度中庭を挟んだ向かいの廊下に生徒会室が見え、一周回って戻って来たのか…と、一層疲れが押し寄せていた。
「…一度、休憩するか」
そう決めて、扉のドアノブに手をかざした瞬間。
突然、ぞわっと背筋が震えた。
まだ夜には早い時間だと言うのに、この一室からどんよりと影った、黒い靄のようなものが無限に湧き出てる幻覚が見えた。
…非日常な生活もすっかり日常になったと思っていたが…
疲れているのだろうか、と部屋の中に入った。
「…アーサー!?
お前…さっきまでどこに行っていたんだ、探したぞ」
シリウスは、生徒会室の奥の席に座り込む、アーサーの姿を二度見、三度見してしまう。
一体何があったのか。
「どうしたんだ、気分が悪いのか?
それなら一刻も早く横に…」
「………ダメだった」
彼は両肘の机の上に置き、祈るような姿勢――その組んだ手に額を押し付け、沈鬱な雰囲気を醸し出しているのである。
「アーサー。私にはお前が何を言いたいのか分からん。
説明を求めてもいいか」
ここまで究極に落ち込む彼を見るのも、珍しい。
カサンドラがいなくなってからも落ち込む日々だったのだろうが、少なくとも人の目があるところでは不安を押し殺して気丈に振る舞っていたからだ。
しかも数日前に、カサンドラのことで大きく話が前進したおかげで、彼はとても喜んでいるように見えたのだ。今更そんなに全身全霊をかけて落ち込むことなどあるまい…と思っていたのだけど。
「クラウス侯に…キャシーを連れ戻すべきではないと…
強く言われてしまったよ」
「レンドール侯爵に?」
「…私は……どうしたら…」
レンドール侯爵がカサンドラを連れ戻さない方が良いなど、普通に考えたら言うはずがない。
数日前と比べて、まるで天国と地獄と呼べるような落差を体現するアーサー。
「わかった、話を聴かせてもらおう。
…その前に何か飲み物が欲しいのだが…」
アーサーの姿を探し彷徨い、喉はカラカラだ。
しかもいつの間にか最初に確認したはずの生徒会室で発見――かなり脱力してしまった。
飲み物を、と言った瞬間生徒会室の中に無言が訪れる。
ラルフでもいてくれれば紅茶の一杯でも淹れてくれただろうが、生憎慣れていない自分とアーサーしかここにはいない。
「…水でも飲むか…」
紅茶やコーヒーは淹れられないが、グラスに水を注ぐくらいはできるだろう。
喉の渇きを潤すにはそれで十分だ。
「…キャシーの淹れてくれたコーヒーが飲みたい」
「……無茶言うな。」
拗ねているのか、何なのか。
アーサーの呟きに、ただただ戸惑うシリウスだった。
※
「…で、一体何が?」
シリウスは苦々しい表情で、対面に座るアーサーを眺める。
つい昨日までは、かなり上機嫌だった記憶があるのだが…
この一日で一体何が起こったのか。クラウス侯に会ったとは言っていたし、それが原因だと思うのだが…
「クラウス侯に、キャシーのことを話したんだ。
…全部。
今まであったことも…」
はぁ、とアーサーは肩を落として俯いている。
完全に闇を纏っている姿に、シリウスはとりあえず相槌をうちながら話を聞き出すことしか出来ない。言いたいことや聞きたいことは、山ほどあったけれど。
「キャシーを連れ戻すために、彼女がいるだろう世界を見つけ出す。
再び彼女をこの世界に召喚すれば良いと、単純に考えていたんだ。
今は会えないけれど、また会えるという期待が抑えられなかった。
…だから、クラウス侯にも…喜んで欲しかったんだ」
「実際に話をしたら、カサンドラを連れ戻さなくていいと言われてしまった、と?」
「ああ…考えたら、当たり前のことだ。
私の知っているキャシーは、キャシーでしかない。
でも…クラウス侯がキャシーと呼ぶ人物は、もう…いないのだから」
「その辺りはかなり繊細でデリケートな話だろう。
アレクと同席して話をする予定だったのでは?」
シリウスにとっても、アーサーの行動は寝耳に水だ。
自分だって、クラウス侯の反応は想像がつく。
だからこそ、同じ「過去のカサンドラ」を知っていながらも、今のカサンドラを姉として受け容れることができたアレクがキーパーソンに他ならない。
アレクがいてくれたら、クラウス侯ももう少し穏やかな反応だったのではないかと思う。
カサンドラ自身も、この世界に来て戸惑っていたと言うし。
それならクラウス侯にとって、過去の記憶だけを持つ、カサンドラの姿をしたダレカという認識になってもしょうがない。
クラウス侯にとってはどういう状況でもショックだろうが、ソフトランディングはできたはず。
「浮かれていたんだ。
キャシーにまた会えるかもしれないと思うと、嬉しくて。
…クラウス侯にも、喜んで欲しかった…
私が無思慮だったせいで、あの人を悲しませてしまっただけだった。
挙句の果てに、キャシーは向こうの世界に帰ってしまったのだから、こちら側の世界に巻き込むべきではないと強く戒められてしまったよ。
キャシーがこちらの世界に、皆の力で強制的に召喚されてしまったことは、大きな事故で…二度も彼女の意志を無視して、巻き込むべきではない。
ああ、そうだ。
侯爵が言うことは全て正しく、私には何も言えなかった。
――キャシーの帰還を望むのは、私のワガママだと気づいてしまったんだ」
どちら側の立場かによって、見える景色も心象も違う。
アレクのように、毎日の暮らしの中で彼女の変化に自然に馴染んでいった場合とは違い、侯爵は入学後にカサンドラに会った回数は数度もないだろうと思われる。
そんな状況で、「お嬢さんを連れ戻します」なんて宣言されたら、混乱も相俟ってバッサリ拒絶されても仕方がないと思う。
アーサーは本来、他人の立場や気持ちを良く考える性格なのだけど。
今回ばかりは、思い余って先走り、大きな壁に突き当たってしまったのだろう。
「ごめん、シリウス。
折角これから話が進んでいくはずだったのに。
でもキャシーを連れて戻ってはいけない、それがワガママだと言われてしまった以上。
私はその研究を進めてもいいのか、悩んでしまって…
でも、希望が見えたのに、今更…」
暗闇の中でやっと見えた光明が、かき消えてしまった。
アーサーの鬱々とした表情の理由に納得がいくと同時に、シリウスも憮然とした顔で頬杖をつく。
確かに、カサンドラをこの世界に連れてくる…というのは、自分たちにとってごく自然の形だと疑うこともなかった。
だがクラウス侯の言うことは、親としては至極最もな話なのだろう。
自分達は、学園に入学当時からのカサンドラしか知らない。本当の彼女には、会った事が無いのだ。この差はあまりにも大きい。
「だが、お前はカサンドラを諦めるつもりはないのだろう?」
「そんなこと、考えたくもない。
ただ、自分のワガママだと断定されてしまって、私の選択がキャシーのためになっていないかもしれないと思うと怖いよ。
キャシーがいるのは、違う世界だ。
向こうでどんな風に過ごしているのかな。
召喚された先の、私達のことなど、忘れてしまっているのかな…想像するだけで、心が粉々になりそうだ」
「そうか…侯爵の指摘する通り、無理矢理、召喚魔法でこちらに引き寄せるというのはいささか乱暴かもしれないな」
解決策はあるのだろうか、とシリウスは少し考え込んだ。
とりあえず、クラウスの心の傷はシリウスに癒すことはできない。
アレクという、家族の支えが必要なのだと思う。
いくらこちらが言葉を尽くしたところで、結局…過去の自分達が、カサンドラを追い詰め殺したようなものだ。
快くこちらと話をしてくれるなど思えない。
だからと言って、このままカサンドラを諦めると言うのも難しい。
「…ふむ」
アーサーがこちらに、縋るような視線を向けてきた。
先日までの生気に満ち溢れた彼の姿がどこにも見えない、だから脳内はフル回転状態だった。
「私達は彼女を召喚魔法でこちらに連れてくるという絵図をイメージしていたが、確かにクラウス侯の言う通りの状況になってしまう。
では…彼女に帰還の意志があるなら、問題ないのだな?」
「キャシーの居場所も、何をしているのかも分からないのに、彼女の意志を尊重するなんて…猶更無理だよ。
あまりにも非現実的だ」
「それなら彼女を見つけた後――帰って来て欲しいと頼む他ないのでは?」
「…彼女の意志を…どう確認すればいいんだろうね。
もしこちらの願いが伝わったとして、どうやって彼女はこの世界に来ればいいのかな」
「カサンドラが「くぐれる」空間を作ればいけるか?
召喚魔法自体、世界と世界を一瞬繋ぎ合わせることで、こちらに呼びこむ…強制的に手元に引き寄せるものだ…
…あちらから飛び込めるような、次元の裂け目――『入り口』を作ってみせるのは?
そこまでお膳立てをすれば、彼女の『意志』は確認できる」
パッと思いついた事だが、果たして可能なのだろうか。
召喚魔法という技術が確立しているのだ。世界を繋ぐ道を作るくらい、頑張ればできそうな気もする。
聖女の奇跡を合わせて考えれば、何とかなるか?
「ごめん、シリウス。何か具体的にイメージさせてくれないか」
「そうだな…廊下を挟んで、空間が二つあるとしよう。
廊下の向こうに、カサンドラがいる。
しかし廊下には不透明で不定形なゲル状の泥のような物質が詰まっているわけだ、互いに認識もできない。
召喚魔法は、とりあえずその廊下の中から部屋の向こうに手を伸ばし入れ、彼女の腕を掴み――こちらに引っ張りこむというもの。乱暴に言えば、な」
「そんな例えが来るとは思わなかった」
「イメージだからな、あくまでも。
私は、その廊下にある物質を無理矢理押し広げたまま、向こうの空間と空間を繋ぐ道を創るつもりだ。通常、泥を掻き分けてもそれらはすぐ元の状態に戻ろうとするだろう。
私達は開けた穴を彼女がくぐれるよう、全力で保持。
カサンドラが、私達の作った
実際にはどういう光景が広がるのかは分からない。
ただ、彼女が望めば来れる、という場に整えらればいいのだ。
強制的にこちらに連れ込むという方法では、クラウスもアーサーも納得できない。
仮にカサンドラが帰還したとしても、どこか蟠りが残ってしまうはずだ。
多少面倒な手順を踏むことになろうが、そっちの方が良いに決まっている。
「時空と言う泥を掻き分け、こちらへ来る道を作る…か。
…無茶なことを言うね、シリウス。
そんな魔法、私は聞いたことがない」
「聞いたこともない魔法だから、研究し甲斐がある。
もしこの技術が確立できれば――この世界の姿が変わるかもしれないな」
原理的には、空間転移に近い。
空間を繋げて、自分の意志で行き来できるようになれば…
大陸の端っこから端っこまで、一瞬で行き来できる手段を手に入れるも同じことだ。
汎用性のある技術になるかは分からないが、魔法史に残る偉大な功績として語り継がれることは間違いない。
「…もし、キャシーが還ってこなかったら」
断られる余地を残してしまった事で不安が生まれる。
絶対に呼び寄せると意気込み、でもこの想いが別世界にいる彼女に届かなかったら。
考えるだけで、身が竦むことだろう。
「大丈夫だ、カサンドラに限って、お前の呼びかけに応えないわけがない」
「…向こうの世界での彼女の人生を、私のワガママで壊してもいいのだろうか?」
「アーサー…お前は、目の前にいる私を見て、よくもそんなことが言えるものだな」
天井を仰ぎ、大きく嘆息をついてしまう。
「シリウス?」
「お前は、一番ワガママを言って良い立場の人間だ。
…それを叶えるのが、私達の役目だということも分かっていないのだな」
もしも――今回、別の方法が思いつかなかったら、クラウス侯がどう言おうが自分たちは彼女を見つけ出し、ここに呼び寄せる選択をしただろう。
三つ子の要望でもあるわけだし。
何が何でも、それを叶えるのが自分の役目だと思っている。
…できる限りアーサーの意に沿いたいから、回りくどい方法を考えていると言うだけで。
「随分、難しい内容になってしまったね。
でも君には既に、何らかの構想があるのだろう?
実現できるのか、未知数だけど…
その方向で、進めてもらっていいかな?」
シリウスは困ったように微笑む、アーサーを視界に入れる。
いつも彼はこうだ。
人の目や意見を気にして、
今回は事情を全て把握できているから、彼の意志が分かるだけ。
「…――それは、命令か?」
アーサーは少し、瞑目した後。
ゆっくりと蒼い双眸を開き、大きく頷いた。
「ああ、そうだ。
私はキャシーに、自分の意志でこの世界を選んでほしい…!
侯爵にも、皆にも納得してもらえる形で彼女を迎えたい。
そうと分かる形で、彼女をこの世界に呼んでくれ、シリウス」
ははは、冷静に聞いたら、とんだ無茶な命令ではないか。
異世界の女神を召喚するのだって、前代未聞の大掛かりな召喚の儀式が必要だっただろうに。
自分で言ったこととはいえ、オプションが随分と重なってしまったな。
…難しい。
だから、やりがいはある。
「――
※
「とは言ったものの、私たちが生きている間に、そんな魔法が実現可能か不安だよ。
…特に…世界さえ隔てた個人を探し出す魔法なんて、一体どうやって見つけるつもりなのかな? シリウス」
「ああ、その件についてはちょっとしたアテがあってな」
「アテ?」
「砂漠国家カーマインの事は知ってるだろう?」
「……え、『あの』カーマイン?」
アーサーは驚き、声を詰まらせ微妙な表情になった。
気持ちは、分かる。
「正確には、ハレムと奴隷の国、カーマインだな」
「…あの国に行ったことあるのはジェイクだけだろう?
帰ってきた後、疲れた顔してたのは知ってる」
「――だが面白いことも言っていただろう?
あの国では、奴隷の首輪と呼ばれる魔法道具が存在するそうだ」
シリウスは、トントン、と自身の首を指先でつついた。
奴隷売買が合法化された旧世代的な砂漠国家は、その奴隷管理のため、奴隷の位置を把握、追跡できる魔法道具を使っているのだとか。
実物を調査することさえ出来れば、今回の件に使える技術が手に入る可能性がある。
問題は、カーマインはレンドールの更に南に位置する大河を挟み、全く別の文化圏。
行き来も殆どない国ということか。
「自国の技術を他国に易々と教えてくれるかな…?
国交もないのに」
「多分、アイツが何とかしてくるだろう。
…親戚がいるらしいしな」
アーサーのためであり――
同様にリゼのためでもある、何とか調達してきてくれるに違いない。
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