30 : クラウス (Pride)



 自分の物言いは、かなり大人げなかったんじゃないか?

 クラウスにだって、その自覚はあった。


 だが王子の話を聞いた後、クラウスの心中を充たしたのは度し難い程の遣る瀬無さだ。


 娘が行方不明になったと聞いて驚き、その行方に見当がついたと言われて喜び…

 だが、その娘は既に「存在していない」と真実を聞かされて、穏やかでいられるわけがなかった。


 王子のカサンドラへの想いは分かっているつもりだ。

 だけど自分はそこまで聖人君子にはなれない。


 いくら王子を救おうが、世界を救おうが…

 もう、娘はいないのだ。


 あの時自分と話をしていたのは、娘ではない、別の人格だったのだと思うと…

 何も無い虚空に向かって叫びだしたいほど、昇華しきれないモヤモヤした黒い感情が浮かんでくるのだ。


 自分の娘とは言えない、別の世界の女性をこの世界に呼び戻すだって?


 もうやめてくれ、沢山だ!


 怒って良いのか、悲しいんで良いのか。

 元々表情が豊かな性状ではないが、一層仏頂面になって屋敷へ戻っている。

 レンドールの別邸は大きな被害を受けていたものの、急ぎの作業によってほぼ元の姿に戻りかけていた。

 だが、驚くべき速さで再建されたこと自体、クラウスの指示ではない。


 このレンドール家が、『女神様』の家だという話が街中に流布された結果、王城よりも先にこの別邸が使用可能な状況に復旧したという。

 誰も命じたわけでもないのに、多くの人が無償で建て直しに協力してくれたと聞いて、クラウスも、同行した妻のフローラも唖然としたものだ。


 この王都にやってきてからと言うもの、「女神様の親だ」なんてわけのわからない視線を浴びて困惑していた。

 ようやく、その謎が解けてスッキリした。

 そのスッキリさと引き換えに、娘を真実の意味で失ってしまったようなものだが。


 過ぎてしまったことはしょうがない。

 時間は…もう、巻き戻らないのだ。


「お帰りなさいませ」


 屋敷に着いて帽子をとると、玄関まで妻が出迎えてくれた。

 彼女はいつも穏やかに微笑んでいる、まさに貴族の奥様、という品の良い女性であった。

 差し出がましいこともせず、贅沢をするわけでもなく。

 常に家族の事を想い、考えて動いてくれる。


「…ああ。

 そっちはどうだった、フローラ」


「とても楽しい一時を過ごせました。

 …いえ、どちらかというと、薄気味が悪いような気がしましたわ」


「そうだろうな、何せ私達は『女神様の親』らしい」


 はぁ、とクラウスは肩を落とした。

 今日はこのレンドールの別邸に、何人かの貴族の奥様方が集って会合を開いたという話だ。

 今まで地方貴族の田舎者などと侮られ、殆ど声もかからなかったものだが…

 環境が変わり過ぎていて、全く慣れない。


 いきなり、あの一件以来周囲からとんでもなく持ち上げられるようになった。


 ハッキリ言って、不気味だ。

 理由が分からなかったので、フローラと二人で首を捻っていたものだが…

 いざ答え合わせをされると、憮然とした貌にならざるを得ない。


「女神…そうですね、皆様おかしな事を仰られておりました。

 私達はそんな大層な存在の親になったことなどありませんのに…

 皆様が仰ることを否定するのも失礼な気がして、尋ねることができませんでした」


「…フローラ」


「何でしょう。

 ああ、もしかしてキャシーの行方がお分かりに?」


 キラキラと期待の眼差しを向ける妻を前に、一瞬言葉に詰まった。


 彼女もまた、カサンドラの親。

 この真実を伝えないままなのは余りにも不誠実というものだろう。

 朗報を期待する妻にこんな話をしていいのか…

 クラウスはしばらく迷った。


 逡巡した後、フローラにも王子の語ってくれた、不都合な真実を告げることに決める。

 多分、この気持ちを共有できるのは…世界の中で、妻一人だと確信が持てるから。

 他の人に話したって、絶対に分かってもらえない。


 世界を救ったなんて凄いと称賛されようが、何の意味もない話なのだから。


「今から話すことは、他言無用だ。

 覚悟して、聞いて欲しい」


 ただならぬ雰囲気を感じ、彼女は翡翠の双眸を何度も瞬かせる。

 カサンドラと同じ色の瞳の中に、口を「へ」の次に曲げた自分の顔が映り込んでいた。


「ああ…やはりキャシーは」


 彼女が行方不明になったと聞いて、もう一月以上経過した。

 とても生きてはいないだろう。

 しかし親として、躯を見るまでは信じたくない、とお互い口に出さずとも悲壮な想いを抱いていたのだ。



「それがな…

 とんでもない話を先程、王子から聞かされたのだ」



 クラウスは、魔法という分野にとんと疎い。

 信仰心も、殆ど持ってない。

 だから彼女の話を伝える時は、懐疑的ながら装飾のない、簡略化した話になってしまった。

 ちゃんと正しく妻に伝えられているかあまり自信はなかったが…

 フローラは傍に佇み、静かに相槌をうちながらクラウスの話を聞き洩らさないよう耳を傾けていてくれた。


 要は、王子を助けるために娘は犠牲になったのだ。

 今まで自分たちが娘だと思って接していた彼女は、決して自分達の娘ではなかった…!

 そのことさえ伝われば、もう十分だと説明を端折ってしまった部分があっただろう。


「……まぁ…そういうことでしたの…」


 頬に手をあて、フローラは静かにそう呟いた。

 こうなってしまった現状を、一緒に嘆いてくれるだろうか。

 自分達に出来ることは、娘の死を悼むことだけ…



「まぁ、キャシー! 素晴らしいわ、何と立派に…!

 あなた、良かったですわね、あの子の願いが叶ったのです、これ以上喜ばしいことがあるでしょうか」


「…はぁ?」


 突然感極まったように、両手を組んで嬉しそうに微笑んでいるのだ。

 全くわけがわからずクラウスは中途半端に口を開けたまま、微動だにできなかった。


「どうしてそのような思考になるのか分からない。

 もう、キャシーはどこにもいないんだぞ」


「まぁ、嫌ですわ、あなたと言う人は。

 …あの子は、キャシーですよ」


「そりゃあ、見た目はそうだろうが」


 彼女は確かに過去の娘の記憶を全て持っていただろう。

 だが、記憶があったところで、本人である…とは言えないのではないか。

 全く見知らぬ他人が、娘の体の中で記憶を引き継いで使っていたのかと思うと、一層モヤモヤした気持ちになってしまう。


「見た目だけ?

 あの子の王子への気持ちは、変わっていませんわ。

 いいえ、この二年近く、ずっと強く成長していったものでしょう?

 …あの子が王子の事を話すときの顔は、いつも同じ。

 あれだけ彼の事を想っている人間は、キャシー以外におりませんわ」


「は?」


 また、目が点になってしまった。

 おかしい。

 彼女は普通の貴族の令嬢だったはずだ。

 地方の…という枕詞こそつくが、一般的な貴族の娘。


 今回の件で初めて存在を知った、『恋愛脳』とでも呼ぶべき感情回路などなかったはずだ。

 

 自身の妻の、見た事の無い一面を目の当たりにして、クラウスは背中に汗を流していた。


「あの子は、自分の好きな人を助けるために、自分に出来ることを見事に成し遂げたのでしょう?

 それは素晴らしいことです、誇らしいことだと思いません?」


 仮に、娘その人ではないかもしれないけれど。

 その想いが人格の奥深いところで根付き、それが花開いたというのなら。

 あの娘を、キャシーだと認めると言うのか?

 クラウスには良く理解できない理屈だった。


「確かにあの子は、本質的な意味ではキャシーではないのかもしれません。

 でも私達との思い出を共有し、過去を共にした記憶を持っているのです。

 キャシーは私達を置いて、どこかに行ったわけではないでしょう?


 …いいえ、言葉遊びは、あなたはお嫌いですよね。

 もっと端的に申し上げますわ」


 ふふふ、と妻は小首を傾け、ニコッと微笑んだ。


「私だって、同じことをしますもの」


「…フローラ?」


「もし今、貴方が、過去の王子と同じような辛い目に遭っていたなら。

 私も、同じように行動したに違いありません。

 …あの子の気持ち、分かりますよ。


 ですから、私はキャシーの願いが叶って嬉しいのです」


 クラウスは完全に思考が固まって、ニコニコ微笑む妻を凝視した。

 自分達は昔馴染みとは言え、政略結婚だ。

 家の事情で結婚しただけで、カサンドラの言っていたような愛だの恋だのというむず痒い感覚は理解しづらいものであった。


 フローラもそれを承知で、クラウスが求めるレベルでレンドール侯爵家の夫人という難しい役柄をこなしてくれていたものだと…

 今になってそんな風に内情をぶちまけられても、どう反応して良いのか分からない。


「私は…ただ親の決めた結婚相手だっただろう。

 そこまで言われると、違和感が大きい。

 無理をしてキャシーの行動を肯定しなくてもいいのだぞ」




「……キャシーを産んだ時。

 私は、二度と子どもを望めなくなってしまいましたね」

 


 この場で何を言い出すのか。

 そんな、二十年近く昔の、過ぎた昔の話を…?



「知っていましたよ。

 あなたが、男児がいないことを責められ、他の女性を勧められ続けていたこと」


「はぁ…そんなどうでもいい話…覚えておらんな」


 思い返せばそんな事もあったような気がする。

 重要なことではないので、おぼろげな記憶だが。


 押し掛けてくる叔父たちを、フローラから遠ざけるのが面倒だったこと…

 ぼんやりと記憶の端っこに浮かび上がる。


 クラウスはフローラと言う嫁がいるのに他所で子どもを作るなど面倒だったし、ごめん被る!と一切の話を断り続けていた。


 どう考えても後継ぎ問題が面倒になるし、そもそもクラウス自身に血統への拘りがない。

 レンドール家を支えてくれる優秀な男性をカサンドラにあてがえばいいだけの話だ。


 それも無理なら縁戚に家督なぞくれてやる、くらいの執着心のなさだったせいか。

 

 それに――


 クラウスも鬼じゃない。

 人間の心くらい持っている。


 子どもを望めなくなったフローラが目の前にいるのに、そんな申し出を受けるなど、傷ついている彼女の傷口に塩を塗りこむようなものではないか。

 レンドール家の総領娘の母として過ごすフローラに、そんな心理的負担を負わせるのは嫌だった。

 まぁ、結局は面倒を避けただけということに相違ないか。


「私のことを気遣って、不器用なりに色々気を配ってもらったことは、忘れません。

 そういう日々の積み重ねを経て、私も自然にそう思うようになったのです。


 あら、ご存じなかったのですね。

 …物語にあるような大きな出来事が無くたって、人は誰かを愛せますのよ?

 あなたを助けるために自分の身を投げ出せと言われたら、私は迷わずキャシーと同じように動いたことでしょう。


 …だから私はあの子を誇らしいと思うのです」



 そんな風に笑顔で言われてしまっては…クラウスも困ってしまう。

 一緒に娘のことを悲しむはずだったのに、逆に嫁が嬉しそうだなんてあまりにも想定外の反応ではないか。



「だ、だがキャシーは、他所様のお嬢さんを、無理矢理危険な目に遭わせてしまったのだぞ?

 今回はたまたま、幸運が働いて無事だっただけだ。

 聞けば聞くほど、奇跡のような危なっかしい賭けに、あの子は見知らぬ他人を巻き込んだ。

 あってはならないことだろう、フローラ」


 何故か自分の方がムキになってしまっていることに気付くが、何とも体全体がむず痒いような落ち着かないような、おかしな状態にクラウスも平静を保つのがやっと。

 フローラは、右の人差し指を頬にあて、「それはいけませんよねぇ」と宙に視線を馳せた。


「召喚魔法というもので、私達も向こうの世界に行くことができませんか?

 ほら、魔導士の方たちの力をお借りして…」


「フローラ?」


 自分の妻の名を、これほど立てつづけに連呼したことがあっただろうか。



「私たちが向こうの世界にお邪魔できるのなら、あちらの世界にいらっしゃる親御さんたちに謝りに伺いましょう!

 お嬢さんを危険な目に遭わせてしまって申し訳ないと」


「お前は何を言っているのだ…」


 もはや会話が異次元に向かっていると、クラウスは激しい頭痛を覚えた。

 王子の話を聞いていた時だって、こんなに酷い混乱状態に陥らなかったというのに!



「あら、当然のことでしょう?

 キャシーは私達の子どもですよ。

 子の過ちを親が責任をとらなくてどうするのですか?」


 過ち…。

 自分たちの娘がやらかしてしまった、「罪」。

 救世主となる人物を、この世界に呼びこんでしまった事…


「それに加えて、「お嬢さんを私達の世界に下さい」と、親御さんに頭を下げる必要があるかもしれませんね」


「おい、もうこれ以上他の世界の人間を、こちらの事情に巻き込むのは…」





「私があの子だったら…

 命を懸けて救った愛する人のところに、戻りたいです。

 きっと、こちらに戻りたくても戻れない状態なのだと思いますけど」




 一点の曇りなき眼を向けられる。


 クラウスも自分のこの胸を締めあげられるような哀しみは何だったのかと、唖然とする他ない。

 自分にとっては、王子から聞かされた顛末は最悪だと考えていたのに。


 妻にとっては全然そうじゃなかった。

 むしろ娘にこんなに共感して、誇らしいだなんて言葉が出るとは…


 これが男女間の感性の違いというものなのだろうか。

 しかし、フローラがこれほどまでに断言するのだ。

 こんなに勢いをつけて話す妻は初めて見た。


 カサンドラもそう思っているのか?…と、妙な説得力があって、疑義を差しはさむことができなかった。

 …本当に?そうか?


 でも妻は、カサンドラと同じ状況だったらここにまた戻りたいと言っている。

 …クラウスに会うために?


 まさか自分が妻にそれほど思い入れを持たれていただなんて、今まで全然知らなかったのだ。冷静な判断も、中々難しいものがある。


「ねぇ、あなた。

 確かに私達がキャシーと呼んでいた女の子は、もうどこにもいないのかもしれない。

 それは悲しいわ。

 でも、私はあの子の勇気と想いを否定したくないのです。

 それに…キャシーの記憶や、思い出を共有する「もう一人の娘」が私達にできたのですよ?

 …決して、悲しいだけではないと思いませんか?」




 感傷に浸るだけではない、彼女の前向きな発言にこれほど慰められるとは思っていなかった。

 いつも控えめで、大人しい女性だと思っていたのに。

 二十年近く共に過ごしてきたというのに、分からないものだ。


「それに私、あの子が一生懸命苦手なことも頑張る姿や、一途な姿を見るのが大好きでした。

 誰かをそこまでひたむきに想えるところは、流石私の娘ね…って」


 純粋な想いを至近距離から遠慮なくぶつけられている。


 …嫌な気持ちではないなと思ってしまう。


 と同時に、あれだけ王子に否定的な発言ばかりを突きつけていたことに、罪悪感を覚えたクラウス。


 過去、自分の息子のような扱いをした相手に対して、動揺のあまり酷いことを言ってしまったのではないかと後悔が過ぎる。

 …あそこまで、突き放すような言い方をしなくても良かったのではないか。


 一度は…自分の家族に等しいと思っていたはずの彼の傷ついた顔を思い出す。

 クラウスの心は、鉄柵の上に突き落とされたような痛みを感じて表情も歪んだ。



「それにしても、あの子の行方に見当がついたなんて朗報ですね。

 王子は、とてもお喜びだったでしょう?

 後は皆で協力して、召喚魔法を実現するだけですもの」





「いや…うん…? そう、だな…」

 



 そうだ、アーサーもすごく嬉しそうに報告してくれた。

 今のフローラと同じように、前向きな感情だったのだ。


 そんな自分の罰の悪そうな様子に気づいたのか、フローラはにっこりと微笑んだ。


「あなた? もしかして…

 王子に酷いことを言ってしまったのではありませんか?

 まさか、王子を責めてなど…いませんよね?


 ――キャシーは自分の意志で、彼を助けることを選んだのですよ?」



「……」


 どうだっただろう、分からない。

 クラウスだって、自分の感情を制御するのに手いっぱいだったのだから。


 だが視線を合わせないクラウスに対し、何か察したのであろう。

 フローラは更に一歩詰め寄る。


「王子は学園も卒業していない、子どもと言える年齢。

 第二の親とも慕うあなたから心無い事を言われては――泣いてしまいますよ?」


「いや、私は別に…」


「王子を悲しませたなどと、あの子が知ったら。

 どう思うのでしょうね?」


 鳥のさえずりのような綺麗な声で、連続で畳みかけてくるフローラ。


 クラウスはいつも笑顔がないから怖い、だの無表情だから近寄りがたいだの陰口を叩かれている。

 だけど…


 ニコニコ笑っている人だって、こんなに圧を発せるのだ。

 そのことを初めて知ったクラウスであった。


 

  




 クラウスは、痛みを発する額を掌で抑え、前髪をぐしゃっと掻き上げる。




 王子のために、全てを捧げたキャシーと

 その気持ちを継いで針の穴に糸を通すような奇跡を起こして、世界を救ったカサンドラと

 悪魔を倒す聖女に覚醒した三つ子の少女?









      …この世界の女は――こんなに強かったのか。










 ※







「キャシー…ぅ……」


 背中を向け、堪えきれず嗚咽を漏らすフローラの肩を抱き寄せる。




「私は……貴女の想いと勇気を、誇りに思います」



 まるで、自分に言い聞かせているように、フローラはそう呟いた。

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