29 : アーサー ( Selfishness)

 彼女は、別の世界にいる。

 世界の壁さえ乗り越えられれば、『カサンドラ』を、呼び戻すことができるかもしれない。



 アーサーは、その事実にしばらく高揚し、久しぶりに落ち着かなくなる。

 いい意味で、未来への展望が示されたと感じたからだ。


 皆の前で平静を装うのがやっとであったが、彼女がそのまま別の場所にいるのだと思うと、飛び上がりたいくらい嬉しかった。


 また、カサンドラに逢いたい。

 もう一度出逢えたら、二度と彼女を離さない。



 ※


 アレクから教えてもらっていた通り、王都にクラウス侯が訪れ、しばらく滞在する予定らしい。


 そもそもクラウス侯爵は、父である国王に呼びだされた…という体だと言うが。


 やはりカサンドラの調査を行うために、復興半ばの王都に足を踏み入れたことは明白であった。


 アーサーにとって、今までクラウス侯とは、会うに会えない関係だったことが思い出される。


 カサンドラがいなくなってしまった本当の理由を自分達は知っている。

 だがそれをそのまま、行方が全く思い至らない状態で伝えると言うことは――


 クラウスを自分のように絶望させてしまうのではないか、と心が痛んだからだ。


 重要な人物であり、カサンドラの父親にこの一連の事件を隠し誤魔化すことはあまりにも不誠実。

 いつかは真実を伝えるべきなのだ。

 ただ、どう話を切り出したものかと、アーサーも悩んでいた。


 これまでカサンドラの行方に関して、楽観的な情報は一つもなかった。

 何かしらの自信を持って、カサンドラを連れ戻せる根拠もなかったわけだ。


 一縷の望みが目の前に見えたとなれば、クラウス侯へ詳細を話して協力を得られやすいと考えた。


 自分の娘が突然行方不明になって、かなり憔悴しているというクラウス。


 この情報を伝えることで、心を安らげて欲しいと思った。

 きっと彼は喜んでくれるだろう。

 願わくば、カサンドラ…女神召喚のために、クラウスの助力を得られたらいい。


 クラウスに真実を未だに伝えていないことに、罪悪感があった。

 その不義理を果たせるチャンスが来たと、アーサーは彼との面会を申し出たのである。



 以前の話通りならアレクが同席することになっていたが、今回の件は自分が責任をもってクラウスに報告しようと決めたのだ。

 カサンドラのことは、自分が主体で動きたい、と強く望んでいる。

 その上、ただクラウス侯を絶望させるだけではない、「連れ戻せる可能性」を指し示すことができるのだ。一刻も早く、彼に安心して欲しかった。


 学園の応接室を借り、クラウス侯を迎え入れる。

 王族と貴族が対面するには不適切な場所かもしれないが、王城の設備の多くが使用不能な現状なので、しょうがない。

 アーサーにとっても学園内の光景が、馴染んでいて落ちついた。


 カサンドラとの思い出の多くは、この学園内で起こったことだから。


 カサンドラは、クラウスにとってとても大切な娘である。

 アーサーは今までの言動でよく理解しているつもりだった。




  …そう、つもり、「だった。」




「キャシーの件で、私に話があるとお伺いしましたが」


 久しぶりに顔を合わせたクラウスは、かなり疲弊しているように見受けられた。

 それでも身だしなみは整い、足取りもしっかりとしている。


 でもこれでクラウスも全てを知る仲間、大きな味方になってくれる。

 逸る心を宥めながら、アーサーはクラウスに対して一礼した。


「はい、キャシ…カサンドラ嬢の行方に、ようやく見当がつきました」


 するとクラウスは、細い目を丸く見開き、こちらに掴みかからん勢いで声を張り上げた。


「なんですと? それは本当なのですか、王子!

 キャシーは…キャシーは今どこにいるのです?」


 あの事件以降、カサンドラが行方不明状態で、半ば諦めかけていたのだろう。

 ここにきて、ようやく生気を取り戻したように顔に赤みが差す。


「説明することが難しいのです。

 少なくとも、常識的な範疇で理解することが困難な状況と言いますか…」


「王子、覚悟はできております。

 あの渦中の後、ここまで見つからないのであれば、生きていると考えること自体厳しいと。

 理解しておりますよ。どうか教えてくれませんか」


 アーサーにとってクラウスの存在は特別なものだ。

 血縁関係があるわけでもないが、頼もしく優しく、器の大きな男性…

 ある意味で、自分の理想とする父親の姿だと思っている。

 そんな彼に、自分の息子扱いされたことは、一生忘れられないだろう。

 たとえあの一度だけだったとしても、アーサーは確かに救われたのだ。


「では、これから詳細を説明します。

 どうか、全て本当のことであるとご理解ください。

 …クラウス侯もあの日、カサンドラ嬢の姿を最後に見たと思いますので、納得していただくのに十分な条件は揃っていると思います。


 ――彼女は、女神でした。

 私達は、彼女をこの世界に必ず連れ戻します」


 カサンドラに教えてもらった、この世界の真実。

 そして彼女がいかにして自分たちを救ってくれたのか。


 もしも平時に伝えていたとしても、一笑に伏されるような話であると自分でも思う。

 だがそれがこの世界の、真実。


 リナを始め、世界の全員が繰り返す世界から解放され、未来へ向かうことができるのだ。

 アーサーはできるだけ順を追ってクラウスに説明を試みた。


 クラウスは大きく動揺し、驚きを隠せない様子だったが…

 決して騙す意図はないと理解してくれたのか、最後まで聞いてくれたのだ。

 馬鹿にしているのか、と不信感を抱くこともなく。

 狼狽しつつも、真剣に聞いてくれたように見えた。


「…ということで、今現在私達はキャシ…カサンドラ嬢に再び会えるよう、召喚魔法の研究を進めているところです。

 可能であれば、侯爵もこの件についてお力添えをいただきたく…」



「王子」


 身を乗り出す勢いでクラウスに話しかけるアーサーに対し、クラウスはそっと掌を向けて来た。

 彼はこめかみを指先でゆっくりほぐしながら、何度も重たい吐息を落とす。

 そして、数度首を横に振った。

 その沈鬱な表情は――今までアーサーも見た事がないもので、思わず絶句してしまう。


 彼は姿勢を正し、視界の真ん中にアーサーを捕らえている。

 アーサーの体温が、緊張のため少し上がる。

 喉を鳴らし、義父になるはずの男性…クラウスの次の言葉を待っていた。








「私は…娘を二度失ったような気持ちです。

 ――あの娘に会うことを、諦めてはいかがですか」









 世界が崩れる音がした気がした。


 まさか、カサンドラの父がそんな反応を示すなんて、全く思いもよらなかったことだからだ。喜んでくれると思った。


 娘の功績の大きさに、受け容れることが難しいかもしれないけれど。

 娘に会いたくない父がどこにいる。


 余りにも予想外の言葉に、アーサーは激しく動揺してしまう。


「何故…でしょう。

 カサンドラ嬢は、女神としてこの世界を救ってくれ…

 私も、彼女に戻って来て欲しいと心から願っています。

 侯爵、私の話が作り話だと…?」



「いいえ、貴方の言うことは真実なのでしょう。

 閉ざされた三年…というのは立証は難しいでしょうがね。

 『聖女計画』なるものがあったことに、疑義を挟むこともありません。

 エリックならそういう思考に行きつくでしょうな、ダグラスも、レイモンドも。

 ええ、彼らならやりかねないと思いますよ」


 できるだけ感情がのらないよう、敢えて淡々と話しているように感じる。

 早鐘のように、ドクドクと心臓の鼓動が速くなり、身体を内側から打ち付けていく。



「『カサンドラ』を女神扱いするのも、私には違和感しかありません。


 ――ああ、そんな顔をしないでください。

 あなたにとって、あの娘がどう映っているのかは理解できますよ。

 ですが…無謬の存在などないのです、王子」



「仰る意味が、分かりかねます。

 私の説明で不十分でしたら、後ほどアレクから話を聞いてもらえれば…」



「貴方の話を自分なりに解釈した結果の結論です。

 幾度同じ説明を受けても、私の考えは変わらないでしょう」



 クラウスは寂しそうに、頭を振った。

 沈黙が二人の空間を支配する。


 アーサーは混乱して、何が起こっているのか全然わからなかった。

 何故、娘を愛しているはずの父が、カサンドラを呼び戻すことに反対意見なんだろう。



「お伺いした限り、娘のキャシーは大きな罪を犯したそうではありませんか。

 私も言葉がありませんな」


「――?」


 彼女は常に、正しい存在であった。

 罪などあるはずがない。


「王子。

 貴方を救うため、キャシーは奇跡を起こしたと言いました。

 外側の世界から、事情を知る人間を召喚したのだ。

 彼女の魂を取り込み、一体化してしまった…と」


 シリウスの説明は面はゆいながらも説得力があると思った。

 ここにカサンドラがいないのは、二人の存在が分離できないほど混ざり合ってしまって、記憶や体を明け渡してしまったせい。

 召喚の効果が切れてしまうと同時に、身体ごと全部向こうの世界に持っていかれてしまったということ。




「外側の世界の人間を、巻き込んでしまったこと。

 キャシーが呼んだのでしょう?

 その救世主とやらが自らの意志で望んでこの世界に飛び込んできたとでも?」


 膝の上に置いている掌を、固く握りしめる。

 何故か、震えが止まらなかった。


「それは…少なからず、救いたいという気持ちがあったのではないかと…」


「あの娘は、さぞや戸惑ったでしょうね。

 今となっては、彼女の変貌ぶりや緊張感に納得できます。

 可哀想に…

 何も分からない世界に引き摺りこまれ、誰にも相談する相手もなく、一人で足掻いていたのです。たまたま…今回、彼女の強い意志と幸運に恵まれ、全てが上手くいったのでしょう。


 よく知らない人間の記憶や外殻かわを被らされ、貴方を救うために動くしかなかった状況に置かれていたことに違いはないのです。

 キャシーは、見も知らぬ他人を、自分の我儘を叶えるために――犠牲にしていたかもしれないのです」


「キャシーは皆を、この世界の多くを救ってくれました!

 それを…そんなとらえ方…」


 クラウスの言いようは、とてもひねくれた捉え方のように感じた。

 でも、確かに言われてみればギクリと冷や水を浴びせられたように、事実が浮かび上がる。


 彼女は…結局のところ、カサンドラの想いによって巻き込まれただけの人格なのだ、と。


「想い人を救うためなら、誰かの存在を危険に晒し、手前勝手に全てを託し、委ねても良いと仰るのですか。

 貴方を救いたいという望みのために、別世界の第三者を利用しても良いのですか。

 多くを救うためなら、見知らぬ人間一人を危険に晒しても良いのでしょうか。

 彼女は、下手をすれば死んでいましたよ。

 私の娘キャシーが、危うく他所様のお嬢さんを死なせてしまうところだったのです。


 …その考え方は、利己的ではないのですか?

 被害を受ける人間が異世界から呼んだ一人の人間で済むなら――許されるものなのでしょうか?

 エリックほどとは申しませんが、私には根本が同じように感じます」


 そんな言葉を聞きたかったわけではなかった。

 クラウスに…少しでも朗報ととらえてもらいたいだけだったのだ。

 何も考えられず、ただ、呆然とその場に座り込むしかない。


「そりゃあ、王子。分かりますよ。

 貴方にとって、あの娘は大切な人でしょう。

 皆にとって、かけがえのない存在なのでしょう。

 あなた達を救ったのです、当然です。

 世界を救ったのは事実です、素晴らしいことなのでしょう。

 お気持ちは十分に理解できます。


 ですが…」


 クラウスは、顔を伏せた。

 肩を小刻みに震わせる。

 混み上げてくる想いに、必死で蓋をするかのような苦悶の表情で。



「キャシーは…貴方を救えず、世界も救えず。

 不出来な娘だったのかもしれません、身の程を知らない不見識な娘だったとも分かっています。決して多くから慕われるような女性ではなかったでしょう。

 貴方にとっての救いにはなれなかった。


 でも、貴方たちには、分からない。

 幼い頃から共に生き、傍にいた大切な娘だったんです。

 あの子は…もういない。

 今別世界にいるというカサンドラは、私の娘の『人格』キャシーなのですかな?」


 アーサーやアレク、そして三つ子たちにとってはカサンドラは特別な存在だ。

 彼女の努力があってこその、現実だと思っている。

 アーサーが幸せを感じることが出来たのも、全てカサンドラのお陰だ。


 一年以上共に過ごし、重ねて来た記憶が自分達の絆を強いものにした。

 彼女こそが、カサンドラなのだ…! と。


 でも…クラウスにとっては、そうじゃない。

 今まで一緒に過ごしていたはずの娘がいつの間にか記憶を引き継いだ「救世主」になっていた。

 女神扱いされたとしても、嬉しいことであるはずがない。



「キャシーが生きている場所が…

 貴方がたの仰る、閉ざされた世界にしか存在しなかったのなら。

 私にとって…その世界だけが、本物だったんです」




 クラウスは長い長い吐息を落とす。

 困ったような、苦い顔だ。


「王子、貴方を救った救世主には、彼女を待っている世界があると思いませんか?

 親がいて、家族がいて、友人がいて…

 もし私は自分が、「救世主」の親だったらと思うと、胸が締め付けられます。

 他所の世界を助けるために、自分の娘が危険な世界へ引きずり込まれてしまう、それは…紛れもない――悪夢ですよ」


 見えているものが違う。

 立場が違えば、捕らえ方も変わってくる。


「貴方が悪いわけではありません。

 何度も言いますが、この感覚の差異は埋めようがないのです。


 別世界にいるのだろう、親御さんの気持ちを考えると苦しくてしょうがない。

 これは私が人の親だから思うこと。


 見知らぬ他人を巻き込んだというキャシーの判断が…

 正しいことだったと、親としてはとても言えません。

 ご理解下さい。


 今一度尋ねます。

 何故、彼女をもう一度この世界に呼び戻したいのですか?」



「私は…!キャシーに…キャシーの事が」








    「貴方の ワガママですよね?」




 

 違う、と言いたかった。


 なのに、色々なことが明るみになった今、改めて思い知らされる。


 カサンドラは自分が何者か分からないといつも不安に思っていただろう。

 ずっと、困っていたはずだ。


 自分を好きになってくれて、助けてくれて、嬉しい、ありがとう――

 大切だし、彼女のことを愛している。

 他に何も要らない。


 そう思うのは、アーサーの立場だからだ。


 ループと言うらしい現象から抜け出せて、リナやアレク、自分を救ってくれたのは間違いのない事実だから。



「キャシーは、自分の存在を犠牲にして、貴方を助けることを決めたのですね。

 それも一つの生き方、人生の閉じ方なのでしょう。

 でも、あまりにも…私には、残酷すぎる話なのです。


 『キャシーを返して欲しい』…と望んでも、もう叶わないのでしょう。


 それが無理なら、あちらの世界に…

 ようやく帰還できたのだろう彼女を、そっとしておいてはやれませんか」




「クラウス侯。

 私は、キャシーに会いたいのです」




 彼女と離れ離れになってしまって、そのことばかりが頭を占めている。

 どんな存在なのだろうが、彼女は自分にとって唯一無二の女性、他の誰も代わりになんてなれない。


 彼女の想いを、愛情を…疑いもしないし、自分は幸せだったのだ。

 でもクラウス侯はそれを自分の我儘だと窘めてくる。

 どうしてこんなことになったのか。


 そして、彼の言葉はクリティカルにアーサーの心を突き刺していく。


 クラウスは立ち上がる。

 背を向け、ゆっくりと扉に向かって足を踏み出す。

 靴底の音が、耳に届く。



「今後も…彼女の捜索に、協力致します。

 この先も、ずっと。

 もしもこの王国内のどこかに…彼女がいるのであれば、見つけ出し、保護しなければいけません。

 ――私の責任において」

 


 カサンドラを再びこの世界に喚ぶことを、ここまで反対されるなんて思わなかった。


 でも、彼女が向こうの世界で、生きて来た人生があるのだろうと言われればアーサーは何も言えない。

 だって、知らないから。

 考えたくもなかったから。



 指摘されるまでもなく、ここへ来る前の彼女もまた、別の世界で誰かの家族で、友人で、大切な人だったのだ。

 今まで、彼女が傍にいたから気付かなかった。

 彼女が帰りたいと言い出すことなど一度もなかったから、疑問にさえ思わなかったこと。







 アーサーは、知らない間に、顔を覆って俯いていた。

 もう流すことはないと思っていた涙が、後から後から頬を伝うのだ。






 ただ、彼女に会いたいだけなのに。



 だがカサンドラの実の父に、「我儘だ」と否定されてしまっては

 この気持ちの行き場がない。



 クラウス侯の物言わぬ背中が、自分を責めているようにも感じる。

 被害妄想かもしれない。でも…


 …アーサーを助けるために、『カサンドラ』は死んでしまったようなものだ。

 少なくとも、クラウスにそのように受け取られてしまった。

 



 ――ああ、自分は…彼女に会えるかもしれないということに浮かれ。

   クラウスの立場を、深く考えることが出来なかったのだ。

 

 




         ただ 隣にいない、君を想う

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