28 : ジェイク (Give my all)
あまりにも突然のシリウスの話。
荒唐無稽のようでありながらも、そうかもしれない、と納得できるものがあった。
今現在、この世界のどこにもいないカサンドラはどこに行ったのか?
呼びこんだ外界の人間が元の場所に還った時、共にこの世界を後にしたのだろうと考えられる――
当初の『依頼』どおり世界やアーサーを救い、もはや分離できないカサンドラという存在まるごと、外の世界に帰ってしまったというわけだ。
召喚されたモノが、役目を果たした後元の世界に戻ること自体は自然の流れとも言える。
アーサーを救うという望みを叶えるため外部から呼ばれた彼女は、望みの成就と共に元の世界に戻された。
別世界にいるカサンドラに再びこの世界に来てもらうには、次元の壁を越えたとてつもない大掛かりな召喚魔法が必要になるだろう。
それもそれで、大変なことには違いない。
しかしこの地上でカサンドラという一人の女性を草の根を分けて探し出そうとして、今まで結果が全く出なかった。
古来より伝わる召喚魔法について調べ上げるという目的に変わるなら、気持ち的に楽だ。
他の世界に存在するカサンドラを見つけるため、どんな秘術が必要なのか…
次に世界と言う壁を破ってゲートを構築する術式?は本当に人間が使えるものなのか?
などなど、方法論の話が上がってくる。
正確には召喚魔法とは似ているようで、若干異なる理屈らしいが。
ジェイクにはさっぱりだった。
以前封印魔法を研究するために多くの時間を皆で費やしていたが、内容の大幅変更になったということだ。
人の身で、世界の壁を越える――雲を掴むような話、そうかもしれない。
だが当てどもない人探しと違い、連れ戻すための努力の方向性が決まっていることは、皆の心を大きく落ち着かせてくれたのだ。
カサンドラのことについて話した後、こんなに穏やかな雰囲気で終わったことは初めてだったかもしれない。
アーサーも納得してくれた。
別世界へのアプローチという壁の高さに、常人なら「無理だ」と絶望するかもしれない。
だが、ここには女神の祝福を受けたとでも言うべき、三人の聖女が揃っているのだ。奇跡を起こせると判断するのに、十分すぎる話ではないか。
問題点があるとするなら、クローレス王国において、召喚魔法まわりの研究があまり進んでいないということくらいか。
これからの課題は――他国にまで手を広げ資料や古文書を紐解き、召喚魔法の秘術を完成させること。情報収集、探索、研究。
世界の壁さえ、今の自分たちには越えられるんだと、あの場にいた皆は当たり前のように信じていたのだ。
※
皆揃っての話し合いが終わった後、ジェイクはシリウスに呼び止められて別室で待機させられた。
「なんだ、ラルフ。お前も呼ばれたのか?」
「ああ、何の用だろうね。
…カサンドラ関係の事なら、さっきの場所で話せば良いと思うのだけど」
「カサンドラのことじゃない、別件の相談とか?」
「さっきの今で、別の話をされる方が怖いのだけど」
ラルフは首を捻りながら、シリウスの到着を待った。
彼は意味のないことをするような人間ではない。
少なくとも、他には聞かせられない内密な話があるのだろう。
皆目見当もつかなかったのだが。
「すまない、待たせたな」
シリウスがいつも通りの澄ました顔で、部屋に入ってくる。
そして――厳重に鍵をかけた。
「ラルフ、遮音結界を重ねがけしてくれ」
「…そこまで…人に聞かせられない話なのか?」
「あまり外聞の良い話ではないのでな」
シリウスの手のひらから霧のように生み出された透明な青い光が、部屋の中心から半円球状に広がる。かつての封印魔法の研究の際に生み出された、完全な防音効果を持った魔法だ。
副次物的な効果の方が、案外現実で役に立つと言う場面は多い。
ラルフも合わせて、その青い透明な壁の上に自身の結界魔法を重ねた。
もしこの内側で大きな争いが起きて、誰かが大声で助けを呼んでも、決して他の場所の人間が感知できないだろう。
「ここまでするってことは、やべー話っぽいな」
さっきの会議で和らいだはずの緊張が、再び足元に広がっていく。
ジェイクは若干動揺しつつ、シリウスに促されるまま椅子に座った。
小さめな椅子に座ると、大柄のジェイクを支えるのが難しいのか、キィと家具が悲鳴を上げた。
「で、お前達との密談…というわけではないが。
私たちも、『患い事』があるだろう?
それについて、話をしないか、ということだ」
「患い事? 後は召喚魔法の研究成果次第と言ったところだろう?
さっきの話で、ようやく光明を見い出せたと僕はホッとしたんだけど」
「勝負はこれからだ。
召喚魔法に関して、今まで以上になりふり構わず全力で取り掛かる必要があるぞ」
まるで今まで自分が全力ではなかったとでも言わんばかりの物言いに、ジェイクも眉を顰める。これでもカサンドラには感謝しているし、彼女にはこの世界に還って来て欲しいと願っている一人だ。
学園に入学する前までの状況ならともかく、自分達は彼女の献身によって救われた側なのだから。
「ハッキリ言うぞ。
このままだと、彼女達との関係は進展しない…どころか、泡沫のように消えてしまう可能性もあり得る。危機感を覚えたことはないか?」
一瞬シリウスが何を言っているのか分からなかった。
彼女達というのは、やはり三つ子の事だろうか。
関係とは…要は、恋愛関係?
シリウスが真っ向から、何の衒いも照れもなく踏み込んでくるものだから、流石にジェイクも面食らった。
こんな事態で何を冗談を…と笑いかけたが、冷静に考えるとサーっと血の気が引いた。
「僕達がアーサーに対し遠慮してしまう心理的なハードルと言うわけではなく…
リタ達の性格的に、という話だね?」
「そう、彼女達は私たちより余程強い想いでカサンドラの姿を求めている」
「俺達はいつか、カサンドラのことを諦めることができるかもしれない。
でもあいつらには…絶対無理だよな」
言葉にするとかなり酷薄な印象になってしまうだろうか。
でもそれは自分たちにとって、偽らざる本音なのだ。
ジェイクにとって、カサンドラは重要人物で親友の婚約者。帰って来て欲しい相手であることに間違いはない。
…でもジェイクが今この世で最も大切で愛している相手はリゼだけだ。
目の前にいるリゼとの時間の方が、現実問題、重要な話とも言える。
比べることではないと分かっているが、自分の心に嘘はつけない。
リゼのためなら命を捨てる覚悟はあるが、それ以外の人間のために命を懸けることは自分には出来ないのだ。
アーサーのことは気になるけれど、やはりリゼのことを一番に考えたい。
彼女との関係をもっと進展させたいと想ってしまう。
今の自分の感情や行動の起点は、リゼなのだ。
そこは世界が滅んでも変わらない。
シリウスだってラルフだって、同じようなもんだろうよ。
だがそう思っているのは…恐らく、こちら側だけなのだ。
カサンドラがいないこの状況で、リゼ達との関係が今まで通りに行くとは考えづらい。
彼女は間違いなくカサンドラのことを想い病んで、ジェイクに構っている場合じゃないんじゃないか…と、気付いてしまった。
好きでいてくれていることに間違いはない。
だけど彼女達の性格上、遠慮が入って今までの関係ではいられないかもしれない。
――衝撃がジェイクを襲った。
「俺らのライバルって…カサンドラだったんか…」
ジェイクは遠い目をして、肩を落とした。
「何を今さら」
ハッ、とシリウスは皮肉気に笑う。
眼鏡を角度を指先で直し、自嘲気味に言ったのだ。
「カサンドラのために聖女の力が覚醒した、その事実を忘れていないか?」
ジェイクもラルフも額に掌をあてて、押し黙る。
これほど説得力のある証拠がどこにあろうか。
いや、リゼの自分への想いを疑っているわけでは全く無いが、別の次元でカサンドラが特別。その壁が高すぎる…うん、知ってた。
愛…か。
それは恋人への想いでもあり、友愛も広義の中には含まれている概念だ。
ここにいる相手なら張り合うこともできようが、彼女はこの世界にいないという話じゃないか。これじゃあ、永遠に勝てやしない。
リゼは真面目で一本気な性格だ。
それは今までの彼女の辿った軌跡を思い返せばよくわかる。
その想いの矢印の先が、カサンドラにのみ向かってしまったら…
きっと他のことなんて目に入らなくなる。
もしかしたら、ジェイクでさえ…?
ぞっと背筋が震えた。
ジェイクはリゼの懊悩も分かっていたつもりだった。
今まで世界の強制力やら何やらで、ジェイクの事を好きになったんじゃないか…?
そう悩むのも当然の事だからだ。
彼女の不安を少しでも和らげたいと思って、リゼに自分の想いや決意を伝えたわけで。
でも…どれだけこちらが想っていようと、「今はそんな気分じゃない…」とカサンドラ救出のことだけに一直線になったら。
想像したくない未来が待っているような気がする。
今の内に関係を進めたいと思ったところで、アーサーを差し置いて結婚なんかできるわけがない。
結婚式なんて以ての外だ。
彼女を自分のものだと公式に宣言することさえ、今のままでは不可能。
改めて、アーサーのためにも自分達のためにも、カサンドラを再び呼び戻すというのはマスト事項だと背筋が冷えた。
「…ということで、ラルフもジェイクも、召喚関連の資料の捜索を遠方まで探す手筈を整えておいてくれ」
シリウスは、微かに笑った。
「後で抜けがけした、などとお前達に恨まれたくないからな」
「へっ?」
何言ってんだコイツ。
胡乱な目で不敵に笑うシリウスを見てしまった。
何が何だか、とハテナマークを頭上に浮かべるジェイクを後目に、ラルフは真剣な表情で考え事を始める。
「…カサンドラ救出に、大きく貢献したら――どれだけリタに喜んでもらえるかな?」
ラルフの言葉に、ジェイクは靄がかかっていた景色が一瞬で晴れた気がした。
リゼのためなら何でもできる。
彼女に頼られる…ということも、今後あるかどうかさえ分からない。
もし、自分がこの件で貢献できたのだとすれば、それは彼女の望みを叶えることと同じではないか。
カサンドラ自身のため…というには、余りにも利己的、邪な思考回路だと思う。
そりゃあ、こんな話は他の人達に聞かせることはできない。
カサンドラが戻ってきて欲しいというのは本心のことだが、自分達は真の意味でアーサーやアレクのような気持ちにはなれないのだ。
思い入れと言う見えない部分で、やっぱり違う。
こればかりは綺麗な言葉を並べたって、覆しようのない事実だ。
そもそも、命を懸けても何を捨ててでもカサンドラを救って再び会いたいです!と公言できるほどカサンドラへの思い入れがあったら、その段階でアーサーに後ろから刺されてもおかしくないわ。
彼女を探し当て、連れ戻すことはリゼのためでもあり、自分のため。
先に進むため動くしかない。
「一応、魔法関係には一家言あるからな。主に私が主導して研究が行われた結果、カサンドラを取り戻す事に成功したら…
リナに喜んでもらえることだけは、間違いない」
リタだって、とにかくカサンドラが戻ってくれば何だっていい!という旨の発言をしている。
彼女達にとって、譲れない願いなのだ。
それをシリウス一人が叶えたとなれば…
「「「ありがとうございます、シリウス様!」」」
と、今までの経緯をすっ飛ばして三つ子が感謝する光景が想像できて、それだけで心に深い傷を負ってしまったのだ。
もしこの件で何もできなかったら、無意識下でも、三つ子から無能の烙印をおされてしまいかねない。
「後でフェアじゃないと文句を言われても困る」
「お前にばかり良い顔はさせらんねー!
俺も他の国の親戚当たってみる、任せろ!
カーマインにも何人か知り合いいるし」
血縁関係にはあまり興味はなかったけど、こういう時には役に立つものだ。
何の関係もない状態で、そちらの国で研究されている細心の魔法技術を教えてください!
と言ったところで、見せてもらうのは無理だ。
ここは伝手を辿らせてもらおうじゃないか。
「危機感を持った方が良い。
彼女達は、カサンドラがいないと…心から笑えないはずだ」
ここまで彼女達に慕われているカサンドラに、嫉妬さえしてしまいそうだ。
同じ土俵で語れる存在ではないとは言え、それがちょっと悔しい。
「この研究自体、順調に進んだとしてどれくらいかかるものなのかな、シリウス」
「確かに、理論さえどうにかなったら、すぐに発動できるのか?」
この状態が数か月続いているが、見えたゴールへの距離が分からず、ジェイクは焦ってしまう。
「さぁ、三年、五年…召喚魔法には私も疎い、勉強のし直しだ」
「そんなに!」
シリウスでもそんなに判然としない状況なのかと驚愕し、ジェイクは目を剝きそうになった。
封印魔法の時は、一年以内で終わらせるぞと意気込んでいたような気がするのだが?
不得意分野の未知の技術となったら、そうまで先が見えないものなのか。
「ジェイク、それくらい待てるだろう?
少なくとも、皆同じ方向を向いている、結果はもっと早く出るものかもしれない。
…それに…アレクが耐えて来た期間を思えば、短いものだと思うけどね」
「そりゃあ…そうだけど」
何度も何度も、記憶を抱えたまま、閉ざされた世界で生きて来たアレク。
全てを忘れて白紙状態でやり直していた自分たちとは、ワケが違う。
あの少年の孤独さや過ごしてきた時間を思えば、数年くらいなんてことないんじゃないかと思えてくる。
終わりの見えない、牢獄で延々やり直しを強制されていたのだ。
自分だったらきっと心を病んでしまうだろう。
こんな奇跡を呼び寄せる力も残らなかったはずだ。
凄い根性だな、と改めて感じた。
※
――ゼロの状態からお前を口説く、とリゼに宣言した。
そしてその手段の中に、カサンドラを呼び戻すことも含まれるってわけか。
今、リゼは自分の傍にいる。
あんなことがあって尚、ジェイクのことを好きだと言ってくれるリゼには感謝しかない。
だが、この状況が継続すれば、その関係さえどうなるかわからない。
ジェイクだって、アーサーの手前やら何やらで、どうしたって関係の進展に踏み出せない。
――一刻も早く、カサンドラにこの世界に戻ってきて欲しい。切実だ。
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