27 : カサンドラ (Original Cassandra)
――彼女の名は、カサンドラ・レンドール。
聖女伝説息づくクローレス王国の南に位置する、レンドール地方を治める侯爵の総領娘。
折角念願かなって、憧れの王子の婚約者になれたというのに。
学園生活を三年過ごした後の結果に呆然としていた。
あまりにも酷いのではないか…と、彼女は自室で項垂れる。
何故か、学園から追い出されてしまった。
理由があまりにも横暴すぎると、カサンドラの頭が混乱状態だ。
確かに…自分は決して素晴らしい侯爵令嬢ではなかったかもしれない。
王子の婚約者という立場であるにも関わらず、常に周囲から侮られ、孤立させられていたのだ。
誰も自分の声に耳を貸してくれないし、常に針の筵状態だった。
あの特待生が、ラルフと幸せそうに過ごしている姿を見て、羨ましいと思った事は事実だ。
校舎内のいたるところで、こちらに対するあてつけのように、イチャイチャイチャイチャと!
自分はどんなに願っても、それが出来ないのが妬ましいという気持ちは確かにあった。
だが…彼女とラルフが付き合うというのは、ちょっと待て、おかしいんじゃない?
あり得ない、と彼女の中の常識が理不尽の渦に叩きこまれたのだ。
いくら可愛い少女だからと言って、ヴァイル家の夫人になることは到底考えられないことだ。ただの一般庶民の娘だぞ?
ラルフの今後において、今の状況は不都合な事態を呼び寄せるに違いないと思った。
もしも後ろ盾も何もない女性とラルフが結婚してしまったら、三家間のパワーバランスが崩れてしまうんじゃないか。
いずれこの国の王様になる王子にとっても、喜ばしくない事態だと思うのだ。
誰もかれもがラルフ達を祝福して認めてハッピーエンドなんてあるわけがない。
誰かが、彼らの目を覚ましてやらなければいけないと考えたのだ。
たとえ…書類上だけの、触れることさえかなわない婚約者だけど…
自分は王子が好きだ。
だから少しでも彼の役に立ちたいと思った。
親友の事を気遣っていて王子が忠告できないなら、自分がリナに対して現実を教えるしかない。
貴族社会の何たるかも弁えていない一般人に、ラルフの相手役なんて絶対にダメだ。
リナに釘を刺さないといけない、正面から事実を忠告しただけだ。
今の貴女の身分では、愛妾扱いが関の山。
今後一生涯、正妻に傅いて生きて行かなければいけない人生なのですよ?
よく考えなさい?
――貴女がこの先、傷つくだけなのです。
しかしその一件で、リナを泣かせてしまった。
そんなつもりは無かったのだ、でも聞きようによっては随分無礼な物言いだったかもしれない。一般人の感覚の持ち主には、辛いだろうと思って教えてあげただけなのに…
その光景が尾ひれ背びれをつけて、学園中に広まってしまった。
ああああ…わたくしがあの特待生を虐めた事に…っ!?
生徒会室で頭を抱えて途方に暮れていると、突然扉が開いて驚いた。
「だ、誰」
「カサンドラぁ!」
自分の誰何の声を掻き消すような怒声を浴び、頭がくらくらした。
カサンドラの元にやってきたのは、怒り心頭と言った様子のジェイクと、涼しい顔で相変わらず涼しい顔で何を考えているのか分からないシリウスだ。
「なんでお前は!ラルフのことを邪魔するんだよ!?」
「わたくしは!間違った事など、言っておりません!」
「正しいか正しくないか…決めるのはお前じゃねーんだよ!
折角…折角、アイツが救われたってのに…」
ジェイクは拳を握りしめ、殺気さえ孕んだ鋭い視線でこちらを射貫く。
その恐怖に、全身が竦んで言葉が出なくなった。
軍人に睨まれ、全身が金縛りに遭ったかのように動けないのだ。
怒りに身を任せてこちらに向かってきそうなジェイク。
彼の肩に、ポンッとシリウスは手を置いたのだ。
そして…黒曜石の冷たい双眸がカサンドラに向けられる。
「カサンドラ」
淡々としたシリウスの声に、心が冷えていく。
「どうやら出しゃばりが過ぎたようだな。
お前の居場所は、『ここ』にはない。
さようなら、だ。
…まぁ、お前にとっては、良かったんじゃないか」
訳の分からないことをシリウスが言い出す。
ここで、自分の運命は決まってしまったのだ。
…卒業パーティー当日。
大勢の前で、カサンドラは大勢の前で、まるで見せしめのように『断罪』された。
リナに対して嫌がらせを行った、数多の行為は王子の婚約者として相応しくない、と。
弁明は無意味だった。
カサンドラは、卒業式のその日に…学園を追放されたのだ。
王子は、どこにもいなかった。
最後の最後まで、カサンドラは婚約者とまともに言葉を交わさないまま、その関係は終わってしまったのである。
ただ…彼の事が好きだった。
一目惚れ状態だったことは自覚しているが、王子と結婚したいと騒いだらトントン拍子に話が進んで舞い上がっていたのだ。
彼が自分の存在を迷惑に思っているのだと気づいてしまって、途方に暮れた。
どうしたら彼と仲良くなれるのか、避けられず普通に接してもらえるのか分からなかった。
そもそも彼は三人の親友と言う鉄壁のガードで守られている。
カサンドラが彼と二人きりで話をするなど、とてもできる状態ではなかったのだ。
親友達に、良く思われていないし…
どれだけ侮られても笑われても、王子の婚約者だというだけで嬉しかった。
いつかは結婚できるのだから!
仲良くなるチャンスもあるはず…
しかしそんなカサンドラのよりどころも、学園での断罪騒ぎで蒸発して消えた。
当然王子との婚約も、これだけ三家の坊ちゃんと拗れてしまったら白紙になるに違いない。
この三年の学園生活で、カサンドラが得たものは何も無かった。
…いや…
「でも、王子と一緒の空間にいれた…」
クラスでも、生徒会でも、話は殆どできなかったけど。
ほぼ無視状態だったけど。
同じ場所に立っているだけで幸せだった。
あのリナという特待生のことを考えると、歯ぎしりをしたくなる。
ラルフと共に生きることがどれほど困難か、分かってない。
そんな想いをしなくてもいいよう、正しい関係に導いていたはずなのに。
自分が何を言っても、二人の絆は深まるばかりだった。
まるで…運命の赤い糸をぎゅっと縒って束ねて、結ばれたかのような強い想い。
自分の指先を見る。
どの指も、空っぽだ。
いつかこの薬指に、彼から贈られた指輪が填まるのだと、信じて疑っていなかった。
ああ…空虚だ。
レンドールに帰還することも憚られ、カサンドラはしばらく誰とも顔を合わせないように部屋に閉じこもっていた。
卒業パーティーで、リナとラルフは幸せいっぱいの顔で中央ホールで踊っていたに違いない。
自分は家の中で、一人ぼっち。とても惨めだと思った。
卒業してない…という扱いになるのだろう。それも最悪だ。
成績はよくなかったけど、自分なりに頑張ったのにな。
卒業できない貴族の令嬢なんて、お笑い草だ。
この家の家督を継ぐこともできない…自分は一体、どうなってしまうのだろう。
カサンドラが鬱々と塞ぎこんでいた、数日後のことだ。
突然、王都に『悪魔』が出現し、国中が大混乱に陥る事態が生じてしまった。
あまりにも突拍子もない現実離れした事態に、頭の整理が追い付かない。
ただただ、暗く染まる空を見上げていた。
そして…
「あ…」
頭の中に、濁流のように、記憶の濁流が押し寄せてきて蹲る。
それは今まで自分が数えきれないほど、経験してきた『学園生活』の記憶だ。
全く身に覚えのないはずのことまで、何故か体験したことのように思い出せる。
体に雷が落ちたかのような、ショックを受ける。
何、この記憶。
何度も何度も、同じ期間を繰り返し巡って来たような?
そんな馬鹿な、と自分の記憶を否定したかった。
でもね、でもね…
信じられないことに、思い出してしまった。
あの悪魔が…誰だったのかってことを。
「ああ…あああ…」
あの黒い影は…王子だって、カサンドラは知っている。
何度も何度も、彼が『聖女』によって倒されたことを覚えている。
経験したことなんてないはずなのに。
目の前の光景が既視感の塊で、呆然と立ち尽くすほかなかった。
これは、夢じゃない。
自分が王子の婚約者でなくなることは、しょうがない。
だけど…彼が悪魔になって倒されるなんて、我慢できない。
決して何か婚約者らしい関係があったわけじゃない。
だけど彼が時折見せる寂しそうな表情を、悲し気な笑顔を。
そして目が合うと、じっとこっちを見つめてくる蒼い瞳が…
彼が悪人なわけがない、何かの間違いだ。
心臓が締め付けられるように痛い。
カサンドラは地面に膝をついた。
ああ、まただ。
――わたくしは、
いつも過去を思い出すのは、この瞬間なのだ。
王子が悪魔と化し、多くの人を屠り、踏みにじり、完全に悪として聖女に打ち倒されるシーン。
幾度もこの光景をやり直し、その度に次はこうはならないとその都度決意した。
次こそは王子を救ってみせるのだ、と使命感に燃えていたのだ。
…そう、最初の内は…
カサンドラの決意をあざ笑うかのように、三年前に戻った自分の記憶は、全て真っ白に塗りつぶされてしまう。
何もかも終わった後に思い出しても遅いのに。
自分は王子を救えない。
どれだけ、このことを覚えておこうと思っても無理なのだ。
まるで神にあざ笑われるかのように、自分の記憶は砕け散る。
思い出す度、苦しくなった。
どうやっても、この記憶を持ってやり直すことができない。
それならいっそ、思い出さなければいいのに。
こんな苦しい現実を積み重ねるだけの人生など、望んでない。
自分に何かできるなんて思っていなかったけれど、あまりにも無力だった。
何故彼が殺されなければいけないのか。
この三年だけを何度も繰り返し体験させられるのか。
カサンドラにはちっともわからないのだ。
諦める?
嫌だ。
全てが終わって、また巻き戻るとき。
カサンドラはいつだって、往生際悪く、誰かに救いを求めていた。
誰か この閉ざされた世界から 王子を助けてください
あの方は、こんなことが出来る人じゃないんです。
何かの間違いなんです。
この三年、いや、その繰り返した何十もの学園生活の中
ずっとずっと、会話もできないけれど、
王子を見て来た自分だから確信をもって言えるのだ
「また…世界が、閉じていく…」
世界が、やり直しを求めてゆっくりと白き光に包まれていくのを、なすすべなく受け容れるしかできない。この光景、何度目だ?
ここに至るまで思い出せないなんて、何の冗談なんだ。
自分があまりにも無力過ぎて、もう涙も出てこない。
カサンドラも直ぐに、この記憶を失くしてしまう。
ならば、記憶を思い出して何になる。
何の役にも立ちやしないじゃないか。
やり直しの間隙の僅かな時間に、自分にできることなんてありはしないのに。
徒に心が傷つくだけだ。
白い世界に吸い込まれていくカサンドラは、誰かの声を聴いた気がした。
『王子を救ってあげるルートないんだよなぁ。
大減点だよ。
あ、そういえばDLCで王子ルートが追加されるかもって情報がどっかに……』
不意に、カサンドラの中に誰かの声が届いたのだ。
奇跡が起こった瞬間だろうか。
誰?
…何?
王子?救う?
…でぃー、える、しー?
何もかも分からなかったが、とにかくその声のする方に、カサンドラは追いすがった。
もしかしたら…
自分の知らない誰かが、王子を助けてくれるんじゃないかって、そう思った。
幾度も同じ三年を繰り返し、王子が倒されるごとに一斉に蘇って襲ってくる
過去の記憶がカサンドラの心をすりつぶしかけていたのかもしれない。
ただの一人の人格に、突然流し込まれる過去の体験。
しかも、その記憶を保持できるのは本当に僅かな時間だ。
自分には、王子を救う力も知恵もない
自分がまたこの記憶に翻弄されることがあるとすれば、
王子が悪魔として目覚めた時なのだ。
もう嫌だ。
何度も彼が殺される場面ばかり、記憶に重なっていく。
世界が巻き戻っていると知ってしまったことに、意味があるとするならば。
運命を打開するチャンスは、この僅かな間隙しか無い!
「タスケテ」
カサンドラは、淡い光の射す方に向かい、必死に手を伸ばした。
自分の手に、誰かの手が重なって見えた気がする。
この膨大なやり直しの世界の記憶は、いつも通り忘れてしまうだろう。
だけど、この身体と心は、過去に戻ってやり直すはず。
…全部、あげる。
だって自分じゃ、救えないのだもの。
これ以上繰り返すのは、嫌。
我儘で勝手なことだって分かってる、
でも誰にも頼れない
だから 、 どうか王子を助けてください。
ああ、でも…
この想いだけは、一緒に持っていって。
心の中にいさせて。
今までの人生、とても言える機会なんてなかったけど。
いつか伝えたかった言葉。
――王子、貴方が好き
※
カサンドラの魂は、自らが救世主として迎え入れた香織のそれに溶けて、ゆっくり沈んでいく。
身体も記憶も明け渡し、とうとう
でも、この想いだけはずっと、
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