26 : アレク (Third person)


 どうせこの日の集まりだって、以前と変わらず進展を感じられることはないだろう。


 いつの間にか姉――カサンドラがいないことが当たり前の世界になっていく。

 いくら探し求めても傍に彼女がいないという事実は大きく、嫌でもこの状態に慣れるのだ。


 次第に、世界が彼女を忘れていく。

 いなくなってしまったことを、誰もが諦め受容していく……

 そんな焦燥感に衝き動かされ、まだ数か月だ、という想いと。

 これ以上探しても、もうどうにもならないのではないかという諦観と。


 どうしようもない苛立ちが合わさって、アレクは身の置き場のない思いでこの場に集まっている。


 ただ、カサンドラのことを話し合うためとはいえ、普段あまり会わない面子が一堂に集まると言う機会は彼らにとってもホッと一息つける場所なのだろう。

 進展がない、と承知の上。一度も誰一人として席を空けることなく学園に集まっているという不思議な状態である。

 他の政に関わる話し合いでも、ここまでピッタリ顔を合わせて揃う事は珍しい。


 現状、何も進んでいない。

 彼女を捜索した範囲に印をつけ、そこに「いない」ということを改めて確認し合うだけの時間になっている。



 しかし、今日――事態が、大きく変わった。



 ※




 きっかけは、何気ない一言だ。

 皆、芳しくない表情で笑み一つなく真面目に席についているのだけど。


 突然、隣の席に座っているラルフが聴こえるか聴こえないか程度の、小さな声を上げた。

 それは彼自身、ずっと抱いていた疑念かもしれない。





  「そもそも――カサンドラとは一体、何者なのだろう」




 自分達が探しているのは、たった一人のカサンドラ・レンドールという女性である。

 アレクと共に過ごし、そしてこの一年このメンバーで思い出を分かち合っただろうカサンドラ。

 今更何を言っているのか、とアレクは困惑して小首を傾げた。


「ラルフさん、どうかしたんですか?

 姉上は姉上……としか僕は言えませんけど」


「彼女本人がかつて僕たちにしてくれた話を前提に考えるなら、彼女はカサンドラという人間なのは間違いない。

 彼女は異世界から召喚した『知識』『記憶』を知ってしまったタイミングがあったと言っていたね。そのお陰で、僕達はこの世界の真実を知ることができた。


 でも……

 アレク、君はとても大きな違和感を抱いたのではないかな?


 そのタイミングを境に、シリウスや僕、そしてジェイクが今まで聞き及んで知っていた”カサンドラ”の風評と全く違う存在になってしまったわけだから。


 ただ知識を知った、この世界の真実を知り得るきっかけがあったからと言って、人格まで変わるような劇的な変化は起こらない。

 まるっきり別人になったカサンドラ、彼女は一体誰なんだろうね」




「ええと……うーん、それは……

 確かに、僕はあの時姉上とお会いして、人が変わったようだ、と言った事は覚えていますけど」



 人が変わった。

 そう、あの日、カサンドラはとてもおかしかった。

 数時間前まで話していた人間とは全く違う価値観、思考様式をしていたように思う。

 人が変わったという表現しか出来ようがない、今までの記憶や体験、経験はそのままに――性格、物の視方、もっと踏み込めば”本質”がガラッと変わってしまった。

 それは記憶に触れた影響とは思えないくらい、劇的な変化だった。

 随所に姉らしさ、仕草や癖は感じたものの。




  確かに……あれでは、別人、だ。






「今更何言ってんだ?

 俺達が会ってたカサンドラって、要は異世界の人間に意識を乗っ取られてた状態だったってことだろ?」





 そこに一石を投じたのはジェイクの素朴な疑問であった。

 この認識の差、ズレに空気が僅かに軋んだ。





   カサンドラって、何? 誰?





 ――正確に言えば、カサンドラ本人でさえ己の存在について迷い、不安に思っていた。誰かが『何者だ』と断言できる存在ではなかった。



「乗っ取られていた……」



 ぽつり、と呟いたのはシリウスだ。

 彼が思考を深め、静かに瞑目を始める姿にアレクは何故かそわそわする。




 確かに……  

 確かにジェイクの表現は、引っ掛かるものの、言われてみれば否定できないものなのではないか。

 人が変わったようだ。


 いくら記憶や知識に触れたからと言って、あれでは”人格”のベースはアレクの知らない異世界の人間のものだ。

 もはやアレクの今まで接していた姉とは別人!


 家人や召使たちも口々にそう言った。

 今までのカサンドラとは違うと。





  ――異世界の人間の意識がカサンドラの中に入り込んで、その体や記憶を乗っ取って、一年間学生生活を過ごしていた。





 表現としてはこちらの方がピタッと当てはまるように思える。


 無意識にアレクや兄はその表現を避けていたのだとさえ、自覚する現実である。

 だってそれなら、今まで自分達が慕っていた人間はカサンドラじゃなかったって事になる。そう思うのは嫌だった。



 つい、視線を泳がせてアーサーの姿を視界にとらえる。

 彼もまた、難しい顔をして目を伏せていた。




 だが突然、沈黙を保っていたシリウスが声を漏らした。






「そうか。

 これなら、違和感に説明がつく。

 ……そうだな。


 ああ、それなら、カサンドラがどこへいるのかも……断言は難しくとも、強く推せるだろう」





「え?

 シリウス様、もしかしてカサンドラ様の居場所が分かったんです?

 というか私、今の話全然分かってないんですけど……?」 



 慌てるリタの戸惑いは、アレク達の代弁でもあったに違いない。

 ぽかんとした顔。


 今の頼りない、判然としないやりとりのどこに答えが導き出せる要素があったのか、さっぱりわからない。




「落ち着け。

 まぁ、これは今私が得心がいった仮説という枠を出ないものだがな。


 ……カサンドラが何者かという段階以前の問題で、私は今まで釈然としないモヤモヤした思いを抱いていた」



 淡々と、いつも通り。

 シリウスは自分の思考をまとめながら、静かに『言葉』にしていく。




「この世界を客観的に眺めると、ある特定の数字が浮かび上がる。


 主人公の三つ子。

 私達の関わる家の通称、御三家。

 閉ざされた三年間。


 ……この世界は三という数字に特別なこだわりでもあるのか、と言わんばかりにな」



 元々主人公が三人”選べる”ということに起因しているのならそれに合わせた世界になるのもおかしな話ではない。


 勿論、印象深い数字を言えと言われたら、アレクも三という数字を選ぶだろうが。



「ではこの世界の繰り返し現象に気づき、外界に救いを求めた人間は何人だ?

 リナ・フォスター。

 そしてアレクだ。

 二人?


 ここまで三という数字が深く関係している世界が、異世界から救世主を召喚、という事態には全くそれが無関係というのも据わりが悪いと感じないか?

 今思えば、私はそれが納得できなかったのだ。







       ……本当に、その二人だけだったのか、と」









       『タスケテ!』









 背筋がぞわっと戦慄いた。




 アレクとリナだけじゃない?

 他に、助けを求める人間がいた?



 であれば、もう、一人しかいないじゃないか。



「――姉上……ですか?」




 呆然としたアレクの言葉に、皆の視線が集まる。

 当然のことながら、それが事実がどうかなんて今は確かめようもない。

 ただのシリウスのこじつけに過ぎない、言葉遊びの延長線。

 でも。




   三人の、可能性……?





 閉ざされた世界だと 気づいた人間が もう一人……?





「ところで、ジェイク」


「な、なんだよ」


 いきなり鋭い声でシリウスに名を呼ばれ、彼の隣で顔を引きつらせていたジェイクが肩を大きく跳ね上げた。

 白い包帯で吊った腕が痛むのか、眉を顰める。



「もしお前の頭の中に、他人の意識が乗り移ろうとしたらどうする?

 いや、どう思う?」


「は!?

 そんな特殊な状況に陥ったことなんかないけどさぁ。

 ……絶対追い出してやるっていうか、簡単に身体を渡すわけないだろ!?」


「そうだろうな。

 私でもそうするし、普通の人間なら間違いなく抵抗する。


 仮に聖女や創造神の力で無理矢理意識を抑え込まれ、身体を乗っ取られ、記憶まで奪われたとしよう。

 だがその乗っ取った人格がお役御免でこの世から去ったとすれば、『ようやく出て行ったか』と今までの状況に恐怖を覚えると共に、安堵するだろうな。


 今まで奪われていた意識、『自分』を取り戻すことができたのだから」



 幽霊が憑依して、操られ、そして身体から出て行った――と想像すれば、勿論元凶が身体から抜け出たことに安心するだろう。

 自分ではない意思をもつ”何か”が身体や頭の中を好き放題して、自分は誰にも気づかれず封印されていたようなものだろうし。





 想像したら怖すぎる。



 少なくとも自分の体を乗っ取る、訳の分からない他人の意識と仲良しこよしではいられないはずだ。




「カサンドラから異世界の記憶や人格が出て行き、元の世界に還ったのだとすれば、当然元々この世界にいたカサンドラはこの世界に憑依前の状態で残っているはずだ。

 私はそう思い込んでいたのだ。


 ようやく自分の体から異物タニンが出ていくのだからな、本物のカサンドラにとって喜ばしい話でさえある。



 だが、逆だったのではないか?



 ――カサンドラ本人が、救いを求め、望んで異世界の人間の意識を喚び込んだ。

 ……自ら望み、その身体も記憶も、人格さえも――”彼女”に明け渡したのではないか。




  もっと言えば、自分の記憶や相手の記憶をそのままに、

  意識の主格を『彼女』に渡す形で融合した可能性――」






 自分の記憶を、身体を、譲る。

 突然入り込んできた”他人”に一縷の望みを託して自分を委ねた。



 文字通り、自分の 全て を賭して!






 え?



 ………え、え!?




 アレクは唐突なシリウスの言葉に、大きく混乱した。




「なんで……姉上は………そんな、事を?」





  シリウスは、兄をチラッと視界の端に入れる。



 完全に思考が止まっているアーサーは、テーブルの上に手を組んだ姿勢のまま微動だにしなかった。

 勿論、カサンドラの行動の理由は分かっているのではないか。






「アレク、根本はお前と同じだ。

 ……彼女はアーサーを助けたかったのではないか。

 どれほどの記憶が残っているのかは分からんが、恐らく彼女も変わらない現実に絶望していたのだろう。

 リナ・フォスターのように思い出すのは”全てが終わってから”だったのかも知れん。


 ただ、どうやってもアーサーは救えなかったのだろうな。

 だから究極の手段をとった。

 己の中にこの事態を打開しうる”異物”を取り込むという手段。

 ――彼女カサンドラに全てを託したのではないか?


 外界の知識、そして自分以外の性格――意識を持つ人間が、アーサーを救う可能性に賭けて」




 経験や記憶と言うものは簡単に”個”から切り離せるようなものではない。

 単に本を読んで知識を得る、絵を見て形を覚える、という行為とはわけが違う。


 魂――人格を伴うものだ。


 だからシリウスはかつて記憶を奪われることを『殺されるようなものだ』と言ったのだし。

 その記憶や人格全てを見知らぬ異界の人間に委ねるというのは……文字通り、命を懸けた、預けた、と言っても良い。


 


 その根底にあるものが。

 『カサンドラ』という人間があの日、この世に顕現した根源的な要素が……


 兄への、想いであったとするなら?





 彼女の想いはまことの意味で、本物・・だったのだろう。


 そしてその影響を受け、アーサーと共に過ごしてきた期間もまた。

 間違いなく、”カサンドラ”とのかけがえのない時間だった。


 本来の彼女本人は、取り込まれ。

 もはや分け隔てることができない状態になっていたとしても。

 紛れもなくアレクの義姉だった彼女の想い、その残滓は、”カサンドラ”の意識に根を張り土台となって――無理矢理表現することができるなら、全て見守り、感じていたのだろう。



「そう仮定すれば、カサンドラが今どこにいるのか、おぼろげながら見えて来るだろう。

 何せ、彼女は全てを明け渡し『一つ』の人間になることを選んだのだ。

 自分が望んで、一つになった。

 勝手に入り込むのと、望んで受け容れるのと――これらは絶対的な差がある。


 人格が乗り移った、なんて簡単に引き剥がせるようなものではない。

 もはや身体も意識も思いも切り離せない程、同化しているとしたら?」








  もしこの世界を救った後、”彼女”の意識が元の住んでいた異世界に帰還したとすれば、きっと……

  全てが  そこにある。

  

  召喚された時とは違って、もう彼女達カサンドラは一つなのだから。




 


 自分の想いが、そして”カサンドラ”が世界や兄を救ったとするなら、きっとそれは彼女の望みが叶ったということ。

 意識が乗っ取られ、悲しんでいるのでも不幸になったのでもない。




 たましいを懸けた愛が成就したということ。




 そんな執念にも似た強力な想いを根底ベースに持つカサンドラだ、あれほど兄を想い慕うのもまた当然のことだったのだろう。








「…………………。

 ………………………彼女は、何故……そこまでして……」




 この仮定は、アーサーにとっては真実ならばあまりにも衝撃が強いものだ。

 心ここにあらず、と言った様子で彼は譫言のようにそう呟く。










 成程ね、とラルフも納得顔だ。







「聖アンナの言葉は……もしかしたら、自身の辿った経緯を示したものでなく。


 ある種の予言・・だったのかもしれないね」 














          愛よ!   愛が、世界を救うのよ!  







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