25 : アレク (Time elapsed)
時間は常に平等である。
物語という世界の枷から解き放たれても、実感する時の流れは変わらない。
何日経っても姉の消息、足取りを掴むことができないままだ。
進展がないことに焦りを感じているのはアレクもそうだが、兄の精神的負担を想像するとズンと気持ちが重くなる。
明日、レンドールから侯爵が来ると言う話を聞いた。
カサンドラが行方不明と言う事実を告げ、当然レンドールから何百単位の捜索部隊が王都にやってきて毎日のように地図と睨めっこをしながら延々と活動を続けている。
養父自身が探しに来たいだろうに。
あの”悪魔”が齎した、たった半日の惨劇は王都だけではなく他の地方都市にも多くの影響を与えた。
――聖アンナの統治以降人間と住み分けが出来ているはずの魔物達。
悪魔の復活に触発されたか、悪魔から力を与えられたのか……
かつてシリウスが調べてくれた過去の歴史通り、人間を捕食することでより強い力を得るという特質が発現してしまったようなのだ。
王都の周辺には魔物の巣がなく、召喚された羽根つき魔物から街を守るので精一杯だった。
だがレンドールを始め、北方や東西の地方に点在する魔物の集落から、理性を失った彼らが今まで避けていた人間を悦んで狩りに行く、という光景は王都とは別の意味で地獄絵図だったとクラウスの手紙、また地方からの報告で明らかになっている。
凶暴化した魔物から身を守る術を持たない村落の民、しかも何の前触れもなく襲撃されたのだ。
呼びかけても返事がないと思って策を越えて村に入ったら、村民が全滅していたことも。
悪魔の消滅によって彼らの特殊能力は掻き消えたとは言え、食われた人間は生き返らないし戻ってこない。
深刻な事態だ、そんな混乱をまとめなければいけない領主や兵隊の事を考えると簡単に養父に「王都に来て欲しい」など言えるはずもなく。
クラウスの指示どおり、兄の手伝いに奔走していたアレクである。
街は徐々に元の活気を取り戻そうとしており、城の瓦礫は完全に綺麗に撤去され新しい王宮の建築が始まっている。
まぁ、物資不足も相俟って一月や半年そこらで城が建て直せるはずもなく、年がかりの仕事になるだろう。
ゆえに、国の中枢は未だヴァイル邸を拠点とし、皆が過ごしやすいようそれなりに環境は整ってきた――
でもカサンドラの行方は杳として知れない。
神官や魔道士達がカサンドラのことを文字通り血眼になって探しているのだが、彼らの広いネットワークを介してもどこにも姉の存在が引っ掛からない。
絶対に自分達が女神を保護するのだ、と命がけで各地で総動員体制で捜索中。
確かに頼もしい話で、もしかしたら近いうちに発見されるのではないかと期待していたのは事実だ。
だが、騎士団でも教会でも――隈なく探し、印が埋まるばかりの地図を眺める度に胃が痛くなってくる。
もしかしたらこの地上にカサンドラはいないのでは?
そんな絶望に身を削ら選れそうな毎日を送っている。
ただ、足踏みをしていても時間は変わらず過ぎていく。
巻き戻ることもなく、やり直すこともできない当たり前の世界。
それを取り戻す事が出来たのに、喜びよりも空しさの方が大きい気がする自分に、後ろめたさを覚える。
「アレク、近い内にクラウス侯が王都に到着すると聞いたけど」
背後から、兄がポンっと肩を叩いて来たので飛び上がらんばかりに驚いた。
恐る恐る振り返ると、相変わらず寝不足気味なのかうっすらと目の下に隈を作るアーサーの姿が。
ヴァイル邸宅の大広間で大人たちに交じってああだこうだと真面目な話をしてきた余韻がまだ抜け切れていないのか、表情はやや険しかった。
「は、はい。
早ければ明日にでもいらっしゃるはずです」
アレクも頻繁にヴァイル邸宅に出入りをしているが、クラウスがここに来るということは――
もしかしたら一緒に自分もレンドール邸宅に戻ることになるのかもしれないな、と。
探す時間も、猶予も残されていないのか?
一層の焦りが生まれる。
「そう、か……。
私もついさっき陛下からその話を聞いてね」
「僕も兄様にご相談したかったんです。
その、侯爵にどこまで伝えれば良いのかと。
女神だなんだ、という話を一方的に信じるのは難しいそうで、でもどこまで説明すれば……」
クラウスは王家が発表した娘の偉業を否定することは無い。
だが、半信半疑――いや、かなり疑っている。
とんでもない尾鰭背鰭がついたカサンドラの女神に等しき行い、その奇跡についてクラウスは全面的に信用しているわけではないような反応だ。
否定する根拠はないが、中々受け入れ辛い。
ただ行方不明であることは間違いないので、詳細を把握するためにクラウスが王都に乗り込んでくるわけだ。
果たして”どこまで”彼に伝えるべきか、という問題はある。
「クラウス侯は、キャシーの実父。
いい加減な嘘で取り繕ったり、誤魔化すことは避けるべきだと私も思っている。
だけど……」
アーサーは難しい顔で黙り込んだ。
この世界の真実全て、カサンドラという存在について自分達が知っている事全てをクラウスに話す事はかなり抵抗がある。
何せ、この聖女計画の一端を担っていた三家の一人、ヴァイル公爵レイモンドはこの話を聞かされて完全に”病んで”しまった。
壊れてしまった、と言えば良いのか。
全ての元凶であるからこそ、確固たる意志を持っていると信じていたからこそ。
己の存在意義が、過去が、そして朋友の命の価値が等しく揺らぐ真実に堪えられなかった。
ラルフの言った通り、彼のしてきたことや望んでいたことは余りにも常軌を逸していて。
だからそれを根底から覆されるアイデンティティの崩壊を誰も支える事が出来ず、彼は精神を病んで部屋に籠ったきり誰にも会わなくなってしまった。
時折奇声が廊下に漏れ、錯乱している事は明白だ。
分かっていた事だが、真実と言う名の爆発効果を目の当たりにしてアレクも冷や汗が止まらなかった。
まだアレク達は真実側から見れば被害者的な立ち位置で、打開する側だと皆で奮起していたから話は別だったけれども。
――真実は劇物だ。
カサンドラが女神で三つ子が聖女という話を限りなく希釈し、刺激を薄めて国内に撒いているものの。
真っ当な人間に丸ごと飲み下せと言うには毒が強すぎる。
かと言って、この世でカサンドラ本人を最も心配し身を案じている家族であるクラウスの究明に口を閉ざすのはいかがなものか。
「未だにどうお伝えすれば良いのか僕にもわかりません。
兄様も同席してもらえると嬉しいのですが」
「クラウス侯が会ってくれるのなら、勿論」
彼は微笑もうとしているのだが、上手く口の端を動かせないようだった。
それは心労のせいか、純粋に身体が疲弊してしまっているからなのか。
どちらにせよ、兄には十分な休息が必要だと胸が痛くなった。
「大丈夫ですか?
少しお休みになられた方が」
すると彼は口元に手を当て、逡巡し瞑目する。
その時間は僅かであったが、虚勢を張る気もないのか疲れたような表情で細い息を落とした。
「そうだね……
じゃあ、アレク。今から休憩時間にしよう、付き合ってくれないかな」
一人でボーッとする方が心理的に負荷がかかるから、と彼は自分の部屋に招き入れてくれた。
王城で過ごしていた過去とは全く違う、今まで足を踏み入れることもなかったヴァイル邸――その客室の多さ、純粋な敷地の広さには一つの町のようだ、とアレクも未だに慣れないところである。
「ええ、喜んで。
定例会合まで、まだ時間がありますからね」
学園で皆が雁首揃えての現況報告、変わり映えのない現状を知らされるだけの時間。
※
「まだ……姉上、見つかりませんね」
しかし結局、兄と二人きりの時間を持てても、アレクが話に出してしまうのはカサンドラのことだけだ。
お互い強く思い煩い、気にしていることを棚に上げて別の話をする気にもなれない。
普段皆が気を遣ってアーサーの前で出来るだけ”カサンドラが見つからない”という話題を避けて会話を進めているわけで。
衆目の前で捜索の進展なし、と顔を見合わせて憂鬱な溜息を落とすわけにはいかない。
周囲に気を遣わせていることは他ならぬ兄が一番分かっている事だ。
下手にネガティブなことや弱音、愚痴を零せない。
言葉を発さず、ただ俯き加減でアレクの言葉に相槌を打つアーサー。
「侯爵も突然の事態、収束に時間がかかったそうで……
姉上のことがあって、すぐにこちらに来たかったのにそれも叶わず」
黙するばかりのアーサー。
アレクが何度か話しかけても、生気の失われつつある沈んだ表情。
それを隠すように、顔の下半分を彼は両手で覆う。
「……正直に言うとね。
私は……… とても、怖い」
「だ、大丈夫です!
皆が姉上を探し回っているんですし、きっとその内……」
「キャシーがこの世界で見つかることが、怖い」
彼は小さく、呻くようにそう漏らした。
不安の吐露。
時間が過ぎ、一層膨れ上がって行く心細さ――アレクも共有する感情。
「最初の話し合いでもあったとおりだ。
シリウスが言った通り、私たちの元へ帰れない事情があるのだろう。
……記憶を、失ってしまった……とか」
背筋が凍り付き、息を呑む。
皆が思い至っていても、言葉にするのが憚られた『可能性』。
アレクの助け、そして恐らく聖女として覚醒したリナの想いが呼応して、逆行する直前に異世界から呼び出された”記憶”がカサンドラの中に入り込んでいた。
自分達が召喚したものが役目を果たし、この世界から還るのならば当然異世界から降り立った記憶、シナリオなどの知識――それらが引っこ抜かれてしまったことになる。
例えカサンドラという人間の身体が見つかったとしても、それは入学式直前のカサンドラでしかなく。
今までの記憶や想いさえも彼女から離脱し、還ってしまったとするなら……
兄の言う通り、カサンドラを見つけ出したいと必死になるのと同時に”恐ろしい”とも思う。
「勿論、キャシーはキャシーだ。
でも私は以前彼女に言ったんだ」
自分が何者なのかと悩んでいたカサンドラに対し、異世界から降り立った記憶に触発されて性格が変わるのなら、それは自然な変化であって別人になったわけではない。
だから彼女は彼女なのだ。
そしてアレクも同じだ。
彼女がどんな記憶を後付けで持たされようとも、過去の記憶を共有している限り姉であることに変わりは無いし、一年過ごしてきた日常生活の中彼女の為人に信頼を寄せるようになったのだ、と。
だが……
その大前提である『記憶』『知識』が失われ、ぽっかりと虚無を抱えるカサンドラという人間を、果たして自分達はカサンドラだ、と迎えることが出来るのだろうか?
アレクだって、それは目の前に揺るぎないカサンドラという存在がいたから言えたことなのだ。もしも一年の記憶が失われてしまったとしたら、喪失感は凄まじいことになるだろう。
「シリウスは……
何度も記憶を消され、やり直しをさせられるという現象を『何度も殺されたようなもの』と表現していた。
今回の場合、同じではないだろうか。
文字通り経験した記憶自体が抜き取られ、空白が生じ、感情も思い出もキャシーと共有できないということになったら……」
それはある意味、恋人の死を目の当たりにするのとそう変わりはない。
確かにそこに身体は有るのに、一年間の記憶が抜き出されたら。
そもそもどこまでこの世界の神によって、召喚したものが引っこ抜かれてしまったのか。
どこまで彼女の魂に影響を与え、生じた間隙を何で埋めるつもりなのか。
もしこの世界にカサンドラが彷徨っているなら、記憶の空白を埋められず、己を見失い発狂してしまった可能性だって。
……レイモンドのように、壊れてしまった……?
考えられる事態は決して喜ばしいものではなく、望む事態と対極に等しい。
「自分でも、まだ、答えは出ないんだ。
キャシーに会いたい。
でも……私の知っている彼女が本当にどこかにいるのか、そう思うと怖い」
一年間の記憶を失ったカサンドラと再会し、また一から関係を作って行けばいい、と思える程楽観的にはなれないだろう。
何故なら、異世界の記憶に影響を受けた『カサンドラ』と会う事は出来ないのだから。
いくら過去を説いて聴かせ、元通りになってもらおうとしても無意味なのだ。
「姉上、身体ごと異世界に戻ったって事はないですよね?」
何度か話し合いをした時に、可能性の一つとして浮上したものだ。
リナが説明してくれたこの世界の『神域』にカサンドラが閉じ込められていることと、彼女の身体ごと異世界に帰ってしまった可能性――
どちらかであって欲しい、というのは自分達の内なる願いだ。
だがどちらにカサンドラがいるのかなんて、早々判断がつくことではない。
「この国より一層広い空間、異なる世界全域から、たった一人の”人間”を見つけることが出来るのだろうか? 現実的ではないと思う。
異世界は時間の流れも違うのではないかな。
この世界は同じ三年間を何十回も繰り返していたのだろう。
――その間生じたであろう大きなズレがあちらの世界でどう反映され、時間が流れているのかも分からない。
もしかしたら時間の流れが全く嚙み合わずに、あちらでは天寿を全うした後という可能性だって否定できない」
異世界の人間。
雲を掴むような話。
手が届かない………
「それに異世界探索、最終的に召喚となれば、聖女たちの力を借りなければいけないだろう。
もしもお願いするなら、少なくとも皆がキャシーは身体ごと異世界に渡ってしまったと納得するだけの根拠がいる。
私が彼らの立場なら「そこにいたらいいな」という程度の曖昧で適当に言っただけのアイデアを基に、大切な人の命を削って探してくれなど……
とても、言って欲しくはない……かな」
確かに、この世界のどこかにカサンドラがいるかもしれない可能性を完全に潰せたわけでもない。何の根拠もない思い付きの一つのために寿命を削ってくれ、なんてアレクも言えない。
第一、探すと言ったところで、どうやって?
異世界との空間を繋げて、乗り込むなんてできるのか?
でもそれこそ悪魔の証明ではないか。
この世界にカサンドラはいない、だが異世界には必ずいる、という証明をアレク達がしなければいけないのか?
不可能では?
虱潰しにこの世界を遍く隈なく探し終わった後で、他にどうしても探すところがなくなって、初めて実行するかを検討できる。
しかも……
時間の流れがどれほど離れているかも分からない、もしかしたらその世界は時間が「逆のベクトル」を向いて進んでいる可能性さえ否定できない。
断続し、時間という概念が跳躍しているかもしれない。
もう、会えない?
嫌だ。
アレクは頭を抱えた。
もはやこれ以上、どうすることも出来ないのだろうか――
気が重い事に、これから学園の生徒会室で何回目かの会合が予定されている。
捜索に何の進展もないことを知らされるだけの話合いだ。
だが、カサンドラの事を話さないわけにもいかない。
諦めるつもりなど、全くないのだから。
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