22 : アレク (Goddess)


 あまりにも突拍子のないシリウスの発言に、ポカンと口を開けたのはアレクだけではなかっただろう。


 カサンドラの姿を脳裏に思い浮かべるが、身近過ぎる存在ゆえに『女神』なんて仰々しい言い方をされると困惑してしまう。

 というか、そんなに神々しい存在に祀り上げられると意識との乖離が凄まじい。

 だから一同、唖然とした様子になるのはしょうがない。


 唯一兄だけは特に驚いた様子も無かったけれど。



「ええと、シリウスさん。

 姉上に女神になれとは?」


 ここに彼女がいないのに、彼女に女神になれと言われてもカサンドラだってどうしようもないと思うのだが……



「話を総合すれば、カサンドラを簡単に探す事が困難を伴うのは明白だ。

 ……私達だけの手に負えるかどうかも分からない、捜索には人手が要る。

 魔道士達や神殿に協力を要請する事態が生じるかもしれない。

 ただ、今のままでは問題がある。


 カサンドラはレンドール侯爵家の令嬢で、アーサーの婚約者。

 王妃候補なのは間違いないが、要はそれだけだ。

 平時ならともかく多くの優先事項が犇めいている現状、たった一人の安否を全力を賭して捜索するほど――彼女の立場は強いものではない」



 その言葉にアレクは少なからぬショックを受けた。

 皆でカサンドラのことを探したいと思っているが、当然探すと言うのは物理的に人的資源を費やさなければいけないということだ。

 自分はともかく、兄は決して暇なわけではない。

 手足となって動く家臣たちだって、現状を復帰させるためにてんやわんやの大騒ぎ……


 いくら王命だからと言って、行方不明の婚約者を全力で探せと命令するのは躊躇われることである。



「勿論、私達も出来る限りの人手を捜索に費やすつもりだ。

 命令すれば人を動かせる。が、それでは士気は中々上がらないだろう」


 シリウスは細い吐息を落とす。

 たった一人を、沢山の優先される問題を差し置いて探すこと……自分達はカサンドラのことを良く知っていて、一生懸命探す。

 だけどカサンドラの事を良く知らない人だって多いだろう。

 未だに彼女の過去の噂を、勘違いして捉えている人間もいるに違いない。



「それに捜索に直接関わる人員だけではなく――

 国民に全力で彼女の捜索を望ませる必要もあるのではないか」



 誰だって、自分の傍で困っている人がいるのに、直接関係の無い侯爵家の娘を探せと強要されるのは良い気持ちはしないだろう。

 命令なら従う。

 王命を以て全国民に告ぐことは可能でも、足元の固まっていない明日をもしれない状況の人間が喜んで受け入れるかは別の問題だ。


 アーサーが婚約者捜索の無理強いをすれば、彼女の重要性を知らない家臣に不満を抱かせることもあるかもしれない。


 そして聖女に捜索号令をさせる、というのはまた難しい問題がある――彼女達の今後の国内での立ち位置が完全に定まっているわけでもない。

 王家よりも上の立場に置くわけにはいかない事は皆認識しているが、彼女達が友人を探して欲しいという”お願い”を国民にしてしまったら面倒なことになるのでは?

 お願いではなく、命令と捕らえられたら話はややこしい。



 また、大勢の理解のないまま、多大なリソースを割き首尾よくカサンドラを救出することが出来たとしても、彼女を全員が喜んで迎えてくれるだろうか。

 もしも後で不満の声など出てこようものなら……それが万が一カサンドラの耳に届いたら……?


 彼女が負い目を感じるような状況に置かせたくはない、それはアレクも同じ想いである。というか何故カサンドラが申し訳なく感じなければいけないのか、この世界を救ってくれた張本人なのに!



 シリウスの言わんとすることは分かる、「今はそれどころではない」と民衆に思わせることだけは避けたい。


 カサンドラを優先し、人手を割いて捜索する事が自分達の我儘だ――なんて、周囲に思われてはならない。


 貴族の人間で行方が分からなくなっているのはカサンドラだけではない。

 王家に血が繋がる人物の名が安否不明者に挙がっている事は、アレクも知って驚いたくらいだ。

 遠縁なのでアレクも良く知らない女性が数名だったか。



「特に今回の捜索に関しては神殿、聖アンナ教会の協力は必要不可欠のように思われる。

 各地の神殿、そして擁する魔法の使い手は貴重な力になる。

 聖職に就く人間に本気を出してカサンドラを探させる、そんな説得力を持たせるには――

 カサンドラを『女神』だと信じ込ませるのが一番だ。

 目の色を変えてこちらが言わずとも自発的に協力してくれるだろう。

 貴重な禁忌魔法の知識や、魔法関係の設備なども何の嫌味もなく素直に使わせてくれるはずだ」



 創造神ヴァーディアは、この国のみならず世界に生きとし生ける人間の信仰の対象である。

 その信仰方法や神格化するモノの対象の差が、宗教の別と言って良い。


 この地は女神を崇め奉る人間の集まり。

 女神そのものが顕現化されることはないから、女神に”選ばれた”聖女への信仰が昂じ、聖アンナ教が国内でメジャーな信教になったのだ。


 聖女を祀り上げて神格化する程の狂信のルーツを持つ教会。女神本尊が実は大地に降臨していたとなれば、それを信じてくれれば……

 こちらが頭を下げなくったって、独自に全力で探し出そうとするだろう。


 これほど心強いことはない。

 


 シリウスは出来るだけ平坦に話を進めているが、感情が籠っているのは分かる。




「では、どうすれば皆はキャシーを『女神』だと信じてくれるのかな?」



 兄の静かな問いに、アレクはドキッとする。

 まるでこの時を待っていたかのような絶妙な間だった。


「簡単な事だ、真実を一部開示すれば良い。


 三つ子は聖女へと覚醒し、見事悪魔を倒して見せた。

 だが悪魔は自らが滅ぼされることを悟ったと同時に、地上世界そのものを道連れにしようとした。

 悪魔の自爆めいた行動は聖女でさえどうすることも出来ず、必死の”聖女の祈り”に応えて世界を救うために『女神』が降り立った。

 女神はカサンドラに降り、世界を救うという奇跡を実現する。


 ……あの虚無の空間でカサンドラの姿をぼんやりとでも確認していたのは、決して私達だけではない。

 皆未だに不思議がっているだろう。あの姿を”女神”だと思わせればいい。


 聖女が揃って証言すれば十分信用の得られる話だと思うが?



 第一、嘘は言っていない」



 偽りの物語を信じさせるには、虚実織り交ぜるべし。


 全く裏の取れない話は与太話と一掃されるが、不可思議な空間を皆が知っている。

 集団で同じ夢を見たというにはあまりにも意味深長な体験に違いない。


 実際に奇跡が起こったのだ、それ以上の奇跡が起きた結論に飛びつきたくなるだろう。


「神殿の関係者だけではなく、騎士団の人間にはカサンドラの姿を知っている者も大勢いる。

 信憑性の問題など軽くクリアできるだろう。


 騙すわけではない、彼女が実際に神に属する”大いなる力”で世界の逆行を止めたことは事実だ。

 それをより分かりやすい形で伝えるだけなのだから。


 王子の婚約者ではなく、女神の化身・・・・・が行方不明だとしたら――

 それがカサンドラだと皆が理解すれば、行方不明の彼女を捜すことに反対意見など出ようはずもない。

 むしろ誰もが「見つけて欲しい」とアーサーや国王に嘆願することになる。


 国全体が一丸となる目標が出来るのにも等しい。

 聖女の存在に加え、この現状に更なる大きな希望になるだろう」






「それはとてもいい考えだと思います。

 ……カサンドラ様をこの国で最も重要な人物だと皆が認識してくれるなら、真剣度合いも違いますしね。

 復興活動とどう平行させるのかは難しいですが、私達が頭を下げてお願いしたり、無理矢理命令しなくても自発的にカサンドラ様を探してくれるならそれに越したことはありません」


 うんうん、とリゼは納得したように頷く。



「私も賛成です!

 最初の王子の話、私は少し不満でした。

 この世界、私達の力で救ったわけじゃないのに……って。


 カサンドラ様が何とかしてくれたって言う事実が闇に葬られない、素晴らしい案です!

 流石シリウス様! それでいきましょう!」


 リタは完璧にくるっと掌をひっくり返し、先ほどの自身の台詞など無かったかのようにキラキラと眩しい視線をシリウスに向けている。

 シリウスが露骨に視線を逸らす姿を目の当たりにし、アレクも乾いた笑いしか浮かんでこない。


 リナに至っては言葉も無い様子で、何度も何度も深く頷いている。

 今日初めてリナの笑っている顔を見たかもしれない、安堵感に満たされた彼女の様子を間近で見るアレクの方もホッとした。




「シリウスが言ってくれるなら、私もその方向で話を進めてもらいたい。

 ジェイクやラルフも異論は無いかな」




「むしろそれしか方法はないって話だろ。

 ……まぁ、カサンドラが女神だなんだって言わなくても、ウチの連中は皆心配して探してるからな。

 より一層気合が入るとは思うぞ」


 ジェイクもスッキリとした表情で受け容れ、同じようにラルフも言葉を続けた。


「そうだね、僕も周辺を説得して回りやすいかな。

 こんな惨禍があってさえ地方だ中央だエルディム派だロンバルド派だ――なんて面子に拘る年寄りも多くて、うんざりしていたところだ。

 黙らせるには丁度良いね、二度とカサンドラの事を悪く言えないような状態には持ち込める」




 恐らくアーサーは、最初からそういう結論に持って行きたかったのだろう。




 カサンドラを表立ってなりふり構わず探し求めるのは婚約者に対する真摯な態度として素晴らしいものだ。

 だがまだ婚約者に過ぎない一地方貴族の女性を国難の渦中の真ん中に置いて采配するとなれば、周囲の見る目も優しいものだけではなくなってしまう。


 ――カサンドラを特別な存在だと知らしめる必要があることは、兄も重々分かっていたこと。



 だが自分の口からカサンドラを女神ということにして王家に迎えよう、なんて言い出す性格でもない。


 国全体の施策への展望を示すのと、個人的な要望を示すのはまた別の話だ。

 相変わらずしっかり線引きされている。



 弟というアレクの立場からは、それがもどかしくもあった。



 もっと我儘に、大切な人だから一緒に探して欲しいと言えば良いのに。

 ……この期に及んで自分を律する彼の鋼の精神力には感嘆しか出てこない。




 それが、カサンドラの望んだ姿じぶんだから、か。 

 姉が愛したアーサーという人間のまま、誰に恥じる事もなく彼女を取り戻すという強い意思を感じる。







 ただ、これで何かが解決したわけではない。


 カサンドラを目いっぱいの支援、理解を得て皆の意思のもと探し出すと言う道を整備しただけだ。

 本当に彼女の行方を探し出す事が出来るのか、それはまだ誰にも分らない。



 ただ、三つ子が揃ってカサンドラの存在を感じるというのなら、見えない絆のような不思議な力で繋がっているのなら……



 何が何でも探し出す!



 特にアレクはカサンドラの身内だ。

 そして現状、最もフットワークが軽く自由に動ける立場だと言って良いだろう。



 カサンドラが女神だろうが何だろうが、自分が絶対に探し出す。


 家族だから。

 自分が求めた救世主だから。






   ……もう一度カサンドラに会いたいから。








 それにしても、女神、か。



 ふと脳裏に過ぎるのは、あの運命の日まで普通に接していたカサンドラの姿だ。




 婚約者である王子の事が好きな、普通の女性だった。


 ちょっと外見はキツい印象を与える美人で、悪役令嬢だと言われれば納得してしまう造形で。

 特に秀でた能力は持っていなかったけれど。

 何に対しても一生懸命な努力家だったとアレクは思う。


 だが相手の立場になって考える事が自然にできる――それはともすれば視野が狭くなりがちな貴族のお嬢様には中々持ち得ないものかもしれない。

 だから彼女は近しい人に慕われていたのだと思う。 








 しかしながら、女神と仰々しく言われるとむずがゆくなるのもまたアレクの本心だった。





 恐らくここに本人がいたら、「やめてください!」と絶叫した事だろう。






   容易に光景が想像できて――少しだけ寂しかった。



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