20 : リナ (Atonement)




 ――この『世界』の成り立ち。

 存在意義。




 その全てを知り、ここまで辿り着くことが出来た。

 だが、リナは関係者の処遇を話し合おうと王子から打診された時からずっと気が重くてしょうがなかったのだ。



 客観的に話を整理すれば、結局のところ全て”世界”のせいだと、リナも思う。


 この世界が異世界の物語を繰り返すために創られたという宿業から出来た世界だと言うのなら。




 それはこの世界の主人公である自分リナが全ての原因なのではないか。

 自分のために世界がある?

 自分に都合の良い世界?



 ……それなら、自分がいなければ良かった。

 最初から存在していなかったら、物語は始まらなかった。


 この世界は本来の役目を果たす事は出来ないけれど、きっと誰も罪を背負わずに済んだのではないか。

 最初からこの世、いや自分が存在しなければ起こりえなかった事態ではないのか。




 自分がいなければ誰も悲しまなかった、苦しまなかった。

 物語に縛られる、こんな閉ざされた空間を強制的に無自覚に繰り返されることも無かったのだろう。




 その上自分は助けを求め、リゼとリタという二人をこの世界に召喚してしまったのだというではないか。




 突き詰めて考え、『世界』の意思こそが悪だと断罪されるなら。

 ……全て、自分という主人公の存在のせいではないのか?



 そもそもどの段階から実存していた空間なのかは分からないが、大勢の人が悪魔の被害に遭ったのは自分のせいではないか。

 自分を聖女にするという運命を実現させるためお膳立てされた世界、ならばここで起こったことは全てリナのためだとも言えるのでは?




   罪の始まりは、自分……?




 考えてもどうしようもない事を、ずっと思い悩み落ち込んでいた。

 気は沈む一方だった。



 もしも現実に起こった聖女計画に纏わる一連の事件そのまま、関係者全てを裁くなんて言われたら、悲しいし、辛い。

 どこまで自分本人の意思だったか分からないのに、その罪を世界に選ばれてしまった人物に全部擦り付けているようで心苦しい。


 かと言って……

 全て悪いのは世界そのものであり、創造主。だから罪を裁くのを辞めようと言われる事もまた恐ろしかった。



 彼らの犯した過ちや罪の全てが世界じぶんのせいだ、と言われたように感じるだろう。

 彼らは優しいからそんな事は言わないし思わないだろうが、この世界が主人公のためにあった世界だということは紛れもない真実なのだ。








  世界が全て悪い。この世界はお前のために創られた世界。



  お前リナさえいなければ、悲しむ人間はいなかった。






 世界中の人間から非難される悪夢を見たことも拍車をかけたのだろう。

 折角望んだ未来に辿り着いたと言うのに、乗り越えたはずの過去がずっとずっと、リナを苛み続けている。

 





 だから彼らの辿り着いた一つの結論はリナの心を大きく揺さぶり、自分自身が赦されたようにも感じられたのだ。




 どういう心境で彼が提案したのかはわからない。

 けれど、王子の言葉はリナを気遣うものであったのだと思う。





 全てを超常的な上位存在に押し付け、全て世界の筋書きが【悪い】のだ、と。

 そう結論付ければ、手放しで気楽になれるし過去の全てを切り捨てて、未来のことだけを考えて前進することに何の躊躇いも憂いもないだろう。

 足に括りつけられた文字通りの過去の遺物を切り離してしまえば、無理矢理悪人だと糾弾する必要もなくなる。




 だが王子は迂遠な言い方ではあるが、過去を否定したくない、過去を拒絶したいわけではないと何度も念を押すような表現をした。



 確かに自分達にはどうすることもできない現実を強制した世界ではあったけれども。

 そのすべてが悪でも無駄でも、覆いかぶせて忘れるべき過去でもない。


 自分達の記憶や意思、経験全てを培った世界そのものを悪しき原罪だと切り捨てる方法を選ばなかった。


 本来であれば受け入れがたい物語、それを作為的に実現させる仕掛け――それらを少しでも受け容れよう、と言うのだ。



 ここは、物語を基に創られた世界。



 今まで普通に生きてきた自分達には、あまりにも抵抗のある真実だった。

 リナでさえ、未だに悪夢か何かだと思いたいくらいだ。



 でも王子は”なかったことにはしたくない”と、首を横に振ったのだ。





 ……それだけでリナは自分の存在が赦されたような気がした。




 皆が世界を憎み、厭い、原罪の対象とするのなら、リナは自分が責められ続けたかのような心境に陥っただろう。

 己が望むと望まざるとに関わらず、主人公リナのために存在した世界だったから。


 恩恵を受けたとは全く思えないが、文字通り世界の中心に立たせられていた自分。


 自分がいるから、こんな物語をなぞることになってしまった。いわば加害者の一人と呼べるのではないか――

 そんな風にネガティブに考えて一人落ち込んでいた。



 彼らが真実を知っても最低限の敬意を以てこの世界の過去を”無意味ではなかった”、と。ほんの僅かでも肯定してくれた事がリナにとっては救いだった。


 そんな結論を共有し受け容れてもらえるなんて思っていなかった。


 偶然でも何でも、王子の言葉は確かにリナを救ってくれたのだと思う。




 そしてリゼが最初に王子に同調して庇ってくれた事も、素直に嬉しかった。

 きっと彼女があんな風に考えざるを得なかったのは、シリウスの……ひいてはリナのためだったのだろう。


 シリウスはずっと罰せられたがっていた。

 話し合いの冒頭でもあった通り、彼の想定の中で彼は常に裁かれる側で、罰を受ける側に置かれている。


 もしもそうなってしまった場合、リナが大変苦しい立場に置かれることになる。

 リナはシリウスがこれからどんな境遇に置かれようとも、ずっと一緒にいたいという気持ちは全く変わっていない。

 傷つき苦しんだのは自分達だけではなく、皆同じだ。

 彼だってそうだ。

 だから支えたいと言う想いはこれからもずっと同じ。


 だが……もしも計画が公表され、シリウスが協力者として罰されてしまったら。


 いかに聖女と言え、いや聖女だからこそ恋人だから庇った、罪を減じられた――なんて周囲に思われたら聖女の存在そのものに不信感を抱かれるかもしれない。


 罰を受けるに値する行動をした特定の人物を庇うのか、と。


 皆に迷惑をかけてしまう。


 彼女はずっと心配してくれていたのだろう。

 何とかシリウスが罪にならないように、と。リゼも物凄く葛藤し悩んだのだと思う。

 だからこれ以上誰も罰されず名誉を穢されなくても済むように、穏便に事が収まらないかと説得するつもりだったのだろう。




『王子、私は王子の意見に賛成です。』




 あの時リゼは、明確にシリウスを庇う意図を持って賛意を示したのだと思う。


 運命のいたずらか、王子の言う通りカサンドラの意思か……

 怨嗟の対象であったバルガスはすでにこの世にいない、という事で皆がこ王子の提案した「都合の良すぎる」話に納得してくれたのだ。


 もしもバルガスがこの世に生き残っていたら、王子は絶対にあんな提案はしてくれなかっただろう。

 バルガスを協力者として罪に問い処罰するなら、同じ立場だったシリウスやレオンハルトもそれに類する扱いにしなくてはいけない。

 リナだって彼の事は未だに許しがたい。


 バルガスに罰を与えるためなら……と更に苦しい葛藤に襲われていた事だろう。





 しかも記憶をはっきりと持った状態で何度も何度も苦しみ続けてきただろうアレクさえも、王子の提案を認めてくれた。

 自身の辛い体験を基に、これ以上誰かに「責任」を負わせるには不適切な事態なのではないかと納得してくれたのだ。




 誰よりもこの世界に絶望し、恨みさえ抱いていただろうアレクにも赦してもらえた。






 この話し合いの場全てがリナにとって予想外に温かいもので、緊張の糸が切れた音がする。



 込み上げてくる感情を抑えきれず、つい涙が溢れてしまった。




 自分さえいなければという、どうしようもない自己否定の海に溺れていた。

 思いがけず、ここにいても良いと言われた気がして嬉しかった。






「あ。

 ええと……急に泣き出して申し訳ありません……!

 その……

 お話が波風立てずに収まるようで、安堵しただけですので」



 もし自分の本心を吐露すれば、少なくともリゼやリタは不快に思うだろう。

 自分のせい・・・・・で、なんていう自己憐憫の精神を二人はきっと怒るだろう。優しい姉達だから。



 彼女達は本当は別の世界にいたかもしれない人達――”この世界”の原罪を負うリナとは受け取り方が違うのは当然で、それを理解して欲しいとは思わなかった。



 突然泣き出してしまったことで皆を困惑させてしまった。

 それに気づき、片手を左右に大きく振って何とか誤魔化そうとする。


 折角奇跡が起こったのだから、今はそれに水を差すようなことをするべきではない!

 慌てるリナだったけれども、明確に場に似や水を浴びせる人物がいた。







「何を言っている。

 まだ収まってはいないだろう」





 ひんやりと冷たい声が、リナの耳に届く。

 思わず瞠目し、視線を向けた先には……無表情のシリウスが立っている。




「私の処罰がまだ決まっていない。

 それを飛ばすのはやめて欲しいものだが」



 このままでいいわけがない、とシリウスは憮然とした顔をする。

 何故そうも頑なな態度なのか、とリナは不思議でしょうがない。


「ですが、今王子が今後の話を……」


 まとまったはずの話を蒸し返され、リナの顔は青ざめる。


「お前こそ何を聞いていた。

 レオンハルトやヴァイルの当主らに対する対応は別にそれでも構わん、私も何ら異議はない。


 だが私は――決してアレクが言うような、脇役エキストラではなかったはずだ。

 少なくとも彼らよりは、責任は重いと思うが?」




 淡々とした指摘に、つい声を詰まらせる。


 世界にそうなるよう仕向けられたことは、三家の当主らにとってみればある意味どうにもならない強いられた運命だったのかもしれない。

 だが自分達には変えようと思えば、強い意思さえあれば――今回のように、運命を打開する”素養”があったとするなら……


 物語への干渉不能なエキストラではないと知ってしまった彼は、一層深く自責の念に駆られることになる。

 表面上は何も起こらないように王子が提案してくれた顛末では、どうにもカバーできないモノだろう、と彼は嘯く。



「シリウス様。

 やめませんか?

 今まで明確な発言は避けていましたけど、貴方が何かの罪に問われてしまったらリナはどうなるんですか?」


 リゼもまた椅子から立ち上がり、腕を組んでシリウスを睨みつける。

 明らかに苛々を噛み殺しながらの低い声だ。 


「それとこれとは全く別の問題だろう。

 私は既に真実を知っている、アーサーの言うやり方では私は咎めがないということになる。

 ……不公平な話だと思うがな」


「確かに私達はコントロール不能な、所謂”登場人物”だったんでしょう。

 でも、だからこそ物語が破綻しないよう周囲の環境をガチガチに固められてそう動かざるを得ない状況に置かれていた。何度やり直しても。

 今回はたまたまカサンドラ様が教えてくれたから、どうにかなっただけです!

 奇跡が起こらないとどうにもならないことの責任を、今更王子が真面目に諮れると思います?」



 お互いに言葉の応酬を続けるリゼとシリウスの言い分はどういう角度から眺めても平行線のように見える。 



 ……罰されたがっている――


 このまま何食わぬ顔で今後一緒に行動をとれない、という彼の決意なのかもしれない。

 だが別に誰もこの事態に陥って、彼だけを断罪しようなんて思っていない。

 ただ、彼はそういう立場だったというだけ。


 世界が別の方法で物語の無限周回を実現させるための設定を生じさせたら、彼は協力者という立場ではなかった可能性もある。

 全く彼の意志と関わらない事で、数え切れない後悔をしてきただろうシリウスを今更糾弾したところで……


 第一、彼が最終的にリナの話を信じ、皆に全てを話してくれたから現状があるとも言える。

 全てが奇跡的に噛み合っての”未来”は、何か一つ欠けていたら手に入れる事ができなかったはず――









「あああ! もういい加減にして下さい、シリウス様!!」







 バンッ、と激しく机を掌で叩き、リタが大声を張り上げて立ち上がる。

 その勢いの良さに、椅子が後ろに倒れてけたたましい音を鳴らす。



 唐突な横入に、シリウスもリゼもきょとんとした様子で――リタを見遣った。

 嘴を挟む暇もなく、どうしたものかと双方の言い合いを聞いていた王子達は明らかに戸惑い、困っている。




「もういいじゃないですか、何がそんなに不満なんですか!?」


「何度言えば良い、それでは示しがつかないと――」





 リタの勢いは激しく、リゼが「ちょっとやめなさい」と身体を羽交い絞めにしそうになるくらいだった。



「私は!

 この後の話――カサンドラ様を探す話を、皆さんとしたいんです。

 むしろそっちがメインだと思ってました!


 だから終わった話を蒸し返して停滞させるの、やめて欲しいです。

 ハッキリ言って、私はシリウス様の罪だの罰だの、この際どーでもいいんです!


 そんなにウジウジ後ろ向きな事考えるくらいなら……カサンドラ様がどこにいるのか、一緒に真剣に考えてください!

 もしシリウス様が協力して解決してくれるなら、もうそれだけで今ゴチャゴチャ言ってる罪? なんか、埃か綿毛みたいな軽いものになって吹けば飛んでいきますから!

 そっち方面で償って下さい!」





 まるで嵐か暴風雨か。

 もともと声量が大きいリタが声を張り上げるものだから、キーーンと耳鳴りが酷い。

 王子も片耳を軽く擦って苦笑いだ。




「リタ・フォスター。どうでもいいなどという言い方は心外――」








「まだ言いますか?





     ……いい加減にしないと、むしりますよ?」







 片手の指に力を籠め、リタは目を据わらせたまま言い捨てた。 













 

 どこを!?    何を!?









   

 


 流石のシリウスもリタの訳の分からない発言に呑まれ、絶句して椅子にストンと腰を降ろした。彼の顔はちょっと蒼褪めている。


 しばらく、気まずい静寂が生徒会室を支配した。










「……これが聖女とか、マジで?」




 ボソッとジェイクが呟き、困惑気味にラルフに視線を遣るのが見えた。

 とても聖なる存在から飛び出て良い発言ではない、という抗議の意味を込めたようだが……












 ラルフは顔を伏せ、笑いをこらえて肩を小刻みに震わせていた。 


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