19 : アーサー (Original sin)
全てが終わったというのに、一番大切な人がいなくなってしまったことを知った。
しかも彼女の身に起こった話を聞けば、憤る以外の他に感情のやり場が無かったものだ。
自分宛てに書かれたカサンドラからの手紙が無ければ、きっと自分は理も道理もかなぐり捨てて、バルガスを探し出して仇を討とうとしたのだと思う。
……カサンドラのお陰で冷静さを取り戻せた。
自分が憎しみに支配され、激情に駆られてバルガスに剣を振り下ろす――そんな自分は彼女が好きだと言ってくれた”アーサー”の姿ではない。
それで気が済むのは自分だけで、きっと後に様々なシコリとなって色んな関係がほころぶキッカケになり得る話だった。
各々が自分の憎しみや哀しみだけで「復讐」の対象に刃を向けることを善しとする、そんな決着を迎えたいわけではないのだ。
きっとそれは、カサンドラが最も望まない結末だろう。
起こった悲劇。事実が明らかになった後、不信が渦巻き、憎しみや復讐が再び新しい悲しみや恨みを連鎖的に引き起こされるかもしれない。
私情を一旦押し殺し、常識と正道、法、話し合いによって粛々と関わった人間を断罪していくしかないのだ。
そう思っていたアーサーは、ある事実を知ってその考えを更に改める事になった。
「どうか先走った勘違いはしないでほしい。
博愛精神だとか、私がお人好しだから――そんな理由で冒頭の提案をしたわけではない。
キャシーが望んでいるだろう事を口にしているに過ぎないんだ」
「は?
カサンドラ……って、何言ってんだお前」
自分の言葉に狐に頬を抓まれたような顔で、きょとんと目瞬きするジェイク。
ここにいない人物の代弁者を気取る自分は滑稽に見えているのかもしれない。
幻聴でも聞いたのか、というラルフの憐れみの籠った視線にアーサーも苦笑いである。
「魔法の使い手で、常人離れした戦闘能力を持っていたあのバルガスが死んだ。
……ダグラス将軍は、当人が死を願う程の苦痛を訴える寝たきりの状態。
そして、王城の地下牢に繋がれていた重罪人たちの全滅、特に――アーガルドの
アーサーはそれらの報告を聞き、更に各地の状況が明らかになる度確信を抱くようになったのだ。
「それが、どうかしたのか?
たまたま、そういう結果になっただけだ。
あの混乱状態、誰がどうなっても決しておかしくはない話だろう」
戸惑うシリウスは、指先で眼鏡を押し上げる。
「シリウス、君も知っているだろう。
キャシーが今までに出会っただろう人達は全て、多少の怪我こそあれど……全員生きていたんだ。
数える事が苦しいほど多くの人が亡くなってしまった災禍だったけれども、少なくとも、学園の生徒や教師は誰一人欠ける事も無かった。
知人、友人――彼女に関わり彼女が知っているだろう人全て、一人も訃報を聞かなかった。
この結果を眺めて、思うことはないかな?」
何名も尊い犠牲を出してしまった。
それは魔物の大群が押し寄せ、悪魔の衝撃波によって家屋を潰されどうにもならない状態の人間も多くいた。
今はその死を悔やみ悼む事しか出来ないけれども。
少なくともカサンドラの周囲の人間で欠けた人はいなかった。
……それはまるで彼女が、せめて彼女の知っている範囲でも良いから『救いたい』という想いから成った奇跡のようだ。
依怙贔屓や選り好みという言い方とは違う、彼女の精一杯の願いで齎された加護だったのではないかとアーサーは信じている。
全ての人間を救うのが無理だからと諦めるのではなく、届く範囲で最善を叶えようとするのは彼女らしいとも思う。
仮にそうだとして――
この事件に深く関わった人間、とりわけ普通なら有象無象の魔物程度に殺されるはずのない、戦闘に特化したバルガスが亡くなってしまった事。
喜んで禍いを引き起こしたダグラスが死よりも辛い現状に置かれている事。
完全に我欲のためにクレアを死に至らしめようとしたアーガルドを始め、国の重罪人達が全て摺りつぶされていた事。
その意味は何だろう。
………――新しい世界に、
彼女は彼女の意思で、巻き戻りかけた世界を救ってくれ、全てに決着をつけた。
もしくは自分達が恨む対象となりうるモノを未来から切り離してくれた。
「……どんな形であれ罪を裁くということは、関わる人間にとって少なからぬ禍根を生じるものだ。
特に今回は絶対に前例など存在しないケースだろう。
世界の存在意義、異世界のおとめゲーム? なる原典から生まれた世界――なんてつかみどころのない話だから。
真実の一部を伏せ、計画に沿って起こった出来事のみを”罰”として私達が改めて裁くことになれば、当然その結果に悲しむ人や恨みを抱く人も出てくるかもしれない。
そもそも先ほどの話通り、どこまでが世界の筋書きで、どこまでが自分達の意思だったか、そう仕向けられていたのか、そう動かされていたのか……
私達には知ることができない。
公正な裁きなどは土台不可能な話なのだから、他人が裁くことは今回は控えたいと考えている」
例えばレオンハルトや、ライナスや、シリウス、テオ。
彼らを生じた事実だけを明るみにして罰を与えたところで、公正ではない上に――彼らに関わる家族や一族、周囲の人間にとって少なからぬ影響を与えてしまう。
「別に野放しにしようなんて言っていない。
私は――この事件に関わった者が皆、今後己の行動に言い訳をすることなく自戒し、この国をよりよくするために力を尽くしてくれるだろうと信じているだけだ」
信頼を裏切られたなら、その時は私がキャシーの代わりに”拒絶”するだけ。
ここに彼女はいない。
本当の意味で自由になった世界で、何の言い訳も効かない未来の中で裏切り行為を行うのならその時こそ、遠慮するつもりはない。
シンと静まり返った生徒会室。
その沈黙を打ち破るよう、おずおずと一人の少女が片手を挙げた。
「あのー、それって……
全部この世界を創ったナニカが悪い、諸悪の根源。
だから全部チャラにしましょうって事ですか?」
リタの発言は、いつも分かりやすい。
アーサーは小さく笑んだ。
「……それは少し意味合いが違うかな。
これから提案しようと思っていたのだけど、私は聖女計画へ関わった人に『真実』を告げるべきだと考えている。これを罰と呼んでもいいかもしれないね。
リタ君が表現したように、この世界の成り立ちやこの世界そのものを否定したくないから。
真実を知る権利のある者には包み隠さず、この世界の真実を告げる。
その上で、自暴自棄になるでも免罪符にするでもなく、彼らが進んでこの新しい世界の力になってくれることを信じている。
世界の真実と自分自身に向き合って欲しい。
真実は思いの外残酷だ。
受け容れるだけでも、負担は大きいだろう」
世界の存在を、その意味を、異世界の”原典”を、物語を、運命を、シナリオを――全て否定してしまう事は、自分達の存在全てを否定すると言うことに繋がる。
そもそも明確な目的をもって創られた、現実だけど他の世界の現実を現実にしてしまったややこしい世界。
異世界から
何もかも、普通じゃない。常識では計れない。
全ては主人公のために、たった三年間の恋愛を繰り返し楽しむためだけに創られた世界!
固定化された役割があって、それに当てはまるように成立させられた歪つな世界。
閉ざされた世界をこじ開け、未来へ進めてくれたのがカサンドラ。
だけど過去の全て、世界の求めた
世界は最初から存在してはいけなかった。
こんな世界が創られてしまったことが間違っていた、という結論になってしまいかねない。
今までの人生や記憶、そして全ての出会いをアーサーは決して否定したいわけじゃない。
例え舞台設定のために存在する世界だとしても、培ってきた全ての生命を「作りものだ」「意図的に配置された人形のようなものだ」なんて拒絶して否定したくない。
決して世界そのものを全てを否定したくない、チャラにはできない。
、
ただ、閉ざされた世界の中で起きた一連の罪と呼ぶべき行為は、他人が裁けるものではなく。
真実と向き合う本人だけが、自分の行為や思考を一つ一つ省み裁くことができるのではないか。
本来罰を受けるべき関係者に全容を受けいれてもらい、乗り越えて進んで欲しいと思う。
アーサーが望むのは、それだけだった。
レイモンドたち三家の悪事を暴いたと公表し断罪した結果、不信の種が蒔かれ諍いの火種が燻る国ではなく、真実を知る者知らない者双方が同じ
カサンドラがいたら、迷わずそう言ってくれるだろう。
知る必要のない他の大勢の人たちには、聖女が悪魔を斃した、という事実が全てで良いのではないか。
エリックはもういない。
敢えて彼の名誉を貶めて罪を知らしめる必要がない。
彼は決して誰かを憎んでいたわけではない。
アーサーが悪意の種に取りつかれる事無く、アレを弾いた瞬間。
エリックは自分ではなく、アーサーが生き残るべきだと思って、自ら倒されるべき悪役への変容を望んだ。
もしも少しでもアーサーへの蟠りや恨み、悪意があったなら、あの時助けようとしたアーサーを魔法で突き飛ばしてまで遠ざけたりはしなかったと思う。
彼のしたことは悪だ。
だが悪そのものではなかった。
そういう風に「なるべきだ」と与えられた役割を延々と何度も何度も、確固たる信念をもって貫き通していただけ。
諸悪の根源だ、と全て白日の下に晒ことにとても抵抗があった。
まぁ、それもこれも全てバルガスの死がきっかけでそう思うようになっただけとも言える。
もしも彼がのうのうと生き残っていたならば、自分はどんなに不公平でも道理が通っていなくても、彼に罪を負わせ裁くことに拘ったかもしれない。
誰の制止をも振り切って。
それを押しとどめてくれたのは、やはりカサンドラなのだろうと思いたかった。彼女の意思だと、信じていたかった。
「本当にそれでいいのか?
あまりにも都合が良すぎる結論だと思わないのか?」
シリウスは相変わらず難渋を示している。
確かにアーサーの話した展望は、シリウスにとっては最も都合の良い話になるのだろう。
父の名は守られ、そして既に全ての真実を知っている彼にはこの段階で実質”おとがめなし”という結論なのだから。
やたらと罰を求められるのも、何だかおかしな話だが……
……アーサーだって、人間だ。
友人を望んで罰したいなんて思わない。
「そういう話なら僕は案外面白い結論じゃないかと思ったよ」
何故かラルフは含み笑いを漏らす。
ふふふ、と。
どこか黒い影を差しながら、彼は据わった目で口元だけ笑んでいる。
「僕の父は、このまま聖女計画の罪を問われて処罰されたところで、後悔なんてしそうにない。
堂々としたものさ、断頭台に登ることが最後の仕事だと信じてやまないのだから。
だから逆に真実を伝えて放置する方が、よっぽどあの人にとっては堪えるんじゃないかな。
友人の望む理想を手助けし、フォローする自分の姿に酔っている最中。
実はその友人の信念そのものが『世界』を成り立たせるため、主人公のため、悪役に選ばれたがゆえに歪まされ、持たされた
他人を駒扱いしていた自分達も、文字通り『駒』でしかなかった。
残る現実は、ただ友人や大勢の人間の死。
望んで手助けしたのは、他ならぬ自分だなんてね。
もしも僕が父の立場なら、発狂ものの真実だ」
敢えて彼が喜ぶような罰を与える必要は無い、とラルフは憤りを抑えた抑揚のない声で言う。
だからアーサーの結論に対して、反対するつもりもないと言った。
「ちなみにジェイクはどう思う?」
「俺? ん-……
話を聞いててめんどくせーって感想しかなかったわ。
さっきリタが言ってたように、世界でも神様でも、そういうので仕方がなかったってことにして手打ちにすりゃいーじゃんって正直途中まで思ってた。
クリス……じゃなかった、アレクが言うように、実際問題単身で足掻いたところでどうにもならなかったんだろうし」
ぼんやりと顎に掌を乗せて場を眺めていたジェイクは、しばらく言い淀んだ後、低い声で言葉を発する。
性格上ややこしい話は苦手だろう。
ジェイクにとって最も罰を与えたい実父ダグラスは、今身体を満足に動かせず、毎日激痛の中「殺せ殺せ」と呻き続けるような現状である。
戦いの中で死を迎えるよりもよっぽど地獄のような結末。
そしてバルガスも死に――となれば、罰を与えると言ったところで? 会話の流れ上積極的に断罪したい相手もいなかった、と言うことに気づいたのではないだろうか。
だからもう個別具体的に各事件の案件を精査するより、全部
「たださ、何となくアーサーの気持ちは分かるんだよなぁ。
俺、グリムにしこたま『なんで親父を庇ったんだ』って怒られてさぁ。
確かにその通りと言えばその通りなんだ、あいつを助ける義理はない。
……あいつはムカつくし死んで当然だ。
だけどあんなんでも、一応親でさ。
あいつがいなかったら、俺はここにいない――って、フッと思ったのかもな。
全部否定したら、俺は生まれてないし。
なんていうか、最低限、そこだけは感謝……でもないな、存在は認めないと、みたいな?」
己の存在、根源を全て否定するような事はしたくない、という本能的な行動だったのかなぁ、とジェイクは首を捻った。
言う通り、最低限の命への敬意。自己擁護とでも言うのか。
自分にとって都合が悪い
状況は違えども、始まりを否定し尽くしてしまうのは自分の存在を揺らがせる事。
だから完全に拒絶するのではなく、ある程度認めて受け容れるしかない。
もしかしたら、カサンドラが不在だったとしても自分達に出来ることが本当はあったのかもしれないのだ。
そういう可能性を全て消して、世界を恨み背を向けるのでは自己否定にしかならない。
「まぁ、いいんじゃないか?
ライナスだってこんなことで責任負わせて失くして良い人材じゃないし。
出来過ぎた都合の良い顛末だとは思ったけど、確かに……
全部を公開できないなら、落としどころはそこしかないだろ、とも思う」
「僕も、兄様の最初の提案に反対することはできません。
……仰る通り、僕は……
どうすることもできない、この世界の歪んだ本質にずっと苛まれていました。
事件に協力した方々に『何故こんな恐ろしい事をしてしまったのか』と問いただす事など、とても出来ません。
世界は――一つの
アレクはそう言って目を伏せる。
様々な葛藤があることは明白だ。
罪、か。
原因は何であれしてしまったことが全てだ、と断罪されるなら……
アーサーは今まで何度悪魔と化し、いくつもの過去の中で、大勢を苦しめ殺めてきたのだろうか。
巻き戻れば無かったことになるのか?
憎しみに捕らわれ、悪魔となることを義務付けられていた過去の自分の行いは――そのまま罪として見えないところに積み重なっているのかもしれない。
たまたま、今回はカサンドラがいたから救われただけだ。
もし彼女がいなかったら、延々と仕組まれた世界で、自分は………。
幸運の末の今だということを忘れてはいけない。
「………っ………」
すると、それまで殆ど発言をしてこなかったリナが突然両手で顔を覆って泣き出してしまったのである。
あまりにも前触れのない、予測できない彼女の行動に一同が吃驚して肩を跳ね上げる。
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