14 : レオンハルト (Collaborator)




 ――レオンハルト。

   お前に『協力』してもらいたいことがある。





 何の変哲もないお誘いだった。

 婚約者のアイリスとともに、ヴァイル公爵家の晩餐会に出席したのは――もう一年以上前の話になるのか。


 ヴァイル家の当主レイモンドに声を掛けられた時は、まさかあんな悪魔じみた計画の一端を担わせられることになるとは思わなかった。


 もはやどうしようもない。

 レオンハルトにはその段階で自主的に選べる選択肢など実質的に存在しなかったのだ。


 王位継承権を持ち、アーサー王子に似ている外見の同世代の男子。

 それがたまたまレオンハルトだったというだけで、それ以外の理由は無く消去法で選ばれただけなのは分かっている。


 しかし指名された理由など些末なこと。

 話を聞かされてしまった以上、レオンハルトは協力するか、もしくは拒んだ故不慮の事故を装って口封じされるか、どちらかだと覚悟を決める必要があった。



 レイモンドの話を聞けば聞く程、一体この人達の頭は何が詰まっているのかと恐怖に震えるばかりだ。

 レオンハルトはアーサー王子と懇意にしていたし、彼のことは好ましく思っていた。

 彼の命を奪ってまで自分が玉座につきたいなんてただの一度も考えたことさえないことである。


 そんな大それた夢なんか、何故持てる?



 女侯爵となるアイリスの配偶者として、彼女を助けてケンヴィッジ家を支えていく。

 そしてアイリスが男の子を生んだら、その子供が恙なく爵位を継げるように環境を整えていく。それが自分にとって求める幸せ、それ以外を望むことはなかった。



 レオンハルトはケンヴィッジ家にとって、王位継承権を持つ公子というだけの存在だ。


 幸いレオンハルトは幼い頃からアイリスの事を強く想い慕っていたので、自分の身分に誰よりも感謝していたし。

 アイリスの足を引っ張るような存在にだけはなるまいと、自分なりに励んできたつもりである。

 出来るだけしゃしゃりでることのないよう――女侯爵の”夫”、要は入り婿だという自覚も忘れたことはない。

 自分の立場を弁え、彼女を支える事だけを考えてきたつもりである。


 ケンヴィッジ侯爵家より生まれは高貴だが、後々義父となる侯爵に疎まれることだけは避けたかった。

 彼の気に障るような事をすれば、アイリスの夫という約束を反故にされてしまうのではないか……と。彼に首根っこを掴まれているような状態は、きっと婚姻が正式に成立するまで続くのだろう。


 侯爵の溺愛するアイリスの義妹達を邪険にすることも出来ず、一人一人淑女として冷静に対応しなければいけないという現実に毎日胃が痛かった。


 どうにかしてあの身の程知らずの三姉妹に痛い目を見せてやりたかったが、それを自分が主導した、手引きしたという話が万が一侯爵の耳に入れば――


 レオンハルトは愛する女性との婚姻を破棄されるだろう。

 だからかなり慎重に立ち回る必要があった、事なかれだと後ろ指をさされても。



 不安がぬぐえず、戦々恐々とせざるを得なかったのは、学園に入学する年齢に至って未だラルフに婚約者がいないという事実をかなり重く受け止めていたからだ。

 自分との婚約が破棄され、ラルフと婚約することは決して非現実的な話ではない。


 アイリスの選択肢は女侯爵だけではなく、ラルフと結婚して公爵夫人も現実的なものとして未だに健在だった。


 そうなった場合、ケンヴィッジ侯爵は三姉妹に飛び切りの婿を迎え、その婿との間に出来た子供にケンヴィッジ家を継承させるだろう。


 爵位に年齢制限はない。

 子供に爵位を継承させて悠々自適に余生を過ごすという人生計画ノーマルプランさえ変更すれば、彼は老爺になってもその権力をほしいままに愛妾の娘たちを庇護し続ける事が出来るのだ。


 レオンハルトが一番恐れているのは、そのパターンだった。


 ヴァイル公爵の意向次第、気まぐれで下手をしたらレオンハルトはあの三姉妹の誰かと婚姻を強いられる可能性があった。

 反吐が出るような言い方をすれば、自分は種を残す人間として大変都合がいい。

 

 次代のケンヴィッジ家を継がせる『孫』の箔づけのために、公爵家に嫁入りするアイリスではなく三姉妹の誰かと結婚しろと強要される可能性は高い。

 アイリスの母が健在で彼女の実家の後ろ盾があるから次の女侯爵に指名されたと聞くが、アイリスがヴァイル公爵家に嫁ぐならそちらも悪い話ではない。


 生まれてくる子は未来のヴァイル公爵、という餌をぶら下げられては母方の親類が心変わりしないとも限らない。


 現ヴァイル公爵レイモンドの一言で、現状はいくらでもひっくり返る。


 それが今のレオンハルトの置かれている立場であった。 


 アイリス程の素養があれば女侯爵も公爵夫人も、難なくこなせるであろう。

 いや……そもそも、だ。



 彼女ほどの器量、家柄、そして年齢などを考えれば、不可解だ、と感じることも多かった。

 何故……アイリスはアーサー王子の婚約者ではないのだ?



 ずっと胸の内にひっかかっていたことだ。

 レオンハルトの恋情を考慮して、なんてそんなぬるい情などこの貴族社会ではありえない。


 しかしながらアイリスに限らず、記憶にある限りただの一度も、それまで王子の相手がどうなるかの噂が浮いてくることもなかった。

 普通なら王子の婚約者にと御三家の間で何名か候補があがるはずではないのか。


 あがるとすればアイリスが筆頭のはずなのに、何故一顧だにされず想像にレオンハルトと婚約することになったのか。




 レイモンドに協力を強いられた時に、ようやくその謎が解けた。


  


 今まで抱いていた不自然な状況が、彼の話でクリアになっていく。

 三家の当主、いや宰相エリックの妄執としか呼べない『計画』を聞けば聞く程、ぞっと背筋が凍り付いて足が震えていた事を思い出す。




 ここまで知ってしまえば、もう後戻りは許されない。

 自分は彼らにとって都合の良い人形、駒。


 ――レオンハルトに逃げ場はない。

 全てを詳らかにし、真実を訴えたところで一体誰が耳を傾けてくれるだろう。


 物的証拠を残さず、己の手を直接汚すわけではない彼らを単身で糾弾するにはあまりにも無謀すぎる。


 何より、全くレオンハルトにメリットがないのかと問われるとそういうわけでもない。


 計画が全く芽吹くことなく頓挫したところで、レオンハルトは痛くもかゆくもない。

 聖女の素養を持っていた少女がどこかで死んでしまったという話を聞かされて後ろめたさを感じるだけ。


 更にこの話を黙ってもらう対価として、レイモンドは三姉妹を自分達の前から排除する事を承諾してくれたのだ。

 別に王位になんか興味はないが、何も手を下す必要もなく三姉妹をヴァイル家がどうにか片付けてくれるのならそれに越したことはない。



 何、どうせこんな運任せの計画とも呼べない”夢物語”など成就するわけがない。

 アーサーに恨みなどないし、彼の境遇は可哀そうだとさえ思う。

 だから……


 三家の目論見など失敗してしまえばいい。


 そもそもレイモンド自体、この計画に積極的とは言い難いように見受けられる。


 ……”アーサーの身代わり”なんて役どころが回ってくることはない、悪魔なんかが蘇るわけがない。都合よく聖女がラルフ達を選び、恋をするなんて確率の低い話が成るわけがない。


 そうに決まってる。


 どこか楽観的に構えていたのかもしれない。

 名前も知らない庶民の娘一人が消えたところで、自分に関わりがあるわけでもないのだし聞かなかったことにすればいい。






 どうしてだろう。


 こんな馬鹿げた計画が本格的に進むなんてありえないと思っていたのに。




 いつの間にかレオンハルトは、完全なる実行犯の一人として――

 ティルサで、一人の騎士に向かって弓を引いていた。






 何の恨みも咎もないアンディ。

 彼を殺さなければ、”裏切り者”と見做され、奴らに消されてしまう。


 仮面の下、恐怖に顔が引き攣っていた。

 







   ――弓を引き絞り、矢を放つ。









 ※








「………。」




 いつの間にか、自分は意識を失っていたようだ。

 先ほどまで真っ白い空間に放り出され、身動きが取れない状況だったと思う。


 急に視界全てに亀裂が入り、暗転したかと思えば感覚のない空間に閉じ込められていた。

 魔物に襲われた齎された死……とは違うと感じた。


 自分はヴァイル邸宅の地下倉庫から一度地上へ戻り、そこで白い光が悪魔を貫いた様を確かに見たのだ。

 三家の目論見通り、聖女は悪魔を斃し英雄と称される存在になるのだろう。


 そう思った直後に、わけのわからない世界に捕らわれて。

 抵抗もせず、あるがままを受け容れていた。



 ああ、自分はここで終わるのだな――と諦観に浸されていたレオンハルト。


  


 レイモンドの言いなり、傀儡人形になって、計画の幇助をしていたのだ。

 そのせいで直接的にも間接的にも、多くの命を奪うことになってしまった。


 自分が死んでしまうなら、それは当然の罰だ。


 そう、目を閉じようとしたのに……



 突如黄金の光が白い空間を侵食し、覆いかぶさるようにレオンハルトの意識を醒ましていく。



 その光の中心には、見覚えのある女性の姿。






    ……………カサンドラ・レンドール?

 





 彼女の姿は、すぅっと溶けて消えていく。





 それと同時に、レオンハルトの意識が深淵に呑まれていく。

 深く深く。

 このまま、目覚めることがなければ、自分の『罪』は消えるのかな?





 この白い世界に沈んだまま

 浮かび上がらなければ  全て無かったことにできるのだろうか。

 このまま、永遠に――



 




 ※






「目を醒まして欲しい、レオンハルト」



 名を呼ばれ、レオンハルトはようやくはっきりとした自我を取り戻す。

 それまで虚ろだった肉体が、鮮明な感覚を持って目覚めた。


 意識が強制的に現世に呼び戻されたような気分だ。

 頭がくらくらする、視線の焦点がしばらく合わなかった。



 上体を起こし立ち上がると、そこには憤りに身を投じる一人の青年がこちらを見据えているではないか。



「ラルフ君」



 普段どんな状況でも中庸の立場を崩さず、激情にかられる事を想像したこともない。

 そんなラルフが怒り心頭、と言った様子でレオンハルトを睨めつけてくるのだ。

 寝起きざま一番最初に飛び込んでくる顔としては、少々刺激が強い。


 元が美貌の貴公子だ、それも常に人当たりの良い彼が憎悪さえ孕んだ視線を向けているのだから。



 だが彼はなんとかその怒気を抑え込むように、出来る限り声を荒げないよう慎重に声を掛けてきた。




「……僕は……貴方を信じていたい。

 こうしてヴァイルの敷地内に貴方が倒れていたことは何かの偶然、父とも忌まわしい化け物とも一切関係がない。

 それが真実であって欲しいと思っているのだけど」




 今まで涼しい顔をして、アーサー王子やラルフの前に姿を現わしていた。

 三家の当主が何をし、何を企てているのか全て知っていながら口を噤んで成り行きを見守っていた。

 そして最終的には、自分の手を汚してしまったわけなのだから。



「………。

 今更、言い訳も申し開きをすることもないよ」




 そうせざるを得なかった、自分の身を守るためには従う他なかった。

 半ば脅されたようなものかもしれないが、事が終わった後に自分が利益を享受する約束をしている以上、それは”取引”としか見做されないだろう。



 ラルフは疲弊しきった表情で、少なからずショックを受けているようだ。





 そりゃあ憤りもするし、憎しみを向けたくもなるだろう。

 何せ自分はラルフの友人を悪魔にさせて殺させるなんてふざけた計画の加担者なのだから。

 「敗れた」側なのだから、これから現実がどう変わっても……

 自分の償うべき罪は変わらないのだし、命があるとも思っていない。




 いくら言葉で責任逃れをしようが、隊商を襲わせるために魔物の卵を盗み、彼らに運ばせるよう手配させたのは自分。

 森を出て彷徨っていた魔物の幼体を捕らえ、それをティルサの町に放り出したのも自分。

 アンディという名の騎士に向かって矢を射かけたのは確かにこの汚れた自分の手だったのだから。 



 王子に罪を着せるため、言われるがままに動いたのはレオンハルトという人間。 

 決して、騙されたわけではない。




 素知らぬ風で今まで彼らと接していた事を思い出し、怒りに肩を震わせているのだろうラルフ。

 彼を裏切ってしまったのだから、申し訳ないと思っている。




「レオンハルト、本当にすまなかった。

 こうなったのも、僕のせいだ」


 彼はとても怒っていた。

 だがそれを向ける先は、何故か眼前に跪いているレオンハルトではなく彼自身のように見える。

 彼は唇を噛み締め、謝罪の言葉を零した。

 困惑するレオンハルトの前にしゃがみ、肩に手を添える。


 何故彼が自分に謝るのか、と驚き首を傾げた。


「はは、おかしなことを言うものだ。

 君のせいだって?

 君は何も知らなかった、ただの被害者だろうに」




 だが彼は首を横に振る。




「僕だけが、気づけたのに敢えて見ないふりをしていた。

 アーサーやシリウスの様子が以前と違うと感じた事は一度だけじゃない。

 学園に通い出して『何かがおかしい』と思っても、自分には関係の無い事と流れに任せ何もしなかった。

 今は、過去の自分に怒りを覚えるばかりだ。


 レオンハルト。

 僕が――君にとって秘密や事情を相談するに足る人間だったら、防げたことはいくつもあっただろう」



 レオンハルトは彼が何を言いたいのか、全く理解できなかった。

 理解できないけれど、彼が”自分”を責めているということはよく分かる。


 何故だろう、と首を捻る。

 彼が後悔をする必要など微塵もない。


 誰にも知られないように動いていたのはこちら側だ。

 だから”何もしなかった”、と後悔するのは視点が全く違う気がするのだが。

 脅されるような形ではあったが、指示を受け容れ協力することを選んだのは紛れもないレオンハルトなのだから。









「……僕は何故真実を突きつけられるまで傍観者の立場から降りようとしなかったのかな。

 誰かの我慢の上で成り立っていた関係に縋って、壊す事を嫌がっていたのは僕じゃないか」







 彼は煤け埃に塗れた衣服を叩くことも忘れて、魘されるように言の葉に乗せる。


 レオンハルトを許せないと怒っていると思ったのだけど、ラルフは別の何かに対し怒っているように見えてしょうがなかった。

 それがレオンハルトの動揺を誘った。


 自分は当然罪を負うだろうが、今後どういう結末を迎えるのか詳細に分かるわけではない。

 ヴァイル公爵は実権を維持できる可能性は高いのではないか? と想像するくらいだ。


 レイモンド公爵の犯した罪を被り、レオンハルトがトカゲのしっぽ切りに遭うだけ。彼がレオンハルトを切り落とすと言うのなら甘んじて受け入れる。

 万が一でもアイリスに累を及ばせないよう、出来る限りヴァイル公爵に権限を持たせたままの落としどころに持って行って欲しいとさえ思う。

 彼がその地位に就いている以上、ヴァイル家の所縁のあるケンヴィッジ家――アイリスのことは、守ってくれるだろうから。


 自分が協力者として断罪されることは、破れてしまった側にいる以上覚悟しなければいけない。


 どこまで、一人で罪を被れるだろうか?



 そんな風に、起こした”災厄”の責任の所在をどこまで引き受ける事が出来るのかと考えているレオンハルト。



 だが全くラルフの見ている景色が違うのではないか、と思える。

 彼は自分を責め立てるようなことは一言も言わなかった。口ぶりから推測するに、レオンハルトがこの計画に協力していることを勘付いているはずなのに?






    ラルフ君、君は一体………?






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