13 : リゼ (Karma)
「……ジェイク様ー!
どこですかー!?」
リゼはフランツと共に、ジェイク達が戦闘していたという中央広場へと急いだ。
負傷し疲弊しきった騎士達が大勢道端や茂の奥に崩れ落ち、身体を折るようにして蹲っている様子にリゼは息を呑んだ。
フランツが言っていたように広場上空に魔物が入り込む大きな孔が空いていたようで、ここからは羽根を生やした悪魔が続々と無限に入り込んで来たのだろう。
他の場所とは比べ物にならない激しい戦闘が繰り広げられた跡がそこかしこに残っている。
リゼは内心大きく動揺していたが、怯懦を悟られないよう必死にジェイクの名を呼び続けた。
行方知れずになってしまったカサンドラを探さなければいけないという気持ちは当然強かったが、学園前までこの惨状を報せに来た騎士の報告に――
リゼはいてもたってもいられず飛び出して来てしまった。
傍で話を聞いていたフランツも顔色を変え、共に急ぎ夜の街を並走していた。
「嘘だろ、アイツが大怪我とか。
そんなポカをするような奴じゃないだろうが」
フランツは苛立ちを抑えず、何度も舌打ちを繰り返す。
……ジェイクが大怪我をしたという話に心臓が大きく跳ね上がった。
彼が死ぬだ、それに近い状況だなんてとても想像できない話である。
だが、彼の姿を確認しなければ何も手に着かない。
リゼは必至になって、彼の姿を求め名を呼び続け――
「あ、リゼ! こっちこっちー!」
こちらの声に気づき、大きく手を振るグリムの姿を発見した。
ブンブンと両腕を頭の上で交差させ、リゼを呼び止める彼を見つけ、フランツと視線を合わせる。
喉を鳴らして頷き合い、二人同時に、走る方向をグリムの方に向けた。
緊迫した状況下ではあったが、月明かりの下で手を振るグリムの顔は”絶望”とは少し違う。
多少不機嫌そうな表情ではあったようだが、リゼと目が合うとホッとしたように笑顔を浮かべていた。
その様から、最悪の
今日は北へ南へ西へ――あちらこちらに駆けずり回る日だ。
「リゼ、ありがとう……!
あの化け物を斃してくれて。無事? 大丈夫?」
「あーーー、うん。
私の事はどうでもいいの、ジェイク様は? ここにいないの!?」
今にも飛びついてこんばかりの笑みを浮かべるグリムだったが、今は全く落ち着いて話が出来る状況ではない。
「ジェイクなら、そこにいるけど。
……はーーー……ほんっとに! ほんっとに、馬鹿だよ!」
”そこ”と言われてグリムが指差した先の地面の上に、ジェイクは苦悶に必死で耐えながら座り込んでいる。
額から脂汗を流し、深い夜に微かな月明かりということを差し引いても顔面は青白い。
彼は――左腕を反対側の腕で押さえたまま歯軋りしていた。
リゼが近寄って、彼の腕に触れようとする直前、「触るな!」とジェイクが決死の形相で呻き声を上げた。
彼の辛そうな表情にリゼは大混乱に陥っている。
「骨、折れた。
マジで痛てぇ……」
もしも不用意にリゼが彼に縋りついていたら、その衝撃で彼は絶叫を上げることになっていただろう。
彼が痛みに顔を歪めているのは、腕の骨を折ってしまったせいだと言う。
何とか自身の腕で押さえ固定しているが、気の遠くなるような痛みであることは伝わってくる。
血の気が引いた。
痛みを堪えてその場に座り込んだままのジェイクを見て冷静でいられるわけがない。
普段元気で、風邪一つひかず怪我もしないだろうと思われていた頑健な青年が意識を失いそうな痛みに耐えているのだ。
リゼはようやく自分の特殊な能力の事に思い至り、大きく頷く。
彼と視線を合わせるために中腰に屈み、拳をぎゅっと握って彼に進言したのだ。
「ジェイク様、私が治します!」
だがその言葉に被せるよう遮ったのはジェイク本人である。
彼は橙色の瞳を細め、キツくリゼを睨み据えて明確に拒絶した。
「――駄目だ。
折れただけだ…
絶対に、治すな」
「え? でも……」
「駄目だ、要らん!」
そう吐き捨てるように言うと、ぐっと息を詰めた。
彼の全身が震えているのが分かる。
早く安静にできる場所へ連れて行って――自分に「治すな」と言うのなら、医師に診てもらう必要があるだろう。
「お前が骨折、ねぇ。
そんなヤワな身体だとは思えんが、何があったんだ?」
命に別状はないと分かったからか、フランツは細い息を吐く。
だが骨折も当然重傷に値する、一刻も早い加療が必要ではないかとリゼに焦りが募った。
治せるんだから!
私が治したっていいでしょうに!
そう叫びたかったが、彼の真に迫った切実な訴えを無視して勝手に治すことはできなかった。
当人がここまで望まないことを、リゼの勝手な判断で強行してしまっては駄目な気がしたから。
「全く、馬鹿だよ!
なんで……
なんで、あんな奴を庇ったりしたのさ!?」
地団太を踏むかのように、グリムは叫ぶ――と同時に、背後で何か重たいモノが這いずるような音、そして嫌な気配を感じて背筋がぞぉっと戦慄いた。
「聖女………か……?」
息も絶え絶えに、地面に這う大きな黒い塊。
いや、塊に見えたものはちゃんとした人間で……
「ひっ……」
一歩、後ろに退いた。
赤い髪。
橙色の、瞳。
ジェイクと同じカラーリングの男性は……
「俺を……俺を、治せ」
彼は地面に這いつくばり、まるで墓場から這いずり出た亡者のような仕草で震える手をリゼに向けて伸ばしてきたのだ。
悲鳴を上げてしまったのもしょうがない、口の端に血を流し這いずる男が自分を捕まえようとするのだから。
「将軍……!」
掠れた声で絶句するフランツの声で、初めてリゼはこの大柄の男がジェイクの父だということを知った。
音を立てて、血が足下に落ちていく。
この男が……元凶なのか、と。
「リゼ、こいつの言うことは聞くな。
俺も治さなくていい、こいつもな。
……いや……
そもそも、治せるもんでもないだろ。
魔法の使い過ぎで魔力を喪って。
反動で全身にガタがきたってだけだ」
魔力を使い過ぎたための反動……?
枯渇?
確かに魔法という『力』の危うさはリゼも良く知っているし、魔力が決して永続的なものでもないことも知っている。
だが、立ち上がる事も出来ずに全身を小刻みに振動させ、ぜぇぜぇと苦し気に呻く男の姿は……
悪魔とは違う意味で、
目は血走り、身じろぐだけでも激痛が彼の身体を引き裂くかのように顔が歪む。
「もう、信じらんないよ。
こいつも年貢の納め時かって思ったら、ジェイクが庇いに飛び出るんだから。
……デカい身体を支えきれなくて骨折るとか、何なのさ」
腰に手を当て、完全に呆れ果てるグリム。
彼の身体はどこからどう見ても健康体そのものだ。
あの時は――聖女の持つ癒しの力があればグリムを救えるのではないか、と思いつき実行したわけだが。
今になって、尋常ならざる奇跡だったのではないかと自分で自分の行いを見せつけられたような気がして、心臓がバクバクと音を立てる。
聖剣を手に取って悪魔を貫くよりも、自分が本当に病気や怪我を一瞬で治せる力が備わっているのだ、と。
リタがカサンドラの命を繋ぎとめた時に分かっていたはずなのに、改めて自身の特異性に眉を顰めざるを得ない。
じっと両の掌を見つめる。
「お前は、聖女……だろう。
俺を、治せ」
すぐ足元にまでにじり寄る将軍の指先から逃げる。
異様な光景だっただろう。
ダグラスが地を這いずり、聖女と呼ぶ少女に”助け”を求めるその姿が。
その傍らで、歯を食いしばり痛みを堪えその様子を睥睨するジェイクの視線と相俟って、周囲で様子を伺う騎士達がどよめき始める。
周囲は怪我人で溢れている。
大挙して押し寄せる魔物達をここで食い止めようと、長い時間ここで戦闘が繰り広げられていたのだ。
当然怪我だけでは済まない者もいる、夜の暗さでその凄惨な光景が覆われているだけで、朝陽が昇れば気が遠くなるような惨状が露になるのは間違いない。
そこで倒れ伏すダグラスがリゼを聖女と呼び、そして「治せ」と言う様に注視するのは当然のことだろうか。
あの悪魔を斃し、更に襤褸のような状態の人間を治癒できるのかと緊張が周囲一帯に走った。
救いを求めるような、絡みつく彼らの視線を一身に浴びてリゼは一瞬頭が混乱しかける。
救う?
グリムを見る。
元気そうで、怪我一つもない姿――自分が治した、彼の”病”。
確かにその力があるのなら、救わなければいけないのか?
そうするべきなのか、と一瞬グラッと思考が揺れた。
異常な状況に判断力が鈍る。
「――ふざけんな!
……いいか、お前ら。
リゼの、いや『聖女』の力って奴は、
……あの化け物を斃した『聖女』に、これ以上負担をかけるような事は絶対するな!
いいか、それは俺もそうだ、”将軍”も同じ。
誰だろうが、俺は絶対に許可しない」
絶対に治すな、と拒絶したジェイクの答えは全てその一言に集約されるのだろう。
自分が特別扱いをし、自分の命を他人のために削るなら。
特別扱いをしなかった人間の真剣な訴えも、ダグラスの悲惨な状況も聞き届けなければ――自分の力を恣意的に利用したとしか見えなくなってしまうから。
嫌でも不公平感、不平不満を生んでしまうから?
激痛で意識も朦朧としているだろうに、ジェイクは声を張り上げた。
ビリビリと周囲を鳴動させるその声は良く透り、しん、と周囲の高揚を鎮まらせる。
「許可……? 笑止。
俺が、治せ、と言っている。
これは 命令だ」
息も絶え絶えな様で、ダグラスは吐き捨てる。
命令というのは、リゼに対するもので。
彼がこの国で偉い人だということは分かっている、本来なら彼の言葉は絶対なはず。
逆らうことなど出来ない――
身分が上の人間に逆らうということを今まで考えたこともなかったリゼにとって、足元がぐらぐら揺れるような強制力を持っている。
いや、今まで自分にそんな風に上から頭ごなしに命令してくる大人はいなかった。
学園生活は案外皆普通で、優しい人が多かった。
だからこの土壇場で偉い人に直接有無を言わさないような命令を下されれば……それに従わなけれないけないのか?
冷静に判断できない、戸惑いが生まれてしまったのだ。
『リゼ』
だがそんな自分の動揺を振り落とすように、ジェイクとグリムの声が重なる。
驚いてジェイクの方を眺めると、彼は首を横に振った。
ぐっと腹に力を籠め、痛みを堪え短く荒い呼吸を繰り返しながら。
自分の足に縋りつこうとするダグラスの指から逃れるように、リゼは身軽な動きでジェイクの隣に立つ。
こちらを睨み殺さんばかりの憤怒の表情を向けるダグラスは、怒鳴りつけようとしたのだろう。
しかしそれは声になることなく、ゴホゴホと血痰の絡んだような咳にしかならなかった。
「なんだ、これは……
身体が、痺れ……動かん……
息が……苦し…
ぐぅ……」
「はは、まだご自分の立場がお分かりでない?
耄碌するにはまだ早いと思うけどさ、アホみたいな魔力と一緒に思考能力まで失くしちゃったのかな?」
地面の足を踏み、無駄に音を立て。
グリムは初めて見るような爽やかで楽しそうな、満面の笑みを浮かべてダグラスに歩み寄る。
「……聖女様は、ジェイクの方に付くってさ。
動かない身体でいくら偉そうに言っても、滑稽なだけだけど」
「……。」
それはグリムの抱えていた彼への鬱積していた恨みだったのだろう。
あくまでも明るく、にこやかに。だが根差す感情は深く、リゼも言葉を呑み込む。
まだ往生際悪く意味不明な事を呻くかと思いきや、ダグラスは黙す。
そして状況を悟り、リゼに対し敵意を向けるようなことはなかった。
彼は――敗北を受け入れた。
勝ち負けという分かりやすい線引きを敷くことにあまり抵抗はないのは、彼が曲がりなりにも実力勝負の武力の世界に身を置いていたからだろう。
治せといくら彼に命じられようが、ジェイクがそれを望まないならリゼは敢えてその制止を振り払って癒す義理はない。
いくらジェイクやグリムの父親であっても、だ。
そもそもジェイクの言う通り、魔力の過剰な放出が原因で体に無理が祟ったのだとすれば怪我や病気とはまた違う状況なのかもしれない。
彼もまた、この事態を知っていた――裏で糸を引いていた一人。
バルガスという駒を使い、カサンドラを、皆を傷つけてきた元凶であることは疑いようもない事実。
「いっそ――殺せ。
……思うように、動けぬ……
四肢が、もがれる……息が………」
今まで通りに動けない儘ならない身でしかいられないのなら、と。
潔いともとれる、決して冗談ではない彼なりに出した結論だったのだろうか。
折角ジェイクが負傷してまで庇い、助けた命を簡単に投げ捨てるなどという事を言う。
あくまでも彼は”個”として存在しているだけで……そこにあるジェイク達の事など、本質的にどうでもいいのだろう。
「ああ、それ……まるでちょっと前の僕みたいだ。
発作が出たらね、動けなくって。
苦しくて……
走ったら、心臓に激痛。
目が霞む。
息が出来なくなるって、辛いね。
分かるよ。すごーく分かる」
グリムは自分の父親が伸ばす腕、震える手指を思いっきり踏んづけた。
将軍は喉の奥に悲鳴を押し殺す。
「何も死ぬことはないじゃない?
あんたの奥方様、とっても良い静養地を御存じですよー。
どうぞどうぞ、何年でも余生を無駄に過ごせば?
ろくに動けない身体でさ、僕と同じように!
ああ――自分が侮っていた
グリムの言葉一つ一つが鋭い刃となって彼の全身に突き立てられる。
全てに悪態をつきたいだろうダグラスも、もはやろくに喋る事さえできない痛みに苛まれているようだ。
……ああ……
剣をとって組手をしたあの日。
突然煽れ、蹲って動けなくなってしまった彼の姿と重なるではないか。
立ち上がることもままならず、地面に突っ伏す姿にリゼは背筋が凍りつく。
人の恨みなんて、無意味に買うものではない。
あのお人好しで明るい性格のグリムが我が意を得たと言わんばかりの喜色を讃え、己の父を足蹴にする様は――
彼の人生を踏みにじった因果が跳ね返って来ただけだと理解していても、呆然と立ち尽くし言葉が出なかった。
「ジェイク様、……大丈夫ですか?」
自分が少しの生命力を犠牲にすれば、彼の痛みも治まるだろうと分かっていて。
それでも彼たっての望みでそれを拒絶されてしまっては……
色んな感情が綯い交ぜになり、いてもたってもいられないもどかしさに苛まれ吐きそうになる。
好きな人を治せる力があって、それさえ自分には許されないのか。
「大丈夫じゃねー。
……滅茶苦茶痛てぇ。
フランツ、肩貸してくれ。
……休まないとマジで限界」
「はいはい、ほんっとお前――無茶するよなぁ」
今の兄弟、親子のやりとりの一部始終を眺め、果たしてフランツは何を想ったのだろう。
だが彼は将軍を助けろとも、ジェイクを癒せとも言わず。
傍で転がる将軍を一瞥もすることなく、通り過ぎて。
ジェイクの指示にだけ従い、手を伸ばす。
その様子は他の騎士達も皆固唾を呑んで見守っていたし、誰も口を挟むことも助けを求め縋ることさえ叶わない特異な空間。
恐らく――それが、ロンバルドの中での明確な序列の変化になったのだ。
「リゼ」
よろめき、激痛に貌を歪めたジェイクは、思い出したように声をかけてくれた。
「よく頑張ったな、お疲れさん」
白み始めた夜の端、その静かな光を前身に浴びて笑うジェイクの姿を見て、リゼは少しだけ、泣いた。
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