11 : テオ (Menacing)





   ――どうして、こんなことになってしまったんだ




 少年は一人、崩れ落ちた男子寮の柱の陰で蹲って震えている。

 頭を抱え、魔物が消え失せたと分かった後も、なお恐怖に震え続けていたのだ。


 真っ白い不思議な空間の中、身動きが取れない自分の目にハッキリと映った『彼女』の姿が恐ろしかった。

 自分を罰するために目の前に現れたのかと覚悟したほどだ。



「ごめ……なさ……い……」



 目を閉じ、金色に輝く彼女の姿を思い出す度に謝罪の言葉が口を衝いて出る。

 譫言のように、ぶつぶつと同じ言葉を繰り返し呟き続けていた少年、テオ。


 彼は虚ろな瞳で、放心状態だった。



 夜の闇を照らす優しい月明かりが、一人ぼっちのテオを照らす。



 いつまで、そうやって膝を抱えていただろうか?

 遠くから聞き覚えのある声が聴こえ、それが徐々に近づいてくることに気づいてしまった。




「――様、カサンドラ様ーーー?

 って、………テオ!? こんなところで何してるの!?」


 汗と埃、そしてボロボロ状態のリタが突然視界に現れたのだ。

 まさかこんなところに誰かが足を踏み入れるなんて思っていなかったので、テオは悲鳴をあげかけた。


 寮にいた生徒の殆どは学園内に走って逃げ込んだはず。

 テオは魔物の強襲を受けて半壊している建物に潜んでいるのだ。


 生きた人間が残っているか? と、探しに来るにしても夜明け後の事だと思い込んでいたので仰天した。



 懐かしい顔。

 テオの涙腺が、彼女の姿を見た瞬間に決壊する。



「……!

 リタ……姉ちゃん……!」



 それはどんな感情から湧き出る涙だったのだろう。

 自分でも分からない。


 後悔か恐怖か安堵か。

 


「テオ、大丈夫?」


「うん。

 オレは平気、だけど……」


 言い淀む。


「良かったぁ」


 彼女はホッと息をついて、テオを見下ろしている。

 いつもと変わらない明るい笑顔……というわけにはいかない、リタの雲った表情にテオの鼓動が高まる。

 嫌な予感が止まらない。


「ねぇ、テオ。

 この辺りでカサンドラ様の姿を見なかった?

 学園にいたはずなんだけど、いなくなっちゃったの!

 知ってる?」


 彼女は藁をも縋る、と言った様子だ。

 早口で話しかけてくる。

 真剣な表情のリタを前にし、テオはぐっと喉を詰まらせた。





  カサンドラ様がいなくなっちゃった。





 彼女の憔悴をはらんだ言葉に、意識が再びフッと遠ざかりそうになるのを懸命に押しとどめる。



「テオが知るわけないよね、ごめん。

 でもこんなところに一人でいたら不安でしょ?

 皆、学園にいるから合流しようよ。

 もう悪魔はいないの、何も怖くないから」


 ね?


 そう言ってリタが手を差し伸べてくる。

 泣きじゃくっているテオは、まだ魔物達の影に怯え竦んでいるように見えたのだろう。




「違う、違うんだ。

 ――……ごめん、オレのせいだ」




「………? テオ?」




 うっ、うっ、と。

 膝を抱え、額を膝小僧に擦りつけて嗚咽を漏らす。



 そんな姿を目の当たりにしているリタの困惑が伝わってくるが……

 懺悔せずにはいられなかった。







 ※







 テオが王都の王立学園に入りたいなんて無謀な事を言いだしたのは彼女達と同じように都会で過ごしたい、良い職に就きたいという真っ当な想いゆえ。



 だが三つ子を守りたいという確かな覚悟を持ち、学園の試験をパスするため本気で努力を始める"きっかけ"は確かにあったのだ。





 三つ子が入学してしばらく後、テオはセスカ領にある大きな町で、一人の男性と知り合った。

 彼はどこぞのお偉い貴族らしかったが、積み荷を荷馬車から落として途方に暮れるテオの手伝いをしてくれた。貴族らしからぬ良い人で本当に吃驚したものだ。


 世間話をしていた中で、自分の出身村の話に及んだ。

 自分の中の良い幼馴染の三つ子が学園に入学した、と誇らしげに胸を張ってそう言ってやったのだ。


 すると血縁者が学園の講師をしていると言ったその男性は、顔を曇らせて『新入生の三つ子』の事を語ってくれた。

 ワクワクしながら男の話に耳を傾けるテオ。


 意気揚々と学園へ通うために王都へ発った彼女達の事が気にならない日はなかった。彼女達の学園生活がどんな様子なのか聞きたいと思うのは当然のことである。





 ……三つ子が酷く陰湿な”虐め”を受けている、と聞かされ天地がひっくり返るくらいの衝撃を受けた。

 あの三人が誰かに虐められるという事態が大変考え難かったからだ。


 虐めの首謀者は、なんと王子の婚約者のカサンドラという女生徒らしい。

 彼女は地方貴族の令嬢なのに王子の婚約者に抜擢され、学園内でもかなり幅を利かせている高飛車なお嬢様らしい。

 

 性格も悪く、同じクラスの庶民達を虐めて遊んでいるのだとか。

 特に三つ子は目立つので彼女に目をつけられ、酷い扱いを受けているが確たる証拠はないと言う。


 皆彼女に逆らえない状態だ、と。


 それを聞いて当然テオは腹が立った。

 庶民差別をするような人間が王子の婚約者ということもそうだが、大切な幼馴染が謂れもなく辛い思いをしているのは耐え難い。



 自分が学園に入学して、彼女達を守りたい! と。

 自分もバリバリの庶民だ、生意気な真似をすれば盾になれる、彼女達の身代わり対象になれるはずだ。



 そんな騎士的思考を持って、学園に入学するため努力を続けたのだ。

 夏に彼女達が帰省した時は虐めのことなんか一切言わなかったし、そんな素振りも見せなかったし話題にも出なかった。


 ただ、リナ達は人の悪口を言うような人達ではない。

 きっと辛い思いをしても、三人で励まし合って過ごしているのだろう――彼女達の健気さに一層自分が何とかしなければ、という意気に燃えた。


 特に次代の王妃様の悪口を吹聴したなんて知られたらもっと大変なことになる。

 慎重に口を噤んでいるのも当然と思えた。


 ああ、なんて貴族社会は陰湿なんだ、と腹を立てたものだ。


 そんな話を誤魔化すかのように好きな相手が出来たとか目玉の飛び出る話もされたが――相手は大貴族のお坊ちゃまだとか、開いた口が塞がらない。


 絶対騙されているか遊ばれているに決まっている。


 貴族という存在に嫌悪感しか感じなくなっていた。

 きっと御三家の御曹司たちも陰ではあくどいことをしているに違いないのだ、自分がそれを暴いてやる、とやる気に満ちていたテオ。





 だが実際に入学が決まって男子寮に引っ越した後、テオはとても困惑した。

 どうやらカサンドラという女生徒はあの貴族の男が言っていたような性悪で陰険な人間ではないらしい。

 三つ子とも懇意にしている――?


 いやいや、奴隷扱いされているのがそう見えるだけかもしれないし?


 裏では陰惨な目に遭っているのかも!?



 まるで真実が分からず、混乱は増す一方だった。



 ただ、入学式や校舎案内で実際に見たカサンドラや三つ子達の雰囲気は、何だか想像していたものとは違った。


 しかもその上、リゼから「私達に近づくな」という強めの忠告まで受けて大混乱だ。

 助けて欲しいとか、力になって欲しいなんて様子は微塵たりとも感じない。

 心の底から想う男性に誤解されたくないという必死さが伝わってきて、おののき引き下がるしかなかった。


 虐めだとか虐げられているとか、そんな雰囲気は微塵もない!

 ただの恋する女子以外の何者でもない。


 一体全体、どういうことだ?

 あの男の話は全て出鱈目だったのか?


 もしかしたら、カサンドラが心を入れ替えた?

 虐めの対象を変えた?



 入学直後は困惑こそしたものの、どういう経緯であれ実際にいじめが無いならそれはそれで問題が無いわけで。

 三つ子が楽しく学園生活を過ごしているなら、テオだって何の文句も不満もない。



 だが今一、釈然としない話ではないか。


 テオは凄く消化不良だ。

 入学出来た喜びが吹き飛ぶくらい、毎日モヤモヤした日々を送っていた。


 あの情報は何だったのか、何が真実なのか?



 思い立ったら行動は早い方が良い。

 自分なりに彼らの情報を集めることにしたのだ。



 カサンドラのこと。

 王子のこと。

 ジェイクのこと、ラルフのこと、シリウスのこと。

 


 色んな人に聞き込みをし、評判を聞き、こっそり後をつけ、同じ講義になれば様子を伺い……



 一か月ほど独自調査を継続したが、彼らが『良い人』である傍証しか集まらなかったので肩透かしも甚だしい。


 テオは何も口出しすることもなく彼女達を遠巻きに眺めるしかない。

 立っているステージがそもそも違う、三つ子の姉的幼馴染を守るために特攻するならまだしも、平穏無事な別学年クラスに突撃して掻き乱すほど常識知らずではない。


 リゼにああまで強く近づくなと言われては、親しげに話しかけるのも躊躇われた。



 一体あの男は何だったのか……



 思考はそちらにシフトしかけていたが、彼は別に学園で教鞭をとっているわけではない。

 学園の”遥か昔の”卒業生”で、今は直接関係がない貴族だ。

 

 きっと風の噂を聞き違え、勘違いしていたのだろう。

 カサンドラも三つ子も目立つ存在だ。

 変な風に話に背びれ尾びれがついた結果、偶然にもテオの耳に入っただけ。


 ……まぁ、おかげで真面目に入学試験勉強に取り組む大きな動機付けになり、こうして合格できたのだから結果オーライというものではないか。


 そんな風に、あの不穏な噂の出所の詮索を辞めかけていた矢先の出来事だった。





   あの男 が 再びテオの前に姿を現した。





 巨躯の逞しい壮年男性。

 人一人くらい余裕で葬り去れそうな、物騒な空気を纏ったオジサン。



 昼休み、テオは何故か学園内を闊歩していたあの男彼に声を掛けられ、人気のない場所で一通の手紙を突きつけられた。



 それを拾ったていで”カサンドラ”に手渡すよう言い付けてきたのだ。

 当然テオは嫌だと言った。

 大きく頭を横に振って、拒否をした。



 何故なら、その手紙の差出人の名前が他ならぬ王子の署名だったからだ。

 本物の王子の手紙を彼が持っているとは思えない、本物なら直接本人に渡せばいいだけの話。


 これを親切に拾い上げた形でカサンドラに渡す――なんて、どう考えても穏やかな話にはならないではないか。

 彼女を陥れるための何かだ、と直感する。


 だが男はその手紙をテオに押し付け、言うことを聞くように睨みつけてきた。


 最初に三つ子の虐めの件を心配そうに伝えてくれた彼と姿は同じなのに、まるで別人の形相。

 冷たい眼差しで、威圧感のある声でテオに命じた。



  やれ、と。



 有無を言わせぬ口調で、彼は端的に宣告する。



『何かに使えるかと――お前を合格させてやったのだ。

 一つくらい、役に立って見せろ』 




 足が竦んだ。

 合格”させてやった?”



 その言葉の意味を考えると、頭が混乱して泣き出しそうになった。


 分からないが、彼に逆らうことは自分の身の破滅なのだと理解できる、恐怖を感じて全身を小刻みに揺らす。







   ただ この手紙を カサンドラに渡すだけで良い。






 それだけで自分は、何ごともなかったように学園生活を続けられるのだ。

 ただ、渡すだけ。


 もしもこれをしくじれば、自分は………





 恐ろしかった。

 人の命などなんとも思っていないような、酷薄な瞳が。

 丸太のように太い、隆々としたあの腕が。


 


『貴様は三つ子のことが大事なのだろう?』




 駄目押しの彼の一言に、テオの心に僅かに残っていた抵抗心は陥落した。


 もしも自分が嫌だと言えば、彼に逆らったら、自分だけでなく彼女達にまで累が及ぶと言わんばかりの物言いに頷くことしかできなかった。




 自分はただ、放課後、手紙を渡すだけ。


 落ちていたと言って、渡すだけ………






   この手紙は、何だ?



   彼女カサンドラはどうなってしまうのか?



   最悪の可能性を考え、息が詰まった。







 ※





 一体カサンドラはどうなってしまったのだろう。


 無事なのだろうか。

 無事だとしたら、自分のしたことが明るみになって処罰されるのだろうか。



 怖い、怖い……!



 突然世界が闇に包まれ、周囲が阿鼻叫喚の様を呈した時よりも自分のしでかしたことの方が恐ろしくて、一人逃げ帰り部屋で震えていた。

 建物が壊れ、皆が逃げ出した後もどこにも行く気力がなくてずっと蹲っていた。


 魔物に見つかれば殺されるかもしれないが、自分のやったことで断頭台に登らされることの方が恐ろしかった。

 冷静な判断が出来ない恐慌状態の中。



 突然世界が真っ白に染まり、身動きが取れず意識が遠のいていく刹那の間に……


 自分が陥れる手伝いをした”カサンドラ”が金の光を纏いながら姿を現したのだから心は限界だった。



 カサンドラが自分を糾弾するためこうして夢の中に姿を見せたのか? と、覚悟を決めたくらいだ。

 彼女の身に何が起こったかなんてわからないが、あの男がアクションを起こさないはずがない。

 考え得る可能性に、平和裏に終わるものなんてなかった。


 あの男の酷薄な目を思い出すと恐ろしい。

 全身が金縛りになったかのようだ。




「……テオ!」




 リタがこんな状況でカサンドラが行方知れずだと探し回っている姿を探し、ぷつりと糸が切れてしまった。

 ぶわっと押し寄せる涙を押しとどめることができない。


 リタは――いや、三つ子達はカサンドラの事をこんなにも慕っていたというのに。

 恐ろしいからと、そんな彼女を陥れたことに一役買ってしまったことによる罪悪感にどうにかなってしまいそうだ。





「ごめんなさい、ごめん……!

 オレ、オレのせいで」



 わぁぁぁ、とリタに文字通りしがみついて泣き出してしまった。

 小さな子供ガキの頃だって、こんなにみっともなく泣き喚いたことがあっただろうか。 



 つっかえつっかえ、テオは自分がしでかしたことをリタに告白した。

 自分一人で抱えるにはあまりにも大きくて、後悔して。


 このどもった声でリタがどこまで事情を分かち合ってくれたのかは分からない。


 彼女はとても驚いていたけれど、しがみついてくるテオの頭を”よしよし”と撫でた。



「そっか、テオは私達のこと心配してくれたんだ。

 ……うん、そっか。

 ………最初に突き放しちゃった形になっちゃったからね……

 こんな大切な事も相談できないくらい、遠ざけちゃってごめんね」





 テオを責めたいだろうに、リタはそう言ってテオを慰めてくれた。


 いや、彼女が自分を非難し、責めるようなことはしないなんて最初から分かっていた。自分は卑怯なのだと思う。

 でも…



 ごめんなさい、と謝っていると本当の事が話せて心が少しずつ軽くなっていくような気がする。







「テオ、一緒にカサンドラ様を探そう?


 ――謝るなら、カサンドラ様に直接言わないと駄目でしょ!」






 勢いよく、バシンと背中を叩かれる。





 彼女の存在に、土砂降りだった心の隙間に光が射した。

 

 

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