08 : リナ (Saint)



 



     とても不思議な光景を見た。






 白い世界に取り込まれ、自分の記憶ナカを浸食されていく感覚にぞっとする。

 『もう駄目だ』とリナは何もかもを諦める寸前であった。




   自分達は何を間違っていたのだろう。

   悪魔を斃してはいけなかったのか?


   そもそも、この世界に未来なんて最初から用意されて無いんじゃないか。




 敷かれた道を真っ直ぐ駆け抜け、断崖絶壁の前で「行き止まり」の立て札に立ち尽くし――再びスタート地点から走り直すというループを延々と繰り返すだけに過ぎない。


 しかも自分は「今走り始めた」という感覚しかないのだ。



 この閉ざされた時間から、永遠に出る事は叶わない。


 


 今までの順調だった経過を省みれば、怯懦としか言えない心情にかられる。

 リナは真っ白な世界の中で、ただただ絶望を抱いていたのだ。





 あるべきものが何もなく


 聴こえるはずの声が全く聞こえず




 自分の体を触ることもできない







「忘れたくない……」






 誰もいない一人ぼっち。



 記憶を、経験を、全て漂白されていく直前の虚ろな空間に現れたのは、確かにカサンドラだった。

 彼女は自分の姿など見えていないかのように、真っ直ぐ前に進む。

 金色の粒子を纏い、輪郭が朧気なカサンドラ。

 まるで彼女の存在そのものが空間に蒸発して溶けていく、そんな様子を不自由な身体でじっと眺めることしか出来なかった。


 立ち止まった彼女が”何か”に向かって意味ある言葉を語り掛けている姿、それが意識に焼き付いている。




「カサンドラ様……?」 




 彼女は眩い金色の閃光を四方八方に照射し、そのまま、すうっと消えてしまった。

 それと同時に、リナの世界に色が戻って行く。






   現実世界の自分が、瞼をゆっくりと開ける。






 蒼い双眸に映るのは……





 ※




「……――ッ!?」



 リナは真っ暗闇の中、意識を取り戻した。


 悪魔が喚び寄せた眷属の影は、既に地上にも空中にもどこにもいない。

 あれだけの数の魔物は、何処かへ消えていた。

 呼び主たる悪魔が消滅したので元の世界へ還ったのかもしれない。


 暗闇とは言っても、真っ当な・・・・暗がりだ。


 深夜の冷たい風が、汗に濡れた頬に触れる。

 髪が肌に張り付いて気持ちが悪い。


 恐る恐る自分の手で、自分の頬に触れる――確かな感触に目を瞠った。

 あの白い空間に取り込まれたというのに、記憶を全く失うことなく意識を失った直後の場面。


 地続きの時間軸、同じ世界……?

 入学式まで、戻されなった?


 呆然とその場にへたり込んでいると、体中がみしみしと痛みを訴え始め眉を顰めてしまう。

 これが夢ではなく現実だと理解すると途端に、それまで無理をしていた体に反動が押し寄せてきたのだ。



 うっすらと視界に映る周辺は瓦礫の山である。

 王城内で戦闘を行っていたので、ここに無惨に転がっている瓦礫は壁や家具の成れの果てに違いない。

 改めて自分が戦っていた相手の非常識な力にゾッと背筋が凍る。


 良くもあんな怪物を三人がかりとは言え、倒すことが出来たものだ。

 町を一夜にして崩壊させ、大勢の命を一瞬で奪うことのできる『悪魔』。


 女神の力を持つ聖女がいないと傷一つつけられないのだから、とんでもない化け物だ。


 だが、そんな常識外れの悪魔を切り伏せ倒すことで出来る自分達は……


 掌をおずおずと視界に入れると、恐怖か安堵かで両手が小刻みに震えていることに気づく。

 少しの寒気を感じ、両手をぎゅっと組んで目を閉じた。


 何の変哲もない普通の女子の自分にこんな力がある、ということのアンバランスさに身が竦む。


 こんな力が、突然何かの拍子に”目覚めて”しまったら?

 想像すると恐怖だ。

 きっと、自分も周囲の人間も国も皆を巻き込んでこの力に振り回されるのだろう。

 こんな傍迷惑な、新たな争いの素になりかねない小娘など 間違って目覚める前に 殺してしまえ。


 という極端な結論に至る者がいるのも、理屈としては理解できた。

 まぁ、だからと言って納得できるかと言われれば話は別だが。


「痛たた……

 リナ、リタ、大丈夫!?」


 少し遅れて、離れた場所から声が聴こえる。

 リゼは左肩を掌で押さえ、眉を顰めて自分の姿を探しているようだ。


「私は大丈夫。

 ええと、リタは――」


「はいはーい、はいはい!

 私も何とか無事!

 死ぬかと思った。


 ……ていうか、あの夢? みたいな世界、一体何だったの?」


 足元の瓦礫を踏み抜いて、リタも姿を現わした。

 意外にも防御の術に優れているのか、彼女の体は殆ど傷がないように見えた。

 特攻していたリゼの方が満身創痍と言った様子だが、体力は彼女に比すべくもない。


 あちこち痛そうにしているが、リゼが一番体力が余っていそうだ。


「リタも? もしかして、真っ白な場所の事?」


 リゼは不審そうに、何度も念を押すように事実か確認する。

 自分だけが見た、勝利の一瞬に見た明晰夢というわけではないのか、と。


「そうそう、突然二人の姿が見えなくなって、真っ白い変な空間に放り出された感じ。

 夢……?


 でも……なんだか、凄く変な夢だった。

 リナは何か知ってる?」



「……私が……

 『巻き戻る』直前、いつもいた場所なの。

 あの場所で、皆……

 記憶を奪われて、入学式からやり直していたはず。

 でも、二人とも変わりないみたいね」


 そう言うリナだって、記憶をそのまま持ってここに戻って来た。

 強制的に巻き戻るという現象が発生したのに、おかしな話だ。


 勿論戻りたいわけじゃないけれど、今迄に無かった『結果』にリナは困惑していた。





「ええと……あの、二人とも。

 ここに戻ってくる前に、誰かの姿を見なかった?

 ……白い夢の世界で、だけど」



 気になって気になってしょうがない事を口に出してしまった。

 リゼとリタは顔を見合わせる。




『――カサンドラ様!』



 三人同時に声が重なり、一気に不安に押しつぶされるリナ。

 勘違いでも見間違いでもない。


 あれはただリナの幻覚で、都合の良い夢想の塊? なんて都合の良い話だ。

 三人同時に同じシチュエーションでカサンドラが出てくる夢を見るなんて、そんな偶然があるわけがない。



 リタもリゼも、あの白い世界でカサンドラが何かを呟き道を指し示した姿を確かに見たという。




 ……ざわっ、と胸が騒ぐ。





 この胸を締め上げるような不安を否定しようと気をしっかり持っていたリナである。

 三人で難しい顔をして佇んでいた。


 力を合わせて強敵を斃した後、快哉を叫ぶはずの場面のはずなのに。

 まったく素直に喜べないのだ。


 この違和感の正体に答えを出す事が怖い。




 他の二人も考えていることは同じだったのだろう。

 言い出せず、動揺に表情を歪めている。


 そんな最中、急に周囲が色めき騒ぎ立ち始める。




「ああ、いたぞ!


 ……聖女様だ!!」



 どたどたと靴音が響く。

 悪魔が消滅し、彼らの爪痕だけが生々しく残る静謐なる夜の地上で誰もが『信じられない』という気持ちを隠しきれない。



 彼らは黒い甲冑を纏った騎士達だった。

 ずっと三人だけで戦っていていたような気になっていたが、悪魔に対峙する際に露払い役を請け負ってくれていた騎士も大勢。

 遠くから駆けつけてくれた者もいたようで、夢中になっていた自分達は彼らの後方支援があったことにさえ気づけなかった。


 彼らも気を抜いたらどうなるか分からない元凶の爆心地で、よくも諦めず逃げ出さず陰ながら自分達をサポートしてくれたものだ。

 騎士という単なる称号ではなく、勇猛な男性達である。


 彼らはリナ達の周囲で、膝を地面について恭しくこうべを垂れる。

 突然の彼らの奇異な様子に面食らってしまう。


 その場に続々と集ってくる騎士、そして兵士達が揃って自分達に平伏する姿はとても現実のものとは思えない。

 自分はまだ夢を見ているのか?




「ありがとうございます、聖女様!

 貴女達は、この国を――いえ、世界を救って下さいました」



 騎士の誰かの言葉を皮切りに、誰もが高揚し自分達を次々に褒め称える。

 よそ見もできない状況だったが、自分達の戦う様を見ていた人間、そして悪魔を仕留めた場面を見た人間も多いということか。


 口々に賞賛の言葉を述べ、聖女の活躍で世界が救われたなどと礼賛の限りを尽くすのだ。


 襲い来る拭いきれない焦燥感に、リナは何度も大きく首を振った。

 彼らの言葉で、ようやく我に返ることが出来たのだ。



 



「……違います。

 確かにあの悪魔を斃したのは私達かもしれません、でも……




  世界を救ったのは、私達じゃない!」




 普段語気を荒げることのないリナの強い言葉は、周囲を水を打ったように静まり返らせた。




「そうね、それは私達の力の及ばなかったところ。

 早くカサンドラ様のところに戻らないと。

 こんなところで突っ立ててもしょうがないでしょ!」





 三人は互いに顔を見合わせ、そのまま学園方向へと走り始めた。

 身体は疲れ切っていて歩くのも億劫な困憊具合だったが、休むことはできなかった。





 この世界を救ってくれたのは、きっと彼女・・だ。

 会ってお礼をしなければいけない、その一心で破壊の限りを尽くされた夜の街を三人は走り抜ける。




「お待ちください、聖女様!?」



 手柄を誇らないばかりか、救ったのは自分達ではないと宣言して目の前からいなくなる三つ子達。

 聖女を放っておいてなるものか、と慌てて騎士も後に付き従う。



 王都内の建物の多くは倒壊していたが、それまで周囲を覆っていた黒い影はどこにもない。

 人間を脅かす魔物が消え去ったことに、まだ街の住民たちは半信半疑の状態なのかもしれなかった。


 だが次第に、静かになった外の様子を伺いに、恐々と顔を出す人達の姿も増えてくる。

 もしかしたら魔物がこちらの様子を見ているのかもしれない、と。

 未だに緊張の意図はあちこちに張り巡らされているようだ。



 ランタンで辺りを照らし、喜びに打ち震え始める彼らが――歓喜の叫びをあげ始めるまで、時間はかからないだろう。










   静寂を破り、三人は走った。




   嫌な予感に気づかないふりをし、不安を払い。

   無心に駆ける。









 ※






 今日だけで、一生分の全力疾走をしたのではないか?


 破裂しそうな負荷を心臓にかけ、リナ達は威容を保つ王立学園の敷地内に駆け込んだ。


 学園内は人で溢れ、夜半にも拘わらず騒然とした様子で、空気が大きく波打っている。

 魔道士や騎士達、そして学園の講師たち――皆が状況を把握するために右往左往状態。


 だが自分達の後をついてきた騎士達が、校舎外に屯する者達全員に聴こえる大きな声で、





   『彼女達が、あの悪魔を打ち倒した”聖女”である!』





 などと勝手に口上を立てるものだから、それはもう大変な騒ぎとなった。

 騒ぎというより、狂ったような”うねり”が輪となり、波紋と化して伝播していく。



 別に国を救った英雄だなんて賞賛されたくて戦ったわけでも何でもない。

 そんな事より、今、自分達は――カサンドラに会いたいのだ。


 あの時、白い空間で。

 一体彼女がどうやって世界を救ってくれたのか知りたかった、聞きたかった。


 お礼を言いたかった、互いの無事を確かめ合いたかった。





 だが、そんな想いに現実が抵抗を見せる。





 完全に周囲を大勢の人の群れに包囲され、二進も三進も行かない状態だった。

 とてもこの人垣を越えて目的の場所へ辿り着けそうもない。


 そりゃあ聖剣で薙ぎ払えば物理的に道は拓けるだろう、が。

 ここで実力行使に出るほど自分達は非常識じゃない。







「――リナ!」





 群衆を押しのけ、掻き分けて。


 自分の腕をしっかりと掴んだ人の存在に肩を震わせた。

 強く抱きすくめられ、ハッと気づく。



「……シリウス、様……?」



 騒ぎを聞きつけたのか、たまたま外にいたのか。

 彼が駆けつけてくれたお陰で、何とか騒ぎの中心から抜け出す事が出来た。


 自分の替わりにリタ達がその押し寄せる興奮の波の対象になっているのだから、心苦しい気持ちもあるのだが。

 彼の存在に触れてようやく、どこか現実味の薄い”この世界”が夢ではなく地続きの世界線なのだ、と。


 ゆるゆると実感が湧き出てくる。


 シリウスはぎゅっと自分の体を抱き寄せ、「――……よくやった、……頑張ってくれたな」と、声を絞り出すように労ってくれた。

 詰まる声を一生懸命引っ張り上げた、そんな途切れ途切れの声。




「……無事で良かった」



 様々な感情を乗せ、シリウスは声を落とす。

 言葉数は少ないが彼の安堵の感情だけは、抱きすくめられる腕越しに良く伝わって来た。



 彼も無事で、リナも当然嬉しい。

 だが……その喜びを分かち合うには、まだ早いとリナはようやくハッと気づいて顔を上げた。


 リナの決然とした顔を間近にし、眼鏡の奥のシリウスの黒い瞳が、動揺に揺れる。

 


「シリウス様、カサンドラ様はもうお目覚めですか?

 あの、私、お礼を……」



 だが彼は皆まで言うなとばかりに、掌でリナの頭を抱え込む。


「落ち着いて聴いてほしい」





  ―― …… ききたくない。





「カサンドラは今現在、行方が分からない。



 失踪直前までカサンドラの傍にアレクがいたのだが……

 お前達が悪魔を斃した直後、私も含め皆一様に気を失ったようでな。

 彼が目を醒まし、気づけば……姿が消えていたらしい」





 彼の声は微かに震えていた。

 強く抱きかかえられ胸元に顔を押し付けられている格好では、彼の表情も確認できない。


 だが……

 その悲壮感の籠った声は、とても嘘や冗談だとは思えない。







 カサンドラが、いない?



 光を放ちすっと消えて行った彼女の姿が、何度も何度も脳裏に蘇っては溶けていく。

 夢の中の世界?


 違う。


 あの時見た金色に輝くカサンドラは、幻でも願望でもましてや夢の産物などでもなく。


 『本人』だった?





  じゃあ……








   「カサンドラ様は、どこ……?」









 いつだって、質問には正確に答えてくれる彼。

 でも彼はリナの問いかけに、ただの一言も発しなかった。









    足の先から、力が抜け落ちていく。

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