06 : アレク (Reunion)


 ライナスは顔を真っ青にして生徒会室のサロンを後にする。


 周辺の様子を見てくると言い残し、フラッと覚束ない足取りの男性。

 ――その声には生気が感じられなかった。


 彼は隣の生徒会室を素通り、すぐさま外に出て駆け出すのかと思いきや――


 突然その場にがっくりと膝を落とす。アレクの前で何とか保っていた気力を、そこで使い果たしてしまったようにしばらく微動だにしなかった。


 悪魔が復活したという異常事態よりももっともっと、恐ろしい何かに気づいた様子だ。

 肩を小刻みに震わせ、悄然と俯くライナスはとても剣をとって戦える状態ではない。


「――大丈夫ですか?」


 返事もなく、ぶつぶつと譫言のように言葉を発する彼はアレクの声さえ届いているようには見えなかった。


 あまりにもひどい有様で、見ていられなくてアレクもすぐに扉を閉めてカサンドラの傍へ戻る。


 明らかに彼は、カサンドラの手に握る飾りボタンに気づいて絶句していたように見える。

 彼の絶望と畏れを抱く様から、下手人が誰であるのか何となく気づいてしまう……。




 ライナスの兄が、カサンドラをこんな目に遭わせたのか!?



 だとすれば、絶対に許す事の出来ない話だ。

 結果的に聖女の魔法か奇跡かで傷こそ塞がっているが、一向に目を醒まさない彼女を見ているだけで胸が張り裂けそうである。


 改めてその場面を想像するだけで、憤りに腹の中が煮えくり返って焼けこげそうだ。

 未だに蹲り震えるライナスの肩を掴み、思いっきり問い詰めたい衝動に駆られた。



 どうしてこんなことをしたのか。

 貴方は知っていたのか。


 ――止められなかったのか!



 詮無い事だと必死に怒りを抑える。

 ここに下手人はいない、責めたところで真実は分からない。




 

 今この場にいない人間を憎らしく感じても、事態は一つも改善されないのだ。怒鳴り散らしてライナスを責めればカサンドラの意識が戻り、無かったことに出来るならいくらでもそうしてやるが。




 アレクの心は大きく動揺を続けている。

 疲れ切って思考が纏まらない。



 こうやって血の気を失い、血に塗れて横たわるカサンドラの姿を見下ろしていると……遣る瀬無くて大声で意味のわからない言葉を喚き散らしそうだ。




 ライナスの呻き声と、アレクの心の声は一致する。




 


     どうして こんなことに。






 気が付いたら扉越しに漂うライナスの気配が消えていた。





 気を取り直したのか、それとも誰かに真実を訴えに走ったのか。

 糾弾のために去ったのかは分からない。







 ※






 時間は残酷に進み、そして外の様子も一層騒がしくなっていく。

 大勢の人間が困惑し、大挙して訪れる魔物達と王城に聳える黒い虚栄に怯えこの学園に逃げ込んできているようだ。


 果たしてこの場所はいつまで安全なのだろう。

 今は周辺と隔絶された室内だが、これ以上事態が深刻化するようであれば逃げ場を失い市民が混乱し、制御できなくなるのではないかと不安だ。


 この学園内でパニックを連鎖させ暴徒と化し、この生徒会室まで雪崩れ込んでくる可能性も否定できない。


 戦える人間は魔物から街を守るのに必死のはずだ。

 兄も自分の責務を果たすため、懸命に動いている事はアレクにも想像がついた。

 カサンドラの無事を信じ、兵士や騎士を纏めて指示を出しているに相違ちがいない。何もかも放り出してカサンドラのところに来たいだろうに、どんな状況でも真面目な人だ。



 兄であるアーサーが生きているという情報は、希望の光そのものだ。


 何とかして彼にコンタクトをとるべきか?

 カサンドラの命を奪おうとした人間の名を告げた方が……いや、確かにそれも後になれば絶対に必要な情報だが、今『犯人』を捕まえたところであの悪魔を何とかしないと未来は無い。


 今もこうして空から攻め来る無数の魔物によって、無駄に命が消えていく。

 一人でも多くを助けるためには彼の行動を邪魔するべきではない。



 何よりカサンドラを他の誰にも任せたくない、傍を離れたくない。

 事情を知る”仲間”以外、誰も信用できない!



 その一心で、アレクは目をぎゅっと瞑って彼女の手を握りしめた。

 せめてカサンドラが意識を取り戻してくれれば、この地獄のような現実が少しはマシになるのではないか。

 助けてくれるのではないか、なんて――最後まで彼女に甘えているのだ。



 聖女ではない。

 自分が助けを求めて『喚んだ』人。


 一緒に暮らしていたから分かってる。

 彼女は特別魔法の技術が優れているわけでもなく、運動神経がいいわけでもなく、極めて賢く頭が良いわけでもなく。

 悪魔を退け世界を救える奇跡を起こせるような人間ではない。



 この世界の真実に詳しいだけの、兄に恋をしている普通の女の子なのだと分かってる。



 だけど彼女はアレクを助けてくれると、そんな気持ちにさせてくれる。

 悪魔が蘇ったのにアーサーが健在だという話一つとっても、アレクにいつもと違う『世界』だと確信させてくれるのだから。


 これからどうなるのか恐ろしくて、不安でたまらなくて、怖い。

 今までと違い、全てが上手くいって噛み合っていたことに希望を抱いていた分、落差による精神的なダメージは大きかった。


 でも兄が生きているなら、自分にとって終劇おわりなんかじゃない。




 カサンドラの手を強く握り続け、祈る。




 どれほどの時間、神に縋っていた事だろう。

 喧騒はが大きくなる一方だったが、想像より構内は静かだな、と。そんな風にぼんやりと考えていたアレク。




 すると扉をノックする音と共に「ここに誰かいるのか?」と。

 いつかどこかで聞いた事のある、懐かしい声が耳に触れる。

 こんな事があるのか? と俄かに信じがたく、自分が錯乱状態で幻聴を聴こえたのかとショックを受ける。


 ぞくっと身体が震えた。


 カサンドラの手をそっと彼女の体の上に戻し、幽鬼のように立ち上がる。



 まさか、まさか……?




「――父……様?」




 現実味のない、崩壊していく世界の中で。

 アレクは確かに、扉一枚隔てた先に――見知った人物がいるのではないかと、唇を戦慄かせた。

 次第に失われていく正気が、取り戻されていくのを感じる。


 扉の向こうで息を呑む気配がした。


 時を待たずして、慌ててガチャガチャとドアノブを回すやかましい音が響いたのだ。


「父様!?」


 取り繕うことも誤魔化す事も考えていなかった。


 アレクには理解も及ばず、どうにもならない混乱極まる状況の中、突然自分の前に飛び込んできた男性にアレクは我知らず飛びついていた。

 現実には彼と離れて十年も月日は経っていないはずだった。


 だがアレクの感覚では、もう何十年もずっと遠ざかっていた自分の父。

 全く予想もしていなかった人間がそこに立っている。


 恥も外聞もなく、アレクは後の事など全てなげうち父に縋りついた。

 彼は驚愕し、戸惑いを隠せない様子だったものの……




 すぐにアレクの頭に手を乗せて、その実体を、形を確かめるかのように何度も何度も撫でた。

 「本当に、生きていたのだな……」と、上から降って来た父の声の続きは詰まり、言葉にはならない。

 だがぎゅっと抱擁され、暖かく受け入れてもらえた事でアレクは今まで限界まで堪えていた感情が決壊する。


 止められなかった。



「父様、父様、お会いしたかったです。

 良かった、無事だったんですね」


 彼の胸に顔を押し付け、幼い頃のようにわぁわぁと泣いた。

 時間が巻き戻り同じ時間を繰り返してきて、諦めを覚え虚ろになって、無駄に時間だけを重ねた『自分』はもっと強く我慢強くなったと思ってた。

 この世界に干渉できなくても。

 自分一人ぼっち記憶を抱えたままでも耐えられるとはずだった。


 だがアーサーに引き続き、会いたかった人に会えた事で――自分はこんなに、本心では恐ろしく、哀しく、我慢なんかとっくの昔に限界を迎えていたのだと思い知らされる。

 恰好をつける必要もない、無条件で自分を好きでいてくれる『親』という存在。


 今になって、ごく当たり前のように親に大切にされ、大事に想われているカサンドラの事がずっと羨ましかったのかもしれないと気づいた。


「そうか、そうだな。

 私のせいで……喪ってしまったと思っていた、まさか本当に……」


 感極まり、父は声を震わせる。

 互いに予想できなかった再会を果たし、まるで夢のようだと茫洋とした意識の中で感じるアレク。


 ようやく落ち着き、顔を離して父の顔をしっかりと見上げる。

 ああ、懐かしい。

 兄にとても良く似ていて、そっくりそのまま年を重ねたような姿。


 記憶の中に薄らいでいた父の姿より少し痩せ、疲弊の色が濃く残る。

 物心ついた時から兄は父親似、自分は母親似と言われていた記憶が強く蘇った。



 ぽっかりと心の隅に空いていた穴が、父の優しい笑顔で埋められていく。



「大変な事態になってしまったが、こうやってクリスと会えたことは望外の喜びだ。

 お前がどう過ごしていたのか気になるところではあるが、まずは無事であればそれで良い」


「はい、僕も父様とお会いできて嬉しいです。

 生きて再びお姿を拝見でき、ホッとしました。

 ところで何故、ここにお一人で?」


「――そうだな。

 私は運よく助けられ、学園に避難することが出来た。


 エリックやレイモンドのせがれ、それに王子アーサーは皆この学園の結界維持に全力を賭している。

 お前は私を憫然に、情けなく思うかもしれないが……

 私程度の使える魔法では役に立てぬどころか邪魔になると思ってな。

 無駄に指揮を乱さぬよう離れ、学園に避難してきた者に声をかけていたところだ」


 供もつけずに混乱をきたす広い学園内、彼単身で大勢を励ましていたのだろうかと思うと、良く無事だったなと思う。

 だが――


 皮肉なことに、三家の当主が王家を素晴らしいものだと皆に見せかけるイメージが功を奏し、一般市民の王室への敬愛はとても強いものだ。

 特に亡き王妃想いの優しい国王という姿を、王都の皆は良く知っている。

 だからこんな事態に何も出来ない国王に恨み言や非難などを言い出す者もおらず、純粋に励まされているのだと思えた。

 人心を落ち着かせるのに彼の存在はとても大きかったのだと思う。成程、思った以上の混沌状態に陥らず今のところ暴動が生じていないのは、恐怖以上に父の存在があったから――そう思いたい。


「不安に思うことはない。

 大丈夫だ、クリス。

 私を助けてくれたように、きっと聖女がこの世界を救ってくれる。

 心静かに、神へ祈りを捧げようではないか。


 聖女の『末裔』として」


「助けられた? 父様は聖女に会ったのですか?」


 慌てて問いただした後、父が語ってくれた『女子生徒』。

 孤立し奮闘する父を助けてくれたのだ、という。


 雰囲気を聞けば、どうやらリタのように思われた。

 では覚醒したのはリタ?


 しかし先ほどのリナも聖女に覚醒していたような口ぶりだった事を思い出す。


 最低でも聖女は二人存在する?


 これだけの奇跡が重なったなら、案外リゼも……

 背筋が戦慄わななく。



 アレクの胸中に、安堵と光が満ちた。


 兄ではない『悪魔』を、三人の聖女が倒す。

 悪魔になった存在が誰かは分からないので手放しで喜ぶことはできないが、少なくとも兄を助ける、という最低限の目標に届くことになるのではないか。


 ――問題となるのは、逆行現象だけ。


 アレクには想像もつかないが、ここまで従来と違った軌跡を辿った世界だ。

 二度と巻き戻ることはないと期待しても良いのでは?




 ……このまま。

 皆で――未来へ行けるのではないか?




 手放しで喜ぶには、当然払った犠牲の多さに足が震える。

 しかし……永遠に同じ時間軸に閉じ込められ、信じた未来を得られることなく、世界全体が強制的に巻き戻される――

 仮に悪魔のせいで命を落としても、落とさなくても、世界が逆行すれば培った記憶も経験も全部消去されて三年前に戻され同じことを繰り返す。


 何度も人類はこの世界の意思に殺され続けたようなものだ。


 果たしてどちらが良いのか、神ならぬアレクには判断のしようがなかった。


 語るにおぞましい悲劇が世界によって引き起こされたというのなら、最悪の結果の中でもまだマシな未来を掴みたいと思う。



「ところで、ここにカサンドラ嬢がいると聞いたが」


 国王はサロン中央に目を遣った。

 彼にとっては懐かしい場所なのだろう、勝手知ったる何とやらという足取りだったけれども。


 ソファの上でぐったりと横たわるカサンドラの姿を目の当たりにし、口元を押さえる。



「カサンドラ嬢?

 一体、彼女はどうしたのだ?

 避難の最中、怪我でもしてしまったのか……

 いや、そもそも何故、クリスとカサンドラ嬢が……」



 父と再会できたと言ってもただの偶然に等しい。

 彼は全く事情を知らない、いわば蚊帳の外で関わることができない立場の人間の一人であった。

 元凶の身近にいるのに、世界の描く物語に何一つ関与できないという意味では自分と父は同じ立場だったのだと思う。 



 さて、この状況を一体どう父に説明するべきなのか。

 両手で頭を抱えて目を回す父を支え、アレクは目を閉じる。

 思考を張り巡らせたけれど、異常事態の最中で冷静に話が出来るとも思えず、真実を話すのは躊躇われる。



「ああ、そうだ。

 お前を救った親切な貴族がいると聞いた、どこにいる?

 礼をしなくては」



 そうか、まずはそこからか……



「僕を助け、養子にしてくれたのは――」




 レンドール侯爵です、と。

 たった一言を、アレクは口に出すことが出来なかった。






 窓の外で白い閃光が強く世界を照らし、暗黒の空を斬り裂いたからだ。





 






    二人揃って窓に駆け寄り、目を凝らす。

    巨大な黒い影が――音を立てて崩れていくのが見えた。

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