05 : バルガス (Arrogant man)



 まさかこんな奇跡が起こるとは思ってもいない話だった。

 バルガスは気持ちの高揚を何とか抑えながら、ダグラスに報告を終えることができた。

 さて、これから起こるだろう事態に備え、戦いの用意を始めなければ。



 ※



 この国は再び大きな災厄に見舞われることになる。

 勿論自分達の手でそれを引き起こすことに、若干引っ掛かるものがあったけれど。

 このままでは――近いうち必ずこの国は分裂するか、領土を他国に切り取られていくのだろう。それを留めるためには仕方のない犠牲だ。

 

 歴史上類を見なかった偉業、西大陸の統一。

 それを成すことが出来たのは、『聖女』という一人の救世主の存在が大きかったからだということは分かる。

 魔物達に蹂躙され疲弊した多くの国は、聖女の言葉に逆らう気持ちも余力もなかったはずだ。

 他の国が我も我もとクローレスへの恭順を行い、それを躊躇えば当の国民達に大きな抵抗を起こされる。


 人々は分かりやすい”庇護”を求めた。

 女神の遣いである聖女が平和を保ってくれると言うのなら、今後いかなる魔王の使者が異界から進出したとしても退けてくれるだろう。

 その加護が無ければ自分達は見捨てられ、見殺しにされるかもしれない。


 一度災厄を経験した人間は、二度と同じ想いをしなくてもいいように大いなる力の庇護を求める。


 人知を超える奇跡が起こらなければ広大な大陸を一つの王国にまとめることは出来なかっただろう。


 だが、人は次第に過去の惨劇を忘れ聖女の功績を忘れ、この国の一部であることに不自然さを感じ独立を図ろうとする。

 見た目は大きいけれども地方と中央とで反目を繰り返すような歪な国になってしまった。


 一つの地方が独立を掲げ成功すれば、後に続く領主もいるかもしれない。

 仮に独立したからと言って即刻攻め入り支配するようなことがあれば、もはやただの侵略国家と変わらず聖女の偉業すら疑われ神通力を失ってしまう。

 辛うじて過去の威光に縋るように、この国はゆっくりと衰退の道を歩んでいる。

 斜陽の王国となれば、崩壊も早い。


 再びエリックが、いや三家の当主が『聖女』を求める理由もよく分かる。

 勿論計画自体は荒唐無稽な雲を掴むような、とても計画と呼べるものではないとバルガスも思っている。

 しかしダグラスはその話を嬉々として受け入れた。


 いくら”個”として強い力を持っていても、それを使う機会はない。

 ――彼は『英雄』になりたかった。


 悪魔そのものを倒すことはできなくても、押し寄せる魔物達から街を守る機会があると言う話に彼は興味を示した。

 本来なら「争いを生む」ような事を画策すれば止めてくる立場のエリックやレイモンドがそれを容認してくれるのだ。

 こんな機会はまたとない。


 ダグラスはここ一年、とても機嫌が良さそうだった。

 あの聖女の素質を持つらしい生徒と親しくしているという話を頷いて聴く彼を見て――自分の子にここまで関心を持つこともあるのだな、と吃驚したほどだ。




 しかし残念ながら現状は向かい風だ。

 エリックがこの計画の破綻、放棄を考えているらしい。


 バルガスはそれなら早めに、目先の邪魔な存在である王子の婚約者をどうにかしなければいけないと考えた。

 王子を排除できないのなら、彼には相応しい正式な妃を三家の中から娶ってもらわなくてはならない。


 カサンドラ、いやレンドールの存在は自分達には目障りでしかなかった。

 王子の婚約者に相応しい令嬢だって、時間が経てば経つほど早く相手が決まってしまう。

 選択肢は多い方が良い。


 まだ自分達の代、その次の代くらいまではこの国も十分保つだろう。

 あの娘にくれてやるには、まだこの王国は価値が大きすぎる。


 善は急げとばかりに行動を起こしただけだ。これ以上彼女の存在が大きくなれば、排除するだけでも一苦労になってしまう。不穏の芽は早い内に摘むに限る、もう用済みだ。


 しかしまさか、あの娘を排除しようとした矢先に、彼女のためを想って聖女が覚醒するとはとんだ誤算もあったものだ。






  全く、最初から最後まであの娘は役に立ってくれた。 

 






 バルガスはほくそ笑んだ。





 ※




 実際に王宮に聳え立つ『悪魔』なる巨大な影を見、そして空が闇に覆われ無数の魔物が産まれ落ちてくる様を目の当たりにし武者震いするバルガス。


 わかっていたこととはいえ、これは大変な災厄なのだと少しばかり息を呑んだ。


 別に自分の王国の民を苦しめたり死なせたいわけではない。

 理念としては、全くの逆だ。

 ここでの犠牲を最小限に食い止めるために、様々な準備を行ってきたはずだ。

 惨事が全土で勃発しこの世の終わりを実感した人間が一人でも増える事で、『聖女』の信仰へ回帰させることが出来る。


 これが人為的なものだなんて普通は思わない、聖女自身も与り知らぬ話だ。



 彼女達があの怪物を倒す事で初めて、救世主が誕生するわけだ。

 そしてダグラスやバルガスは多くの人間を魔物から救い、本来の役割を果たすことに専念するのみだ。

 大勢が聖女と共に国を救ってくれた人間だと認めてくれるだろう。




 ダグラスの魔法が漆黒の闇夜を斬り裂き空に踊る様を見上げ、バルガスはやはり高揚が抑えきれなかった。

 やっと彼の持つ本来の力、人間に対して使うことを禁じられた実力を思う存分発揮することが出来るのだ。


 切れ味の鋭いナイフを持っていても、切りすぎてしまうからと厳重に箱に保管されているのは意味がない。

 鞘から抜き、その切れ味を試したい。

 でもそれを人間に対してやってしまえば、ただの狂人、凶悪犯、人類の敵。

 彼を縛る理性や立場を解き放てる現状にバルガスは快哉をあげたい気持ちであった。



 自分もこの災厄の中多くの人間を救うことで、大きな成果、評価を得られることであろう。

 国同士の戦争での戦果とは性質を異にし、間違いなく憂国のために真正面から悪を斬ることによる功績。

 ややこしい人間同士の利害や感情、正義の在処など考える間でもなく自分達が絶対の正義だと力を惜しみなく使うことができるのは快感と言ってもいいかもしれない。


 バルガスは剣を片手に、街へ繰り出していた。

 自分も魔法を習得し、魔物を蹴散らすことは容易い。

 しかしダグラスやジェイクのように底なしの魔力の持ち主というわけではなく、いつまで続くか分からない戦闘では状況を見極めて剣と魔法を使い分ける必要があった。



「ありがとうございます……!」



 魔物に襲われていた市民を助け、この場から逃げるように声を掛ける。

 すると誰もが命を助けてくれた自分に感謝し、安堵し、喜んでくれる。

 貴方のお陰で助かった、と思われることは嫌なものではない。

 逆に、ここまで純粋で真剣に礼を言われる機会など得られるものではないだろう。


 ――虚栄心か。優越心か。全能感か。


 この事態を引き起こしたのは紛れもなく自分の行動の結果なのだが、その罪悪感を補って余りある充足感に充たされていた。




 どれくらい、瓦礫の山と化した大通りで剣を振るっていただろうか。

 大方この付近の市民は逃げ出せただろうか、とバルガスは少し場所を移動する。


 魔物達を斬り伏せながら、叩き割りながら、前進する。

 そこに助けを求める声がないか、神経を尖らせながら。






「……助、けて……!」




 何匹もの密集する魔物が、逃げ惑う一人の大人に襲い掛かっていた。

 全身を爪や牙で貫かれ食いちぎられる姿は、中々ショッキングな光景だろう。


 その様を目の当たりにし、今度は自分の番だ、と理解し恐怖に腰を抜かして震える少女の姿が映った。

 まだ四、五歳にしか見えない。

 親とはぐれてしまったのだろう。


 ――当然、助けなければならない。

 バルガスは彼女の傍に急ぎ駆け寄った。


 この程度の大きさの魔物なら、自分にとっては羽の生えた犬のようなものだ、と。

 用心すれば後れを取るなどありえない相手。


「大丈夫か?

 助けに来たぞ、安心して良い」


 大剣を構え、余裕をもった表情で魔物と少女の間に立ち塞がってやる。



 当然幼い少女は自分を見て安堵と歓喜の表情を浮かべる、と思っていた。

 今までそうであったように。

 魔物から身を護る術を持たない人間が、自分達に対して感謝して憧憬の念を向けてくるものだ。


 そう頭から自然に思い込んでいたバルガス。

 だから彼女の咄嗟の行動に、全く自分の反応が追い付かなかった。

 もしかしたら、気づかない内に疲労が蓄積していたのかもしれない。


 高揚感で麻痺していた疲れが、彼女の予測不可能な行動の理解を拒んだ。






「いや――!


 来ないでーーーーー!!!」


 



 その少女は全力でバルガスの身体を、後ろからドンッと突き飛ばした。

 まるで自分を襲ってくるだろう魔物よりも、バルガスの方がもっと怖くて恐ろしいとでも言わんばかりの行動ではないか。

 いくら少女とはいえ、予期せぬ方向から体当たりされては態勢も崩れる。


 前傾姿勢になり、蹈鞴を踏んでなんとかつんのめるのは堪えたけれど。

 一体何なんだ、とバルガスは舌打ちをして彼女を見下ろす。



 幼い女の子の瞳には、激しい憤りが浮かんでいる。




「……なん、で……

 お家、燃やしたの………!?」



 一瞬何の事を言っているのか、と疑問に思う。

 だが言われてみればその少女の姿には見覚えがあるような――

 首筋に火傷の痕……?


 ハッと脳裏に浮かんだのは、エリックに指示をされ街の孤児院に向かった日のこと。

 下調べの最中、確かに誰かと目が合ったのは憶えている。

 フードを被っていたし、そんなに簡単にバレるはずもないだろうとタカをくくっていたのだけれど。


 彼女が恐怖と怒りで絶叫するのを、バルガスは「大人しくしろ」と何とか宥めようとした。


 仮にこの少女があの孤児院にいた子供の一人だとして。

 あの時は子供達を建物もろとも焼いてしまえと言われていたから、そうしただけだ。


 今は彼女を殺す理由などない。

 孤児とは言えこの国の国民であることは事実、自分が守らなければいけない命の一つだ。



「来ないでーーー!」



 差し伸べた手を思いっきり払いのけ、彼女は這う這うの体で後退する。

 彼女の目は魔物などではなく、自分しか映していないことに愕然としたのだ。


 その純粋な恐怖をはらむ眼差しに晒され、バルガスはかなり動揺していた。


 命の恩人になるはずの自分を、憎々し気な眼差しで見つめる少女。

 あの時はあの時だ。


 今は助けてやると言っているのに、何故――


 だが魔物は悠長にこちらの事情など汲んではくれない。

 明らかに手元が覚束なくなるバルガスの隙を突き、数体の魔物が自分に一斉に飛びかかってきたのだ。



 人間同士の訓練ならば、寸止めで静止する軌跡。

 しかし計画な殺意を持って切りかかって来るその爪が、牙が。



 バルガスの腹周りを、思いっきり真横に裂いたのだ。

 状況を知覚した直後、噴水のように血が裂かれた腹から噴き出していた。



 激痛に堪えられず、その場に膝を折る。

 ――息が出来ない。


 吸っても吸っても、全く空気が身体の中に溜まっていく感触がしないのだ。


 声が出ない。

 身体が痺れて動かず、バルガスは剣を手元から落とす。

 乾いた金属音が響き、続けて彼の巨体も前に伏す。


 裂かれた腹に手を当てる。

 ぬちゃっと嫌な音、感触。



 ……これは……


 完全に、油断した。やられたな、と。

 諦めざるを得ない。


 ただ、既に使い物にならないとしても自分は一度この少女を守ると思って行動を起こした。

 それを違える理由は無く、もう一度嬲るように襲ってくる魔物の腕を掴み、渾身の力で地面に叩きつける――が、それが限界だ。


 喉が詰まる。

 咳をしたら土に黒い染みが点々と散らばった。





 だんだん、視界に白い靄がかかって見える。

 声も音も遠くなる。




 傷を押さえようと腹を探る自分の手の感覚もない。








「おい、アリサ! お前、こんなとこで何してんだ、逃げるぞ!」


「ひっく…… ひっく……

 だって……ダン……」


「ぎゃあ! あ、あそこでも人が倒れて……

 に、逃げるぞ!」


「……!」









 前のめりになり、地面に頽れる。

 伸ばしたままの手には、もう握力も残っていない。




 ぼんやりと、その手を眺めていると――そこに、本来あるべき飾りボタンが無い。

 袖口から白い糸がはみ出しており、ちぎられた跡が残るだけ。



 そうか、あの時……。




 自分が殺そうと刺した彼女が、最後の力で摘み取ったものだ。

 そんなものが何の証拠になる、全て焼き尽くせば終わる話だと気にも留めなかった。



 派手なボタンなんか自分に似合わない。

 突き返すのも面倒だし、服を着直すのも嫌だったから――言われるがままに惰性でつけていたものだ。

 他意なんかない。

 娘からの贈り物だろうが、それで価値は変わらない。



 ……。

 


 それなのに、今この時視界に”それ”がないことが、何故か無性に嫌だと思えた。

 感傷には無縁の生き方をしていたというのに、不思議なものだ。

 今になってそう思う自分の都合の良さに呆れて笑いが零れてしまう。







    もうすぐ自分は、死ぬのだろう。







 この傷の深さでは仕方のない事だ。助かるなんて奇跡は自分には起きない。

 自分の生き方に後悔なんてなかったはずなのに、自分を見るあの少女の眼差しでようやく気が付いてしまったのだ。










    あの時は、命令だったから。焼け死んで欲しかった


    今は 自分に助けてもらい、生き延びて未来永劫感謝しろ












 状況や都合によって相手の生き死にを勝手に決める・・・・・・など、神をも畏れぬ傲慢でしかない。



 ただの人間が誰かの生き死にを都合で「切り捨てる」ことは、どんな大義を以ても贖いきれないものなのだと。 

 そんな打算で、英雄にはなれない。



 今更思い知らされたところで、既に遅い。

 そもそも、既に引き返せないところまで来ているのだ。






 全身を襲う激痛が、次第に鈍磨し感覚が喪われていくのが分かる。







 失われた視界の片隅に誰かの影が見えた気がした。

 それはいつか、自分が”事故に見せかけろ”と指示し、殺した彼女の姿だったのかもしれない。








 やがて意識が閉ざされた。








 






     

  彼は ループの先に 辿り着けなかった一人。

 

 


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