04 : フランツ (Simple and strong)


 その日の夕刻、フランツは王都内にある己の実家のローレル子爵家へと足を運んでいた。

 当然のように当主である実兄のバルガスは不在で、自分を迎え入れてくれたのは奥方のメリッサである。


 久しぶりに会った義姉とフランツは軽い雑談を交わしていた。

 あの長兄の奥さんとしては順当なのかどうなのか、長身細身の綺麗な淑女である。

 物静かで、夫婦喧嘩をしている姿を見たこともない。

 まぁ、メリッサが服従しているから問題が起こっていないだけとも言えるか。


 厳つい顔で常にムスッとした不機嫌そうな長兄は、やはり苦手だ。

 どうしてもここに来る用事がなければ、絶対に足を運んだりはしない。


「あー、それじゃ義姉ねえさん。

 バル兄には宜しく伝えておいてくれな」


「本当にフランツはあの人のことが苦手なのねぇ。

 今日はあの人も非番だし、帰って来るまで待てばいいのに」


 彼女はおかしそうに「ホホホ」と笑う。

 途端、フランツの背筋にとんでもない悪寒が走った。


「意地悪言わないでくれるか?」


 あの人が苦手でない人間の方が珍しいだろうに、とフランツも苦笑いを浮かべる他ない。

 長い銀髪の彼女が身体を揺らす。するとメリッサの胸元で何か金色の光が反射し、フランツは目を細める。


「ん? あれ、珍しいっすね。

 義姉ねえさんがそんなピカピカな装飾品つけてるの」


 そう話しながら、フランツは自分の指で自分の心臓の上あたりを指差す。

 人の恰好など一々凝視する趣味もないので、全く意識の中に入ってこなかった。


「あら、やっと気づいてくれたの?

 相変わらずロンバルドの男性陣は鈍感ね」


 元々ローレル家は代々質実剛健として知られる家――らしい。

 ロンバルド派の家の家訓のようなものだが、それを厳密な意味で実践しているのはお役目大事なバルガスくらいなものだろう。


 常に目立たず地味とも言える装いで、対外的なパーティ以外で服飾に金をかけることをこの上なく嫌がる人間だ。

 それだけの金があったら私兵団の武具を誂えることができるのに、と苦虫を噛みつぶしたような顔をする――根っからの軍人気質と言うべきか。


 まぁ、フランツや次兄のライナスのように着飾ることに全く興味が無い男性陣にとっては気にならない事だが、彼は自分の家族にもそれを強いる。

 潔癖主義者ゆえか、奥方は常に灰色や茶色の生地の服で、装飾品も目立たないものにするようにと強く言いつけてあるようだ。

 以前それとなく自分の嫁に聞いたところ、地味に見えても素材は良いので実際は高級品らしいことは知っているが。やはり着飾りたいときもあるだろうに、と思う。


 地味だけど良いものを――それがメリッサに許された唯一の楽しみのようなものだから、誰も指摘していないのだろう。若い頃からずっと華美なものから遠ざけられた生活を強いられていたことは、歳を経て未だに綺麗なのに勿体ないとは思う。


 常にバルガスの後ろをついて歩き、肯定の言葉しか許されず。

 そのくせ長く家を空けることの多い当主バルガスに替わってローレル家の家政采配のみに留まらず名代としてあらゆる場面で矢面に立たされる人でもある。


 ロンバルド派の貴族に嫁入りするとはそういうことだ、彼女は幼い頃からバルガスを支えるように教育された女性なので「そういうもの」と受け入れているが、普通の女性には務まらないだろうなと思う。


 まぁ、ここまで徹底した男性優位主義な家はローレルくらいかもしれないけれど。

 そんな彼女が珍しく、スカーフに金色のブローチを留めている。

 全体的に茶色のコーディネートの装いに、ピカッと光り輝く装飾品は改めて考えると彼女には異質な存在であった。


「これはね、娘が贈ってくれたものなのよ」


 彼女は大切そうに、そっとそのブローチに手を当てる。


「へぇ」


「あのももうすぐ結婚でしょう?

 ……嫁ぐ前最後のお礼と言って、私とあの人に同じデザインのものを贈ってくれたのよ。

 ふふ、身に着けても文句は言われないのだから……嬉しいわ。

 あの人もそこまで意固地ではなかったようね」


 自分の姪っ子がもう嫁に行く年なのかと思うと自分の年齢を振り返らずにはいられない。

 彼女が嫁入りということは、自分も娘もいつ結婚してもおかしくない年頃ということなのだから。


 ただ、姪っ子はバルガスの娘。ローレル家の令嬢だ。

 嫁ぎ先は同じく貴族出身の男性――確かバーレイド子爵の次男坊だったか。

 騎士団で要職に就いている将来有望な男性と結婚するという話は知っていた。

 脳裏に一瞬、ジェシカの顔が浮かんだ。

 まぁ同じような立場に育った者同士それなりに上手く姻戚関係になるのだろうが、ジェシカが若干普通でないお嬢さんだからどうなることやら。




 普通の令嬢は、いくらロンバルドの人間でも剣術講義で男性陣と混じって丁々発止のやりとりはしないものだしな……。


 しかしそんな姻戚関係よりも何よりも。

 一緒に贈ってもらったということは……?



「ペアものとか……マジで?」


 全く以てあの兄に似つかわしくない単語に唖然とした。


「そうよ、これと同じデザインの飾りボタンを、あの人も着けているの」


「ええ……バル兄が?

 良く受け容れたな、信じられん」


 光物が大嫌いな兄が、祭典用の衣装以外で派手なボタンを付けて日常生活を送っているとは。

 似合わねぇ、と思わず顔をひきつらせた。


「服を選ぶことさえ面倒くさがる人ですもの、用意してあげているのだからこの程度は我慢してくれてもいいでしょう。

 今日もボタンの存在に気づいて無言だったけれど、そのまま送り出してあげたわ」


 まるで嫌がらせでもして楽しんでいるかのような物言いにフランツは苦笑した。


「真っ先に引きちぎって放り投げそうな人なのになぁ」 


 どうやら血も涙もない冷酷な人間に見せかけて、それを贈ったのが嫁入り直前の娘だから無下にもし辛い、と。

 いや、まぁただ単に面倒くさいだけなのかもしれないけれど。


 鉄面皮の下に人間らしさが存在していることに、フランツは違和感を拭うことが出来なかった。

 そういうキャラじゃないだろう。



 あんたはそういうことを無駄だと切って捨てる、無味乾燥で傲慢な人間だったじゃないか。




 何だか逆に気持ち悪い。

 彼らしくない……と思いかけて、自分の固定観念に気づいてしまう。


 ――人間は色んな要素で成り立っているものだ。

 彼がお家大事で将軍に仕えることを第一に役目として考え動いていることは分かっている。

 だがその領域を大きく逸脱しない範囲において、家族への興味も多少うかがわせるくらいの人間らしさも持っているのだ、と。



 正直、あの兄にそんな側面があったことを知りたくなかったフランツである。




 家の紋章がデザインされているのは、姪っ子も考えたものだな、と思う。

 普通の飾りボタンなら「こんなものつけていられるか」と引きちぎりそうだが、仮にも家の紋章を刻んだもの。

 それを捨てるなど彼には出来ないだろうし、袖口くらいなら……と妥協させることに成功させている。

 普段派手な色合いを許されない母を不憫に思い、ペアのものだから二人で着けてね、とプレゼントをしてあげるなど優しい子ではないか。

 

 厳格な家庭でもひねずに育つ人間もいるものだなぁ、とフランツは感心した。

 自分はこの窮屈な空気が嫌で嫌で、卒業と同時に衝動的に逃げ出したのだからちょっと気まずい。


 フランツの素行の悪さはメリッサも当然知っている。良くは思われていないだろう。



 出されたコーヒーを一気に飲み干し、フランツはマントを羽織って外へ出た。







 ※






 やれやれ、と。


 束縛から解放されたかのように晴れやかな気持ちで外の空気を吸う。

 黄昏が空の裾に迫っていた。


 大通りをのんびりと闊歩していると――




 突然、天上そらが闇に染まった。







 ――なんだ、あれは!?





 王城があったはずの場所に、漆黒の『何か』が聳え立つ。

 双角、暗黒の翼を携える禍々しい魔物のようなソレが空から眷属を呼び込む様は、余りにも現実離れしていて眩暈がした。

 闇に穿たれた無数の孔から、羽をつけた魔物が堕ちて来る。





 ※





 いつまでも呆けている場合ではない。

 既に市民達はパニック状態で、悠長に話など出来ない――すぐ傍に魔物が強襲し、建物を壊し人間を食いちぎっている姿を目の当たりにすれば当然か。

 魔物と敵対する、ということが信じられない。

 彼らは自分達と生活圏を異にしているし、実質的に大陸の支配者は人間だ。

 力関係は既に明らかにされ、彼らは住みよい場所を明け渡した……はずだった。


 それがこうして魔物の群れに襲われるなど、時代錯誤も良い所ではないか。



「くそっ、なんだってんだ!」



 見たこともない魔物をフランツは一体斬り伏せ、舌打ちをする。

 幸い剣や槍という物理的な攻撃は彼らに届き致命傷を与えうるが、それはこちらが戦うことを職業に選んだ人間だから出来る事だ。

 むやみやたらに棒を振り回すだけでは、彼らを退ける事は出来ない。


 フランツとて、一対一の相手なら遅れはとらないが……

 上空、そして脇から襲い掛かってくる黒い影を相手に怪我をしないよう立ち回るだけで精一杯の状態だ。


 このままではいずれ奴らに切り刻まれてしまうのも時間の問題か、とフランツは後ろに大きく飛びずさりながら冷や汗を流す。

 着地と同時に横から大きく爪を突きさされそうになり、咄嗟に身体を捻った。


 サクッという小気味よい音を立てて厚手のマントが裂かれる。

 鎧も無い状態でこれを受ければどうなるのか想像に難くない。

 反射的にマントを掴み、その魔物に覆いかぶせ視界を奪う。戸惑いもがく頭部を剣で貫いた。


 青い血がべっとりと刃に塗れている。



 そんなフランツの視界の中に、赤い火柱が立ち上るのが見えた。

 中央広場の辺りだろうか、この暗がりの中で立ち昇り、時には竜をも象った炎が空を荒れ狂うのを見上げて言葉を失う。

 常識外れの威力に、周囲の人間も思わず足を止めて舞い散る赤い火の残影を見つめる。



 ……ダグラス将軍の魔法か!?



 だとすれば騎士達はあのあたりで魔物と交戦しているのだろう。

 闇を斬り裂く紅の炎が、上空を彷徨っていた有象無象の魔物達を一瞬で焼き払っていく。


 ――型破りのとんでもない人間だ、とフランツは喉を鳴らした。


 ただ、一掃したはずの魔物はいくらでも無限に湧き出るように再びその場に集結していくではないか。

 フランツは行く先を邪魔する魔物を俊敏な動きで両断しながら、壊れ崩れかけた家屋の上を跳びながら広場の方へ向かう。

 途中、逃げ惑う市民に「助けてくれ」と一斉にしがみつかれた時は身動きが取れず、一瞬死を覚悟した。皆、藁をも縋る様子で必死だ。



 何とか抜け出し目的地へ向かう途中、ふと視線を下に遣った時に驚愕の表情になった。



「あれは……」



 土曜日には露店の市場が立ち並ぶ大通り、今は見る影もなく魔物の手によって無惨に壊されている場所の中央。

 そこで多数の魔物にぐるりと取り囲まれた少年に目を奪われてしまったのである。



 彼は、手に持っている剣を一凪ぎし一気に黒い魔物の二体の首を刎ねた。


 かなり剣の扱いに手練れていても、こんな不穏な状況で冷静に動くことは難しいだろうに。

 正確無比に少ない動きで奴らの動きを留めていく。



 どれだけ名の在る剣士だろうかと誰何するまでもなく、彼と目が合った瞬間に完全に虚を突かれて絶叫した。



「お前……おい、グリムか!?」



 信じられない。


 今眼下で大立ち回りを演じた痩せぎすの少年が、まさか――あの・・グリムだと?

 剣の腕、戦いのセンスにおいて親の資質を十二分に受け継いだことは知っているけれども。


 こんなに飄逸とし、どこか余裕さえ感じさせる動きで十体は優に数える魔物を圧倒するとは。

 大声を発したと同時に、フランツは瓦礫の散らばる地面へと着地する。


「ああ、フランツさん。無事だったんだ」


「そりゃあ無事さ。

 だが、それはこっちの台詞だ!

 お前無茶すんな、すぐに安全な場所へ避難するんだ!」


 激しく身体を動かせば、彼がどういう状態になるのかはフランツも良く知っている。

 いくら療養生活を続けていたとは言え、完治したわけではないのだ。

 またどこで倒れてもおかしくないのだ、と顔が険しくなる。


「安全な場所、ね。

 まぁ学園なら多少はマシかもしれないけど、そっちに用はないかな」


 しかし彼は、後ろから飛びかかって来る魔物を振り向きざまに両断した後、軽く笑って首を振る。





「グリム? ……お前、一体……」


 彼の様子がおかしいことは分かる。

 おかしい、という言い方は語弊があるか。


 自身の体を庇うような所作が無い、自信を持ちこの状況下でも動じない彼の姿に呆気に取られて息を呑む。



「本当に――身体が自由に動かせるって、気持ちいいね。

 痛みの無い生活って、憧れてたんだ。


 今ならなんだって出来そうな気がする。

 まぁ、状況は最悪だけどさ」



「お前、治ったのか!?

 わからん……ほんっとうに、わからん!」


 なんだ? 奇跡か? 魔法か? そもそも、アレはなんだ!?


 明らかにこの事態はおかしい。

 いきなり空が闇に覆われ、巨大な魔物が王都に降臨し、数多の眷属で蹂躙し始めて街の中は大混乱状態。

 逃げ場もなく右往左往して、ただ徒に命を落としていく人達の悲鳴が聴こえる。

 魔物への怒号、怨嗟の声が響き渡る。




 そんな中魔物の青い血を周囲に飛び散らせる姿は、逆に魔物を狩っている側にしか見えない。






「ジェイクのとこに合流しがてら、話するから。

 行こう、一人でも多い方がいいだろうし」




 それはこちらも臨むところだけれど。

 彼が一体何故こんなに元気なのか、何が起こっているのか。


 さっぱり分からないまま、グリムと並び共に市民に襲い掛かる魔物を蹴散らしていく。

 無間地獄のように感じる戦闘の連続、だがギブアップは死を意味すると同義だ。



 そんな終わりのない状況において一体でも多く退けることが、自分の仕事。



 一瞬、脳裏にメリッサの胸元を飾っていた金のブローチが過ぎる。

 家族……。






 ……。



 嫌な想像ばかりが、沸き起こる。

 街中至るところでこの有様なら、逃げ場が本当にないのではないか?





 自分の家族は無事なのだろうか。





 だが自分の身内よりも優先して守らなければならないものがある。

 そういう職に就いているのだ。

 ――盾になるための存在。



 いざという時に守るべき相手は……




 迷いを振り切るように、フランツは強く地面を蹴った。





 平常心、平常心。


 こんな時こそ、いつも通り・・・・・の自分でいよう。


 

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