第十六章 本当の敵


「一人にして」


 そう言い残して、自分だけ自室へ戻って来た。

 打ちひしがれるようにソファに背を預けて座っていた。

 『アヘン』に対する対処法も治療法も見つからない……ここまで無力さを感じたのは初めてだったわ。

 そもそも公爵が『アヘン』に手を出すからいけないのよ――私、何で公爵の為にここまで躍起になっているのかしら? 対処法なんて公爵自身が探せばいいのに。

 でも、公爵は一体どうして『アヘン』の取引を考えたのかしら――


――待って。


 バーラン国王と話していたのは『アヘン』の話よね? 公爵は『アヘン』の取引を渋っていたのではなかったかしら? それなのに、自分は服用していたの? ――何故?

 バーラン国王からそそのかされたのなら、取引を渋る必要は無いわ。でも、今では服用している……言いくるめられたってこと?


――公爵に話を聞かなければ。


 私は立ち上がって、公爵の自室へと向かう事にした。けれど、一人で大丈夫かしら? また通せんぼされたら、今度は何て言い負かせばいいの? でも、カイトさんを連れて行く気にはならない。だって私、一人にしてくれって言って戻って来たのよ? それなのに、公爵に会いに行くのは矛盾しているわ。


 でも、行かなければ――。


 重たい体を引きずりながら、重たい扉を開けた。


「どちらへ?」


 廊下へ出ると、案の定見張りが声をかけてくる。毎回同じ事を聞いて飽きないのかしら?


「公爵の所よ」

「今度はわたくしがついて行きます。カイト王子もいらっしゃらないので」

「そう」


 好きにすればいいわ。言い訳を考えるのにも飽きたし。


――私は自分の父親に会いに行くだけだもの。


 私の後ろを一歩引いて歩く見張りの騎士。たまには何か話しかけてみようかしら?


「貴方は公爵をどう思っているの?」

「どうとは?」

「国の長としてよ」

「大変優秀な方だと心得ております」

「そう」


 まぁ、騎士如きが君主を罵るなんて出来無いものね。


「ただ――」

「何?」

「最近はお疲れのご様子というか……以前とは違ったご様子だと、使用人の間で不安の声が多く聞かれます」

「そう」


 ほら、『アヘン』なんて使用しているからこうなるのよ。秘密裏に進めたいのなら、もっとちゃんと隠さないと。バカな人。

 それにしても意外にもちゃんと会話してくれるのね。「貴女の質問に答える義理はありません」くらい言われるものだと思っていたわ。

 他愛の無い話をしていたら、公爵の自室まで来ていた。相変わらず物々しい雰囲気だこと。

 さて、これからどうやって中に入るかだけれど――


「どうぞ、お進みください」

「え?」


 護衛から聞こえて来たのは意外な言葉。今日は意外な事ばかりが起きるわね。


「公爵から貴女が来た時は自室まで連れて来るようにと」

「そう」


 では、遠慮無く。

 私の見張りも自室の前で止まった。

 どうやら、公爵は私と話がしたいようね。好都合だわ。

 使用人が扉を開けると、哀愁漂うその背中が目に入る。いつもと違って随分とか弱い背中だこと。

 私が一歩中へ入ると、背後で扉が閉められた音がした。それと同時に公爵が振り返る。


「来たか、フローリア」

「ええ」


 まるで私が来ると予感していたみたいね。一応親子だから通じ合う事もあるのかしら――不本意だわ。

 でも、聞きたい事があるのも事実。

 それにしても、部屋の中にまで使用人がいないのは何故なのかしら? まるで、たった一人で私を待っていたと言わんばかり……警戒心が足りないのでは?


「随分私に信頼を置いて下さっているようで」

「どういう事だ?」

「部屋の中には一人ぐらい護衛を置いておくべきでは?」

「その事か。気分だよ」


 公爵は鼻を鳴らした。随分余裕な態度だけれど、何かあったらどうするのかしら?


「もしかしたら、私が貴方の命を狙っているかもしれないのに」

「だったら、とっくにやっているだろ」

「どうやって?」

「魔法を使ってだ」


 素直に驚いたわ。まさか、知っていたなんて。


「忘れたのか? 昔、セーントリッヒに行った時、わしがネイランさんに頼んでお前に魔力を分けて貰ったのを」


 十年も前のこと……そこまで覚えていなかったわ。私が魔力を得たのは、公爵の計らいだったのね。じゃあ、私が時々魔法を使っていた事ももしかしたら――。


「魔法を使っていなければ、まだ魔力は残っているだろう? ひと思いにやればいい」


 そこまでは知らないみたいね。安堵する。


「まるで、私に殺されたいと言っているように聞こえますわ」

「ああ、その通りだ」


 あんなに皮肉しか言わなかった公爵がどうしてこんなに素直になったのかしら? 思わず呆気に取られてしまった。


「――死に急ぐ必要は無いのでは?」

「なんだ? わしを殺したいんじゃないのか? わしは、お前の母親を見殺しにしたんだぞ?」


 それは確かに私がいつも公爵を責める時に使っていた言葉――けれど、本人の口から聞くと嫌なものね。


「お母様はご病気で亡くなったのです。見殺しにしたのは、寧ろ――私」


 公爵のせいで私の調子も狂ってきたみたい。


「何を言っている。いつもの生意気な口はどうした? どこかで頭でも打ったのか」

「それは、こちらのセリフですわ。『アヘン』にやられたからといって弱気になっているのでは?」

「やっぱり気づいていたか」


 公爵は嘲笑した。

 さっきここで話した内容はもちろん『アヘン』のこと。カイトさんの前では明言は避けたけれど。結果的に彼も知っていたけれどね。

 私と二人きりになった理由は――私に殺されたかったから。

 だから、魔法の話を持ち出したのだわ――いえ、寧ろ、十年前から決めていたのかも。死ぬ時は私に殺されようと。だから、ネイランさんに魔力を分けるように頼んだ。公爵自身では無く、私に。

 でも、考えが浅はかね。やるならもっと上手くやるわ。見くびらないで。

 けれど、今はそんな事が問題では無いのよ。


「どうして『アヘン』に手を出したのです?」


 公爵は答えるそぶりを見せない。


「貴方は愚鈍ではないでしょう? 『アヘン』がどんなものかくらい少し考えれば分かる筈。でも、貴方は手を出した――バーラン国王に何を言われたのです?」


 公爵は視線を外す。

 どうしてここまで沈黙を貫くのかしら?

 バーラン王国との友好関係を築きたいのは分かるけれど、身を削ってまで庇う程のこと? だって、あくまで他国よ?


「――バーラン国王ではありませんね?」


 私の疑惑に公爵の肩が跳ねた。


「どなたです? どなたが公爵に――お父様に『アヘン』を勧めたのですか?」


 公爵はゆっくりと振り向いた。力無い笑顔で。


「こんな時に限って、と呼ぶのだな。卑怯なだ」


 確かに卑怯ね。でも、仕方が無いのよ。いつもは憎まれ口しか出てこない口が勝手にその言葉を紡いだの。


「――フリーツだ」


――思ってもみない言葉に絶句した。


「お兄様が――?」


 頭の中が整理出来無いまま言葉にしたのは、たった一言。

 そういえば、カイトさんも言っていた。バーラン王国でお兄様を見たと。


「もしかして、バーラン王国との友好関係を築こうと言い始めたのもお兄様では?」


 公爵の開かれた瞳が私を捉える。


「何故分かった?」


――悪寒がした。


 全ての元凶は公爵じゃない――お兄様だわ。


「フローリア?」

「……確認するしかないわね」

「何?」


 私は踵を返し、部屋を出て行こうとした。


「フローリア、どこへ行くんだ!?」


 公爵に引き止められて、扉にかけていた手が止まる。


「『アヘン』と戦う事は容易ではありません。ですが、こんな事で死ぬのは許しません――」


 私は振り返り、公爵へ焦点を合わせる。


「安心して下さい。貴方を殺すのは、絶対に私ですわ」

「フローリア……」


 私はそれだけ言い残すと、公爵へ背を向けて扉を開けた。


――新たな問題が発生した。


 一番に私が向かった先は書庫。二人はまだそこにいてくれた。この国の本を漁ったところで『アヘン』の治療法は見つからないというのに。優しい人達ね。


「フローリア!?」


 カイトさんが私に気づいて驚いた後、微笑んでくれる。


「悪い、まだ治療法は――」

「そんな事はいいの」


 カイトさんの隣を通って、執事の前に立つ。


「聞きたい事があるわ」

「わたくしにでしょうか?」

「他に誰がいるのよ」

「はぁ……」


 不思議そうに思いながらも本を机の上に戻し、私に向き直る。


「最初に外交を始めたのは誰?」

「――は?」

「バーラン王国と最初に外交を始めたのは、公爵ではなく、フリーツ・ドラッド・ヴィシュバルドではないかと聞いているの」

「あ、はい。それは、確かにそうですが……」


――やっぱり、そうだわ。


「それが何だ?」とカイトさんが背後から声をかけてくる。


「由々しき事態よ」


 私とした事が、存在自体がなかったからすっかり抜け落ちていた。

 内向的な公爵が外交を率先して進めているなんておかしいと思ったのよ。実際、裏で動いていたのは――お兄様。

 よくよく考えれば、私を追放したのだってお兄様の考えだわ。


――本当の敵は他にいたのよ。


 そういえば、良く思い出してみると、カイトさんのお兄様と一緒にいらした人もそう思い込んでいただけで、執事ではなくお兄様だったのでは――?

 その時の記憶を辿ってみるけれど曖昧でしかなかった。そもそも、暗くて顔だってちゃんと見えなかったし、仕方が無いわ。ただ、声はどこかで聞いた事のある気がしていた――お兄様の声だったのかも。


「ねぇ、カイトさんのお兄様とフリーツお兄様は会った事があるの?」

「ええ、もちろん。国王は公爵様と、レイト様はフリーツ様とご一緒にいる事が多かったかと――私はレイト様の執事ではないので、詳しくは存じ上げませんが」


 執事は淡々とそつなく受け答えしてくれる。

 やっぱり、あの時一緒にいたのは、お兄様の可能性が高いわね。


――そういうこと。


 私の本当の敵は公爵ではなかった――お兄様だったのね。

 けれど、目的は何?

 外交を率先して行っていたのは何故?


 お兄様は何を考えているの――?





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