第十五章 対処法


 何が何だか分からないまま私達は書庫に来ていた。

 いつまでも執事を一人置いている訳にはいかないものね。

 お兄様の事は気になるけれど、今は『アヘン』の対処法を探すのが先決なのだから。


「何か見つかった?」

「いえ、特には――」

「そう」


 執事の収穫はゼロ。

 カイトさんは何が何だか分かっていないようで、小首を傾げていた。


「二人とも何の話をしているんだ? ――もしかして、二人だけの秘密の話か?」


 本当に面倒な人ね。


「カイトさ――」

「カイト様」


 諭したのは、まさかの執事。


「何か勘違いをされておりませんか? わたくしはただの執事です。フローリア様とどうこうという話は決してあり得ません、それに――わたくしは既婚者です」


 そう言いながら、執事は襟の中からリングが通されたネックレスを取り出した。


「それはそうだが、万が一という事も――」

「有り得ません。おこがましいにも程があります」


 執事としっかりと視線を交わし合ったカイトさんは安堵したように息を吐く。


「そうか! やっぱりフローリアは俺のものだな。安心した!」

「それも違うけれど」

「え!?」


 だから、結婚するなんて言ってないじゃないの。


「とにかく、他にも問題が発生したの。今はカイトさんに構っている暇は無いわ」

「問題って何?」


 執事と目が合う――分かってるわよ。


「貴方には関係の無い事よ」


 カイトさんに背を向けた。彼がどんな表情をしているのかも知らないで。

 暫くの沈黙――意外だった。

 私はもっと駄々をこねてくるものだと思っていたから。けれど、彼は私の横を通り過ぎ、執事に詰め寄った。


「――俺に何か隠している事があるだろう?」


 執事は額に汗をかきながら視線を逸らす。


「国でも、今も。お父様もお兄様も――フローリアまで、俺に何か隠している。何でそれを教えてくれないんだ? 俺に話せない理由はなんだ?」


 確かに、自分の知らないところで何かが動いているのだとしたら――しかも、それを部外者の私も知っているのだと悟ったら、自分が知らないのはもどかしい。

 だが、執事は雇われの身。カイトさんの専属であっても、それより上の地位であるレイトさんに口止めされていたら、何も言えない。


「――もう少しの辛抱なんです。もう少しです、カイト様」

「何を言っているのか分からない」


 レイト様の代になれば、『アヘン』の取引は中止になる。それまでの辛抱って事でしょうね。


「フローリアには話したのだろう? なのに、俺には話せないのか? 何故だ」

「それは……」

「カイトさん――」

「フローリアは黙ってくれ」


 助け舟を出そうと思ったら、まさかのカイトさんから制止が入った――よっぽど気にしているのかしら。

 執事の視線が助けてと縋るように向けられる。でも、今話したところできっと聞き入れて貰えないに決まっているからどうしようもない。


「俺だってなんとなく分かっていた。皆が何かを隠していると。見て見ぬふりをしてきた。俺には関係の無い事なんだと言い聞かせて――だが、今は違う。他国のご令嬢が知っていて、自国の王子である俺が知らないのはどう考えたっておかしい。そうだろう?」


 こればかりは正論だわ。


「でも、それをカイトさんが知ったところでどうするの?」

「え?」


 カイトさんが振り向いて私を怪訝そうに見てくる。

 私は素直に思った事を口にした。だって、原因が分かっている私でさえ、公爵の治療法は見つけられなかった。カイトさんは『アヘン』の事を知ってどう対処するつもりなのかしら?


「皆が隠しているのはそれだけ重大な機密事項だからよ。それを知って、どうするのかと聞いているの。まさか、知るだけ知って何も対処しないなんてそんな浅はかな考えではないでしょう?」


 カイトさんが拳に力を込める。


「――そんな事、知らないと分からない」

「知らなくても分かるから言わないのよ」


 また沈黙。

 カイトさんの気持ちも分からなくはないわ。けれど、貴方に出来る事は何もない――


「――『アヘン』」


 カイトさんがまさかの言葉を口にした。

 私も執事も顔を見合わせる。私達は何も言っていない――どこからカイトさんへ情報が漏れたの?


「知っていたよ。皆があまりにも必死で俺に内緒にするから知らないふりをしていただけだ。まぁ、偶然立ち聞きしただけだが」


 嘲笑しながら、カイトさんは視線を落とす。


「分かっている。こんなものに手を染めているなんて俺が知ったらショックを受ける、そう思ったのだろう? だから、内緒にしていた。だが、そんなに気にする事ではない。国がしている事ぐらい受け入れられる」


 机の上の本を一冊手に取って開き、パラパラとめくり、止める。


「ここに、バーラン王国の村が載ってる。ここでなら、何か対処法が手に入ったかもしれないな」


 カイトさんがボソッと呟いた。


――何か知っているの?


「何でそんなこと……」

「お母様の事もあったから、俺なりに少し調べてみたんだ。この国には『アヘン』に関する資料はほぼ無いだろうが、お父様の部屋にはたくさんあったからな。お父様が外交で留守の時に勝手に読んだ。どこが産地で、そこではどう栽培されていて、どう活用されているのかが全部書かれていた。自分の国の事ぐらい把握しないとな」


 確かに『アヘン』の事を知ったなら、王妃の容体だって気になった筈……それもそうよね。あそこまで異常な母親の姿を見たら何かあるって思うのが当然だもの。


「だから、何かあるなら俺も協力させてくれ」


 訴えてくるその表情は、まるで仲間外れにされた子どもが必死に輪に入れてくれと言わんばかりのもので。執事さんも眉尻を下げながら私を見ていた。


「――仕方が無いわね」


 同情したのでは無いわ。ただ、使えるものは使おうと思っただけよ。もう数歩も先を行っている敵を打つに為に味方は多いと心強いから。


「ありがとう! フローリア!」


 そう言いながら嬉しそうに抱き着いて来る。

 執事は複雑そうな顔をしながら、俯いていた。それはそうよね、カイトさんが私側についたという事は、バーラン王国の王子がバーラン王国に牙を向いた事になる。

 でも、気づいている? 貴方だってこっち側の人間なのよ?

 だからって私は公爵への復讐を考えているのだから、そんな事はどうだっていいの。二人にはしっかり味方してもらわなければね。


「カイトさんものだから、それ相応の覚悟はしておいてね」

「覚悟って?」

「だってこれ――反逆罪でしょう?」


 カイトさんは絶句した。

 執事は相変わらず下を向いたまま、眉間に皺を寄せながら目を閉じている。ちゃんと覚悟した上で私に話しているのだろうから、自分だけがその罪に問われたらいいと思っていたのでしょうね。カイトさんを巻き込んでしまったこと、後悔していると伝わってくるわ。


「自国に反逆する事を覚悟して言ったのよね?」


 私は確認の為に、カイトさんへと問う。

 もっと、動揺するものだと思っていた。けれど、その目はまっすぐに私を捉えていた。


「もちろん」


 今度は私が絶句した。

 俯いていた執事がその言葉にカイトさんを凝視する。信じられないようね。私だって信じられなかったもの。


「――本当に? 反逆者になってもいいの?」

「ああ。俺は国よりもフローリアが大事だ。いつでもどんな時でもフローリアの味方でいたいんだ」


 もう一度、さっきより強く抱き締められた。

 私への想いは別として、そこまでの覚悟が決まっているのなら好都合だわ。


「――なりません」


 そこへ聞こえて来たのは、もちろん執事の言葉。

 私とカイトさんの視線は執事へ。


「こんな事で、カイト様の地位を落とす訳には参りません。咎を背負うのはわたくしだけで充分です。この事は今すぐに忘れて下さいませ」


 それだけ言うと、執事は深々と頭を下げた。

 確かに、執事の気持ちはもちろん分かるけれど、カイトさんが――私が絡んだ時だけ――頑固だという事も分かっている筈だわ。

 それでも、頭を下げるのね。


「俺はフローリアにつく。お前もそうだろう? 俺の事をとやかく言えるのか?」


 腰を低くして、執事は続ける。


「ですが、カイト様がこちらにつくとなると、国王様にも王妃様にもレイト様にも顔向けが出来ません。どうか――」

「お前も反逆者な時点で同罪だろう」

「それはそうですが……」

「じゃあ、黙れ」


 カイトさんに言われて本当に黙る執事。弱い立場の者の宿命よね。


「いいか? 俺は反逆者の立場にはなったがまだ王子だ。自分の身分をわきまえるんだな」

「はい……かしこまりました」


 どうやら答えは出たようね。


「よし!」


 うやうやしく頭を下げた執事に、カイトさんは仁王立ちしながら応えた。


「で、何をすればいい? フローリア」


 私に丸投げなのね。


「カイトさんも一緒に考えて」

「そうだな。悪い」


 カイトさんはバーラン王国で『アヘン』の書物を読んだらしいから、何か収穫があるかも。


「ねぇ、カイトさん」

「何だ?」

「『アヘン』の治療法って何?」

「治療法? そんなものはない」

「え?」


――ない?


「『アヘン』が起こす作用は中毒だ。俺もお母様の症状が少しでも良くなるように方法を探したが、何もなかった。対処法はただ一つ、服用しない事」


――そんな事ってあり?


 じゃあ、一度でも服用してしまった公爵はどうなるの? 王妃の狂乱が過ぎる。


「バーラン王家で一番に『アヘン』を服用させられたのは、お母様らしいんだ。お母様は幼少期から『アヘン』の実験体にさせられていた。前国王である、お爺様から……」


 私が絶句している間にカイトさんが話し始める。

 自分の祖父が自分の母親を利用していたと考えると、カイトさんの心中を察するわ。この人、良く自分を保っていられるわね。


「『アヘン』を使用すればする程、中毒性が高くなり、症状も現れ始める。幻覚が見えたり、幻聴が聞こえたり。そしてそれは――一生消えない。バーラン王国でさえ、解毒薬は無いとされている」

「解毒薬が、無い……?」


 そんな事が有り得るの? じゃあ、公爵は? あのまま回復しないってこと?

 いや、でもさっきカイトさんは気になる事を言っていた――


「確かさっき、バーラン王国の村を気にしていたわね?」

「そうだな――ここだ」


 カイトさんがさっき見ていた本を手に取り、手渡してくれる。


「ここで、『アヘン』が作られているの?」

「そうだとされている」

「じゃあ、ここへ行けば――」

「それは無理だ」

「どうして?」


 カイトさんは私から視線を逸らしながら、悲しそうな顔。


「もう、滅んだ村だ」

「え――」


 絶望を知る。どうしても、解決方法が見付からない――。


「『アヘン』を克服するには、長期間服用しない事だ」

「長期間ってどのくらい?」

「十年程と言われている」

「そんなに!?」

「ああ。しかも、服用しなければ幻覚を見たり、幻聴を聞いたりといった症状が出る。それに耐えなければならない。容易な事ではないだろうな」

「そんな……」


 そんなに残酷な事がどうして、こんな平和ボケした国で起こったの?

 何が原因で?

 公爵はどうして、『アヘン』になんて手を出したの?

 そのリスクを知らされていなかったから?


 とにかく今の私達に出来る事は何も無いのだと、思い知らされた――。





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