第十三章 秘密の正体


「――魔力を分けて欲しい? それは一体……」


 ネイランさんからすれば突拍子も無い事よね。十年ぶりに来たと思ったら、急に不躾なお願いをされるんだもの。


――でも、私だってここで引き下がる訳にはいかないのよ。


「覚えていませんか? 十年前に来国した時、貴方から魔力を分けて頂いた事を」

「はぁ……幾分、私も歳なもので、申し訳無い」

「いえ……」


 確かに年老いたネイランさんからすれば、十年も前の事を思い出すのは難しいでしょうね。けれど、私は食い下がる。


「でも、魔力を分ける事は出来ますよね?」

「それはそうなのですが……体が老いると、魔力を身に宿す事も難しくなってくるのです……今の私に他人に明け渡す程の魔力は備わっていないのです」


 なんてこと――それじゃあ、ここまで来た意味がないじゃないの!


「そんな……先程、グラスリーを転移させる素晴らしい魔法を見せて下さったではないですか! あの魔法は強大な魔力が必要なのでしょう? お願いします! 私にはネイランさんしかいないんです!」


 ネイランさんの足元に擦り寄って懇願する。手段なんて選んでいられないわ。


「そうですねぇ……」

「何でもしますから!」

「何でも……?」


 ネイランさんの瞳が怪しく光った気がした――何でもは言い過ぎたかしら……。


「――じゃあ、性交渉でもしてもらいましょうか」

「え……?」


 全身を悪寒が走る――この人、何を言っているの?

 さっきまで優しく細められていた瞳が、大きく見開かれ、口元からは荒い息が漏れる。何? ネイランさんに何が起こっているの? だって、昔はもっとお優しくて、こんな下品な事冗談でも言わなかったわ――私の記憶違い?


「私はね、貴女を一目見た時から、抱いてみたいと思っていたのですよ。白い肌、紅色の唇、若い体――もう我慢出来無い!」

「きゃあ!」


 あんなにゆったりと歩いていたネイランさんが急に速足で私の元へと近づいて来た。私は驚いた拍子にドレスに足を取られ、転んでしまう。その間に、ネイランさんは距離を詰め、今にも私に覆いかぶさらんとしていた。


「誰か――!!」


 何でこんな事になっているの? さっきまでのお優しいお爺様のような雰囲気を纏ったネイランさんはどこへ行ってしまったの? ――こんな筈じゃなかったのに。


「フローリア!」


 バンッ! と勢い良く扉が開いたかと思うと、カイトさんが慌てて駆け寄って来て、肩を抱いてくれた。


「何をしているのですか!?」


 扉の向こうでは、使用人がおどおどとこちらの様子を伺っている。

 カイトさんは無理矢理押し入って来たみたいね――私としてはとても助かったのだけれど。


「大丈夫か? フローリア」

「え、ええ」


 カイトさんの暖かさに、ホッと胸を撫で下ろす。


「――私は、何を?」

「え?」


 ネイランさんは、私の頬を引っ叩いた時の公爵のように頭を抱えていた。


――自分の意志ではなかったとでも言いたげな表情だけれど?


 カイトさんが来たから演技でもしているのかしら?


「申し訳無い、フローリア様! 本当に私はどうかしていた……何が起こったのか私にも分からず……と、とにかく今は私から離れて下さい! 本当に申し訳無い事をした……」


 ネイランさんは膝をついて謝ってくれた。


――何? 何なの? 演技じゃないってこと? ネイランさんに何が起こったの?


 理解が追いつかない――


「フローリア、行こう」

「え、ええ」


 カイトさんに支えられて立ち上がる。その間、ネイランさんはずっと後頭部を見せていた。


――情けない。


 ネイランさんの姿を言っているのではないわ――私自身の事よ。

 魔力が欲しいあまりにみっともない姿を見せてしまった。だからこそ、ネイランさんの悪意に付け込まれたのよ。隙を作ってしまったのは私。なんて情けないの。

 私は苦虫を嚙み潰したような表情で、ネイランさんの姿が見えなくなるのを静かに見送っていた。



 ***



「セーントリッヒとの友好関係は考え直すべきだな」


 カイトさんが執事と話し合っていた。その横で私はまださっきの事を思い出す――手段を選ばなければ良かったものを。

 冷静になればカイトさんとだって何度もしているのだから、お爺様一人相手にするくらい何て事無いじゃない。そこまで頭が回らなかったのは悪女として失格だわ。

 これで、公爵の秘密は闇の中――私の負けよ。


「――とりあえず、さっさと退散しよう。準備は出来ているな」

「はい、もちろんでございます」

「フローリア、ヴィシュバルド国へ戻ろう」

「――ええ」


 どこか上の空の私に気がついたカイトさんは、さっきの事で私が気に病んでいるのだと勘違いしたらしく、謝罪をしてくる。


「悪い、こんな事になるなんて思っていなかった……俺の落ち度だ」


 そう言って私を抱き締めた。

 別に今はそんな事はどうだっていいのよ。私はただ自分が情けないだけで――。

 そんな私の視線の先にいたのは――カイトさんの執事。

 彼の瞳が私に何かを訴えかけるように向けられていた――あれ? そう言えば、彼何か言っていなかったかしら?


『悪い噂が立つのは、その……火のない所に煙は立たぬと申しますか……』


 私はハッと思い出す。そうよ、彼がいるじゃない! この執事は私に何かを告発しようとしていた――そう考えれば、私にもまだ勝機はあるわ!

 カイトさんの前では言いにくそうだったから、どこかタイミングを見計らってもう一度話しかけてみるべきね――いいじゃない! 私に再び運が回って来たという事よ!

 私は嬉しくなって、誰にもバレないように小さくガッツポーズをした。


「さあ、行こう」

「ええ」


 カイトさんは私から離れ、代わりに手を繋いでくれる。それに引っ張られるようにして、私達はセーントリッヒ諸島を後にした。



 ***



 馬車に乗るまで、使用人達が深々と頭を下げながら申し訳無さそうに謝罪してくれたけれど、私はもうそんな事どうでも良かったから、気にしないように伝えた。

 けれど、カイトさんは憤慨しているようで、今後の外交は考えると執事と話し合っていた事をそのまま使用人に告げていた。

 ネイランさんは合わせる顔がなかったのか、最後まで現れる事は無かったわ。カイトさんはそれにも怒りを示していたから一応宥めておいた。

 そんな事よりも、問題はどうやってカイトさんを遠ざけるかよね。外交のように、他国で私を一人にしない為に作り上げた執事と二人の状況――あれを、もう一度、カイトさんが作ろうと思わなければ、執事の告発は聞けないわ。

 でも――


「フローリアを襲うなんて、なんて不埒な奴なんだ! 国の代表があんな事でいいのか? フローリア、もう大丈夫だ。君を一人になんてしない」


 未だ興奮冷めやらぬ態度を露わにしながらも、私に対する優しさは忘れない。


――それは困るのよ。


「その事はもう忘れて。結果襲われていないのだから」

「いいや! この事はお兄様にも、お父様にだって報告してやる! 絶対に俺は許さない!」


 ずっとこんな調子。だから、当事者の私がもういいって言っているじゃないのと思いながら私は小さく溜息を吐く。

 今はもう私の部屋へ戻って来ていて、寝る準備も終わっていた。

 夕食は珍しく外食だった。馬車に揺られている時間も長かったし、ヴィシュバルド国に着くのは深夜だと言われていたから。

 本来だったら、セーントリッヒに一泊させて貰うのでしょうけれど、カイトさんがどうしても嫌だと言い張ったの。私がまた危険な目に合う可能性があるからと。

 結局、本当に深夜に帰って来たわ。城は真っ暗で、ここに戻って来るまでまるで泥棒にでもなった気分だった。


 ところで、この人、大変お怒りだけれど――


「そんな権限がカイトさんにあるの?」

「ない!!」


 堂々と言い張るわね。


「簡単に外交一つ潰れるとは考えられないが……でも、何もせずにもいられない!!」


 ソファに座って静かに紅茶を口にする私とは対照的にカイトさんは部屋の中を右往左往しながら吠えている。


「私を思って下さるのは結構だけれど」


 社交辞令よ。


「今まで殆ど外交に関わってこなかった貴方に出来る事なんて無いわ。それに、私が襲われたという事実も無い――だって、実際襲われなかったもの。それなのに、友好関係を破棄する事は難しいわ」

「それは――」


 カイトさんは歩き回っていた足を止めて、私をじっと見つめてから視線を落とした。

 私はティーカップをソーサーに置いてからテーブルへ戻す。


「もうあの国へ行かなければいいだけよ。行く理由も無いし」

「そう、だな……」


 カイトさんは私の言葉に観念したように、隣に座り込んだ。


「――初めてだ」

「え?」

「自分をこんなに不甲斐無く思ったのは」


 私だって不甲斐無いわよ。自分の体なんかを守ってしまったばかりに、魔力を手に入れられなかったのだから。

 意味も無くじっと空を見つめていたら、カイトさんが続きを話し始めた。


「俺は想い人を追って転生して来た。本当にこの世界にいるのかどうか不安なまま、それでも会いたくてずっと探していた――それが、君だ。フローリア」


 私の手に彼の右手が添えられる。視線を向けると、今度は左手が私の頬を包み、そのままキスをされた――こんなもの挨拶のようなものよ。


「こんな遠方まで来て、やっと出会って。それでも、俺に出来る事は何も無い」


 視線が交わり、やっと気付く――この人、こんな表情をしていたのね。

 まるで、自分の無力さを呪っているかのように瞳を細めていた。だから、そこまで貴方が想い詰める事は無いのよ。悪いのは私なのだから。


「――俺もお父様のような力があれば、違ったのか?」


 それは確かにそうかもしれないわね。

 でも、国のトップに立ったところで、どうせ貴方の頭の中には私の事しかないのだから、止める事をお進めするわ。


「俺、今から国王の座を狙おうか……」


 ボソッととんでもない事を言わないで頂ける?


「向いていないと思うわ」

「何でだ!?」


 私は見逃さなかったわよ――壁沿いに立っていた執事の口角が上がった事を。


「貴方が国王に見合うなら、もっと外交にも関わっていた筈だわ。それがないということは、貴方は最初から国王になれるような人材では無いと見抜かれていたのよ」


「そうか……」とカイトさんは私の膝に倒れ込んで来た。また膝枕? 好きね。そんな調子だから、後継者に選ばれなかったのよ。第三王子という王位継承順位の低さもあるでしょうけれど。私に現を抜かしていては、国王になるのは夢のまた夢ね。


「どうやったらフローリアを助けられる?」

「助ける必要なんて無いわ。今回の件を忘れるだけでいいのよ」

「それは、俺が納得がいかない」

「納得する必要も無いわ。外交とは全く関係の無い事だもの」


 全て言い負かすと、カイトさんは不貞腐れたように口を閉ざす。

 私は、「今日はもう寝ましょう」とカイトさんの頭を優しく撫でた。泣く子と地頭には勝てないと言うものね。「分かった」とカイトさんも渋々受け入れる。

 二人でベッドへ向かうと、カイトさんが執事に声をかけた。


「もう下がっていいぞ」

「失礼致します」


 執事は一礼して、部屋から出て行った――はぁ、結局肝心な事は聞けなかったわね。

 名残惜しげにその背中を見送っていたら、カイトさんに声をかけられた。


「何だ? 執事に何かあるのか? ――まさか、情が移ったなんて言わないよな?」

「違うわ」

「じゃあ、何でそんなに愛おしそうに見つめてたいたんだ? 執事に何か吹き込まれたのか?」

「だから、違うわ」


 面倒な人ね。呆れながら、ベッドに横になり、カイトさんに背を向けて布団を頭までかける。


「執事はやめておけ。フローリアには俺がいる」


 誰が枯れ専よ。あんな老人に興味は無いわ。勝手に決めないで。失礼ね。

 ごそごそとベッドに入って来て私を抱き締める。


「そもそも執事は既婚者だからな!」


 耳元で叫ばないで。煩わしいったらないわ。


「だから、情なんて移っていないし、カイトさんが思っているようなやましい気持ちも無いわ」


 別の意味でのやましい気持ちはあるけれど。嘘は吐いていないわよ?


「本当か?」

「当たり前でしょう」

「だったら、いい」


 そう言って私のうなじにキスを落とす。


「好きだ、フローリア」


 もうその言葉は聞き飽きたわ。


「今度こそ、絶対に離さない」


 その言葉だって聞き飽きてる。

 背中に彼の暖かさを感じながら目を閉じると、前世の光景が思い起こされる。


――まるで、大地君に抱きしめられているような感覚。


 だからってここで引き下がる訳にはいかない。


 私は自分の父親である公爵を陥れようと考えているこの世界の悪役令嬢――。


 カイトさんに何を言われようと、私の気持ちは変わらない。

 そんな風に決意を固めながら、カイトさんに抱かれるまま眠りに落ちた。



 ***



 問題はどうやって、執事と二人きりになるか。

 昨晩、カイトさんからあらぬ誤解を受けてしまった私は、より一層強固なガードをされていた――他の執事に変わってしまったの。

 秘密を知っていた執事は、この国にまだいるとは思うけれど、私と対面する事はカイトさんに拒否されたのでしょうね。今日は姿を見せなかった。どこまで私の邪魔をすれば気が済むのかしら、この人。

 という訳で、私の機嫌はすこぶる悪い。


「フローリア? どうした?」


 貴方のせいよ――何て言っても理由は話せない訳だから、黙っているしかないじゃないの。


「何? もしかして、執事を変えたから? やっぱり、あの執事が――」

「違うと言っているでしょう」


 全く。見当違いは昨晩で終わったかと思ったのに、今日まで持ち越しなんて――本当に面倒。

 メイドが用意したミルクティーをたしなみながら、私は負のオーラを発していた。

 どうすればいいのかしら。魔法を使う為に必要な魔力を手に入れようと思ったら、最悪の事態が起こって失敗。執事から情報を得ようとすれば、カイトさんに妨害されて、それもまた失敗。私がどれだけ頭をフル回転させたところで、ことごとく失敗する――お払いにでも行くべき?


「フローリア、機嫌を直してくれ。外に散歩にでも行くか? それとも街に買い物に行こうか? 今日はどうやって過ごす? フローリアが決めていいんだ」

「静かにして」

「……はい」


 右から左からうっとおしいったらないわ。

 とりあえず、カイトさんのいない所で気分転換をしたいわね。

 私がソーサーをテーブルに置いて立ち上がると、カイトさんが不思議そうに見つめてくる。


「どうした?」

「少し外の空気を吸ってくるわ」

「俺も行――」

「貴方はここにいて」

「はい……」


 叱られた時の子犬のようにソファに座り込むカイトさん。そんな様子を尻目に私は一人、自室を後にした。

 もちろん、その場にいた見張りに声をかけられたわ。


「どちらへ?」


 邪魔者はここにもいたって事ね。心底面倒だわ。


「お手洗いに行くだけよ。すぐに戻るわ」


 外へ行くなんて言ったら、絶対について来るんだから。


「お供します」

「貴方が?」


 私は汚物を見るような視線を向けた。男の見張りが化粧室についてくるつもり?


「もちろん、メイドが」

「そう」


 誤解を生むような言い方は止めて欲しいわ。

 全く、カイトさんがいなければ籠の中の鳥ね。


「メイドが来るまで待って下さい」

「嫌よ」


 私が歩き出そうとすると、目の前に剣が突きつけられる。その剣をじっとり眺めてから、視線を見張りに向けた。


「まるで私を殺すとでも言いたげな目ね」

「貴女が言う事を聞かなければ」


 見張りは剣を鞘に仕舞い、しっかりと目で私を制す。


「公爵様は貴女に対してどのように思われているか分かり兼ねますが、わたくし共の中に貴女を慕っている者はおりません。いつ何時なんどきでも危機感はお持ちになるべきかと」


 私は失笑した。


「それを体現したと言いたいの?」

「はい」

「バカらしい。私がこの国で平穏に暮らせない事ぐらい分かっているわ。余計なお世話よ」


 私はそのまま見張りを無視して歩き出した。見張りも、それ以上は何も言わなかった。どうでも良くなったのでしょうね。私だって、公爵令嬢よ。自分の身一つくらい守る術は心得ているわ。一人でも平気――


「!?」


 背後に不穏な気配を感じて振り返る。もしかして、あの見張りが言った通り、私に恨みを抱いている使用人――!?


「フローリア様」


――と思いながら振り返った先にいたのは、妙齢の執事だった。


「――どうしたの?」

「カイト様からフローリア様には近付かないようにと命を受けたのですが、どうしてもお伝えしたい事がありまして……偶然お見かけしたので、後をついて来てしまいました」


 そうよ、今だわ。

 ここは、殆ど人が通らない渡り廊下――ここなら、誰にも邪魔されずに話を聞ける。


「セーントリッヒで話そうとした事ね?」

「――はい」

「手短に話しなさい」

「もちろんです」


――やっと、やっと聞ける。今度こそ、邪魔は入らないようにしないとね。


 私は、念には念を押した。


「こっちに」

「は――え?」


 私は執事の腕を引っ張り、近くの化粧室に連れ込んで鍵を閉めた。ここなら絶対に邪魔は入らない。出た時に人がいたら、何事かと思うかもしれないけれど。


「あ、あの……」

「何もしないわ。早く話しなさい」


 私は恥じらいすらも捨て、彼の言葉を聞く為だけにここに連れ込んだ。聞き終わるまでは帰さないと言うように扉の前に仁王立ち。執事はほんのり頬を染めながらも、コホンと一つ咳ばらいをして覚悟を決めたよう。


「確かに――告発をするなら、このくらいすべきなのかもしれません」

「だからしているじゃないの」

「そうですね……」

「さっさと話して」

「――はい」


 季節的には寒くもなく、暑くもない丁度良い体感なのだけれど、執事の額からは一筋の汗が滴った。


――ついに、ついに聞ける。バーラン王国の秘密を!


「結論から申し上げますと、我々の国バーラン王国では、『アヘン』が裏取引されているのです――」





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