第十二章 魔力と魔法


「暇だわ」


 気がつくと、思っている事がそのまま口に出ていた。

 カイトさんが会談している時間に、私は客間でだべっていた。ソファがあって、テーブルがあって、絵画――花を模しているのかしら?――なんかが適当に飾ってあって。なんてことないただの客間ね。もうちょっと魔法使いっぽい要素があるかと思ったけれど、さすがに客間にそんなものはないわね。つまらないわ。

 会談の間はカイトさんからは解放されたけれど、ネイランさんと話す事も出来無いし、魔力を貰う事も出来無い。追放されていた時よりも暇だわ。


――コンコン。


 ガラスばった音に窓の方を向くと、箒に乗った女性が手を振っていた。開けてくれということ? 私に上下窓を開けろと? 開けたことないのに? 試しにカイトさんの執事に訊いてみようかしら? 会談の前に私のことを頼まれたみたいだし。


「ねぇ、あの窓、開けれる?」

「もちろんでございます」


 一礼すると窓まで向かい、難なく開けてくれる。私は「もういいわ」と言いながら窓へ近寄る。執事はまた一礼すると粛々と一歩引いた所に立った。


「これをお届けに参りました!」

「ええ」


 誰に何を届けに来たのかしら? 私が受け取っていい物?

 その女性は、私が受け取ったのを見届けると「ありがとうございましたー!」と言って元気良く飛んで行った。

 窓を閉めるように執事に指示。私はソファへ戻りながら、その手紙の宛先を読んだ。この国の言葉は遠い昔に少し教えて貰っただけ。だから、殆ど読めなかったのだけれど、唯一読めた言葉があった。それは、ヴィシュバルド語で書かれていた。


「グラスリー?」


 へぇ、あの女宛ての手紙――興味あるわね。口角を上げながら、それを開けようとした。


「フローリア様」

「何?」

「何をなさろうと?」

「手紙を開けようとしているのよ?」

「さすがにそれは、ヴィシュバルド国とセーントリッヒ諸島との確執に繋がるのではないかと思われます。お止め頂くのが賢明かと」

「――それもそうね」


 面倒な人ね。でも、言っている事は正論だわ。手紙の中には、トップシークレットだってある訳だし……彼女に限ってそんなものがあるとは思えないけれど。

 どうしようかしら? 私は暇。手には手紙――。


「じゃあ、彼女に届けて来るわ」

「はぁ……」

「丁度暇を持て余していたじゃない? 貴方も着いて来る?」

「はい、お供いたしますが、彼女とはどなたでしょう?」

「私の妹よ、グラスリー。さっき会ったでしょう? ところで貴方、彼女の部屋を知らない?」


「私には……」と執事は肩を落とす。「そうよね」と軽く流しておいた。そもそもバーラン王国の執事にとってだって、ここは未知の領域。いくらオールマイティーでも限度があるわ。

 もちろん私だってそうよ。約十年ぶりに訪れたこの場所で、自由に動き回ることなんて不可能――でも、彼女の部屋は見つけたい。

 まるでトレジャーハンターのような気分だわ。まだ見ぬ彼女の部屋お宝を目指して探検するの。わくわくするわ!


「何でもいいわ、とにかく行きましょう」

「ですが、本当に良いのでしょうか? この部屋を離れるなんて……」


 廊下に出て扉を閉めながら執事が言ってくる。


「何を言っているの? もう一歩踏み出してしまったわ。それに、私は妹に会いに行くだけよ」

「はぁ……」


 どこか疲れたような顔をしながらも私の後を着いて来る。

 あの子に会ったら今度は何て罵ってやろうかしらね? 楽しみだわ。

 でも、廊下を歩いているとそれどころではなかった。


――だって、見た事の無い景色が広がっていたもの。


 建物自体は特段変わっている所はなかったけれど、魔法使いの使用人達の仕事っぷりがやっぱり違う。勝手に動く雑巾や箒。掃除の仕方一つとっても心が躍るわ。こんな光景ヴィシュバルド国でもバーラン王国でも見られなかった――やっぱり面白い国ね。童心に帰るようだわ。


「フローリア様、妹君の部屋が分からなければ、ここの使用人に聞いてみてはいかがでしょうか」

「そうね」


 ずっと使用人を目で追っていたのに、全く考えなかったわ。


「ねぇ、どなたか話を聞いてくれない?」


 そう声をかけると、一番近くにいた男性の使用人が返答してくれた。


「どうされましたか、公爵令嬢様」

「フローリアでいいわ」


 私を公爵の娘だなんて思わないで欲しいもの。


「失礼致しました、フローリア様。何か御用が?」

「グラスリーの部屋を知っているかしら?」

 

 私の言葉を聞くと、使用人は目を丸くし、それから言い辛そうに返答した。


「もちろん、存じ上げておりますが……何故お聞きになるのでしょう?」

「彼女の部屋に行きたいのよ」

「えっと、今グラスリー様のお部屋には行けない状態になっておりまして……」

「何故?」


 部屋に行けないっていう言い方が何か引っかかる。


「あの、長老がフローリア様への対応に大変お怒りになり、グラスリー様のお部屋は今異次元空間へと飛ばされているのです」

「異次元?」


 一体どういう事なの?


「ええ。ここではない、魔法で作った世界の事です」

「魔法で作った世界……?」


 さっぱり分からない――そんな世界が本当に存在するの?


「他国の方からすれば未知の世界でしょう。とにかく、今グラスリー様にお会いする事はわたくし共も不可能なのです」

「そう……」


 せっかくこの私がいびってやろうと思ったのに。手の届かない世界にいるだなんて無礼な妹だわ。

 使用人が私の様子を伺いながら「あの、グラスリー様に何か御用が?」と訊いて来る。そうだったわね、これのついでだったわ。


「手紙よ。これを渡そうと思ったの」

「フローリア様直々にですか? 申し訳ございません、有難く存じます」

「構わないわ。ただの暇つぶしだから」

「それはわたくし共が一時的にお預かりしておきますね」

「ええ」


 手紙を使用人に渡すと一礼して、どこかへ行ってしまった。

 何だか拍子抜けだわ。


「戻りましょう」

「はい」


 取って返して執事と一緒に客間へ戻る。

 使用人の言う通りせっかく私直々にここまで来たというのに、骨折り損のくたびれ儲けだわ。

 それにしても、『異次元空間』? そんなものがあるだなんて……どんな場所なのかしら?


「どうやったら行けるのかしらね?」

「何のお話でしょう?」


 執事が不思議そうに問うてくる。


「異次元空間よ」

「ああ、先程の使用人が言っていた事ですね」

「知っているの?」

「多少は……」


 あまり自信はなさそうだけれど――まぁ、この執事も他国の人間なのだから当然ね。


「一度入ったら出られない――出口のない迷路のような空間だと伺っております」

「え? そんな場所なの?」


 あら、グラスリーったらそんな目に合ってるのね。可哀想に。私にいびられるよりも辛いのではないかしら?

 それにしても、私も悪いのにグラスリーにだけ罰を与えるなんて、ネイランさんもお人が悪い。躾のつもりなのかしら? それにしてはやり過ぎな気もするけれど……以前のお優しいネイランさんからは考えられなかった事だわ。何かあったのかしら? もしくは、グラスリーはどこへ行っても不遇な扱いを受ける、ついていない宿命なのかも。だったら最初から私に逆らわずにいびられ続けていれば良かったものを。


「グラスリーについては何か知っているの?」

「ネイラン様のご子息の元へ嫁いできたとしか……」

「そう」


 期待はしていなかったから、そんなに申し訳なさそうにする必要はないのだけれど。追放なんてされていなければ私が把握出来たのに――まぁ、こればかりは仕方が無いわね。


「なぁ、知っているか? 今バーラン王国の王子が来ているらしいぞ」


 辛うじて聞き取れたのは、そんな声――誰?

 辺りを見回してみるけれど、それらしき人物は見当たらない。

 今、バーラン王国の執事と一緒にいるからあまり無礼な事は言わないで欲しいのだけれど。


「バーラン王国って……最近悪い噂が絶えない国じゃないか」


 あら。完全にアウトね。


「古い付き合いだからって、さすがに友好関係は解除するべきだよなぁ」

「無理だろ。ネイラン様がご執心なんだから」


 ご執心って、何かあるのかしら? ――あ、忘れてたわ。


「気にしなくていいわ」

「痛み入ります」


 バーラン王国の執事と一緒だったわね。私が気を遣ったのだから、感謝するのは当たり前よ。

 でも、その後に聞こえてきたのは意外な言葉だった。


「ですが、その通りなのです」

「その通りって、何が?」


 一瞬何を言われているのか分からなかった。


「悪い噂が立つのは、その……火のない所に煙は立たぬと申しますか……」


 まさか――本当に何かあるっていうの?


 私は辺りを見回しながら気持ち小さな声で話しかける。


「何? カイトさんは何も言ってなかったわよ?」


 執事も私と同じように小声。


「カイト様はまだ深く知らないだけです。今回の事も国王に言われるがままに来ただけで、詳しい事は聞いておりません」


 内容を詳しく聞いてもいないのに、ちゃんと仕事を果たせるのかしら?

 とにかくこんな所で話せる内容ではなさそうね。早く客間へ戻りましょう。私が歩き出すと、執事も着いて来る。


「そんな事で外交が成立するの……?」

「はい」

「言い切るわね」


 執事は堂々と返事をした。

 確かにそうよね……そうに決まっているわ。じゃないと、おかしいもの。狂乱する王妃。その部屋と同じ香りを纏っていた国王と公爵。公爵に至っては、いつもと違って私に手を上げたわ。そして、そんな行動に自分でも驚いていた――何かがそうさせたのよ。

 客間へ戻って来て、執事が扉を閉めたと同時に言葉を発する。


「――貴方、何を知っているの?」


 部外者の私が聞いていいのかは分からない。けれど、相手が聞いてほしそうな顔をしているのだから、聞くべきよね?


「カイト様には必ずご内密にお願い致します」

「ええ」


 まるで時間がスローになったような感覚に陥る――早く聞きたい。彼らの秘密を手に入れて、私は公爵にぎゃふんと言わせたいのよ。

 執事の口がゆっくりと開かれる。


「今回の外交の目的は――」

「フローリア! 戻ったぞ!」


 扉が勢い良く開き、背中に重さがのしかかって来たと思ったら、ハッと執事が口をつぐみ、顔を逸らした。

 カイトさん……なんてタイミングで会談が終わったのかしら。私は一つ溜息を吐いた。


「やっと終わった。早く戻ろう、ヴィシュバルド国へ」


 まるで自分の国のように言っているけれど、違いますからね。

 それと、一刻も早く私から離れてください。


「――ええ」


 結局聞けなかったわね。

 それにしても、何でカイトさんに言ってはいけないのかしら? 口が軽いから?

 そんな事より、早くネイランさんの所へ行って魔力を分けていただかないと。


「フローリアも退屈だっただろう? 早く戻って一緒に休もう」


 そう言いながら身を委ねて来る。重いから止めて頂きたいのだけれど。それに私、それどころじゃないの。


「先に帰る準備をしていて。私はネイランさんに用があるの」

「ネイランさんに? 何の用だ?」

「秘密よ」


「秘密?」不満と疑問が入り交じった声が背後から聞こえてきたけれど、それを無視してネイランさんの元へと向かう。

 そんな私の背中を執事は複雑そうに見送っていた。

 使用人にネイランさんがどこにいるのかと問うと今は会えないと言う。生意気な。何故使用人如きが私の邪魔をするのかしら。「いいから教えなさい」と圧を掛けると、渋々案内してくれた。


「ですが、ネイラン様からの許可がなければ、わたくし共はこの扉を開ける事は出来ません」

「いいわ。私が開けるから。退きなさい」

「そうはいきません! ネイラン様のご命令ですから!」


 思いっきり睨めつけると、使用人が震え上がる。でもまぁ、確かに仕方が無いわね。彼らは所詮使用人。主人に逆らえる筈がないのよ。

 私の事だって、友好関係にある国の公爵令嬢だから機嫌を損ねる訳にはいかないだけ。私だって全部分かっているわ。


「いつ許可が下りるの?」

「それはわたくし共にも分かり兼ねます……」

「そう。いいわ。待ちましょう」

「お、恐れ入ります」


 私はどうしても魔力を分けて貰わなければならないの。待つしかないなら待つしかないわ。不本意だけれど。


「隣の部屋が空いておりますが……」

「ここで待つわ」

「しょ、承知致しました」


 使用人が魔法を使って椅子を用意してくれた。不思議ね。杖を一振りするだけであんなに重たそうな椅子がふわりと姿を現すのだから。

「こちらへどうぞ」と言われたから遠慮無く座らせて貰ったわ。足と腕を組んで、ネイランさんがいる部屋の扉を睨みつける。

 周りの使用人達は冷や冷やした顔で見守っていた。

 それにしても、ネイランさんは何をしているのかしら?


「ねぇ」

「あ、はい」

「ネイランさんは中で何をしているの?」

「いえ、わたくし共には……」

「また分からないの?」


 余計不機嫌になる私に臆しながら焦りを見せながら少し早口で説明してくる。


「は、はい。バーラン王国との会談の後はいつもお一人で籠っておられまして、使用人には何も……」

「そう」


 使えない使用人ね。ネイランさんがお一人で後処理をしているのなら、それも仕方が無いけれど。早くしないと、カイトさんの事も待たせているし、困るのよ。一番の目的は魔力を分けて貰う事だけれど。

 長い時間――といっても十分程度かしら――待たされると、中からネイランさんの声が聞こえてきた。私の傍らに立っていた使用人がそそくさと扉へ近寄って行く。


「あの、ネイラン様。ヴィシュバルド国の公爵令嬢様がお待ちです」

「何? それを早く言わんか!」

「も、申し訳ございません!」


 私とネイランさんの板挟みになるのは少し可哀想だけれど、こればかりは使用人のさがよね。

 私は使用人に退くように言ってから部屋の前に立つ――違和感がした。


「ああ、これはフローリア様。お待たせしてしまって、申し訳ございません」

「いいえ……」


 そんな事より、この違和感は何なの? さっきまでとは違った――そう、香りだわ。嗅いだ事のある香り。

 それは、王妃から、公爵から、国王から香ってきたあの香りだった。


――あの香りが何故この部屋から?


 何かある筈よ、共通点が。それを見つけ出せれば私の勝ちよ、公爵。


「入っても宜しいでしょうか?」

「ええ、もちろん」


 私は意を決して一歩を踏み出した。

 歩く度にあの香りが強く鼻をつく。王妃の部屋では窓が開け放っていたから左程強くは感じなかったけれど、この部屋は窓もカーテンも閉め切っているから香りがこもっている。強く鼻をつくその香りは、どこか不快感を感じさせた。ここまで強く感じたのは初めて――一体何の香りなの?


「何を、なさっていたのです?」

「会談が終わった後は、整理の為に少し時間を取るんですよ」

「そうですか……お忙しい時にお邪魔して申し訳ございません」

「いえいえ」


 整理? 机上にはスーツケース一つしかないけれど――あの中に大量の資料でもしまってあるのかしら? 私がじっと見つめていると、ネイランさんはそのスーツケースを隠すように目の前に立った。


「ところで何か御用でも?」

「え、ええ。ネイランさんにお願いがあるのです」

「私にお願い? 一体何でしょう?」


 それが目的で来たというのに、言うには躊躇われて一瞬口が動かなかった。


 でも、言わなければ――


「無理を承知でお願い致します――私に魔力を分けて頂けませんか?」





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