第十章 疑惑の香り
カイトさんの背を追いながら、国王の部屋へと向かう。
何を話せばいいのか頭の中で整理しながら――整理出来ているとは言えないのだけれど――歩だけ虚しく進んで行く。
だって、結局どう説明すればいいの? 「公爵と何かを企んでいますよね?」ってどストレートに訊くつもり? それとも、王妃の事について? ――全部タブーに決まっているわ。
国王と面会出来る事は喜ばしいけれど、私の準備が出来ていなさ過ぎる。
「――あれ? ここだったか?」
カイトさんから聞こえて来たのは、困惑。
「どうしたの?」
思わず問うてみると、カイトさんは辺りを見回しながら不安そうな表情。
「さっき、騎士に聞いた場所がどこだか分からなくなって……」
――自分のバカさに反吐が出るわ。
それはそうよね。自分の宮殿とは違うのだから、この城のどの部屋に国王が案内されているか、カイトさんに分かる筈が無いのよ――私にさえ分からないのだから。
それに、見張りがみすみす私を国王の元へ向かわせるとも思えない。カイトさんに教えたとしても、迷うと想定出来たでしょうね。それに、いつもなら否が応でも私達について来ようとするわ。だって私の見張りとカイトさんの護衛が必要だもの。だけど、それをしなかった――私は何を調子に乗っていたのかしら。ここは諦めるしかないわ。
「カイトさん。戻りましょう」
「悪い、フローリア……」
「いいえ、カイトさんは何も悪くないわ」
全ての落ち度は自分――それに、国王と会ったところで、自分の頭が整理出来ていないのだから意味が無いわ。
「ありがとう。フローリアは優しいな」
そんなつもりで言った訳では無いの。勘違いは止めて欲しいけれど、あまり傷つけると今後の利用価値にも関わってくるわね。ここは一旦受け止めておきましょう。
「優しいのは貴方よ、カイトさん。国王様と会わせようとして下さったのだもの」
「フローリア……」
感涙しながら私を抱き締めてくる。廊下のど真ん中で。止めて欲しいのだけれど。
「私の部屋へ戻りましょう」
こんな所で抱き締められていたんじゃ、誰に見られるか――泳いでいた私の瞳がその人物に焦点を合わせる。
その口がゆっくりと開かれた。
「二人とも、仲がいいな。喜ばしい事だ」
まさか、こんな所で会うなんて――
「――国王様」
「え!? お父様!?」
私の言葉に驚いたカイトさんが慌てて離れ、私の視線を追い、その人物を認め、姿勢を正す。
しかも、そこは階段の目の前。護衛の従者と共に階段から降りて来るのを見ると、上の階にいたみたいね。上の階には公爵の部屋がある――また、何か密談をしていたのかしら?
目の前まで来た国王は気さくに微笑みながら話しかけてくる。
「カイト、フローリア嬢と仲良くやっているようだな」
「はい。フローリアは気高くて優しい女性です」
私の心音が高鳴る。体が震えた――緊張が解けたところに来るなんて、まるでタイミングを計っていたみたいだわ。そんな訳無いのだけれど。
「フローリア嬢も、うちの愚息と仲良くして下さってありがとうございます」
「いえ。良くして頂いているのはこちらですわ」
張り付けたような笑顔が少し不気味で警戒心が高まる。
貴方が裏で何をしているのか、私が絶対に暴いて見せるわ。会話の中で何か引き出す事は出来ないかしら?
「上の階からいらっしゃったみたいですが、父と何かお話を?」
「ええ。今後について少々」
まぁ、そうよね。正直に話す訳無いわよね。
国王はカイトさんに向き直る。
「お前はまだこの国にいるんだったな」
「はい」
「粗相の無いように気をつけるんだぞ」
「もちろん」
近寄って来て、カイトさんの肩に手を置く――その時、何かふわりと香ってきた。
――どこかで嗅いだ事のある香り。どこだったかしら?
「では、フローリア嬢。婚約される事を楽しみにしておりますよ」
去り際、笑顔で手を振られたのだけれど、幾ら国王でもそれは頂けないわ。私はそんなつもり毛頭無いもの。だから、何も返さなかった。
やっぱり、思ったようには質問すら出来ず、何の収穫も得られなかったわね。千載一遇のチャンスだったのに……勿体無い事をしたわ。
「フローリア」
国王の背中を見送っていると、ちょっと拗ねたような声が隣から聞こえて来る。
「何で婚約の事何も言わないんだ?」
「婚約はしないって言っているでしょう」
「でも、友好関係の為にも必要だし、俺の気持ちも知ってるよな?」
私は、部屋へ向かって歩き出す。この話は始まると長いのよ。カイトさんはそんな私に小走りで追いつき、並んで歩く。
「だから?」
カイトさんが私の前に立ちはだかった。
「だから、婚約するべきだ!」
ちゃんと説明したのに、結局納得はしていなかったみたいね。
「考えておくわ」
「前も同じような事を言ってなかったか? 本当に考えているんだよな?」
これでいつも誤魔化せていたのに、今回は随分食い下がってくるわね。
そんな事より、私は国王からの香りが何なのかを考えているのよ。どこで嗅いだのか思い出さないと。
「フローリア!」
歩き出した私の腕をカイトさんが取り、私の足が強制的に止まる。
「俺の事ちゃんと見てくれ。目の前にいるんだぞ?」
切なそうな表情が訴えてくる。
でも、私からすれば眼中に無いのよ。貴方は何も知らないから私の事ばかりになるのでしょうけれど、私はそれどころではないの――ただ少し、前世で好きだっただけ。今の世界では違うわ。
私はカイトさんの手を振り払って無言で歩き出す。背後からカイトさんの声が聞こえた。
「何を考えている?」
一瞬足が止まったけれど、すぐに正気を取り戻す。
そんな私の隣について、カイトさんが問いただしてくる。
「いつもいつも――俺と一緒にいる時でさえも、一体何を考えてるんだ?」
私はもちろん答えない。
「お父様やお母様と話したいと言った事も何か関係あるのか?」
ちゃんとそこにも疑問を抱いているなんて、意外と鋭いのね。
「フローリア!」
肩を掴まれて、振り向かせられる。強制的に目が合った。
私は今考え事をしているのよ。いい加減に――
そこで、ある情景が走馬灯のように思い起こされる。
「――あの部屋だわ」私が呟くと、カイトさんが「え?」と疑問を吐く。
あの部屋というのは――王妃の部屋。
何か不思議な香りがすると思っていたけれど、国王からも同じ香りがした――どういうこと? 国王が王妃と接触したということ? でも、あんな状態の王妃がどうやってこの国に来れるというの? まさか、王妃も魔法が使えるとか? いえ、それはないわ。だって、あの体調だもの。ベッドから動く事すらままならなかった。魔法なんてあの国以外の人間が使うとすれば、相当なダメージを追う筈。私のように……。
「――リア」
――じゃあ、どうして?
頭をフル回転させるけれど、謎は逆に深まるばかり。
「フローリア!」
カイトさんの叫び声で正気に戻る。
「――何?」
「顔が真っ青だ」
「……大丈夫よ」
私は自分の顔にそっと手を添えながらも、さっきまでの疑問が反復していた。
――あの香りは何……?
***
あの香りの真相が分からないまま時は過ぎ。私達はベッドに横になっていた。
カイトさんは隣で寝息を立てている。私は眠れないまま、ボーっと天井を見上げていた。
魔法も使えなくなってしまったし、完全に詰んだわ。
でも明日、国王はバーラン王国へ帰る訳だから、暫くは公爵も大人しいでしょうね。
そう考えると、今日が最後のチャンスだったのに……と、やっぱり悔やまれるのだけれど。
――隣を見る。
何も知らない、純真無垢な顔でぐっすりと眠っているカイトさん――羨ましい事この上ないわ。
――窮屈。この言葉に尽きる。
いじめていいメイドもいなければ、部屋の外に見張りが張り付いているし、隣には一番厄介な婚約者モドキがいる――自由に動きたいのに動けない。
せめてあの国にさえ行ければまた魔力を分けて貰えるのに……そうすれば、深夜に徘徊して適当な場所で公爵の情報収集が出来る筈。
明日、駄目元で公爵に願い出ましょうか? カイトさんも一緒だと伝えれば、許しが出るかもしれない。望みは薄いけれど。
カイトさんの事も適当にはぐらかせば、一人で外出出来るかもしれないわ。
賭けでしかないけれど、もうそうするしか手はないものね……仕方が無いわ。凶と出るか、吉と出るかは分からないけれど。
私は、一つ息を吐きながら眠りについた。
***
「ダメだ」
「何故です? 前回は許可して下さいましたよね?」
結果は――まぁ、思っていた通りね。
「それは、カイト王子の王妃様と挨拶をする為だっただろう。今回はお前がただ外出したいだけじゃないか。それは許さない。調子に乗るな」
公爵は書類とにらめっこしていて、私には見向きもしない。またこの状態なの。
「ですから、今回もカイトさんと旅行に行きたいと言っているのです。二人で行くなら問題ありませんよね?」
「ダメだ。そんな事を言いながらカイト王子はこの場にいないじゃないか。お前一人で何か企てている可能性もある――わしから簡単に逃げられると思うなよ?」
逃げようなんて人聞きの悪い。逃げる訳無いわ。貴方の鼻を明かさなければならないのだから。
「私が逃げる等と――世迷言を」
「何?」
「逃げるならとっくに逃げておりますわ。こんな牢屋敷」
私の嫌味に公爵が鼻を鳴らす。
「ふんっ。その減らず口も、カイト王子と結婚したら聞けないくなるのだと思うと寂しいものだな」
さっきまで書類しか見ていなかった目が私を捉え、両手を組んで机に肘をつく。いけ好かない顔だこと――それは、元からだったわね。
「さあ?」
私は腕を組んで逆に視線を外す。
「何?」
声のトーンが変わった。
「私は結婚するつもりはありませんわ」
公爵の顔がみるみる気色ばむ。
「まだそんな事を言っているのか!」
ダン! と机を叩く音が響く――叩くというより殴ったというべきかしら? 怒る度に机を殴っているけれど、傷一つ付かないわよね? その手と机丈夫過ぎない?
「そんなに青筋立てなくても」
沸点の低い男ね。怒鳴ったところで私の中で価値が下がるだけよ。仕様も無い父親を持ってしまったと。
公爵はズカズカと品の無い足取りで私に近付いて来たかと思うと、思いっきり睨みを利かせながら頬を引っ叩かれた。乾いた音が部屋に響く。さすがに驚いたわ。今まで何度も怒鳴られたけれど、手を出した事は一度も無い人だったから。それくらいの境界線はしっかりしている人だと思っていたのに――その行動に違和感を覚えた。
――ふと、公爵の香りが鼻をかすめる。
「カイト王子の手前見過ごしてやっていたが堪忍袋の緒が切れた! 外出等絶対に許さん! お前は一生この牢屋敷とやらで余生を過ごすんだ! おい! コイツを摘まみだせ!」
その香りは、バーラン国王から香った香りであり、王妃の部屋で嗅いだ香りでもあった。
私は扉の傍で棒立ちになっていた騎士二人に腕を掴まれ、強引に部屋の外へと連れて行かれる。
扉が閉じる寸前――公爵が驚いた様子で自分の掌を見つめている姿が目に入った。
でも、そんな事は問題では無い。頭の中を巡るのはあの香り。
――何故、公爵からあの香りが?
公爵が知らぬうちに王妃に会いに行ったのか――それとも、国王の香りがうつったのか……。
護衛に両腕を拘束され赤く染まった頬を触れる事も許されないまま、私はただ、呆然としていた。
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