第九章 帰国
さて、明日にはヴィシュバルド国へ帰らないと。今日の夜がラストチャンス。出来れば王妃の秘密を知りたいところだけれど。
夕食の時間――銀食器の音を聞きながらそんな事を考えていた。
「フローリア、今日がバーラン王国で過ごす最後の夜になるな。ま、まぁ、結婚すれば最後ではなくなるが――」
ちょっと照れながら勝手に結婚の話をするのは止めて貰えるかしら? 私にその気は無いのだから――といっても、この国ではもう婚約者認定されてしまっているから、カイトさんが勘違いするのも分からなくはないけれど。
「でも、今日の夜はずっと一緒にいよう。最後だと思って大切に過ごそう」
「ええ」
――そう、大切に過ごさなければ。貴方とは違う意味だけれど。
昼間の王妃がフラッシュバックする。あれが何だったのか、未だに分からない。考えたところで分からないのかもしれないけれど……。
この国の人達は病気だと思っているようだけれど、私は絶対に違うと思うわ。
魔法を使って王妃の部屋を探ろうかしら? でも、それだと、王妃の部屋の真下まではいかないと――
「フローリア」
「な、何かしら?」
急に話しかけられて、動揺が言葉に出る。もしかして、ずっと話しかけられていた? 私とした事が、気がつかなかったなんて――
「夕食が終わったら庭を散歩しないか?」
「どうして?」
「見せたいものがあるんだ」
「そう、分かったわ」
私が答えると、カイトさんは満足そうに微笑んだ。
見せたいものって何かしら? 夜の庭に何があるというの? 真っ暗で何も見えないでしょうに――カイトさんが考える事はいつも謎だわ。
***
「こっちだ、フローリア」
「ええ」
そんなに手を引っ張らなくても着いて行くわよ。
カイトさんに連れられて、少し肌寒い外の世界へとやって来た。ストールは羽織っているけれど、やっぱり夜風は体に障りそう。
庭が見渡せるバルコニーに来ると、カイトさんが嬉しそうに肩を組んでくる。
「寒くないか? 俺が暖めよう」
結構よ――と言ったところで止めないだろうから、何も言わなかったわ。
「庭を見ててくれ。きっと驚く」
庭を見てろって――真っ暗なのだけれど……。
何も期待せずにいると、カイトさんが「やってくれ」と執事に一言。
その数分後――花々が光り始める。それはまるで夜空を見下げているようだった。
不思議に思いながら、呆気に取られる事数秒。
もっと近くで見て見たくて、カイトさんから少し距離を取り、身を乗り出すと絡繰りが分かってしまった――花一つ一つに小さな電球がつけられていたの。なるほど、こういう仕掛けなのね。ネタが分かってしまえば大した事無いわ。
「どうだ? 驚いたか?」
カイトさんがキラキラした顔で聞いてくる。
「ええ」
一瞬だけれど、驚いたのは事実だわ。
「良かった! 最後の夜だからフローリアの為に何か出来ないか考えて、これを思いついたんだ。絶対喜んで貰いたかったから、俺も少しだけ手伝った」
夕方頃少しだけ席を外すって言っていたけれど――そういうこと。
確かに、夜に相応しいサプライズかもね。私が喜んだかどうかはともかくとして。
退屈に思っていると、そっとカイトさんが後ろから優しく抱きしめてくる。
「本当は今日を最後になんてしたくない――フローリアと一緒になりたいんだ」
抱きしめる腕に力が込められる。背中に感じる体温。すぐ耳元で聞こえる息遣い。生唾を飲みこむ音がした――緊張しているのね。
こんな風に抱きしめられると逃げられないじゃない。
――心が揺らぎそうになる。
「考えるわ」
「え?」
私に言えるのはそれだけだった。
「今はそれしか言えないの」
カイトさんが私にすり寄って来る。
「それで充分だ」
嬉しそうな声が耳元で聞こえる。
「絶対に離さない」
声が聞こえたと思ったら、頬にキスをされる。
彼の目を見る事は、出来無かった――。
***
深夜零時を回り、最後の夜がやって来た。
昨日は、カイトさんに捕まってしまって何も出来無かったから、今日こそは何か手掛かりが欲しい――強いて言えば、昨日の王妃の秘密を知りたいのよね。
考えても考えても分からないの。病気以外の何かだと思うのだけれど……。
でも、どこに行けばいいのかしら? 王妃の部屋の前にはたくさんの護衛がいて、その下の部屋の前にだって護衛がいる。上の階は無いし――上?
――もしかしたら、行けるかもしれない。
魔法を使って飛ぶ方法があった筈。
でも、高難度だったような……それを使って全ての魔力を使い切ってしまった場合、私はその場から動けなくなってしまう――じゃあ、無理じゃないの。
それにどこから屋根へ行こうとしたって、見付かるに決まっているわ。外にだって護衛はいるのだから。
他にどんな方法が適しているのかしら? もう一度、カイトさんのお兄様らしき人物の会話を盗み聞きする? でも、タイミング良く王妃の事を話すかしら?
少ない魔力――無駄には使えない。何か良策が浮かべば、ここまで困らないのだけれど……。
何度も王妃に会う事は叶わないし……会えたとしても王妃の発作が起こればまた追い出されてしまう。難しいわね。
人の国で好き勝手出来無い事は少し考えれば分かった筈なのに何で来たのかしら? 今更ながら自分に呆れてしまうわ。
――疲れた。
もう、やめておこうかしら? どうせ来ようと思えばいつでも来れるのだから。
隣ですやすやと眠るカイトさんの寝顔をじっと見付める。
『フローリアと一緒になりたいんだ』
私が花園立香だから、私を愛してくれている――でも、異常に深い愛情はどうして? 前世で彼に何かあったの?
そっとカイトさんの頬に触れる。私はバス事故で死んだけれど、彼はどんな経緯で亡くなって、ここへ転生して来たのかしら?
『立香―――!!!!!』
あの時の声は清水君だったの――?
――そっと、唇を重ねてみる。
その瞬間だけ、花園立香と清水大地に戻ったみたいな感覚だった――ただの錯覚に過ぎないのだけれど。
もしもの話はしないわ――聖人と呼ばれていた花園立香は死んだ。
今の私は、フローリア・ミリー・ヴィシュバルド。ヴィシュバルド国の悪役令嬢。
――カイトさんに情を抱くのも今の瞬間だけ。
彼からそっと距離を取り、起き上がった。
とりあえず、考えていても始まらないわ。護衛がいない場所を探して、魔法を使う。そこから情報を得られるかどうかは博打だけれど。
そっとベッドを抜け出して――
「フローリア」
ああ、またなのね。
「やっぱり、どこかへ行こうとしているよな? 最後の夜すら一緒に過ごしてくれないのか?」
まるで、起きていたかのようなタイミング。
さっきのキスは――?
「いいえ、お手洗いへ行こうとしていただけよ」
「――そうか」
やっぱり今日は止めておけば良かったかしら。
まだどこか疑っている様子のカイトさんを誤魔化すにはこの方法しかないわよね。
――私はカイトさんにキスをした。
唇が離れると驚きながらも嬉しそうな表情。さっきもしたのだけれど、カイトさんは本当に寝ていたみたいね。
「今日は貴方の傍にいるわ。好きにして」
カイトさんはまだ少し複雑そうだけれど、私を抱き締めた。
「我慢するのは良くないから行って来い――俺は、フローリアを信じている」
――あまりにも意外な発言で。
絶対このまま愛されるものだと思っていたわ。
「ええ、そうするわ」
「ああ」
カイトさんから解放されると、そのままお手洗いへ向かった。
カイトさんが待っているからあまり時間は無いけれど、少しなら魔法を使える――いつも使えるのは少しなのだけれど。
ここから見えるものが一体何なのか――お手洗いの近くにある部屋って何かしら?
この階には護衛がほぼいないからあまり期待は出来無いわね――やっぱり怪しいのは上の階。
以前見えたお兄様の映像も、恐らく上の階でしょうし、護衛の数から考えても、高貴な方がいるのは上の階だわ。密談するのも、きっとそう。
――ただ、私が魔法を使うには他にも難点がある。
自分ではコントロールが出来無い事。以前の会話だって上の階を見ようと思って見れた訳では無いわ。今回はどんな映像が見れるのか……不安ね。もしかしたら、何も見れないって可能性も――それだけは勘弁して欲しいわ。
胸の前で手を組んで、心の中で静かに祈る。
――意を決して、扉に手を添えた。
暫くすると、どこかの部屋の映像が頭の中に映し出された。
人は――いない。ハズレだわ。今回は何の成果も得られそうにないわね。
諦めて魔法を止めようとした時、机の上に何かが並べられているのが見えた。あれは――そこで、映像が途切れる。
「ダメだわ」
ここ数日限界まで使っていたからでしょうね。
「魔力が尽きた……」
私は魔法使いではないから、自分の中で魔力を生成する事は出来無い。またあの国で魔力を補給しなければ、魔法を使う事は二度と出来無い。
公爵が何度も外出を許してくれるかしら? ――もしくは、公爵に内緒で魔法使いを呼びつける? それが手っ取り早いかもしれないわね。
でも、それだと私が魔法を使えるとバレてしまう……やっぱり、隙を見て私から赴くしかないわね。
「おかえりなさいませ」
そんな事を考えていると、護衛が話しかけてきた。
もう部屋の前まで来ていたみたいね。全く気がつかなかったわ。考え事をしていると良くあるのよ。
「ええ」
それにしても、ただの護衛が何の用なのかしら? この前からそうだけれど――試しに聞いてみる?
「ねぇ」
「はい」
「貴方は何か知っているの? ――この国の黒い噂について」
護衛は、少し目を見開いた後「それを探りに?」と問いかけて来た。
「いいえ、興味本位よ。嫁ぎ先の事は知っておきたいでしょう?」
護衛は隣の見張りを気にしながらも少し間を空けてから口を開く。
「我が国は至って一般的な国です。他国が有る事無い事触れ回っているのでしょう」
「――そう。それならいいわ」
さっきの沈黙が答えのようなものだけれど。
扉に手をかけ――もう一度護衛を振り返る。
「この前はご忠告ありがとう。何もなかったわ」
「――左様でございますか」
そのまま扉を開けて中へと戻った。
そう、何もなかった。不思議なくらいに。これがあのバーラン王国? と疑問が浮かぶわ。もっと危ない事が待ち受けていると思っていたのだけれど、拍子抜けね。恐らく、表立って何かが行われているというよりは、陰でひっそりと何かが動いているといった感じなのかも。
一番気掛かりなのは王妃――狂気の沙汰というべきかしら? あの変貌ぶりは絶対に何かある。
とりあえず、公爵の思惑には少し近付けたかもしれない――
「フローリア?」
欠伸をしながら眠そうに私の名前を呼んできたのは、カイトさん。いけないわ、またやってしまった。
「早く寝よう」
「ええ」
彼に手招きされて腕枕に包まれると、その暖かさに安堵する。夜は少し冷えるからかしら?
また、彼に流されてしまったわ。こんな事じゃダメね。
明日はヴィシュバルド国へ帰らなければならない。この国の核心を知る事は出来無かったけれど仕方が無いわね。気になる事があれば、また来国すればいいだけの話。重く受け止める事じゃないわ――そう言い聞かせながら眠りについた。
***
翌日の夕刻。バーラン王国を後にした私達はヴィシュバルド国へと帰って来た。
ああ、また見張りだらけの中で生活しないといけないのね……。
窓の外に照らされる夕日を眺めながら憂鬱に思う。
カイトさんには私の部屋で待機して貰って、私は帰って来たと報告する為に公爵の元へ向かった。
「何だ。もう帰って来たのか」
「はい」
「どうだ? 王妃様とは仲良くなれたのか?」
私の方には見向きもせず、書類とにらめっこ中。報告に来るにはタイミングが悪かったかしら?
「ええ、まぁ」
「何だ? 煮え切らないな」
「気のせいでしょう。それでは」
背後から「ふん」という憎たらしい声が聞こえて来たけれど、構わず部屋を出た。せっかく私が気を遣って早めに切り上げてあげたというのに――本当に憎たらしい人。
まぁ、バーラン王国であった事をあまり話したくないからなのだけれど……特に王妃の事はね。
とにもかくにも、あの悪名高いバーラン王国から無事にヴィシュバルド国へ帰って来れたのだからひと安心かしらね。
扉の外に出ると、二人の見張りが私の前後を取り囲む。本当は四人いたのだけれど、カイトさんが来てからは少し減ったのよね。そこは感謝しないと。
前の見張りが歩き始めたから着いて行く。
――さて。
この鳥籠の中で、魔力を失った私は何が出来るのかしら? ――いいえ、何も出来無いわ。
魔力も無い、権力も無い、信用も無い。三拍子揃ったこんな状態で私が自由に動ける筈が無い。せめて、魔力だけは復活させたいところだけれど、あの国にはいつ行こうかしら……せめてカイトさんが私から離れてくれないと。
――どう考えても無理な話だわ。
とりあえず、カイトさんがバーラン王国に帰る時を見計らって、適当な理由で公爵を納得させられたら、やっと行けるってところかしらね。道のりが長いったらないわ。
「着いたぞ」
見張りが私の部屋の扉を開けたので、言われるがまま中へと入った。
「おかえり、フローリア」
中へ入ると当然の如く、カイトさんが出迎えてくれて、抱き締められる。もう新婚のようだわ……勘弁して。
「公爵との――お
ちょっと照れながら言うの止めてくれるかしら。あと、お義父様も禁止で――と言っても婚約者だと思っているから無駄でしょうね。
「
適当に誤魔化しておいた。
「そうか」
「ええ」
さて、カイトさんがここにいるのはいつまでだったかしら?
それを見計らってあの国に行かなければならないもの。
「ねぇ、カイトさん」
「何だ? フローリア」
随分とニコニコされているようだけれど、私に話しかけられただけでそんなに嬉しい事かしら?
「ここにはいつまでいらっしゃるの?」
「あと、三週間ぐらいだな」
「そう」
やっぱり長いわね。その間魔法が一切使えないのは痛手だわ。
公爵とバーラン国王との会話が気になるし――そういえば、国王はいつまでいらっしゃるのかしら?
「国王はいつまでご滞在されるの?」
カイトさんは少し考える素振りを見せながら「明日帰国する筈だが」と答えた。
――明日ですって? じゃあ、何も出来無いじゃないの!
そんなに早くお帰りになるなんて誤算だった……。
「それがどうかしたのか?」
「あ、いえ。それまでに挨拶しておこうと思っただけよ」
「そうか――今から行くか?」
「え?」
適当に誤魔化そうと思っただけだけれど、今度は思わぬ誤算だわ。
――私ってバカなのかしら。
私一人では無理だと思い込んで、カイトさんと一緒にご挨拶に伺うという選択肢が浮かんでこなかった。カイトさんを利用すると決めたのに、全然利用出来ていないじゃないの。今回は有り難く利用させて貰いましょう。本人から言って来たんですもの。いいわよね?
「――ええ、そうね」
「良かった! ずっと婚約者として紹介したいと思っていたんだ!」
それは困るわ。
「カイトさん」
「何だ?」
意気揚々と扉へ向かう彼の背中に話しかける。
「私達、まだ婚約者ではないわ」
「え――」
そんな心底どんよりとした空気を纏わなくても。
さっきとは一転、しゅんと肩を下げる。
「な、何故だ? 婚約者になるからお母様とお会いしたいって言ったのだろう?」
そこで勘違いしたのね。まぁ、それに関しては誤解させた私も悪いわね。
「違うわ。お母様とお会いしたいと言ったのは嘘」
「嘘……?」
「ただ、バーラン王国へ行きたかっただけよ」
最低な事を言っていると分かっているわ。けれど、これ以上調子に乗られても困るのよ。
「そうか……そうだったのか……悪い、一人ではしゃいで」
苦笑しながら謝る姿に一時の気の迷いが過ぎる――申し訳無いと、思ってしまった。
「いいえ、分かって下さればいいの」
私は何を言っているのかしら? 傷つけたのは私なのに……変だわ。
もしかして、カイトさんのように前世で好きだった頃の記憶が残っているから? ――そんな訳無いわ。前世なんて吹っ切って私は悪役令嬢として過ごしてきた。そして、追放されるまでの悪役令嬢になれたのよ? そんな私が慈悲? ――笑えるわ。
「国王の元へ向かいましょう。ついて来てくれるわよね?」
「あ、ああ。行こう」
テンションはさっきと正反対だけれど、そういう素直なところは好きよ。カイトさんも惚れた弱みで断れないのでしょうね。
二人で部屋を出て、見張りの騎士に国王がどこにいるのか問う。私をちらっと横目で見た後、カイトさんに向き直った――そうよね、カイトさんに教えないのは不自然だもの。教えるわよね。笑いそうになっちゃったわ。
騎士はカイトさんにだけ聞こえるように小声で話しかけていた。
さて、カイトさんに案内して貰いましょうか。
「行こう、フローリア」
「ええ」
見張りにはバレないように微笑んだ。
でも、国王に会えたとして、どう話を切り出せばいいのかしら――?
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