第八章 王妃の秘密
日中はカイトさんの相手、深夜は手掛かりを探す。そんな日々が続いた。毎夜のように私がトイレと称してどこかへ向かっているからか、護衛も私を怪しみ始めている。見張りは元から怪しんでいたけれど。たった五日しかいられないのだから仕方が無いわ。私だって手段を選んではいられない。まぁ、一応客人である上に、王子の婚約者だと勘違いされているのだから二人とも何もしてこないでしょう。
という訳で、今日もこっそりとベッドを抜け出して――
「どこに行くんだ?」
体がビクッと跳ねた。
まさか、カイトさんが起きているなんて――さっきまで確かに眠っていた筈。声の感じからすると、今起きたみたい。
「お手洗いに」
「そうか」
慌ててつくろったけれど、この調子だと大丈夫そうね。
「何かしてる訳じゃないよな?」
私が甘かった――勘付かれているのかも。
「――何かって?」
「いや――」
必死で頭を回転させて次の一手を考える。
「――この国には何をしに来たんだ? お母様に会うだけじゃないよな?」
核心を突かれて穴という穴から変な汗が溢れた。
いえ、こういう状況だからこそ、平常心を忘れてはいけないわ。
「どうして、そう思うの?」
「俺と話している時いつも上の空だから」
カイトさんは悲しそうに目を伏せた。
そうだったかしら? 確かに今夜どうしようかとか、そんな事しか考えていなかったような気がしなくもないけれど。
「フローリア」
背中に温もりを感じる。目の前にはカイトさんの腕――抱き締められていた。
「もっと俺を見てくれ」
振り向けばすぐにキスを出来そうな距離で囁かれる。
ああ、まただわ。このまま流されてしまう。
押し倒されて、首にキスをされて、そのまま――抵抗すら出来ずに、彼を受け入れるの。
今日は探索に行けそうにないわね。
***
行為の後もう一度寝直してから目覚めると、七時になっていた。
一日無駄に過ごしてしまったわ……。
今日が最終日だから、必ず手掛かりを見付けないと。
「フローリア」
不機嫌そうな声が聞こえて来る。カイトさんも起きたみたいね。
「また何か考えているな――俺以外の事を」
左頬に右手を添えられた。けれど、その手から逃げるように視線を逸らす。
「そんな事無いわ」
「それは本心か?」
嘘を見抜くのが上手ね。確かに、貴方の事は一ミリも考えていなかったわ。
「俺の事だけ考えてくれと言ったのに」
今度は親指と人差し指で私の頬をぷにぷにしてくる。痛くはないけれど、止めて欲しいわね。
「今日は王妃様と会えそうなの?」
「話題逸らしたな」
ちょっと面倒になってきたのは内緒。
昨日の収穫がゼロだったのだから、せめて王妃から何か手掛かりを得たいのよ。
「確かに、お母様との面会も大事だが」
そう言いながらベッドから離れて、ソファにかかっているシャツに手をかけ、服を着る――そうだわ、私達裸だった。
私もベッドの下に落ちている服を手に取って前だけ隠しながら、ネグリジェを取りに行こうと、ベッドから離れクローゼットへ向かう。
「結婚、してくれるよな?」
背中に聞こえたのは不安そうなカイトさんの声。
「その為に、お母様と会うんだよな?」
すぐに振り向く事は出来無かった。
その言葉が指しているものは何なのか――?
私の心の内を分かっていて何も訊いてこないのか、私を本当に信じているのか――やましい部分があるからこそ、彼の言葉が怖かった。
「まぁ」
やっと絞り出せたのは曖昧な言葉にもならないもどかしさ。
「――そうか」
カイトさんは何かを悟ったように、「それならいいんだ」と付け加えた。
いつものカイトさんとは明らかに違う。勘付かれているのなら、誤魔化さなければならないのに、動揺からか思うように言葉が浮かんでこない。バレないようにもっと慎重にならないと。
「お母様には婚約者として紹介するから」
「――ええ」
それは便宜上仕方が無いわよね。「縁談をしただけの人です」なんて紹介出来無いもの。
服を着終えたカイトさんは「お母様の様子を訊いて来るよ」と言って部屋を出て行った。
私はネグリジェに着替えてソファに座っている。
カイトさんがいない内に行動を起こしたいけれど、陽が昇ってしまっては深夜と違って護衛も多いだろし、自由は利かない。
今は項垂れる事しか出来無い――いや、待って。私は思いつく。自分の能力を。
カイトさんが席を離れている今がチャンスだわ。この部屋からは出られないけれど、何か手掛かりを得られるかも。可能性は低いけれど……。
あまり使い過ぎると、魔力がまた減ってしまう――でも、仕方が無いわ。
これしか手段が無いの。私は立ち上がって壁まで向かい、一度手を組んで神に祈ってから手を当てて集中する――すると、壁伝いにどこかの部屋が映し出された。
一人の男性が窓の外を伺い見ながら、誰かに話しかけている。
「カイトが帰って来ているようだが?」
「婚約者を奥様にご紹介したいと」
「そうか」
誰だか分からないけれど、カイトさんと良く似た容姿――ご兄弟かしら? カイトさんは第三王子だと言っていたからお兄様?
もう一人は声だけで、顔が見えない――私の力では映像で見れる範囲が少ないの。
でも、どこかで聞いた事のある声のような――。
その正体を探しながらも、二人の会話は進む。
「アレはどうなった?」
「ええ、順調ですよ」
「なら、いい。お父様がヴィシュバルド国との交渉を終えたら直ちに決行すると仰っていた。準備は万全にしておけ」
「承知の上です」
――何の準備かしら?
「――はっ」
そこで映像が途切れた。と、同時に私の膝がガクンと力を失った。
汗が噴き出し、息が切れる。体が限界を迎えていた。やっぱり魔法を使うのは体に負担がかかってしまう。
早く息を整えておかないと、カイトさんが戻って来た時に不審がられてしまうわ。
這いずりながらソファに戻って背もたれに寄りかかり、息を整える。
それにしても、『アレ』って何の事かしら? ――そこにこの国の秘密がありそうな気がするわ。
それから、もう一人の声――どこで聞いたのかしら? それも思い出さなければ。
体制を変えて、視線を天井に投げる。
悪役令嬢に転生してから、メイドをいびるくらいの事しか出来ていないけれど、この国では私がしてきた事なんて比べ物にならないくらいの悪事が働かれているのかもしれないわ――そう思うと悔しいわね。私は悪役令嬢の自分に誇りを持っているのよ? 負けたくないわ。
――公爵だけではなくて、この国の悪事も暴いてやろうかしら?
カイトさんには悪いけれど、それはいい考えかもしれない。私を出し抜こうとする者は誰であろうと――国であろうと許さないわ。
そう考えると、わくわくしてきた。楽しくなってきたわね。私は一人、ほくそ笑んでいた。
「フローリア、待たせたな」
その時、扉が開いてカイトさんが戻って来た。私は姿勢を正す。
「今日はお母様の調子がいいみたいだ。午後になったら一緒に挨拶に行こう」
「そう。それは良かったわ。そうしましょう」
まずは、王妃から何か情報を得られるといいのだけれど。
***
昼食を済ませ、適度に庭を散歩をしながら運動もした。ずっとカイトさんと二人きりだったのだけれど、また彼の事は頭に無かった。だって、やっと王妃とお会い出来るのだもの。どうやって『アレ』の存在を引き出すか――でも、王妃が知らなかったら何も出てこないわ。そうなったらカイトさんのお兄様にも会わせて貰わないと。
「フローリア、また他の事を考えているな?」
「え?」
カイトさんが頬に手を伸ばしながら問うてくる。
今はソファに座って、カイトさんは私に膝枕されていた。
ヴィシュバルド国でも、バーラン王国でも、カイトさんとやる事は一緒ね。
「まぁ、もう慣れたが」
「王妃様とお会い出来る事が楽しみなの」
「だから、心ここにあらずなのか?」
「ええ」
誤魔化せているのかは分からないけれど、嘘は吐いていないわ。
「それならいいが……だが、そんなにいいものではないぞ?」
「どういうこと?」
「――会えば分かる」
カイトさんの視線が時計へ向けられる。
「そろそろ迎えが来るな」と言いながら私の膝から頭を上げた。
その言葉に時計を見やると、十四時になろうとしていた。カイトさんの言葉を待っていたかのようにコンコンとノックの音が聞こえる。
背筋をピンと伸ばし、燕尾服をビシッと着こなした老人が入って来る。カイトさんについていた執事よりももっと立派というか――威厳を感じた。
この執事が王妃専属の執事なのかしら? カイトさんにも専属の執事がいるのだから、王妃にだっている筈でしょう?
「カイトお坊ちゃま、お迎えに参りました。奥様がお待ちです」
「ああ、今行く。行こう、フローリア」
「ええ」
差し出されたカイトさんの手を取って立ち上がり、執事の後を追う。
王妃はいったいどんな方なのかしら――話の通じる方だと良いのだけれど。
客間を出て、あっちやこっちや角を曲がり、初日に見た階段を上がって行った。前回はここを上がらずに、護衛の話を聞いただけで終わったのよね。上がっていれば、早めに王妃に会えたのかしら? ――等と考えていた自分が甘かったと気付く。
――上の階は、護衛の数が異常だった。
下の階は十数人だったのに対し、この階は数十人が立っている。鎧の大群だわ。きっと夜中も下の階の比ではないのでしょうね。
でも、異常過ぎる――こんな大国とヴィシュバルド国を比べるのは違うのかもしれないけれど、ここまでの数は見た事が無い。公爵の部屋の前に立っている護衛は二人――こんなに護衛が必要って事は、王妃は命でも狙われているの?
「物騒で悪い」
「いいえ」
カイトさんに話しかけられて慌てて後を追う。驚き過ぎて足が止まっていたわ。
「こんなに護衛がいるのはここだけだから」
ここだけ? その言葉が引っかかる――いったい何があるの?
「ここです」
いよいよ、王妃の部屋に着いたみたいね。
客間なんかよりもより豪勢な扉が嵐の前の静けさを物語っているようだった。
「奥様に異変があった場合は直ちに御退出願いますので、そのおつもりで」
――異変?
カイトさんは平然と「分かってる」と答えていた。
私は執事の言葉に違和感を覚えながらも生唾を飲む事しか出来無かった。
執事の合図で、騎士二人によって重厚な扉が開けられる。
――意外にもそこは、日差しで溢れる場所だった。
窓が開けられているのか鳥達のさえずりも聞こえてくる、長閑な場所。
窓のすぐ傍に大きなベッドがあり、その両隣にメイドが一人ずつ立っていて、中にも扉の傍に騎士が二人、扉を挟むように立っている。廊下の光景からは想像もつかない一般的な王妃の部屋だった。
ベッドには一人の女性が日差しを愛しむように外を眺めながら座っている――彼女が王妃ね。
カイトさんと同じ色の長髪は首の後ろで束ねられ、細く骨ばった手は布団の上にそっと置かれていた。
ただ一つ気になるのは、香り。嗅いだ事のない香りが微かにあった。窓が空いているから殆ど外へ漏れてしまっているようだけれど。何の香りかしら? 花では無さそうね。花瓶一つ置かれていないし――
「奥様、お坊ちゃまと婚約者の方が来られました」
執事の声に体がビクッと跳ねた――ついにご対面だわ。
「そう」
小さな声が聞こえた。王妃が振り返る。ゆっくりと。でも、確実に。
――驚愕した。
長い前髪で少し隠れてはいるけれど、目の下には大きくてくっきりとしたクマ。こけた頬――その微笑みは随分と疲弊しきっているようで、恐らく美しい女性だったのでしょう。面影はあるけれど、見る影は無い。どうしたらここまで酷くなるのかしら? これはまるで――
「お母様、今日はいつもよりお元気そうですね」
――これで、元気そうですって?
どこからどう見ても一ヶ月飲まず食わずで徹夜したような顔だわ。
「ええ、今は気分がいいの」
――何が起こっているの?
私が立ち尽くしていると、いつの間にか王妃の傍まで移動していたカイトさんが振り返り、話しかけてくる。
「フローリア」
「え、ええ」
とりあえず、平静を装わなければ。
急いで彼の隣に移動する。
「お母様、紹介します。婚約者のフローリアです」
カイトさんが背中に手を当てながら私を紹介してくれた。
「初めまして。フローリア・ミリー・ヴィシュバルドと申します」
「初めまして。婚約者なら気兼ねなくお
「ええ、お義母様。私の事もフローリアと」
「そう呼ばせて貰うわ」
優しく微笑んで下さるけれど、何故かしら――心が痛むわ。
「婚約してくれてありがとう、フローリア。この子、中々縁談が上手くいかなくて困っていたの。安心したわ」
「私も良縁があったと思っております」
もちろん嘘だけれど、カイトさんは嬉しそうね。
でも、どうしたらいいのかしら? こんなに弱っている方にこの国の素性を聞くのは――まただわ。
私は悪女。心配なんて無用よ。病気だって構わない。公爵と一緒にこの国だって
どうやって聞き出すか――まだ良策は思いつかないけれど。
せめて周りに人がいなければ――いなくても、わざわざ自分から他国の人間に自国の秘密を暴露する訳無いわね。
「お母様、早速フローリアと仲良くなれましたね」
「そうね。嬉しいわ」
仲睦まじい母と息子――少しだけお母様を思い出してしまったわ。私のお母様も病気だったのよね……だからって感情移入してはダメ。悪女の名が廃れるわ。
気持ちを切り替えて、バレないように二人へ厳しい視線を送る。
「フローリアは、花が好きなんです」
「そう」
「はい。だから、毎日一緒に庭の花を見てるんです。ヴィシュバルド国の城の庭も凄く綺麗なんですよ。全部、フローリアが選んだそうで――お母様にも見せて差し上げたかったです」
「私も見てみたかったわ」
他愛の無い親子の会話――この世界での母との思い出が蘇る。
この世界での私の母は、本当に私に良くしてくれた。公爵に捨てられて途方に暮れていた時だって、めげずに一人で私を育ててくれた……けれど、それが祟って病気になって、亡くなった。公爵が私達を捨ててあの女を選ばなければ――なんて今更嘆いたところで遅いのだけれど。
少し懐かしくなってしまっただけよ、目的は忘れていないわ。
「フローリア、一緒に話そう」
カイトさんが手を伸ばしてくる。
「ええ」
私はその手を取り、王妃の傍へ。
メイドが用意していた椅子に二人して座り、王妃に向き直る。
「体調のお悪い中、お時間を割いて頂き、ありがとうございます」
「いいのよ、フローリア。貴女の事を教えてちょうだい」
「ええ」
私の素顔はバレないに越した事無いわ。オブラートに包んでお話しましょう。
「カイトさんもお話しされておりましたが、私は花が好きですの。それから、最近は料理にもはまっていますわ」
「料理? 自分で作るの?」
「ええ」
「それは素晴らしいわね。私はシェフに任せっぱなしだわ」
一時、追放されていたもので。
「やってみると、楽しいものですよ」なんて言いながら微笑んで見せる。
「そう。私も体が動けば一緒にやってみたいけど……」
「お元気になられたら、ぜひ」
「そうね。それがいいわ。早く元気にならなければね」
そう、王妃が微笑んだ時だった――見る見るうちに顔色が悪くなる。
「きゃああああああああ!!!!」
――何?
王妃が頭を抱えて金切り声を上げる。
「カイトお坊ちゃま、フローリア様、ここまでです」
後ろから執事が声を掛けて来た。
「え?」
「分かった」
困惑する私の手を引くカイトさんと、私の背中を少し強めに押してくる執事。
「やめてええええええ!!!!! 来ないでえええええ!!!!」
両手を振り回しながら怯えた表情で何かを振り払っている。
――何? 何が起こっているの?
私は肩ごしに王妃が取り乱している姿を見ながら、部屋の外へと追いやられた。
扉が閉まる直前。王妃の体を抑え込んでいるメイドと、王妃に何か――薬かしら? ――を飲ませているメイド。王妃と二人のメイドの姿が私の目に焼きつけられた。
「悪い、フローリア。驚かせたな。症状が出るとああなるんだ」
カイトさんが優しく謝ってくれる。
あれが、病気の症状だというの? ――そんなバカな。
どう見たって狂っているようにしか見えなかったわ――王妃には何かある。確信したわ。
――でも、何が?
あんなにやせ細って、狂乱して――原因は何だというの? だって、直前まで普通に話していたのよ? 変化が急過ぎるわ。
まだ、何かは分からないけれど、真相を突き止める事が出来れば、この国を貶める事は簡単そうね。
「大丈夫よ」
心配無いわ、カイトさん。私の頭は至って冷静沈着。寧ろ、そんなにか弱いと思われているなんて心外だわ。
「良かった。またちゃんと挨拶が出来る機会があればいいのだが……」
「そうね」
執事に案内されて、私達は客間へと戻る。その間も、あの狂乱した王妃の姿が頭から離れなかった――。
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