第七章 バーラン王国
やっと長い長い一週間が過ぎ、やってきた早朝。
私とカイトさん――と見張り――の目の前に馬車が到着する。随分遅かったじゃない。舐められたものね。
「行こう、フローリア」
「ええ」
カイトさんは嬉々として私の手を引き、馬車の中へ連れて行ってくれる。
繋いだ手の暖かさに大地君の顔が過ぎったけど、軽く被りを振って忘れる。
――今、目の前にいるのが彼、なのよね。
そして、カイトさんは私の婚約者候補でもある。悪役令嬢の私にここまで愛情を注いでくれるのは、私が花園立香だったから――何か出来過ぎた話ね。
最初は誰も愛さないと言っていたのに、私が花園立香だと分かった途端掌を返してくるんですもの。驚きだわ。
「――どうした?」
「え?」
「俺の顔に何かついているか?」
どうやら、じっと見つめてしまっていたらしいわ。
「――いいえ」
「そうか?」
カイトさんは自分の顔をぺたぺた触りながら疑問符を浮かべている。
最近変ね。カイトさんと出会ってから調子が狂いっぱなしだわ。
――でも、根本を忘れてはいけない。
私はこの世界の悪役令嬢であり、今の目的は公爵への復讐。その為にカイトさんを利用しているだけ。
私達を乗せた馬車が走り出す――バーラン王国へ向けて。
昨今悪名高い国だけれど、実際はどんな所なのかしら? 一応公爵令嬢の私が行ったのでは、丁重にもてなされて終わるだけの可能性もあるわ。カイトさんの目を盗んで、何か手掛かりを見つけないと――悪名高いと言われる
そして、それと公爵との接点を見つける。そうすれば、公爵を地に落とすことが出来る筈だわ。
それは、ヴィシュバルド国にバーラン国王がご滞在している今がチャンス。邪魔をされかねないもの。
「フローリア!」
「え?」
急に話しかけられて、体が跳ねる。
「な、何かしら?」
「何って……さっきから何度も話しかけているだろう?」
眉間に皺を寄せながら少し拗ねているような表情。
申し訳ないけれど、全く気がつかなかったわ……。
「今回はどれくらい滞在する予定なんだ?」
「そうね……」
バーラン国王のご滞在はそれ程長くないでしょう。それまでには難とかしたいわね。
「五日間ぐらいかしら?」
「五日間か。それくらいあれば、お母様の体調が良好な日もありそうだ」
そうだったわ。王妃にもご挨拶をしなければ。すっかり忘れていたけれど、そういう名目だったわね。
「でも、良かった」
「え?」
カイトさんの声のトーンが変わる。それにつられて彼の方を見ると、穏やかな表情をしていた。
「お母様にご挨拶してくれるということは、もう俺と結婚してくれるって事だろう? 嬉しいよ」
ああ、その事ね。
「それはまた別の話しよ」
「え!?」
随分大きな声ね。
だけど、すぐに表情が真剣なものに変わる。
「俺は諦めないからな」
「――そう」
私にご執心なのは有り難いけれど、カイトさんと結婚してしまったら公爵の思う壺。それだけは避けたいし、今はそれどころじゃないの。
これからバーラン王国へ出向いて、吉と出るか凶と出るか――。
***
ほぼ半日をかけて、バーラン王国へ到着。
見た目は書物で見ていたし、特に驚く事も無いだろうと思っていたけれど、宮殿を目の当たりにすると圧巻だった。うちの小さな城とは大違いね。さすが、大国なだけあるわ。公爵がこの国と友好関係を結びたい気持ちも分かる――だからって協力するつもりはないけれど。
「お疲れ様、フローリア。ここが俺の家だ」
「ええ」
カイトさんは私の背に手を添えてくれながら話しかけてくれる。
でも、私は早速もっと別の事を考えていた。猶予が無い。五日で手掛かりを見つけなければならないのだから。
とりあえず、馬車から降りてここに来るまで使用人は殆どいなかった。夜行動を起こすのは簡単そうね。
でも、確かに疲れたわ。半日近く馬車に揺られていたのだからそれはそうなのだけれど。カイトさんは途中眠っていたし、元気でしょうけれど、私はバーラン王国でどう動こうか考えていたから一睡も出来無かったのよね……。
「案内する」
目の前に広がっているのは遥か遠くまで続いているエントランス。何畳あるのやら。しかも、吹き抜けになっている上に向こう側の庭が見える仕様になっているから、更に開放感で溢れている。贅沢な空間ね。
「こっちだ」
私の手を取って歩幅を合わせながら歩いてくれる。
エントランスの中間ぐらいまで来ると、方向転換して右側へ。そこには大きな扉が聳え立っていた。その両隣に騎士が二人立っている。あまりにも騎士達が小さく見えて、心許無く感じてしまう。
「開けてくれ」
カイトさんの鶴の一声でその二人が動き、重厚な扉が開かれた。
度肝抜かれたわ――完全に私の考えが甘かった。
執事とメイドがずらりと並んでいる絶景。うちの城もそこそこだと思っていたけれど、本物は違うわね。ここまでの光景は初めて見たわ。きっとカイトさんが戻って来るからと、集合していたのね。
これだと、思うように動けないじゃない。
「「「「「「「「「「おかえりなさいませ、カイト様」」」」」」」」」」
もう何人並んでいるのかも数えきれないし、何人が挨拶したのかも分からないのだけれど、地鳴りでもしたのかと思ったわ。
「ああ」
さっきまでの私に対するテンションとは随分違うわね。まるで、初めて私と対面した時のような冷ややかさを感じるわ。私を花園立香だと知る前のテンション――こんなに冷たかったのね。久しぶりに聞くとちょっと鳥肌が立った。
手前にいた一番年長であろう執事が一歩前に出て来る。
「おかえりなさいませ、カイト様」
「ああ」
ズラッと並んだ使用人達の真ん中を通っている間もカイトさんはずっと私の手を握ったまま。この手って離して貰えるわよね? カイトさんの目を盗んで、情報収集する事は出来るのかしら?
「ここだ」
カイトさんの言葉で我に返る。
優しい声に戻っているわ。さっきまでの氷点下はどこへ行ったのかしら。
「ここが俺とフローリアの部屋だ」
――二人の部屋って何かしら?
「今回フローリアが一緒に来てくれる事になったから用意させた。使ってなかった部屋をフローリアがくつろげるように作り変えたんだ」
部屋を作り変えた……? この人は何を言っているの?
固まっていると、カイトさんが優しく手を引いてくれる。
「見て欲しい、きっと驚く」
言っている間に、扉が勝手に開かれる。
「これは――」
私の部屋の完全再現――。
「フローリアの部屋を再現した。気兼ねなく過ごせるのではないかと思って」
その気持ちは有り難いけれど、再現率が高過ぎて逆に気持ち悪いわ。まぁ、私の為に作ってくれた部屋なんだし、使わせて貰うけれど。
「座ってみてくれ」
「ええ」
座ってみると、思っていたよりも体が沈んだ――同じ部屋だけど明らかに物が違う。高級品だわ、これ。
確かにヴィシュバルド国にある物ももちろん高級なのだけれど、それを軽く上回ってくる――カイトさんと結婚したら、どんな生活が送れるのかしら?
いや、それは違うわ。結婚したら公爵の思う壺って今朝思ったばかりじゃないの。それだけは避けなければならないのよ。
この国の闇も暴きたいしね。
「どうだ?」
「え、ええ」
ちょっと良からぬ事を考えてしまっていたから話しかけられてドキッとした。
「し、質のいいソファね」
「分かってくれたか? この部屋の物は全て特注で作らせた物なんだ。フローリアの為なら金なんて惜しまない」
こんな物いつの間に特注したのかしら――私が来国したいと言ったのは一週間前よ?
「先週来国の話をしたのに、こんなに短期間で作れる物なの?」
「ああ。うちの専属の職人は優秀だからな」
だからって何が何でも仕事が早過ぎるわ。紹介して欲しいくらいね。
「フローリアには良質な生活をしてほしい」
「え?」
優しい声音が聞こえて、カイトさんへ視線を移す。
「ヴィシュバルド国では、あまりいい生活をさせて貰えていなかったのだろう?」
一応悪女と名高いもので。
城にいた頃はどちらかといえば好きにさせて貰っていたけれどね。好きにし過ぎたから追放されてしまっただけ。カイトさんに心配されるような事ではないわ。
「自業自得よ」
そう、その言葉がぴったり。誰かさんにも言われたけれど。
カイトさんは何も言わずに下を向いた。
「幸せになって欲しい」
自然と目が大きくなる。驚いたわ。今の私の幸せを願ってくれる人がいるなんて。
「立香が俺と女生徒を助けて亡くなった時、誰もがその行いに『聖人』だと謳った。でも、俺はそうは思えなかった。だって、立香は死んでしまったから。もう触れ合う事すら出来無い。そう考えると、僕は悲しくて仕方が無かった。そんな状態で聖人なんていかれてる――確かに、立香がした事は立派な事だったのかもしれないけど、俺は納得がいかなかった」
意外ね。私――花園立香の全ての行動が聖人としての材料になり得た筈だったのに。そう思わない人もいたのね。
カイトさんが私の両手を取った。しっかりと視線が交わる。
「前世で、若くして悲惨な死に方をしてしまった分、この世界では平和に幸せに暮らして欲しい」
今度は抱き締められる。強く。
「だから、俺の元へ来い。後悔なんてさせない。フローリアに楯突く者は俺が許さない」
私は返事が出来無かった――最初は否定していたのに。
公爵の顔が過ぎる。せめて、結婚するとしたら、あの人への復讐を果たしてからよ。だから、今は何とも言えない。少し、もどかしく思った。
顔を彼の肩に摺り寄せると、頭を優しく撫でられる。
この世界では彼の温もりを沢山感じられる――幸せってこういう事だと思った。
悪役令嬢に転生した私に幸せなんていらない筈なのに。少しだけ……ほんの少しだけ心地良いと思ってしまった。
***
夜――もう深夜ね。時計を確認すると一時前。
昨日は一日、カイトさんの言葉の通りゆっくり過ごさせて貰ったわ。だから、体調も万全。
隣を確認すると、カイトさんが寝息を立てている。
――少しだけ探検でもしてみようかしら?
私はカイトさんを起こさないようにそっとベッドから抜け出す。
奇麗なネグリジェを用意して貰っていたので、それを手に取って着て、クローゼットからストールを出して羽織った。私の部屋と同じ構造になっているのだから、何がどこにあるのかははっきりと分かるわ。
そのまま、音を立てないようにゆっくり扉を開けて廊下の様子を確認する。もちろん護衛の騎士はいるけれど、私はこの国に招かれた客人。警戒される事は無い筈。
まぁ、残念な事に見張りも一緒にいるのだけれど。
ゆっくり扉を開けて部屋から出て、ゆっくり閉める。
「こんな時間に、どうかされましたか?」
やっぱり、うちの使用人とは態度が違うわね。
「少しお手洗いに」
「では、護衛を――」
「必要無いわ。すぐに戻るから」
「左様ですか……」
納得いかなさそうだったけれど、無理強いする事も出来無いでしょうね。
「でしたら、私が――」
やっぱり出しゃばって来たわね、うちの見張りが。
「必要無いと言っているでしょう?」
「ですが――」
「ここはバーラン王国よ。私は客人として招かれているの。貴方だってその立場でしょう? 他国で出しゃばるつもり?」
「それは――」
「すぐに戻ると言っているのだから、大人しくここにいなさい。付いて来るだけ邪魔だわ」
そこまで言うと、さすがに黙り込んでしまった。その隙に私はお手洗いへ向かう。場所は昼間にも行ったから分かっているわ。とりあえず、その方向へ曲がって、使用人が見えなくなってから、適当に歩き始める。ちゃんと場所を覚えておかないとね。すぐ戻ると言ってしまったし。護衛も見張りも断っておいて迷子になっていたら目も当てられないわ。
とにかく、この国が『悪名高い国』だという証拠を何か見つけたいわね。今日一日では無理だと分かっているから、少しずつ探検して行きましょう。
T字路で立ち止まる。目の前には階段。こんなに近くに上へ行く通路があったのね。でも、上の階はまた今度。柱に隠れて様子を伺うと、使用人が一部屋に一人ずつ立っていた。うちも似たようなものだけれど、装備はこちらが頑丈そうね。王室って狙われやすいから、それはそうなのでしょうけれど。
でも、これだとここの通路は全て誰かの部屋って事になるわよね? 調べる必要は無いのかも……。
「でも、カイト様には驚いたよなぁ」
一番近い場所にいる騎士の声が聞こえてくる。夜だから声は小さめだけれど。
「あれだけ縁談を断っていたから、俺はてっきり結婚なさる気はないのかと思ってたけど、違ったんだな」
「ああ。今回のお相手はよっぽど御眼鏡に適ったんだろうな。即婚約って聞いたぞ?」
婚約はまだしていないわ――情報が
「そこまでご執心なのか。よっぽど綺麗な方なんだろうな」
「執事達の話を聞いたけど、綺麗は綺麗だが、そこまでじゃないって言っていたような……?」
どっちなのよ。喜べばいいのかしら? それとも落ち込むべき?
「とにかく、あれだけ駄々をこねていたカイト様がご結婚されるんだからめでたい事だよ」
「そうだな。奥様もあんな状態だし、ご結婚は早いといいな」
――カイトさんのお母様の事だわ。
そんなに体調がお悪いのかしら?
「最近の奥様は見るに堪えないよな」
「錯乱される事も多いみたいだぞ」
――錯乱?
ご病気で錯乱なんてあまり考えられないけれど……? 精神が病むご病気って事かしら? カイトさんは体調面を気にされていたけれど?
「奥様についているメイドは大変だろうな」
「確かに。ことあるごとに当たられてちゃ、メイドの精神も病むよな」
「だから、良く専属メイドが変わるんだよ」
「変わるどころか辞めていってるぞ」
メイドにまで危害が及んでいるというの? まるで私のしていたいじめみたいじゃない――それとは違うのでしょうけれど。
「このままだと、誰も奥様のお世話を出来なくなるな」
「そうなったら国王自ら買って出るんじゃないか? 未だに仲が宜しいから」
「いや、それも分からないぞ? 仮面夫婦とも言われているからな」
「そうなのか?」
仮面夫婦ですって――嫌な響きね。
「まぁ、実際の所下っ端の俺らには確かな事は分からないけどな」
「まぁな」
誰であってもゴシップネタは好きって事かしら?
でも、少し情報は手に入ったわね。カイトさんのお母様は体調のご病気では無くて精神的なご病気だということ、国王と王妃は仮面夫婦かもしれないということ。
本当のところは確かに実際にお会いしてみないと分からないわ。
ただ、国王は今ヴィシュバルド国――ここにはいない。お二人の関係性を間近で見る事は叶わないでしょうね。
そろそろ戻らないと護衛と見張りが心配するわね。カイトさんが起きていないといいけれど。
一抹の不安を抱えつつも客間に戻る事にした。
部屋の前まで来ると、護衛が私に一礼する。
「ご無事で何よりです」
「大袈裟よ」
見張りは私をじっと見つめていた――睨んでいた、が正しいかしら。
もしかして、私が何をしたのかバレているの?
だとしたら、この国でも私は警戒されている事になるわね――国王が公爵から何か聞いているのかしら? だとしたら厄介だわ。
「この国もそんなに治安がいい訳では無いですから」
護衛が口を開く。不要な心配だったみたいね。
「あら? 何かあったのかしら?」
「――私の口からは」
「そう」
まぁ、期待はしていなかったわ。
何かあった事だけ分かれば充分よ。
私は護衛と見張りに背を向けて、ゆっくりと扉を開けて中に入る。
「――お気をつけを」
護衛の騎士が一言、私の背中に囁いた。
心配は無用よ――いつだって悪役は私ですもの。
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