第四章 悪役令嬢と聖人王子
――と思っていたのだけれど。
「一ヶ月も滞在するの?」
「ああ。許可は取ってある。気にするな」
そこを心配している訳では無いの。
「でも、王子としての責務もあるでしょう? お忙しいのでは?」
「公務なら片付けてきた。それに、俺は第三王子だから後継者でもなければ権力争いにも関係無い。だから、一番優先させたいのはフローリアとの縁談なんだ」
第三王子――よっぽどの事がなければ後継者にはなりえないでしょうね。
「一ヶ月分の公務をこの数日で片付けたの?」
「ああ。俺の仕事はそんなに多くないからな」
仕事も片付けて来てしまったのなら私に専念出来るわ。残念ながら……。
どんな手を使ってでも縁談を破談にすると決めたのは昨日。
ここまで早々に手を打って来るとは思っていなかったわ――早過ぎにも程があると思うのだけれど。
公爵も手段は選ばないって事ね。厄介だわ。
「フローリア?」
「え?」
「何か考え事を?」
「いえ、何も」
とにかく、カイト王子の滞在期間中は身動きが取れなければ、私には協力者すらいない――打つ手無し。
何か早急に対策を考えなければ……。
「さっきからずっと考え込んでいるようだが?」
「いいえ、何も。お気になさらず」
「そうか? 何かあったら相談してくれ。俺で良ければ力になる」
そんな事はどうでもいいの。他に気になる事があるから。
「では、一言いいかしら?」
「どうした?」
「距離感が、ちょっと……」
「距離感?」
私の自室にカイト王子をお招きしているのだけれど、本来お客様は机を挟んだ対面のソファに座られるの。けれど、今カイトさんがいるのは――私のすぐ隣。しかも吐息すら感じられる至近距離……さすがにバグってると思うわ。
「何かおかしいか?」
これをおかしいと思わないなんておかしいわね。
「少し(?)近い気がするのだけれど……」
「何かあった時、すぐに君を守れる場所にいたい。ここだったら、何があっても守れる」
そう言いながら肩を抱いて来る。
「もう少し離れても守れると思うわ」
「いや、この距離じゃないとダメだ」
「どうして?」
そこまで頑なになるには、何かのっぴきならない理由でもあるのでしょうね?
何て呑気に考えていたら、抱き締められた。優しく。強く。
「傍にいたいからだ」
不覚にも少しドキッとしてしまった。
「どうして、そんなに……?」
「言っただろう? 君が花園立香だったからだよ」
胸にちくりと針を刺されたような感覚――。
大地君がそこまで私を思っていてくれたなんて、とても意外だったのだけれど、本当の私はそこまで思われるような女の子じゃないの。
今の私なら何を言われたって非情になれると思っていたのに……惚れた弱みって恐ろしいわね。
「貴方は知らないのよ、本当の私を」
「え?」
「本当の花園立香を知っていたら、こんな風に転生してまで私を愛せなかったと思うわ」
「どういう事だ?」
話してしまおう、全て。私はもう花園立香ではないのだから。聖人でいる必要なんてないの。
カイトさんの体を手でそっと押し返して、背を向ける。
「花園立香は、母が作り上げた虚像。本当の私は聖人なんて呼ばれるような性格じゃ無いわ。もっと陰湿で黒い感情を内に秘めていたの。ただ、それを表に出さないようにしていただけ。貴方にそこまで思って貰えるような女の子じゃなかったのよ」
大地君のイメージを壊してしまうのは申し訳無いと思うけれど、それでも公爵の策略に利用されて私なんかと婚約だなんて、さすがに不憫だわ。
「今の私を見れば分るでしょう? 悪女と呼ばれ、一度は追放された身。今の私だって、婚約者候補である貴方の前では優遇されているけれど、一人でいる時は手枷を付けられているの。自由の身になる事すら――」
「立香は」
背後から彼の声が聞こえてハッと我に返り、振り返る。
「俺を――清水大地を嫌いだったか?」
「そんな事無いわ!」
思わず振り返って否定した。
ある訳無い。私は大地君に憧れていた。
きっとそれは、自分と真逆の存在だったから。
聖人と呼ばれる事に嫌気が差していた私は、不良と呼ばれる彼が羨ましかった。
いけない事だけれど、気に入らない人の悪口を言ったり、塾なんて面倒なものもサボりたかったし、もっと自由な生活がしたかった。
大地君が他校の生徒達と楽しそうにコンビニで立ち読みしていたり、買い食いしているのを塾の帰りに見かけたことがあって、それをとても羨ましいと思っていた。
最初は本当にただ羨んでいただけ。だけど、いつの間にか惹かれるようになって――
「だったら、それだけでいい」
「え?」
「あの日――バス事故のあった日。バスの中で手を繋いできた時、もしかしたら俺のこと……ってちょっと期待してたんだ。でも、本音は聞けなかった。一生聞けないものだと思っていた。でも、今こうしてもう一度巡り合えた。こんなチャンス二度と無いと思った。だから、今の君が――フローリアがどんな性格をであっても、どんな生活を送って来たとしても、悪女と呼ばれていても、人間以外の何かに転生していても、もう一度傍にいたいと思ったんだ」
こんなに想っていてくれたなんて、知らなかった。どうしよう――嬉しいと思ってしまう。
――暖かい感情が芽生え始める。
違うのよ、私は悪女になりたいの。悪役令嬢でいたいの。聖人になんて戻りたくない。
――でも、大地君の気持ちは知りたい。
「どうして――私と大地君はそんなに親しい仲じゃなかったのに、どうしてそこまで想ってくれていたの?」
さっきまでの微笑みが引っ込んで、今度は顔を真っ赤に染める。
「それは……そっちにも言える事だろう? そっちが先に教えてくれないと、教えない」
「――そっちが教えてくれないなら、私も教えないわ」
「え」
カイトさんは視線を四方八方に彷徨わせてから、観念したように短く息を吐いた。
「誤解、されるかもしれないが……」
「誤解?」
「ひ、一目惚れだった」
「そう、顔がタイプだったって事ね」
「違う!! ちゃんと聞いてくれ!!」
別にそれでも構わないのだけれど。
「可愛い女の子なんていくらでもいるだろ? いや、まぁ、確かに立香は群を抜いていたが――一目惚れしたのは、初めてだった」
必死に訴えてくるけれど、もう大元の理由は聞けたから別に何でもいいわ。
「小さい時から目付きも悪かったし、喧嘩っ早いし、俺と関わろうとするヤツなんて同じような不良ぐらいしかいなかった。だから、高校なんて本当は行きたくなかったんだ。中学卒業したら、働こうと思ってた。でも、両親が大学までは出ろって煩かったから、仕方無く受験したんだ。受験勉強なんてしてなかったから、どうせ落ちるだろうって思いながら。合格発表の日、受かってるなんて思ってなかったけど、両親に急かされて確認しに行った。そしたら――立香がいた」
中学から通っていた私立校だったから、エスカレーター式で上がっただけなのだけれど……中高同じ敷地内にあるから、校内のどこかで見かけたのかしら?
「中坊なんて、殆ど頭の中女の事しかーねーんだからな!」
「それは聞きたくなかったわ」
「あ、いや、待った! 今の無し!」
長いわね……もうそろそろ終わってくれるかしら?
「こんな可愛い子がいるなら通ってみたいな――って、自分の番号必死で探して、補欠合格で見付けたんだ。思わずガッツポーズしてた。それを両親に報告したら、良くやったって珍しく褒められてさ――あの日は嬉しかったな」
それだけ鮮明に覚えているのだから印象強く残った事に違いはないのでしょうね。
「それで、初登校の日。立香がどこにいるのか、ソワソワしながら探してたんだ。まさか、同じクラスだとは思わなかったけど。俺はその日も青痣顔面に作って行ったから、初日からクラスメイトにドン引きされてた」
確かに、あの日も顔にガーゼや絆創膏がいっぱいだったわね。物珍しかったから印象に残っているわ。
「本当は綺麗な顔のまま行って、堂々と立香に話しかけたかったのに、前日に買い物行った時に不良に見付かって、そのまま挑発に乗って……格好悪かったよな」
お陰で私の記憶には未だに残っているから別にいいと思うわ。
「それで一日中ふてくされてたから、悪い目付きがいつもより更に悪くて。俺が歩けば道が出来るっていう……中学の同級生は殆ど公立に行ったし、クラスメイトにもいなかったから高校デビューを計ったんだけど、完全に終わったと思った」
確かに終わってたわね。
「それで更に不機嫌に拍車がかかって。このまま高校生活もぼっちで終わるものだと思っていた。でも、翌日――朝、下駄箱で立香に会ったんだ」
そうだったかしら?
「本当は行く気なんてサラサラなかったんだよ、高校デビュー失敗したし。でも、二日目から休むなって母親に叩き起こされて、早めに家を追い出されたんだ。そしたら、立香と会って。正直、気まずかった。でも、立香は俺を見つけて『おはよう、清水君』って言ってくれたんだよ」
そう、だったかしら??
「俺に話しかけるヤツなんていないと思ってた。でも、立香は俺に他の生徒と同じように接してくれたんだ。しかも、ちゃんと名前まで覚えてて、呼んでくれた。それが、嬉しかったんだ」
何で大地君に話しかけたことを覚えていないのかしら? ――でも、始業式の翌日ってことは、まだ唯のクラスメイトとしか見ていなかったんだわ。彼が言うように、他の生徒と一緒だったのよ。大地君と話せた数少ない貴重な時間を覚えていないなんて、勿体無い。
「それからもずっと、立香は俺をクラスメイトの一人として接してくれてた。立香のお陰でぼっちでも気にならなかったんだ。でも、人気者の立香を俺が好きになるなんて考えがおこがましいし、ずっと言わないつもりだった。手を繋いだ、あの時まで――」
カイトさんの手が私の手を優しく握る。
「あの時言えなかったたった一言を、今なら言える。だから、何度でも言う。君が好きだ」
カイトさんの顔が近付いて来る。
ああ、また流されてしまうのね……。
***
目を覚ますと、窓から光りが差し込んでいた。
あのまま、カイトさんと一夜を共にしてしまった……これから一ヶ月も滞在の予定なのに、体が持つのか心配だわ。
隣を見ると、カイトさんはいなかった。どこに行ったのかしら?
上体を起こしてから気付く、裸だったわ。当然と言えば当然なのだけれど。
とりあえず、床に散らばっている下着を手に取って着用し、ドレスは一人だと着辛いから手に取ってクローゼットに持って行く。ドレスをしまうと、ネグリジェを取り出した。本来ならメイドの仕事。でも、今の私についてくれるメイドなんていない。別に構わないわ。追放された先では一人で全てやっていたもの。
どこからか声が聞こえてくる――カイトさんの声だわ。
声を辿って視線を向けると、扉が少し開いていた。廊下からだわ。そっと近付いて聞き耳を立てる。どうやら誰かと話しているようね。
「――今日じゃなきゃダメだ。明日じゃ間に合わないだろう? 分かったな? それから、くれぐれもフローリアには内密にしてくれ。絶対にだぞ」
私に内密な用事? ――何か企んでいるのかしら?
待って。良く考えてみると、やっぱり昨日の話はおかしくない?
私がいくら皆に平等に話しかけていたからと言って、そんな事で転生後もずっと私を忘れないでいられるかしら?
それに、私はバス事故で死んだけれど、彼にはそれ以降の人生があった筈。その中でたくさんの女性と出会ったでしょう。私以上に好きになった女性だって、きっといる――。
それに、いくら好きだからって悪女に転生していたら、普通は幻滅しないかしら?
彼の話を聞く限り、やっぱり聖人だった私を好きになったみたいだし、今の真逆の私を好きになれるとは思えない。
私を舐め切っている公爵の顔を思い出す。私を
――絶対に婚約破棄してやるわ。
「――じゃあな。頼んだぞ」
カイトさんの声が聞こえて、現実に引き戻された。
そのままソファへ走り、座って身なりを整える。
扉が開いて、彼が入って来た。私を認めるなり、嬉しそうに微笑む。
「フローリア――おはよう」
「ええ」
少し驚いた表情から、優しい表情に変わる。
小走りで近付いて来て私の隣に腰を下ろし、腕を回して抱き寄せる。
「体は辛くないか? 昨日は、その……無茶を、させたから……」
耳や首まで赤くなりながら聞いてくる。意外と照れ屋なのね。
だけど、心配は無用。
「平気よ」
「そうか。良かった。だが、連日すると体に負担だから、今日はゆっくり寝よう」
出来れば、もう帰って頂きたいわ。
先程まで険しい顔で話していたのに、あの顔はどこへ行ったのかしら? 演技がお上手だこと。
誰かを愛おしく思う気持ちなんてバカげてる。私は悪女なのだから、そんなものに振り回されるなんてどうかしているわ。
――誰も信じてはいけない。
今までずっと孤独な中やって来た。これから先だって、孤独でいいのよ。誰かに嘘でも愛されるなんて、ごめんだわ。
「これから、一ヶ月も君と一緒にいれるなんて夢のようだ」
そんな歯の浮くようなセリフ、良く言えたわね。
「いい天気だし、外を散歩でもしないか?」
「お好きなように」
正直一緒にいる事自体が煩わしいけれど、ここで断ったら何をされるか分からない。手の内が分からない以上、下手な行動は慎むべきだわ。
「では、行こう。おい!」
扉の方へ声をかけると、一人の男性が顔を出した。聡明な出で立ち――バーラン王国の執事ね。随分お若い方だこと。彼は手に箱を持っていた。
「彼は俺の専属執事。三人いる内の一人で、一番若いけど優秀なんだ」
「そう」
執事は扉の前で一礼してから近付いて来る。箱を差し出して、蓋を開けてくれた。中には、綺麗な真紅色のパンプス。
「これは?」
「プレゼント第一弾だ。足のサイズは、前回来た時にここのメイドから聞いた――とはいえ、実際履いてみないと本当に合っているかどうか分からないが」
第一弾という事は、いくつかあるということね。
そこまで私に媚を売るなんて――公爵から入れ知恵でもされたのかしら?
いえ、こんな物では私の気持ちが傾かないことくらい分かっている筈だわ。だから、第一弾なのかも知れないけれど。
カイトさんは箱から左足のパンプスを取り出して、床に屈み込む。
履かせようとしてくれたのか、私の足を取ると一瞬フリーズした。
「カイトさん?」
何か気になる事でもあったのかしら?
彼はパンプスを床に置いて、私の足首を撫でた。
「痛くないか?」
「え?」
「痣が出来ている……」
そういえば、つい先日まで私には足枷が付けられていたわね。しかも、半年間。それが痣を作ったのでしょう。全く気が付かなかったけれど。痛みすら感じないということは、麻痺でもしているのかしら? それとも日常と化していたから?
「今履いているこの靴も安物だ。こんなものを君に履かせるなんて……」
良く分かったわね。綺麗めの物を身に着ている筈だけれど。さすが、一国の王子。見る目があるわ。
「いいのよ。私は一度追放された身だから」
「服は?」
「え?」
今度はネグリジェの裾を手に取って、まじまじと見つめている。
「あの……」
「これは、まだ綺麗だな」
このネグリジェは、クローゼットから出した物。追放される前に着ていた物だから、令嬢には相応しいと思うけれど。
「おい、次の物を早く持って来てくれ」
カイトさんは執事からパンプスの入った箱を受け取って次の指示を出す。
執事は一礼して、部屋を出て行った。
「こんな扱いを受けているなんて、どうしてもっと早く……いや、昨日の話の中にそんなのがあったな……もっと重く受け止めるべきだった」
眉間に皺を寄せて気色ばんでいる。どうして貴方がそんな顔をするの?
「君さえ良ければ、早く結婚してこの国を出よう! こんな風に虐げられることなんて、もうさせない!」
私の足に痣があったからって、そこまで必死になるかしら?
――この人は何を考えているの?
私を騙そうとしているのでは……これも演技? プロ並みね。
それとも、早く結婚させて友好関係を結ばせようとしているの? そんなことさせないわ。
「平気よ、痛くないから」
「だが……」
「第一弾ということは、いくつかプレゼントを用意しているのでしょう? 続きが気になるわ」
「――ああ、そうだな」
無理矢理微笑んで、私の足に再び手を伸ばす。
履いている靴を脱がしてから、床に置いていたパンプスを自分の服の裾で拭いて履かせてくれた。もう片方の靴も箱から出して、同じように履かせてくれる。
「ピッタリみたいだな。歩いてみてくれ」
カイトさんは立ち上がってから、手を差し出しくれる。不本意ながら私もその手を取って立ち上がった。
久しぶりにヒールのある靴を履いたから上手くバランスが取れなくて、少しよろめいてしまったけれど、カイトさんが抱き止めてくれた。
「ゆっくりでいい」
彼から離れて、足を動かす。一歩、また一歩。数歩歩くと、少し感覚を取り戻して来た。
「どうだ?」
「大丈夫よ」
「そうか。良かった」
カイトさんが嬉しそうに微笑むと、ノックの音が聞こえて扉が開き、執事が戻って来た。その手にはさっきより、少し大きな箱。
「やっと来たな。第二弾だ。もう一度座ってくれ、フローリア」
「ええ」
カイトさんに手を引かれながら、ソファへ戻って腰を下ろすと、執事が次の箱を開けてくれる。さっきよりも少し大きな箱――そこには立派な真紅のドレスが入っていた。
「君の瞳の色に合わせて赤でコーディネートしたんだ。気に入ってもらえるといいのだが――お前は出て行け」
粗暴な扱いをされても執事は嫌な顔一つすることなく、一礼して、また部屋を出て行った。
「着替えよう、俺が手伝う」
「え?」
「あ! 悪い……メイドを呼んで来よう」
カイトさんは慌てて部屋を出て行った。裸で抱き合った訳だから別に着替える所を見られても構わないけれど。なんて冷めた考えで待っていると、メイドが二人顔を出し、私の着替えを手伝う。カイトさんが呼べば来てくれるのね。
姿見の前で、そのドレスを着せてもらうと、足元のパンプスと合っていて、とても素敵だった。
ただ、マレットドレスだから足首の痣が見えてしまうのが少し気になるけれど。今まで気にしていなかったわ。こんなに目立っていたのね。カイトさんが顔色を変える訳だわ。
それから、メイドが気を利かせて、髪も綺麗に整えてくれた。ドレスが良く見えるようにアップにしてくれて、メイクも軽く施してくれる。
姿見に映る自分に感心していると、その後ろに映るメイドが目を見開いていた――私、何かしたかしら?
少し考えて気が付いた――私、『ありがとう』と言ってしまったわ。
「さっきのは忘れなさい」
悪女である私がメイドに感謝の言葉等あってはならないのに……きっと、カイトさんと出会ってしまったことで、立香の時の記憶を強く思い出しているんだわ。何かされた時には、『ありがとう』と言うことを徹底していたから、無意識にやってしまったのね。不覚だわ……。
メイド達は一礼して、部屋を出て行った。それと入れ替わりでカイトさんが戻って来る。この速度は、部屋の外で待機していたのかしら? ――いえ、服装がさっきと違うから、一度別室で着替えたのね。
元々は私の部屋ではなく客間に泊まる予定だった筈。荷物も全てそこにあるだろうから、一度客間に戻って着替え、それから来たのかも。
メイドが身なりを整えてくれていたから時間は余る程あっただろうし、その間に戻って来て待機していた――寧ろ、メイドがメイクまでしてくれたのは、カイトさんの指示だったのかもしれないわね。時間稼ぎの為に。
それにしても、その服装は――。
「――綺麗だ」
彼が感嘆の声を漏らしながら、また小走りに私の元へ近付いて来る。
「やっぱり、俺の目に狂いはなかった。君の白い肌にもこの色は映えている。髪型も似合っているよ」
彼の右手が頬に優しく触れる。そんなに愛おしそうに見つめないで。騙されてしまいそうになる。
「俺の服装も、君と合わせたんだ。君程は似合わないけど」
やっぱりペアルックなのね。
赤をベースに所々黒い模様が散りばめられている所なんて一緒だもの。
「そんな事無いわ」
「――ありがとう」
社交辞令よ。
「あと、これも」
彼は後ろ手に隠し持っていた箱を取り出して、中身を見せてくれる。
パールが輝くネックレス、指輪、ブレスレット――高いものでしょうね。
「第三弾はアクセサリーだ」
ドレッサーに座るように促され、全てのアクセサリーをつけて貰った。
「今日は、他にもプレゼントを用意しているから楽しみにしていてくれ」
まだあるの? いったい何弾まであるのかしら……そんなに媚を売られても迷惑なだけだわ。
「準備も出来たし、庭に出よう」
カイトさんが手を差し出してくれたので、そっとそこに自分の手を乗せた。
庭に出るだけなのに、ここまでするなんて大袈裟では?
どう見ても余所行きの格好――いえ、さすがにペアルックで外へ出るのは恥ずかしいのだけれど。
二人で玄関口まで向かうと、公爵の姿が目に入った。
従者を数人お供に着けて外出するみたいね。どこへ行くのかしら?
「公爵!」とカイトさんが手を挙げながら声を張るものだから、体が強張った。
いやいや、今の私は堂々としていていいのよ。普段良からぬことを考えているから、こういう時でも冷や汗をかくのだわ。平常心よ、平常心。
「これは、カイト王子。娘と仲良くして下さっているようで、何よりです」
何を……貴方の差し金でしょうに。白々しい。
「はい。フローリアさんは素晴らしい女性ですよ」
本当に思っているのかしら?
「それは……余りあるお言葉です」
公爵の表情で分かる。貴方は全く思っていませんものね。私を素晴らしいなんて。
「どこかへお出かけですか?」
良くぞ聞いて下さったわ。
「ええ、バーラン王国へ向かいます」
「そうですか。父に宜しくお伝え下さい」
「もちろんです。こちらこそ、娘を宜しくお願い致します」
恭しく頭を下げている様子にどうも違和感を感じる。本当に私を追放したあの公爵なのかしら? この変貌ぶりは何なの? カイトさんと私の対応が雲泥の差だわ。
去り際、カイト王子にバレないように鼻で笑われた――腹立たしい。
絶対に婚約破棄してやるから、見てなさい!
「行こう、フローリア」
「――ええ」
公爵の馬車を見送ってから――見送るというよりは睨みつけながら――庭へ散歩に出かける。後ろには、彼の執事も着いて来ていた。
庭へは久しぶりに出るわ。この庭は薔薇のアーチが素敵なの。この世界にも薔薇に似た花が存在していて、種類も豊富。赤色、桃色、黄色、青色、紫色、白色――。世界各国からありとあらゆる種類の薔薇を収集して、私が庭師に作らせたのよ。私がいなくなっても、ずっと残っているなんて感慨深いわ。それだけ、この薔薇のアーチが素晴らしいということね。
「この庭の花は、全てフローリアが集めたのだろう?」
「ええ……良くご存じね」
「庭師が教えてくれた。花の知識に関して、フローリアに勝る者はいないと」
まぁ、花にはずっと縁があるから。
「花園に、フローリア――君の名前にはいつも花が入っているな。だからか?」
こっちの世界で亡くなった母が付けてくれたのだけれど、運命的よね。
「俺も花は大切にしているんだ。君を思い出すから――」
カイトさんは、膝を折ってそっと薔薇に手を伸ばす。
「止めた方がいいわ」
「え?」
「棘があるから」
「そうか」
そっと手を引っ込めて、少し残念そうに視線を下げる。
「こっちに来て」
「え?」
「花なら他にもあるわ」
「――ああ」
嬉しそうに私の後を着いてくる様子は、ちょっと可愛らしいかもしれない。
花壇に案内して、花を一つずつ説明していくと、興味深そうに聞いてくれていた。
――本当にこの人との婚約を破棄しなければならないのかしら?
公爵への復讐の為に婚約破棄を画策していたけれど、この人と二人でいると忘れてしまいそうになる。前世で果たせなかった幸せな時間を取り戻したくなる――いえ、そんな事では悪女の名が廃るわ。
それに、これも全て演技なのかもしれないし……まだ油断出来無いわ。
二人で花壇の花を眺めていたら、執事が朝食の時間だと告げてくれた。
そうよ。今日はまだ始まったばかり。ここから、頭をフル回転させて、絶対に打開案を見つけてみせる。
***
カチャカチャと静かなダイニングに金属音が響く。
――夕食。
あっという間に一日経ったのだけれど。こんなことってある? 何も思いつかなかったわ。あれ? 私って、前世では秀才でやってたのよ? 今回だって、令嬢の名に恥じぬよう勉学に励んできたわ――なのに、何なのよ、この様は。
自分に嫌気が差してくるわ……心無しかイライラが銀食器の音と呼応しているように思えるのだけれど。
「どうした? フローリア」
「――いえ」
貴方のせいです、なんて言える訳無いじゃないの。
近くにいるメイドも料理が口に合わないんじゃないかとか、取り換えようかとか、いらない心配をしてくるから、静かに食事をさせてと制する。
料理のことはどうでもいいのよ。いつもの料理長が作ったのだから、いつもの味に決まっているじゃない。自分が作ったものよりもずっと美味しいし、不満なんてないわ。
――そういえば、公爵の姿が見えないようだけれど?
夕食の時間はいつも一緒だったのだけれど、その姿が見当たらない。メイドに聞いてみたら、今日は戻る予定は無いのだそう。バーラン王国で、いったい何をしているのやら。
――それよ!
公爵への復讐方法! 婚約破棄以外にもあったじゃない!
あ、いや、まだカイトさんへの疑いが晴れた訳では無いのだけれど――。
でも、打開案はいくつあっても問題無いわ。婚約破棄が出来無かった場合はこれで行きましょう!
打開案が一つ見つかった事で、少し機嫌が戻って来た。
「――フローリアは分かりやすいな。甘いものが好きなのか?」
「え?」
机の上を見ると、いつの間にかデザートの皿に変わっていた。
「え、ええ。まぁ……」
食に対するこだわりはどちらかといえば無いのだけれど――そういう事にしておきましょう。
デザートを食べ終わり、二人で部屋に戻る。
もちろん執事さんは部屋の外で待機。私の見張り役も同様に。
部屋の中を見回わすと、今日彼にもらったものの
第四弾はロケット(カイトさんの写真入り)、第五弾は香水、第六弾はバッグ、第七弾は絵画(カイトさんの自画像)、第八弾はヴァイオリン、第九弾は大量の書籍――一部はガラクタだわ。貰わない訳にはいかないから一応受け取ったけれど、彼が帰ったらゴミ箱行きよ。
二人でソファに並んで座っていると、何だかカイトさんがソワソワしているような……時計をちらちらと気にしているみたいだけれど。
「何か?」
「え!?」
そんなに肩を震わせてまで驚かなくても。
「あ、いや――何でもない」
貴方もかなり分かりやすい性格ね。
とにかく、私は彼の国について聞きたいと思っていたから、早速聞いてみることにした――のだけれど、ノックの音が聞こえてきて、執事が入って来た。さっきまで一緒にいた執事とは違う方だわ。もっと年配のベテランみたい。
「あ、来た!!!」
浮足立ちながら駆け寄って行き、それを手に取るとまた戻って来た。
執事と目が合うと、一礼だけして出て行ってしまった。
カイトさんが戻って来て、私の目の前に立つ。その手には花束が握られていた。
「はい!」
「え?」
「第十弾! 最後のプレゼントだ」
差し出されたので手に取ると、フローラルな香りが鼻をかすめた。
「いい香り」
「そうだろう? 他国の花なんだが、すごく香りがいいことで評判なんだ。フローリアといえば、花だからな! 最後のプレゼントは花にしたかった。昨日から手配していたのだが、今日中に届くかどうか心配で……今朝、フローリアが目覚める前にこっそり執事達に取りに行って貰ったんだ。間に合って良かった」
――今朝?
まさか、あの会話は――
「私に内密にって、この事だったのね……」
「ああ、驚かせようと思って――何で知ってるんだ?」
「いい香りだわ」
「――ああ」
真顔で誤魔化した。誤魔化せたことが奇跡だけれど。
「でも、どうしてこんなにたくさんのプレゼントを?」
「え? もしかして、間違えてたか……?」
「何を?」
私の反応にどこか心許無い様子のカイトさん。
「――今日がフローリアの誕生日だと聞いていたのだが……き、聞き間違えだったか?」
一瞬、思考がフリーズした。
――誕生日をお祝いして貰ったのなんていつぶりかしら?
悪役令嬢として、嫌われポジションだった私の誕生日を率先して祝う人間なんていなかった。もちろん、小さい時は祝ってくれていたけれど、もうここ最近は誕生日すら一人ぼっちで過ごしていたもの。
こんなにたくさん誕生日プレゼントを用意して、お祝いしてくれるなんて……。
「合っているわ……私が忘れていただけよ」
花束を強く抱きしめる。
ああ、何だか醜い感情が浄化されていくようだわ……。
カイトさんはこんなに私を思ってくれていたのに、私は今日一日ずっと彼を疑っていた。
私自身が覚えていない誕生日でさえも覚えていて、生まれてきたことが罪である私を祝ってくれている――こんなの悪役令嬢としてあるまじき現状だわ。
「どうして、ここまでしてくれるの?」
「え?」
「私が花園立香だったからって、ここまでするのはやっぱりおかしいわ。やり過ぎよ。何か他に理由があるのでは?」
それでも、私はまだ疑ってしまう。
「そうだな……似てるから、かな」
「似てる?」
「ああ。今の君が――清水大地に似てるから」
「え?」
私が、大地君に似てるって? どういうこと……?
「俺はずっとぼっちだったって話しただろう? その頃の俺を見ているみたいだなって……寂しい思いを押し殺しながら、それでも一匹狼でいようとしていた。だから、分かるんだ。今フローリアがどんな思いをしているのか」
「私の、思い……?」
カイトさんは私を抱き寄せる。
「俺はずっと、君の傍にいるから。何があったって、変わらず傍にいる」
彼の腕の中があまりにも暖かくて、気持ちが揺らぐ。
まるで、前世とは真逆ね。私にもカイトさんが花園立香のように見えるわ。
このまま彼と一緒になれば、幸せになれるのかしら?
いえ、私はフローリア・ミリー・ヴィシュバルド。この世界の悪役令嬢よ――。
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