第一章 悪女と呼ばれた令嬢
「どうしてですか……?」
桃色の頭髪が揺れ、碧眼は私へ畏怖を訴えてくる。
ああ、なんて楽しいのかしら――気に入らない少女に制裁を加えるって。
「私がいったい貴女に何をしたと言うんです?」
手も足も――全身が震えていると言うのに、私から視線を逸らす事無く口を開き続ける。
もう限界なのでしょうね。
私は真紅の瞳で見降ろしながら、首を傾げた。
「特に何も。目障りだと思っただけよ」
彼女は、小鹿のように立ち上がり、真っ直ぐに私を見据えた。
私に歯向かえる権利が自分にあると思っているのかしら? 随分おごっているメイドね。
「私はいつもお嬢様の事を一番に考えてお世話させて頂いています。こんな仕打ちは耐えられません」
「私の為? 貴女の心に巣くっているのは、お兄様ではなくて?」
「――!?」
彼女はメイドの身分にも関わらず、私の兄であるこの国の男爵に恋焦がれていた。なんて身分違いなのかしら。
そして、彼女が主人であるこの私に逆らってくるようになったのは、そのお兄様から目をかけられているから。
お兄様が甘やかしたお陰で、こんなに生意気になってしまったの。私の使用人の癖に。うっとおしい。
前世で業火の中死んだ私は、妹がプレイしていたゲームのキャラクターであるフローリアに転生していた。
生まれ変わったら悪行の限りを尽くそうと思っていたから、悪役令嬢に転生出来た事は、寧ろ好都合だったわ。
前世で私を縛り付けた母はいない。聖人と敬うクラスメイトもいない。私は伸び伸びと気に入らない人物に嫌がらせが出来た。
私は公爵令嬢だから、他の誰も逆らえない。これも、私の悪行に拍車をかけてくれた。何て恵まれた環境なのかしら。
今の世界が楽しくて楽しくて、笑いが止まらないわ。
「メイドの身分でお兄様とどうなろうというの? いくら気にかけて貰えても、そこに特別な感情は無いの。貴女がこれ以上調子に乗るのなら――解雇するわ」
私の言葉に彼女の顔色が変わる。
「そんな! 困ります!! 仕事をしないと、田舎の家族に仕送りも出来無いし――」
「そんな事私に関係無いわ。連れて行きなさい」
私の言葉で、傍にいた他のメイド達が彼女の腕を取って部屋を出て行く。
「待ってください!! 歯向かったことは謝ります!! だから、思い直してください!! お願いします!!」
叫びながら連れて行かれる姿があまりにも滑稽で、面白くて、口元が思わず緩んだ時――
「グラスリー!!」
茶髪碧眼のスラッとした長身の男性が入って来た。
「お兄様?」
この男性は私の兄に当たる、フリーツ・ドラッド・ヴィシュバルド。兄といっても腹違いで血が繋がっているのは半分だけだけれど。
ちなみにグラスリーとは、このメイドの名前。お兄様はあろうことか、他のメイドを蹴散らして、そのメイドの肩を抱いた。
「フリーツ様!!」
たかがメイドに血相を抱えて。これが男爵のすることかしら?
「大丈夫か?」
「はい」
二人は愛おしそうに見つめ合っている――虫唾が走る光景だわ。
「気持ち悪い」
口元に手を持って行き、眉間に皺を寄せる。
「フローリア……お前は何をしようとしたんだ」
「そのメイドを解雇しようとしただけですわ、お兄様」
「お前にお兄様と呼ばれる筋合いはない!!」
「あら、それは寂しいですわね」
お兄様の端正な顔は気色ばんでいた。
このメイドにそこまでご執心だったとは、予想外だわ。
「お前は、愛人の子だろう。僕とは半分しか血が繋がっていない。だが、彼女は違う」
それはいったいどういうこと?
「彼女は、正真正銘お父様とお母様の娘――僕の妹だということが分かった」
まさか――。
「お二人は兄妹であるにも関わらず愛し合っているとでも?」
グラスリーは、信じられないというように目を見張りながらお兄様を見上げている。
「知ったのは、ついさっきだ。それまでは赤の他人だと思っていた。仕方が無いだろう」
吐き気がする展開だわ。
「僕は、グラスリーを――実の妹を苦しめたお前を許す訳にはいかない」
「――それで?」
「お前は、この城から追放する」
あら、それは随分面白い展開ね。
「お父様の許可は?」
「もちろん得ている。お前の言動は行き過ぎている。今まで気に入らないからという下らない理由で何度使用人をクビにしてきた? 使用人にだって生活があるんだぞ。何をしたか分かっているのか?」
「気に入らないものは気に入らないのだから、仕方が無いでしょう? 貴方達の関係と同じようなものよ」
「全く違う!! お前の汚らわしい性格と一緒にするな!!」
「近親相姦は清いものだと? 理解に苦しみますわ」
お兄様は、下を向いて拳を強く握りしめた。
「僕と彼女の関係は――もう終わりにする」
「そんな……フリーツ様! 私は嫌です!」
お兄様に縋っていたけれど、その手はそっと振りほどかれた。
この茶番はいつまで見せつけられるのかしら。
私を追放するならさっさとして欲しいのだけれど。
「フローリア」とメイドから視線を移し、私の名を呼んだ。
「お前をこの城から追放し、グラスリーを新たな令嬢として受け入れることになった。もうお前は用済みだ」
なるほど。公爵はそう結論付けたのね。
「母親を亡くしたお前を拾ってやったと言うのに、その恩を仇で返すとは――がっかりしていたよ」
まぁ、その点に関しては思うところがあるけれど、言ったところで追放が覆る訳では無いでしょうから、言うだけ無駄ね。
「捉えろ」
お兄様の一言で、騎士達が部屋へ押し入り、私を羽交い絞めにする。少し痛いけれど、だからって声を上げるつもりはないわ。
だって、私はなりたくて悪役令嬢になったのだから。こんな展開だって受け入れられる。
「もう二度と、お前に会うことはないだろう」
「ええ。清々しますわ」
「――何?」
「実の妹にご執心なお兄様なんて、恥ずかしくて言葉もありませんもの」
――パンッ!
頬に衝撃が走ったと思ったら、目の前に真っ赤な顔をしたメイドが立っていた。
てっきりお兄様かと思ったのだけれど。
それにしても、何て滑稽なのかしら。
「――あら、痛い」
おかしくて笑ってしまったわ。
「貴女は、可哀想な人ですね」
「お兄様と結ばれない貴女だって可哀そうよ」
「!?」
ああ、その表情――大好きだわ。
瞳に涙を浮かべて、眉間に皺を寄せて。悔しそうな、悲しそうな、何とも言えない表情。
「でも、これからは私が公爵令嬢です。立場が上になります。貴女の居場所はこの城にはなくなる」
だから、何だと言うのかしら?
「貴女はもう必要の無い存在です」
さっきまでの表情は消えて、力強い視線が返って来る。
おかしくて笑ってしまいそうだけれど、ここで笑う訳にはいかないの。主人公には花を持たせてあげなければならないのだから。
「さようなら」
そういうゲームに転生したのだから。
こうして私は、国の末端にある田舎に追放されたのでした――。
***
追放された先では、ある程度自由に過ごしていた。
元々前世では普通の家庭に育ったのだから、城での暮らしは合わなかったし、これくらいの田舎が性に合っているわ。
このボロい木造家屋から出られないのが窮屈ではあったけれど。
――でも、これだと悪役令嬢って言わないわよね?
田舎だから、私の家に来る人なんて滅多にいないし、いじめる人がいないのは寂しいわ――何て考えているのもどうかと思うのだけれど。
「ここでは、どんな悪行をすればいいのかしら?」
具の無いスープを作りながら首を傾げた。
あれから、半年程経っているのだけれど、何も良策が思いつかない。
――悪行の良策って言うのも変な話ね。
前世で出来無かった悪行って何かしら?
人をいじめるなんて序の口でしょう? 散々やったし、どうせならもっと別のことをしたいのよね。
「犯罪しかないかしら――」
口にしてみると、少し恐ろしい気もしたけれど、次の瞬間には犯罪を思いつく限り上げていた。
「殺人――さすがに、それはやり過ぎよね。この世界でも死刑があるし」
死んでしまったら、それ以上何も出来無くなってしまうわ。
私は人生を謳歌しながら悪事をしたいのよ。
それに今回のようにまた生まれ変われるとは限らない。
「性犯罪――女の私には無理ね」
さすがにこの世界でも、女性より男性の力が強い。男性に手を出すなんて出来無いわ。興味も沸かないし。
「窃盗――何を?」
一番やりやすそうだけれど、誰から何を奪えばいいのかしら?
寧ろ、全てを奪われた側だけれど。
何て考えていると、鍋の中がぐつぐつと煮えたぎっていた。
火を消して、みすぼらしいお皿にスープをよそう。
ドンドンドン!
そこへ、扉を叩く音が聞こえてきた。
誰かしら?
たまに、監視と食料調達の為に、城から使者が来る事はあるけれど。それは、決まった日時に来る。今日ではないから、違うと思うのだけれど――
「フローリア殿。ヴィシュバルド公爵からの使いで参りました」
お父様が使者を? 追放しておいて、何の用があるというのかしら?
スープはとりあえずその場に置いて、玄関の戸を開けた。
確かに、城で見た使用人だわ。
「何かしら?」
「城へ出向いて貰っても?」
「どうして?」
「ヴィシュバルド公爵からお話があるようです」
「どんな?」
「私にはわかりかねます」
「行かないと言ったら?」
「連れて来るなら手段は選ばなくて良いと」
「そう」
私と会話をしている使用人はモノクルを着けて燕尾服を纏った細身の老人だけれど、その後ろにいるのは数人の屈強な騎士達。逆らったら平気で殺されそうだわ。
強硬手段を使ってまで、何の話があるというの?
「今から昼食なのだけれど」
「急を要すると」
丁度スープが出来上がったと言うのに。
「でも、私の足には枷があるのよ? ここから出られないわ」
モノクルをつけた使用人――執事は無言で胸ポケットから鍵を出した。
どうしても行かないといけないみたいね。面倒だわ。
「拒否権は無いのね」
「ご理解頂けているなら幸いです」
ご理解として受け入れるなんてどんな脳みそなのかしら。
私が足を差し出すと、手元の鍵で足枷を解いた。
二度と会うことはないと思っていた公爵に、また会う羽目になるなんて。ついてないわね。
きっと、戻って来た頃にはせっかく作ったスープは冷めているのでしょうね。
***
足枷は外されたけれど、その代わりに手枷をつけられるなんてどういうこと?
不服ではあったけれど、殺されるよりはマシだわ。
まぁ、ある程度予想はしていたけれど、城の中では使用人達から随分白い目で見られて、悪態は吐かれるし、物は投げられるし、困ったものね。
お陰で、みすぼらしいワンピースが見るに堪えない程になってしまったわ。別に構わないのだけれど。
公爵の部屋について中へ入ると、仏頂面が目に入った。
相変わらず、私とは似ても似つかぬ顔立ちだこと。
強いて言えば受け継いだのは瞳の色くらいかしら。綺麗な赤色をしているの。まるで、血のような。髪は茶髪。お兄様と同じ色ね。ふくよかな体は格好がついているとは言い難いけれど、本人も少し気にしているようだし、黙っておいてあげましょう。私もデブなんて下品な言葉使いたくないもの。
手枷をしたまま、公爵の前に立たされる。
「随分な格好だな」
「お陰さまで」
「自業自得だろう」
「貴方の子ですから」
ちょっとした嫌味を言っただけなのに、それだけで表情が一変した。
「何が言いたい?」
こんな小娘の言葉に踊らされるなんて、こんな公爵でこの国は大丈夫なのかしら?
「いいえ、何も」
不敵に微笑んで見せると、ダン! と机を拳で叩く音が響いた。
「わしは孤児のお前を拾ってやった恩人だぞ!」
「孤児になったのは、貴方が愛人である母を私共々捨てたからですが」
「――!?」
怒りに任せて墓穴を掘るなんて。全く、みっともない父ですこと。
「それで、捨てた私を二度も呼び戻して、何をなさろうと仰るのです?」
公爵は腰を下ろし、一つ息を吐いた後、罰が悪そうに視線を下げながら呟くような声を口にした。
「友好関係を築きたい国がある」
「それで」
「グラスリーは既に、他国に嫁いでしまった」
なるほど。それで嫁ぐ娘が必要になったと。
公爵家の令嬢と言えるのは彼女の他に私だけだから、渋々連れ戻されたといったところかしら。
「だから、お前に――」
「嫌です」
「――な!?」
最後まで聞く義理なんて無いわ。
「田舎の生活も慣れてきましたの――この枷にも」
両手を公爵の視線まで上げて嫌味のように見せつける。
「何度も捨てられて、その度に貴方の勝手に使われるのはこりごりですわ」
公爵は顔を歪めながら、私を睨みつける。
「まぁ、怖い顔」
面白くて笑ってしまったわ。
――あ、そうだわ。
どうせなら、私が面白いと思うような事をしなければ。
私はもう聖人でいる必要は無いの――存分に悪女を堪能しなければね。
丁度悩んでいたところだったから、ナイスタイミングだわ。
「そうですわね――確かに、今まで生きて来られたのは貴方のお陰ですし、会うだけでしたら構いませんわ」
何でそんなに怪訝そうな顔をするのかしら? 貴方の思い通りに動いてあげると言っているのに。
「何を企んでいる?」
「まぁ、人聞きの悪い。恩を仇で返すのは申し訳無いと思っただけですのに」
確かお兄様がそのように仰っていたような。
「お前が素直にわしの言う事を聞くとは思えん」
「どうしてです? 貴方の娘だからですか?」
「何故そんな言い方しか出来んのだ!!」
「貴方が母と私を捨てたからですよ」
公爵はまた顔を歪めてから、頭を無造作にかいた。
私に歯向かえば、同じ答えが返って来る事なんて分かり切っているのに。私は貴方の弱みを握っているのだから、大人しくしておけばいいのよ。
だからこそ、公爵は私をこの城から追い出した。全て分かり切っていることよ。
「それで、どうします? 私を友好国の相手と会わせますか?」
「当たり前だ。その為にお前を呼び戻したのだからな」
――おかしい。
さっきまで歪んでいた顔が、急に余裕を帯びる。ニヤッと口元が不敵に緩んだ。
「そういえば、まだ言っていなかったな」
「何をです?」
「お前と縁談する相手だよ」
「どなたですか?」
信じられない言葉が耳に入った。
「バーラン王国の王子だ」
バーラン王国と言えば、悪名高い国として有名だわ。他国と裏ルートを通じて、犯罪まがいな商売をやっているとか。国の中での格差が原因で治安はかなり悪いらしい。入国する際には必ず護衛をつけなければ悪漢から襲われて死ぬ可能性だってあるそう。
「それは、私に丁度いいですわね」
「嫁いだ先で死んでしまうかもしれないがな」
「会うと申し上げただけですが?」
「そんな事で終わらせるつもりはない」
「無理にでも嫁がせるおつもりですか?」
「お前が拒んでもそのつもりだった。肯定してくれて嬉しいよ」
また、そんな事を言って。優越感に浸っているのかしら。
「――ですが、バーラン王国と友好を結ぶという事は、何かしらあくどい事を企んでいるということでは?」
「だったら何だ」
「どうなっても知りませんわよ?」
「忠告、痛み入るな」
表情が変わらない。何か秘策でもあるのかしら?
「他国からの目もありますし、あまり褒められない事はしないで頂きたいですわ」
「ほざいていろ。明日、バーラン王国の王子がいらっしゃる。丁重にもてなせ」
明日? 随分急な話だわ。だから、強硬手段を使ったのね。
でも、貴方の思い通りになんてならないわよ?
「気が向きましたら」
「相変わらず生意気な。調子付いていられるのも今の内だ。バーラン王国に嫁いだら、そんな口は利けなくなるだろうからな。連れて行け」
公爵の一言で、使用人が乱暴に私の腕を取る。そのまま、客間へ連れて行かれた。
まぁ、確かに今の私が公爵に逆らえる権限なんて持ち合わせてはいないし、出来る事と言えばせいぜい先程のように悪態を吐くくらい。
バーラン王国に嫁いだら、田舎生活のようにのんびりとした日常は送れないでしょうね。
――スープ、もう冷めてしまったかしら。
戻ったら食べようと思っていたけれど、どうやら戻れそうにないわ。戻れたとしてもきっと腐っていて食べようがないわね。
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