【終幕】~エデル・ブラント~

 薄暗い倉庫街に、ばたばたと足音が響く。ランプの明かりが揺れる。

 積み上げられていた木箱を開いた兵士は思わず息を呑み、後ろに立っていた灰色の外套の若い男のほうを振り返る。

 「どうです、ブラントさん」

 「間違いないですね。ご禁制の品です」

男は、そう言って特徴的な丸いつばの帽子に手をやった。


 特徴的な臭気と光沢。この一年、いやというほど見てきた、加工前のクロン鉱石だ。

 兵士は箱を閉じ、エデルの手にしたランプの灯りに照らされた周囲を見回す。木箱は天井近くまで積み上げられていて、そのうちの幾つかからは石けんが零れ落ちている。匂いを誤魔化そうとしたものか、本来の荷が石けんだったところへ鉱石の箱を紛れ込ませたのかは分からない。尋ねようにも、荷の持ち主は既に逃げおおせてしまった後だ。放置された馬車の中は空っぽで、繋がれたままの馬たちが不満無げにいなないている。

 灯りの端に、黒い影が過ぎった。

 「あ…」

擦り切れた上着の男がいた。

 目が合った瞬間、男は必死の形相で腰の短剣を引き抜き、エデルめがけて突きかかってくる。だが彼は、寸前でそれを躱した。

 「ブラントさん!」

兵士が慌てて槍を取った。相手の武器を叩き落とし、組み伏せながら呼子を吹く。音を聞いて、辺りに散っていたほかの兵士たちも駆けつけてきた。

 「ふう」

エデルは、息をついて外套の裾を確かめる。

 「お怪我ありませんか」

 「ええ、何とも」

 「騎士学校の卒業生は流石ですね。刃物を見ても動じない」

彼は苦笑して肩をすくめた。

 「授業外で、腕利きの人に訓練してもらったお陰だと思いますよ。まともに打ち合えるような人じゃなくてね。避け方ばかり巧くなった」

 「十分でしょう。監査官が剣を持つことなんて普通は無いでしょうからね」

倉庫街は、差し押さえられた品の検分と、潜んでいる残党狩りでまだ騒がしかったが、役人としてのエデルの仕事はそろそろ終わりだった。

 あとは検査結果の書類を王家直轄地の管理官に提出すれば今回の任務は終了だ。彼は一足先に待たせてあった馬車に乗り込み、出発を促した。


 同級生だった友人の推薦を受けて、この特殊な仕事に就いたのは、卒業して直ぐのこと。それから、もう二年近く経つ。

 荒事も多い仕事に最初は戸惑っていたのだが、最近では、差し押さえの現場で激しい乱闘が起きることにさえ慣れてきた。


 五年前、貴族たちによる大規模な反乱が起きた。

 それは取引の禁じられていた鉱石を使った新型の武器まで投入した大規模なもので、今も、その時に使われた武器が闇で取引されている。

 それらを発見し回収するために作られたのが、エデルの持つ交易監査官という肩書きだった。実体は税収官吏と大差ないが、いわゆる”ご禁制”の品を扱っている可能性のある取引を摘発するために、より強い権限を与えられている。

 「ここは旧マイレ領の端ですからね」

向かいの席に腰を落ち着けた、案内役の兵士が言う。

 「隠されてるものは、なかなか全部洗い出せないですね」

 「少しは減ってるんじゃないか? 今の所、新しく入ってきてる分は無さそうだから」

そう言って、彼は窓の外に視線をやった。夜闇に沈む平原は、かつてマイレ伯爵領と呼ばれていた場所だ。だが今は、単に「南プーリア地方」と呼ばれている。

 「今回見つかったものは、旧式ばかりだ。これなら大した威力はない。警戒すべきは、西方の国から新しく持ち込まれるもの、或いは、今まで知られていない型だよ。」

 「はあ…。そんなものが本当にあるんですか」

 「いつかはこの国にも入ってくるはず。いつかは、ね」

それだけ言って、彼は口をつぐんだ。

 そう、――いつかは。

 数十年後か、百年後かは分からない。その時こそ、アストゥール王国が将来も存続していけるかどうかが試されることになる。




 馬車は、かつてのマイレ伯爵邸前にたどり着いて止まった。ただしそこは裏門で、灯りは手前にある別邸にしか灯されていない。管理官が行政を行うために使っているのは、広々とした館の片隅にある別邸の部分だけなのだ。

 玄関を入ると、そっけなく殺風景な廊下が続いている。かつては豪勢な調度品に飾られていたはずなのだが、調度の大半は没収財産として処分されてしまい、ほとんど何も無くなっている。

 あの事件に関わった貴族たちの領地は没収され、大半は王家の直轄地となっている。そして、地域ごとに新たに境界線が設定されて、各領域ごとに管理官が任命された。ここも、そんな土地の一つだ。

 マイレに限っていえば、そのほうが良かったのかもしれないとエデルは思った。以前のように、領主のきまぐれに振り回されることも、部下たちの横暴に悩まされることもない。少なくとも、彼の家族はそう言っていた。商売はしやすくなった、と。

 「それでは、こちらで。明日の朝、またお伺いします」

 「はい。ありがとうございます」

 案内の兵士とは、入り口で別れた。あてがわれている部屋に戻って灰色の帽子と上着を脱ぎ捨てると、エデルは、机に向かってペンを取り上げた。面倒な報告書は、記憶が鮮明なうちのほうが捗りやすい。

 この仕事が終われば、しばらく家に戻って休めることになっている。

 ここ最近は、北方や西方でばかりの仕事で、故郷の近くでの仕事は久し振りだった。早く仕上げてしまいたかった。




 数日後、彼は、故郷ベローナの町へと辿り着いていた。

 戻ってくるのは、ほぼ一年半ぶりか。卒業後は仕事で忙しく、ほとんど実家に顔を出すことが出来ていない。

 町の前の海には小さな漁船が浮かび、波間に日差しがきらめいている。浜辺には、釣ったばかりの小魚を干している人もいる。荷物を小脇に抱え、彼は、海沿いの良く知った道をゆっくりと歩いていた。

 「ただいま」

家の扉を開くと、奥の台所から母が顔を出す。前掛けで手を拭いながら、驚いた様子で居間のほうに出てきた。

 「お帰り、早かったのね。手紙は昨日着いたばっかりだったのよ。」

 「思ってたより早く仕事が片付いたからね。」

ソファの上に荷物を放り投げて、彼はシャツの喉元を緩めた。

 「お茶をいれてくるわね。おなかは空いてる?」

 「昼ごはんは食べてきたよ。」

 「そう。じゃあお茶だけにするわ」

足元に飼い猫がじゃれついてくる。

 エデルはそれを抱き上げながら、椅子に腰掛けて部屋の中を見回した。


 壁に飾られた家族の写真、窓辺の花瓶にいけられた花。母の手作りのテーブルクロスに、端のほうがすりきれたのを繕ってあるカーテン。以前と何も変わっていない。

 サイドテーブルの上には、下手糞な字が書き連ねられた手帳が放り出してある。思わず笑みを浮かべて、彼はそれを取り上げた。年の離れた末妹の練習帳に違いない。今頃は学校で授業を受けている時間だ。父と兄は、以前と同じように商館の仕事をしていることだろう。

 「最近はどうなの? 忙しい?」

奥の台所のほうから母の声が聞こえてくる。

 「まぁまぁかな。移動が多いから――人数が少ないし、任務があればどこへでも行かなくちゃならないから」

 「危険なことはないの?」

 「毎回、護衛はついてるから大丈夫」

言ってから、つい数日前に危うく刺されるところだったことを思い出し、苦笑する。だがそれも些細なことだ。


 思えば、奇妙な道に入ったものだ。

 在学中には、本屋で働きながら何か官職にでも就ければ御の字だなどと思っていた。それが、偶然声をかけて知り合った同じクラスの級友との付き合いのせいで、気がつけば政府直轄の重要職に就かされる羽目になった。

 その級友はといえば、西方のリンドガルトとの交渉役として、卒業後は西方とアストゥールとを頻繁に行き来していて、中央には滅多に姿を見せない。もう一人の級友であるアステルは中央騎士団に入り、今も王都に残っている。

 「おまたせ」

お茶の盆を手にした母が戻ってくる。ポットの下に敷かれているのは、色鮮やかな見慣れない織物だ。エデルがそれに目を留めているのに気づいて、母は笑った。

 「お仕事柄、やっぱり気になるのね。そうよ、これリンドガルトの品らしいわよ。サーレの行商人が持ってきたの」

 「行商人が? こんなところまで?」

 「ええ。何でも、最近じゃリンドがこっち側に住み着いてるらしいから。」

西方から持ち込まれる品は、今のところ大半がサーレ領を通っている。この数年来の間に街道が拡張され、新たに国境を行き来する橋が作られて、陸路からの行き来が簡単になったお陰だ。

 リンドガルトからの品は珍しい果物や織物、観賞用の品が多かった。以前はごく一部の領主たちだけが”ご禁制の品”とともに密かに手に入れて楽しんでいたようなもので、一般にまで出回るようになったのはつい最近のことだ。

 「あんたが監視してるのも、こういう品なんでしょ?」

息子の正確な仕事内容を聞かされていない母は、そう言って笑う。

 「まあ、そんなとこかな。」

お茶をすすりながら、エデルは、赤と青の色鮮やかな織物を見つめていた。

 (…今頃、どうしてるんだろうな)

気さくに笑う、二本の剣を提げた友人の笑顔が脳裏をちらつく。

 彼のことだ、きっとひっきりなしに厄介事に首を突っ込んでは、あちこち、走り回っているに違いない。




 五年前、学校に入るためこの家を出た時のエデルは、ただ漠然と安定した中央での仕事に憧れていた商家の次男だった。けれどそれから大きな事件が立て続けに起こり、この国も、彼自身の見ている世界も、あの頃とはずいぶん違ってしまった。事件の後始末はまだ道半ばで、王家の直轄地の扱いや役人たちの配置の問題、税率の変更など、議題は山積みだ。

 きっとこれからも、大きな変革はあるのだろう。けれど、何があってもやっていけるはずだ、と彼は思った。自分たちならば、きっと。




 その年、アストゥール王国と森の国リンドガルトの主要な集落すべての代表者との間に正式な協定が結ばれ、相互の行き来がほぼ自由化された。

 交渉権を持つ全権大使として、アストゥール側からは西方と国境を接するサーレ辺境伯家のイヴァン・サーレが、リンドガルト側ではアストゥールの中央語を解するハサ村のエギルが任命された。クロン鉱石による深刻な汚染に晒された地域は閉鎖され、移住を希望した獣人リンドの住む入植地がサーレ領内に作られた。

 アストゥール史上初めての、西方との本格的な関係の始まりである。

 森の国のさらに先には幾つかの小国があることも知られており、人の行き来が盛んになれば、いずれ森の先までも道は繋がっていくだろうと思われた。地図に描かれた世界が広がっていくのと同時に、人々の知る世界も少しずつ変わってゆく。


 貴族と領主たちの時代は終わり、いずれは騎士と剣の時代も遠ざかる。到来するだろう新たな時代の先触れを、彼らは既に知っている。


 後の歴史家たちに、「世紀の狭間」と呼ばれる時代が、本格的に幕を開けようとしていた。





<了>

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黄金の大地 第二巻/騎士たちの黄昏 獅子堂まあと @mnnfr

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