第46話 冬の終わり

 エデルは元々、冬休みに家に戻るつもりはなかった。

 実家のあるマイレ領――旧マイレ伯領までは遠いし、往復するだけで休みの大半がつぶれてしまう。それに、卒業を控えたこの季節は、春からの新しい生活に備えるつもりだった。

 年内の最後の授業が終わり、イヴァンたちに挨拶して別れたあと、エデルは、広場に面するように立つ一際重厚な建物――会計監査院に出入りするようになっていた。本来なら学生が出入りするようなところではないのだが、彼の場合は、春からそこで働くことが決まっている。

 春はまだ遠く、町には凍てつくような風が吹いている。肩をすくめ、急ぎ足に通り過ぎる人々の間を通り過ぎようとしたとき、彼の耳に、町をゆく人々の話し声の一端が届いた。

 「二人目が殺されたそうじゃないか」

 「大丈夫なのかね、王家の騎士さんは?」

思わず歩調を緩める。話し声は、停車場に立っている人の群れのどこかから聞こえてくるようだ。

 「なぁに心配いらんだろ。犯人はもう捕まったって話じゃないか。ベオルフ・レスロンドが捕まえたって」

 「へえ。やっぱり噂通り強いんだね。ほかはどうか知らないが、あの人だけは違うね」

 (あの人”だけ”って…。)

エデルは眉を寄せ、不愉快な思いを胸の中に推し留めながら歩調を早めた。

 声が後ろへ遠ざかってゆく。

 イヴァンとの付き合いの中で、彼にも顔見知りの近衛騎士が何人か出来た。何もしらない人々に知り合いを貶されて嬉しいはずもない。




 広場を横切り、会計監査院の玄関に入ったところで、エデルは、ふと足を止めた。

 見覚えのある人物ふたりが向き合って、真剣な顔をして何か話し合っているところだったからだ。

 こちらに顔を向けていた明るい灰色の髪をした若い男のほうは、彼に気づくと一瞬で表情を変え、何でもないというように笑う。

 「やぁエデル、ちょうどいい所に来た。」

 「……。」

もう片方の男のほうは、そこまで器用ではない。ちらりとエデルに視線を向け、視線だけで小さく会釈をすると、表情を変えずに白いマントを翻して脇にどいた。

 笑いかけたほうの男の名は、ハルトマン・フォン・マーテル。マーテル辺境伯領の親族だという。ここではエデルの先輩であり、仮の上司ということになっている。

 そしてハルトマンと話していたほうの男は、同じマーテル性を持つ近衛騎士、エーリッヒ・フォン・マーテルだ。

 「そういやエーリッヒも、エデルのことは知ってるんだっけ?」

 「何度か手合わせをした。イヴァンと一緒に特訓に来ていたから」

 「ああ、そうか。あの”サーレの雄牛”の同級生だったっけ。なら、改めて紹介するまでもないな。…というわけだ。行こうか、エデル」

そう言ってハルトマンは、エデルの肩をぽんと叩きながら出口のほうに向かって歩き出す。

 「行くって、どこへですか」

 「王宮だ。ベオルフが捕まえた例の事件の犯人の所持品を見せてもらえることになってね。詳しい話は着いてからにしよう」

慌てて追いかけるエデルの横を、エーリッヒが、大して急いでいる様子もなく追い抜いていく。

 身長の差だ。ハルトマンも、一見すると優男だが、実際は細身ながらやけに引き締まった体つきをしていて歩調が早い。二人はほぼ同じくらいの体格をしていて、後ろから見ると兄弟かと思うほど良く似ている。

 「――そうだ。先に言っておくが、君の入省は早まるかもしれない」

 「そうなんですか」

置いていかれないよう、エデルは必死で足を動かしながら後ろについていく。

 「先日、近衛騎士が襲われたという話は知ってるだろう」

 「ええ、聞きました」

 「そのお陰で、上から我々の部署の仕事を早く始めろとせっつかれていてね。春から入る君を入れてもまだ五人しかいない。本部に一人残すにしても、残り四人で国中巡れというのも無茶な話さ」

同僚たちは、皆、税収官吏の部署から引き上げられた役人たちだ。


 国内で流通の禁止されているクロン鉱石及びそれを使用する道具類の摘発のために作られた部署。表向きは会計監査院に所属する一部所ということになっているが、実際は中央政府の直轄となっていて、必要があれば騎士団の出動も要請できる。

 「我々の役目は、隠された”ご禁制の品”を探し出すことだ」

会計監査院に出向いた初日に、ハルトマンはそう、彼に言った。

 「だからその品がどんなものか、知らないわけにはいかない。ただ――世間一般には知られたくない。分かるね? 我々の任務の中には”守秘”という事項も含まれる。これを守れない者は断罪されると思って欲しい。そのために、この部署には信頼できる者だけを集めた。君のことは、推薦人が保障した。もしも君が任務を怠れば、推薦人の信頼を裏切り、その人も評判も落とすことになる。それだけは忘れないでいることだね」

エデルの推薦人が誰であるかは、ハルトマンも知っていたはずだ。それがなければこの部署に、学校を卒業したてで何の経験も知識もなく、平民の出である彼など採用されるはずはなかったのだ。




 ハルトマンとエーリッヒに連れられて向かったのは、王宮の裏側の、あまり人の行かない場所にある裏側の門だった。

 王宮に来るのは、これで二度目だ。警備の兵が立っているのを見て緊張して、視線が泳いでいるエデルをよそに、二人はさっさと先へ先へ歩いてゆく。

 「エデル、遅いぞ。こっちだ」

 「す、すいません…」

ゆっくり周りを見回している暇もない。

 立ち止まって待っている二人のところまで追いつくと、ハルトマンが、すぐ脇の扉を押し開いた。中に入ったとたん、鼻がつんとするような異臭が漂ってくる。

 「…これは、なかなか強烈だな」

ハルトマンは顔をしかめ、窓に手をかけようとする。

 「開けないほうがいい」と、エーリッヒ。「臭いが外に流れ出して、誰かに興味を持たれても困る」

 「それもそうだな。…しかし、噂には聞いていたが、よくこんなものを国内に持ち込めたものだ」

部屋の真ん中に置かれた机に歩み寄ると、彼は、広げて置かれていた布をつまんで持ち上げた。

 エデルは思わず息を呑んだ。その下から現れたものは、二本の細長い棒状のものと、ほくち石入れに似た小さな袋、それと、燃料を詰め込むような小さな筒。一見すると竈に火を起こす道具にも見えるそれらが、噂に聞く”竜の爪”なのだ。


 臭いに顔をしかめたまま、ハルトマンは筒を取り上げて中をのぞきこんだ。

 「ふうん、ここから弾を打ち出すのか。こんなもので人が死ぬとは思えないがね」

 「現にミハイルとセルゲイは死んだ」

むっつりとした表情のまま、エーリッヒは、机の上のものを見下ろしている。

 「二年前、王都前の戦いでも使われた。あの時も何人か、実際に、こいつに殺られている」

 「ああ、すまん。バカにしたわけじゃないんだ。こんなものを向けられても、反応出来やしないってことさ。武器になんか見えない」

ハルトマンは、エデルを手招きして机の側に呼ぶと、その手に筒を載せた。意外に重い。中心部に金属の筒を巻き込んでいるからだろうか。

 「見た目、臭い、よく覚えておけ。我々がこれから捜し求める”敵”がこれだ」

 「はい」

 「それから――これがクロン鉱石だな」

小さな筒の蓋を開けると、さらに強烈な臭いがあたりに立ちこめる。中から零れ落ちてきたのは、黄色い粉のようなものだ。

 「どう使うんですか?」

 「その棒みたいなやつの反対側に注ぎ入れて火をつけるんだそうだ。ああ、先に弾を詰め込んでからね。そうすると、爆発の勢いで弾が打ち出される――という話だ。」

言いながらハルトマンは、ちらりとエーリッヒのほうに視線をやる。

 エーリッヒは、小さく溜息をついて壁際に並べられた人型と、それに着せてある様々な鎧とを指した。

 「実際に使ってみればいい。そこに試作品の鎧が並べてある。近距離なら、たとえ鉄板であっても貫通するのは確かだ。ミハイルたちの傷口を見たが、見事に防具を貫通していたよ」

 「大した威力だ、こんなチャチな見た目で。…で? どう防ぐ」

 「フィーが、こいつ専用の鎧を考案している。だが、それほど脅威とは思っていないよ。この強烈な臭いはそう隠せるものではない。使える距離に近づかれるまでには気づく」

 「なら、なぜ二人は殺された?」

 「……。」

エーリッヒの口元が、きつく一文字に結ばれるのが分かった。ハルトマンの何気ない一言は、エーリッヒの痛いところを突いたようだった。

 「もういいだろう。私は公務に戻らせてもらう」

それだけ言うと、エーリッヒは、返事も待たずに踵を返した。扉が閉まり、かすかな足音が遠ざかっていく。

 苦笑しながら、ハルトマンは肩をすくめた。

 「あの…、やっぱり、エーリッヒさんとはご親戚なんですか? 兄弟…とか」

 「ん? いやあ、そこまで近くはないな。従兄弟なのか、はとこなのか。本家と分家の関係でね。あいつは本家。私のほうは分家だ。」

言いながら、彼は机の端にひょいと片足をかけ、椅子代わりにする。背が高いからこそ出来る芸当だ。

 「マーテル家は、やたらと親戚の多い家系でね。分家といっても沢山ある。おまけに親戚同士の結婚も多いもんだから、家系図も複雑なんだ。親族には違いないが、私のほうは本家とは大した縁もない末席の出だよ。親父が死んでも、相続できるものといったら狭い庭つきの家と、犬二頭だけだ」

そう言って苦笑する。見た目からしてハルトマンのほうが年上のはずだが、口ぶりからすると、家系図上の地位はエーリッヒのほうが上らしかった。

 もっとも、宮廷内の地位としても、国王の側近として仕える近衛騎士のほうが上なのは間違いない。

 「忙しそうでしたね。エーリッヒさん」

 「んー、そうだな。ま、理由は何となく察している。ベオルフが怪我をしたからだろう」

 「えっ?!」

エデルは驚いて、火筒を覗き込んでいじくりまわしているハルトマンの顔を見やった。そんなことは、エーリッヒは一言も言っていなかった。

 「人の噂ってものは、意外なほど早く広まるものさ。この筒を持っていた犯人を捕まえるのに、ベオルフとエーリッヒ二人がかりだったそうだ。詳細は知らんがね。…近衛騎士最強と謳われる男を傷つけられる武器、はてさて。一度試してみたいところだが、それは次の機会にしよう」

手にしていたものを置き、元通り布をかけて隠してしまうと、男は、エデルのほうに向き直った。

 「折角来たんだ、王宮の案内をしておこう。君もいつか報告に来ることがあるかもしれない」

 「は、はい」

ハルトマンの口元がほころんだ。

 「――そう緊張せんでもいい。入ってしまえば意外と気さくな場所でね、ここは。」

 「でも、おれ、こんな格好だし」

 「正装する必要はない。正装と身分証明書の必要があるのは中央と議会堂だけさ。その説明もしよう」

部屋を出るとハルトマンは、普段よりゆっくりした足取りで歩き始めた。

 ほっとして、エデルはそのすぐ後ろに続いた。

 今度は、周囲を見回す余裕があった。今いる建物は思っていたよりずっと新しく、装飾などもない、ずいぶん質素な作りになっていた。

 「さっき裏門から入っただろう? その辺りは言ってみれば行政機関の宮廷内本部みたいなものだ。我々もよく出入りしている」

庭のほうからの明るい日差しの差し込む廊下には、沢山の部屋が並んでいる。それぞれに部署名なしき看板が掲げられていて、確かにお役所のような雰囲気だ。ところどころに警備はいるが、「王宮」という言葉から連想されるような物々しさは無い。

 「さて、あそこからが本体だ」

周囲をぼんやり見回しながら歩いていたエデルは、はっとして足を止めた。ハルトマンは、行く手にある建物の切れ目を指している。一見、ただ廊下が続いているだけのように見えるが、建物と建物の間の渡り廊下の左右には、壁の窪みに隠れるようにして警備の兵が数人立っているのが見えた。

 「あの奥が王宮の中央ってことですか」

 「そのとおり。政府の中枢部で、国王陛下の執務室や謁見の間もあの奥にある。我々は、お招きがなければあの奥には入れない。」

微かに微笑み、ハルトマンは付け足した。

 「だが君は、そのさらに奥まで入ったことがあるらしいな」

 「えっ?」

 「国王陛下の自宅だよ。二年前の、あの騒動のときに」

 「ああ――」

イヴァンに連れられて、訳も分からずに門を潜った時のことだ。アステルと二人で取り残され、わけも分からないまま大量の書き取りをさせられた上、大騒ぎの中で放置されたのだ。

 そのあと奥から出てきた優しげな女性にお茶をご馳走になったが、その人が王妃エカチェリーテだったと気づいたのは、何日も経ってからだった。

 「どうだね、君の推薦人は。噂はよく聞くが、実際に会った事はなくてね。」

 「どうと言われても…難しいです。でもエーリッヒさんとちょっと似てますよ、あんまり伯爵家の跡取りっぽくなくて、気さくっていうか、大雑把っていうか。」

 「ほう」

 「大食らいで、何でもよく食べます。頼りがいがあるように見えて、意外なところで頼り無かったり、…うーん。難しいな。」

 「では質問を変えてみようか。君は、彼と意見が衝突したらどうする?」

 「そりゃ、言い合いになると思いますけど」

 「もしどうしても意見が合わなかったら、どうするね?」

エデルは、隣に立つハルトマンをちらと見上げた。

 「――その時はその時です。彼は、正しいと思うことは一人でも貫きますよ。たぶん、おれは苦笑しながら渋々ついていくんだろうな。それとも、呆れながら遠くから見てるかな。でも、嫌いになることは絶対ないですよ。」

 「はっはっ、そうか。若いってのは良いもんだねぇ」

肩をすくめると、ハルトマンはくるりと踵を返した。

 「戻ろうか。帰りの道順も教えておこう」

 「…? はい」

何故イヴァンのことなど聞かれたのだろう。今の会話は、この場に必要ではなかったはずだ。首をかしげながら、エデルは上司の後に続いた。

 ハルトマンとの付き合いは、まだ一週間にもならない。ほとんど自分のことを話さないこの男のことは、今も良く分かっていなかった。




 会計監査院の建物を出たのは、もうすっかり日も暮れ、街灯に火が入る時間になってからだった。

 溜息をつきながら、エデルは空きっ腹を撫でた。学校の食堂の夕食時間は、もう終わってしまったはずだ。寄宿舎には今は普段の半分も生徒たちが居ない。大半の生徒たちは、実家か、近隣の親戚の家に出払ってしまっている。そのせいもあって、冬休みの間は学校で食事をとれる時間が短縮されているのだ。

 (屋台で何か買って帰ろう)

この時間なら、大通りのあたりにはいつもの屋台が出ているはずだ。人々は外套の襟を立てながら、急ぎ足に過ぎてゆく。昼間ほどではないが、相変わらずの人通りだ。

 大通りに入り、屋台を覗いて回ろうとしたエデルは、ふと、人ごみの中に見覚えのある姿を見つけた。

 「あれ、エーリッヒさん…」

呟くのとほぼ同時に、相手もこちらに気づいて視線を上げた。いつもの、目立つ白いマントではない。腰の剣にも房飾りをつけていないから、今は勤務中ではないようだ。

 少しためらってから、男は人波をかきわけて大股でこちらへ近づいてきた。

 「ハルトマンと一緒じゃないのか」

 「ええ、仕事はもう終わったので晩飯を買って帰ろうかと。あ、…エーリッヒさんは?」

 「同じだ。そこの具巻きが美味いから」

そう言って指したのは、エデルが一度も手を出したことのない、焼いた具を薄焼きのパンケーキに山ほど巻いてソースをかけた、たっぷりとした食べ物だった。

 「あ、それ、イヴァンも好きなんですよ。意外だな、近衛騎士ならもっといいものを食べてると思ったのに」

 「兵舎の食事はあんまり好きじゃない」

真顔で言ったエーリッヒの横顔が、ふと、見慣れた親友に重なった。

 (やっぱり、イヴァンとちょっと似てる。…)

妙に嬉しくなって、エデルは、エーリッヒお勧めの屋台に向かって注文した。

 「おれもこれにしよう。一つください」

 「あいよ!」

屋台の主人が、炭火の上に乗せた鉄板に材料を並べていく。食材の焼けるいい香りが、辺りに広がっていく。

 「ハルトマンは、何か言ってたか」

 「何かって…特に何も。あ、エーリッヒさんのことなら、親戚で、本家と分家の関係だって聞きましたよ」

 「それだけ?」

 「ええ。」

エーリッヒは、眉を顰めて決まり悪そうに口元をもぞもぞさせている。

 「――何か気になることでも?」

 「いや…。」

彼は、誰にも聞かれていないことを確かめるように、ちらと通りの周囲に視線を走らせてから口を開いた。

 「もう怒っていないなら、いい。王都に来たばかりの頃は、散々なじられて、二度と顔を見せるなと怒られたから」

 「ええ? 喧嘩してたんですか」

 「まあ、そう――」

 「へい、お待たせ!」

屋台の奥から注文の包みが差し出される。エデルは財布を取り出しながら、熱々の包みを受け取った。振り返ると、エーリッヒは通りのほうに視線を向けていた。

 「これから、まだ見回りをしなくてはならない。」

 「え、もう仕事終わりじゃないんですか」

 「休憩中だ。今は動ける騎士が少ない。例の武器を持ち込んだ犯人の協力者を早く見つけなければ」

 「……そう、ですか」

 「エデル、君に一つ聞いてみたいことがある」

 「なんでしょう」

 「友人や兄弟…信頼している親しい相手と、もしどうしても意見が合わなかったらどうする?」

エデルは驚いた。それは、今朝王宮でハルトマンに投げかけられたのと全く同じ質問だったからだ。

 「自分が正しいと思うなら、貫くしかないですよ。言い合いにはなるかもしれないけど、本当に信頼しあってる相手なら、そのくらいで嫌いになったりしません」

 「…そうか。」

エーリッヒは、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。

 「お気をつけて。イヴァンが戻ってきたら、手伝いに行くように伝えますよ」

片手を挙げてそれに応えると、エーリッヒは、静かに人ごみの向こうへと姿を消した。


 彼らの間に何があったのかをエデルが知るのは、それから何年も経ち、彼自身、疑問を忘れかける頃になってからだった。

 本家の長男だったエーリッヒは、次期当主の座を継ぐことを拒否して、相続権をすべて弟に譲って家を出たのだということ。その時に、幼い頃から決められていた婚約者との婚約を破棄したのだという。

 泣いてすがる婚約者を捨てて逃げるようにして王都に旅立ってしまったエーリッヒに、ハルトマンは激怒し、こんなことなら彼女をお前に譲ったりはしなかった、と言ったという。

 継ぐべき家と婚約者。

 一方が得たくとも得られないものが、もう一方にとっては望まざる重荷に過ぎなかった。それは、不幸にして避けがたいすれ違いだったのかもしれない。




 ちらちらと、空から白い雪が舞い降りてくる。

 エデルは、白い息を吐きながら空を見上げる。春はまだ遠い。けれど、あと数ヶ月もすれば卒業式の日がやって来る。

 学生生活も、残すところあと僅かだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る