第44話 意味なき敗北

 外は息が白くなるほど寒くても、鍛治屋の店内はいつも暑い。むしろ夏に比べたら快適なほうだ。

 炉の火を確かめていた店主のフィーは、白く曇った窓ガラスを真剣な表情で拭いている少女のほうを振り返った。

 「ミミ、それ終わったら、今日はもう表閉めちゃっていいわよ。そろそろお客さんが来る頃だから」

 「あっ、はーい」

短く切りそろえた黒髪の少女は、乗っていた台の上から振り返り、急いで仕事を仕上げようとしている。年はまだ十四、五歳。小柄で幼くも見えるが、これでも既に鍛治師としては一通りの訓練を済ませている。

 フィーの店で、この冬から雇い始めた、同じハザル出身の”弟子”だ。

 「よう、フィー」

入り口に、のそりと大男の影が立った。腰の剣から垂れ下がる特徴的な金と銀の房飾りが揺れる。

 「あ、もう閉めるところで…」

 「ミミ、いいんだよ。その人がお客さん。ずいぶん酷い顔だねぇベオルフ?」

 「おかげさまでな。」

軽く口元を吊り上げると、ベオルフはカウンターの前で足を止めた。その後ろを、ミミが大慌てで入り口の看板を「休業中」に付け替えるために走っていく。

 「…あの子かい、あんたの後継者は」

入り口の重たい戸を閉めようと懸命に頑張っている前掛けの少女を眺めながら、ベオルフが笑う。

 「ああ。腕はなかなかのもんさ。まじめだし、いい子だよ」

 「いつ戻るんだ、セノラへ。」

 「さあねぇ。あの子がどのくらいでモノになるかだけど――ま、長くても数年てとこだろうね」

 「そうして晴れて族長様、ってわけか。先代は調子悪いのかい」

 「いいや、まだピンピンしてるよ。だけどもう、いい年だからねジイさまも。何かあってからじゃぁ遅いしね」

ハザル人たちの中では、フィーが次のハザルの族長となることは既に決定されているらしかった。ここ何度かは、義務化されている会議への召集は全て、彼女がハザル自治領の代表者として出席していた。

 「さーて、例のものだけど、仕上げてみたよ。こんなもんでどう」

 「お」

フィーが奥から取り出してきたものは、人の形を模した木枠に着せた、ひと繋がりの精緻な鎖の束だった。鎧の形になっているようにも見える。

 「こいつは…」

 「予想してたのと違うかい?」

戸惑ったようなベオルフの顔を見ながら、フィーは笑う。

 「でもね、これが現状で考案できる最良の形なんだ。例の武器を至近距離で使われて耐え切れる鉄板なんて作ろうとしたら、よほど分厚いものじゃなきゃ無理だからね――あんただって、まさか焼肉用の鉄板みたいなの体から下げて戦いたくはないだろう?」

 「まあ…な。」

ベオルフは渋い顔で分厚い鎖の束を見つめている。

 「だが、本当にこんなスカスカの鎖なんかで、あの”竜の爪”を防げるのか?」

そう呼んでいるのは、ヴェニエルたちが開発していた、金属製の筒から弾を打ち出すという武器のことだった。


 初めて使われたのは、二年前、建国祭の日のこと。その時に至近距離から攻撃を受けて砕かれたイヴァンの剣を元に、威力を推定し、その威力を相殺できる防具の開発が進められていた。

 アルヴィスが、先を見越してそんなことをフィーに依頼していたと知ったのは、最近になってからのことだった。

 「ま、完全に防ぐのは流石にね。ただ、致命傷だけは避けられると思うよ。要は、弾さえ止められればいい。あれは爆発の衝撃で鉛玉を打ち出す武器らしいからね。その弾を受けとめられれば、最悪、体に穴が開くことだけは防げるってワケさ。――ま、当たり所が悪ければ骨の一本くらいは折れるかもしれないけど、即死じゃなきゃマシだろう?」

入り口が閉められ、ミミがぱたぱたと小走りに戻ってくる。次の指示を待って、フィーのほうを見上げた。

 「ああミミ。ここはもういいから、裏から炭をとってきて。そしたらあとは自由にしてていいよ」

 「はあい」

少女は休むことなく奥のほうへ駆けて行く。

 後姿が奥へ消えるのを待って、フィーは、声の調子を変えた。

 「…ミハイルは即死だったんだって?」

ベオルフの表情が翳る。

 「至近距離からの一発だ。現場に最初に駆けつけたのは、俺とセルゲイだった。剣は抜いてはいたが、やり合った様子も無かった…。あいつほどの手だれが、いとも簡単にやられるとは思ってもみなかったよ」

薄暗い裏門の前に、壊れた人形のように転がっていた同僚の亡骸は、今でも忘れることが出来ない。胸に開いた穴は、防具などものともせずに背中まで貫通し、辺りは飛び散った血肉でひどい惨状だった。


 勤務時間の終わり、――交替までのほんのわずかな時間の出来事だった。

 通常、近衛騎士たちは勤務中は制服の下にそれなりの防具をつけて望む。護衛に立つ時は臨戦態勢と同じことで、いついかなる事態が起きようとも即座に対応することが出来なくてはならないからだ。

 にもかかわらず、近衛騎士ミハイル・ブランは、相手に一太刀も浴びせることなく、正装のままで死んだ。


 「うーん。もしかしたら、二年前より改良されて威力が上がってる、とかかねえ…。それとも、よほどの至近距離から武器を使われたか。容疑者は、まだ上がってないって話だったよね?」

 「ああ。頭の痛い話でな。事件後、すぐに王都の入り口に検問は敷いたんだが、結局犯人は捕まらずじまい。目撃者もナシだ」

 「もしかして、まだ王都に潜んだままなんじゃないのかい? ほら、建国祭でアレクシス様が狙われた時だって…」

 「その可能性ももう、考慮済みだ。そっちはエーリッヒに任せている」

 「気をつけなさいよ。あんたなんか真っ先に狙われそうなんだから」

 「分かってる」

憮然とした顔で言い、ベオルフは、一つ溜息をついた。

 「ミハイルが狙われた理由はわからんが、大体の察しはつく。…近衛騎士は全員、その覚悟の上だ」

 「ならもう、何も言わないけどね。」

フィーは困ったように微笑みながら、木枠に着せた鎧をつつく。

 「どう? これ、念のために持ってく?」

 「遠慮しておく。そいつはまだ試作品だろう? それに、全員分揃ってるわけでもないのに俺だけそんなもん着て歩けるか」

 「全員…か。」少しの間。「探さなきゃいけない後継の数がまた増えたわね。どう? ワンデルとユアンの代わりは、見つかりそうなの」

 「ワンデルのほうは何とかな。仲間の獣人の中から候補を選べそうだ。ユアンのほうは…まぁ、エルネストに見繕ってもらうしかないな」

 「そう」

ワンデルは結局、謹慎が解けたあと長くは勤めていなかった。

 体裁が悪いという話よりも、本人がそろそろ故郷に帰りたいと言い出したことが大きかった。獣人の寿命は長いとはいえ、先々代の国王の時代から、既に五十年近く近衛騎士の任に就いてきた。歴代でも二番目に長く、それを越えるのは二百年前に”融和王”に仕えた、伝説の近衛騎士の勤続年数だけだ。

 頃合を同じくして、ユアンもまた、近衛騎士の座を降りたいと言い出した。彼の場合は家庭の事情だったが、それだけに、却下する理由は無かった。

 ミハイルが死んだのは、抜けた二人の後継者を探しているときだった。今の近衛騎士は、ベオルフを入れて九人しかいない。

 「無理はしないことね。手が足りないんなら、臨時でイヴァンあたり駆り出せばいいのよ」

 「はは、それはいいかもな。ただあいつは今は冬休みで、今頃は女のとこに行ってるはずだ」

 「女? ああー、…例の?」

 「そ。はあ、なんつーか、あいつも何時の間にかすっかり大人になっちまってなぁ」

ベオルフは、小さくため息をつく。

 「婚約指輪を渡しに行く、とかなんとか。卒業したら故郷に呼ぶんだそうだ。」

 「ふふ、先を越されたわねぇ」

フィーは、にやにや笑いながらカウンターから身を乗り出す。

 「あんたもそろそろ、いい人見つけなさいよ。親に言われないの? 早く結婚しろって」

 「言われるよ。見合い話はひっきりなしだ。面倒だから全部断ってるが…」

 「あららー勿体無い。」

 「今はそういうことを考えられる状況じゃねぇんだよ。」

むすっとして言うと、ベオルフはフィーに背を向けた。

 「じゃあな。また報告を聞きにくる。それと、その鎧の強度試験のための武器の試作品は、もうじきサウディードから届く予定だ」

 「あいよー待ってるからね。それまでには、これ、何種類か揃えとくわ」

勝手口からフィーの鍛治屋を出ると、目の前にふわりと白いものがちらついた。

 灰色に曇った空に重くたれこめる雲を見上げて、ベオルフは、白い息を吐いた。

 (雪、か…)

王都で雪を見るのは何年ぶりだろう。

 寒そうに襟を立てて通りを足早に通り過ぎてゆく人々を眺めながら、彼はふと、つい先日この通りでイヴァンとすれ違った時のことを思い出していた。




 それは数日前、中央騎士団の本部を訪ねた帰り道のことだ。

 「ベオルフ!」

名を呼ばれて、考え込んでいたベオルフは顔を上げる。目の前に、騎士学校の黒い制服を着た少年が近づいてくるところだ。

 「イヴァンか。今日は珍しく一人なんだな」

 「ああ。フィーの店に剣研いでもらいにいこうと思ってさ。もうじき冬休みに入るし、そしたらしばらく手入れ出来なくなりそうだから」

 「ほほう、さてはまたネイリス領に行くのか? なーんて」

半ば冗談で言ったのに、イヴァンはこともなげに頷く。

 「俺ん家、遠いからな。休みの間ずっと王都にいてもすることないし」

 「ほー。恋人と休暇を過ごすとは、随分いい身分だな。が、向こうは父親と同居中だろ?」

 「ああ、ウィルドさんにもちゃんと許可貰ってから行ってるし。ていうか、春になったら一緒にサーレに来てもらうからさ、その相談もしたくて」

 「な、…」

ベオルフは、一瞬言葉に詰まる。「まさかお前、結婚するのか」

 「おう。」

 「……クラヴィス殿にも、言ってあるんだよな」

 「勿論。もう大人なんだから好きにしろって言われた」

何と言っていいのか分からずに、ベオルフはただ口をぱくぱくさせている。

 が、すぐに年長者としての威厳を思い出し、慌てて表情を引き締めて咳払いをする。

 「ま、――なんだ。若いってのはいいことだな」

 「何を年寄りみたいなこと言ってんだよ。それより、この道通ってるってことは騎士団本部に行って来たんだろ。こないだの事件のことか?」

 「ああ。」

ベオルフは、ちらと周囲に視線をやった。

 「犯人探しに難航しててな。…その話は、ここじゃマズいな」

 二人は、目配せしあって側の狭い路地に入った。少し横道に入っただけで、表通りの雑踏は遠ざかり、静けさが周囲を包みこむ。

 先に口を開いたのはイヴァンのほうだ。

 「”竜の爪”にやられたって聞いた。本当なのか」

 「そう、正面から一発だ。弾は貫通していた。…まさか、人が近づくのに気づかなかったはずはないのに」

 「だよな。俺はその人のことはあんまよく知らないけどさ、近衛騎士ってことは強いはずだろ? あの武器って、かなり近づかないと人の体を貫通するほどの威力は無いはずなんだ。おかしくねぇか」

 「お前もそう思うか。――ま、それが悩みどころよ。まさかこの数年で、あれが凄まじく改良でもされたとも思いたくないしな」

 「アルは何て?」

イヴァンは、当然のような顔をしてその名を口にする。「相談してるんだろ」

 「いや…」

 「何で」

 「何でって」

ベオルフは渋い顔になる。

 「アルヴィス様は今や、クローナ公だぞ。これは中央の問題だ。部外者に相談できんだろう」

 「んなこと言ったら俺だって部外者だ。だったら俺から手紙書いとくから。こういうことは、頭いい奴に声かけとくもんなんだって。な」

 「おいおい…それは…」

 「二年前、アルは言ってたんだよ。『いずれ、”騎士”や”剣士”が役に立たない時代が来る』って。――ずっと前から分かってたんだ。こういうことが起きる日がくることくらい。だからきっと、こうなる時のことも見越して、何か考えてるはずだ。」

ベオルフは、開きかけた口を閉ざした。それはまさに、あの時、ミハイルの遺体を目にした時に思い起こしていたことだったからだ。


 武器は単なる戦いの道具に成り下がり、戦いのあり方が大きく変わる時代。

 熟練した剣士より、心技ともに優れた騎士より、一本の筒を持った農民が勝る日が来ようとしている。


 イヴァンの眼差しは、男の瞳に走った一瞬の否定の色を見逃してはいない。

 「…認めろよ。事実は、事実として」

 「分かってるさ、お前に言われなくたって」

やや乱暴に言い放つと、ベオルフはマントの端を掴んで背を向けた。自分らしくもない、こんな言葉に動揺するなんてと思いながら。

 「兎に角、この件は騎士団の問題だ。もう、以前とは違うんだ。お前も、あまり首を突っ込みすぎるなよ」

 「――ベオルフ!」

後ろから、声が飛んでくる。

 「俺をここへ連れて来たのは、あんたの言葉だ。あの時、王都へ行くことを勧めてくれたからここにいる。今更だけど、感謝してる。」

 「何だ改めて。まるで今生の別れみたいに」

 「あんたに死んでほしくないんだよ。」

振り返ると、真っ直ぐにこちらを見つめている眼差しがあった。


 初めて森で会ったときから、ずっと変わらない。

 恐れを知らず、無謀にも自分より格上の相手にも向かっていく、…だが死にたくはないと言った、大胆さと慎重さを併せ持つ野生の眼差しだ。


 「騎士の誇りとか意地とかより、もっと大事なもんがあるってことだけは、忘れないでくれよな」

 「…ご忠告、感謝するよ。じゃあな」

手を振って、ベオルフは通りへと歩き出した。身を切るような風の中で、彼は胸のあたりがざわつくのを覚えていた。そして、しばらく歩いてようやく、イヴァンの言葉に、自分でも気づかないほど動揺していたことを認めた。

 そうだ。ミハイルが死んだのは紛れもない事実だ。

 それも、戦って死んだのではない。遺体には傷もなく、剣は抜かれたまま体の側にただ落ちていた。成すすべもなく、一瞬で。


 騎士が役に立たなくなる時代。


 あのオモチャのような筒から打ち出される球が、たった一撃が、優れた騎士さえも簡単に倒せるのだとしたら、自分が、自分たちが剣術の腕を鍛えてきたことの意味は、存在意義はどうなるというのだろう。

 分からない。白い息を吐きながら、彼は頭の中を巡る考えをなんとか落ち着かせようとしていた。


 ――残る九人の近衛騎士。

 自分たちは果たして、国王を”守る”というその役目を、今でも十分に果たすことが出来るのだろうか。




 王宮に帰り着くと、ちょうどエーリッヒが国王一家の自宅となってる区画のほうから出ようとしているところと鉢合わせた。制服の白いマントを外して小脇に抱えている。

 「戻ったんですね。これから報告ですか」

 「ああ。そっちは勤務上がりか?」

 「ええ、セルゲイと交代して、これから戻って休むところです。――外は寒そうですね」

エーリッヒは、全然寒そうな顔もせずにそんなことを言う。北方育ちの彼にとっては、雪がチラつくくらいは何とも無いらしい。

 「あ、それと陛下は執務室ですが来客中です。エカチェリーテ様とスヴェイン様はこちらにいらっしゃいます」

 「そうか、ありがとう。先にそっちに報告しておくとするか」

入れ替わるようにして踏み込んだ扉の奥は、玄関こそ広いものの、その奥はごく普通の町の家のようなつくりで、一国の国王の自宅というよりは少し裕福な商人の邸宅といった雰囲気だ。王宮の中でも、ここまで立ち入ることの出来る者は、ほとんどいない。近衛騎士と侍従くらいのものだ。

 襟を直しながら、ベオルフは、廊下の奥の扉を叩いた。

 「失礼します。レスロンドです。」

 「どうぞ」

朗らかなエカチェリーテの声が響いてくる。扉を押し開くと、エカチェリーテとスヴェインが、窓辺のテーブルを囲んでお茶をしていた。その側に、壁際にぴたりと張り付くようにしてシンディが立っている。

 「お帰りベオルフ。エルネストは何だって?」

ティーカップを置いて、スヴェインが微笑みかけてくる。エルネストというのは、さっきまでベオルフが訪れていた中央騎士団の団長を勤める男の名だ。

 「ミハイルをやった犯人の目星はつかず、容疑者も未だ捕まえられていないとのことでした。ただ、気になる事件が一件あったと」

 「事件?」

 「ええ、一ヶ月ほど前の夜に町中で非番の騎士が一人、暴漢に襲われたそうで。中央騎士団の見習い騎士だったそうですが、腕の骨を複雑骨折する重傷。傷口から、何か鈍器のようなもので激しく殴られたのだと推測されていましたが、それがどうやら”竜の爪”の可能性があるとか。ただ、被害者本人はしこたま酔っ払ってて、犯人の姿も相手の武器のことも何一つ覚えていないそうです」

スヴェインは小さく舌打ちする。

 「…非番だったとはいえ、そいつは失態だな」

 「その後すぐに除隊されています。腕がほとんど粉砕に近い状態で、騎士団の勤めを果たせなくなったという理由ですが」

壁際に像のように立っていたシンディの目が動いた。

 「犯人は、騎士団の人間を狙っているのか?」

 「今のところはっきりしない。ただ気になってるのは、その見習い騎士の事件、被害者は、襲われた時、腰の剣に金と銀のリボンを二本纏めて巻いていたらしい。恋人に貰ったもの、らしいんですがね」

 「金と銀――近衛騎士の房飾りの色の?」

 「ええ」

 「つまり、狙われているのは我々の可能性があるのだな」

淡々とした口調で、シンディは呟いた。「――それなら、いい」

 「良くないわよシンディ」

エカチェリーテが苦笑する。

 「あなたのことだから、他の騎士たちが狙われるより自分が狙われたほうが捕まえやすい、って思ってるんでしょうけれど。」

 「そうですよ、姐さん。ミハイルだって弱かったわけじゃない。いくら姐さんでも、油断してちゃ危ないこともある」

 「……。」

黒髪の美女は、何も言わず壁と一体化したままだ。

 困り顔をベオルフと見合わせながら、エカチェリーテは再び口を開いた。

 「あなたも気をつけなさいね、ベオルフ。とは言っても、”学者の小路”に家があれば、あまり外に出る機会は無いでしょうけれど」

 「そうですね」

そう、ミハイルが襲われたのも、王宮外の自宅に戻る途中だった。

 王宮の外に家を持つ宮勤めの使用人は、北門から出て城壁の外をぐるりと回って市街地に出るのが常だ。北門へ出る道は、途中で分岐して”学者の小路”へと繋がっている。近衛騎士の中でも、王宮のはずれにある”学者の小路”に家を持つベオルフやエーリッヒ、シンディなどは、北門を通ることは滅多にない。

 「さて。それじゃ俺は陛下にも報告して、いったん家に戻ります。また夜に交代に来ますよ」

 「今日の夜はベオルフの番なのか」

と、スヴェイン。「大変だな」

 「なぁに、”あの時”よりは相当楽です。」

笑って、ベオルフは一礼すると部屋を出た。扉を閉めながら、彼は真顔に戻っている。


 国王一家の暗殺未遂事件が起きたのは、もう二十年近く前になる。

 あの事件の後に起きた混乱に比べれば、今の状況などマシなものだ。理由は分からないが、狙われているのが自分たち近衛騎士であるならば、防ぐ方法はいくらでもある。逆に言えば、――自分たちに止められないものならば、他の騎士たちには無理だ。

 その時の彼は、まだそう思っていた。




 だが、ことはそう甘くはなかったのだ。


 「――セルゲイ・ウィンドミルが殺されました。現場は北門の先の路地裏、前回と同じく即死です」

国王シグルズを前に淡々と読み上げられる報告を、ベオルフは、その隣に立ったまま信じられない思いで聞いていた。

 事件が起きたのは、昨夜、ベオルフがセルゲイと交代した直後。…交代のため会話を交わしてすれ違ったのが、最後となってしまった。

 謁見の間で、国王シグルズは玉座の上で微動だにせず、表情を変えずに報告を聞いていた。

 「朝まで発見されなかった理由は?」

 「ウィンドミル殿の退出は深夜でした。そこにいらっしゃる、レスロンド殿との交代要員でしたから…他の使用人の交代は通常、朝夕の二回です。深夜には北門を出入りする者は極端に少なくなります」

シグルズは小さく頷き、二つ目の問いを発する。

 「目撃者や、何か怪しい物音を聞いた報告は上がっていないのか?」

 「今のところは…現場の調査は、これからです」

 「ふむ。では今の報告を母上にも。それから残りの近衛騎士たちに、己の身辺を警戒せよと伝えるように」

 「かしこまりました。」

報告者が去っていったあと、シグルズは、ひとつ溜息をついて椅子の上で足を崩した。

 「…二人目の犠牲者か。近衛騎士を狙っているというのは確かなようだな、ベオルフ」

 「ええ。」

 「しかし謎だな。今の話からして、抵抗した様子も無いらしい。」

 「…申し訳ありません」

シグルズは、隣に立つベオルフを見上げた。

 「そんな顔するな。悔しいのは分かるが、お前にまで何かあると困る。早まるなよ」

 「判っています。しかし、陛下らをお守りする立場の我々が、逆にご心配をおかけする羽目になってしまうとは」

 「何かからくりがあるんだろうな。お前たちを油断させるような」

椅子から立ち上がると、シグルズは、ぽん、とベオルフの背を叩いた。

 「気になるんだろ? いいぞ、行って来い。私は、執務室に戻ってるよ」

扉を開くと、廊下に待機していたエーリッヒが小さく頭を下げる。シグルズが謁見の間の中にいる間、廊下の警備に当たっていたのだ。エーリッヒとベオルフの視線が合う。

 扉が閉ざされる。

 ベオルフは、一つ息をついて天窓から差し込む光を見上げた。

 分かっている、焦っても仕方ないことだ。ただ、”何の抵抗もなく”仲間たちが倒されていくことが苛立たしかった。


 決闘で負けるならいい。戦場に倒れるならいい。――使命のために殉ずるなら、どんな方法であっても最良の死に方だ。

 けれど、理由も無く一方的に、道端で通り魔的に殺されるなど、彼の感覚からすれば、許されることではなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る