第38話 未来の選択
広場に面した教会の鐘が鳴り響く――呼応するように、町の端々にある尖塔からも音が響いてくる。それはまるで、遠い空の上から降って来る音のようにも聞こえた。
イヴァンは、今日この日のために手渡された真新しい靴の履き心地の悪さに辟易しながら、正装に身を包んだ父クラヴィスの後姿ごしに壇上を見ていた。三年ごとに開かれる、国内のすべての自治領、領地持ちの貴族たちの集まる王国議会。イヴァンが同席するのは、これが初めてだった。
議会は、王宮の中にある議事堂で行われる。
壇を囲むようにして設けられたすり鉢状の席には、各地の領主、自治領の代表者たち、及びその従者たちが、いずれも正装に身を包んで真剣な表情で腰を下ろしている。
壇上の真ん中に立つのはすっくと背を伸ばした議長、王妃エカチェリーテ。壇の奥には近衛騎士たちと、つい先ほど退位を宣言したばかりのアレクシス、そして反対側には二人の王子たちがやや緊張した面持ちで席に腰を下ろしている。
「それでは、新王候補であるシグルズ・フォン・リーデンハイゼルについて、皆様のご意志を確認します。」
王を選ぶ儀式がどのように行われるのかは今日まで分からなかったが、王位継承権をもつ候補者の中から、前もって議会に提出するようになっていたらしい。その候補者に対する承認の可否――それが、今日のこの場で行われる確認事項だった。
壇の端に腰を下ろしていた男が、やや硬い声で口を開く。
「バジェスティ自治領、代表ブラッド・フォリー。承認する」
エカチェリーテが小さく頷き、傍らの書記がせっせと手を動かしているのを確かめながら次の代表者に視線を移す。
「ロマーナ男爵領、領主グレイ・ロマーナ。承認する」
「フラウ男爵領、領主ガド・フラウ。承認する」
「ハザル自治領、代表代理フィー。承認する」
あの浅黒い肌の女鍛冶師もここに来ていた。さっきすれ違うとき、意味深な表情で片目をつぶってきたのを覚えている。
彼女が実は族長の家系に属する正式な代理人だったというのは、今日になってから知ったことだ。席は地方別に順番になっていて、中央から順繰りに、地方へと進んでいく。
「サーレ辺境伯領、領主クラヴィス・サーレ。承認する」
クラヴィスが答え、順番は次へと移る。この場には、多くの代表者の姿が欠けていた。反逆者として、あるいは協力者として捕縛された貴族たちの家は十数にも及ぶ。そこには、この国の主要な領主たちの多くが含まれていた。
「クローナ大公領、領主アルヴィス・フォン・クローナ。――承認する」
最後の代表者の言葉とともに、静寂が議事堂の中に落ちる。エカチェリーテは、居並ぶ人々をを隅から隅まで眺めやった。
「棄権票を除き、賛成多数にて承認されました。これにより王国議会は、新王シグルズ・フォン・リーデンハイゼルの即位を承認します」
シグルズが立ち上がる。振り返って、彼女は腰を折った。
「人々の集いを統べる新たな主。”黄金の樹”の王冠をここへ」
ベオルフが、手にしたビロウドの台座をエカチェリーテに差し出した。そこには、さっきまでアレクシスが被っていた王冠が載せられている。壇上に上がっていくのはアルヴィスだ。
彼は王冠を手にとり、自らそれを兄の頭に載せた。
まるで詩の中の光景だ、とイヴァンは思った。或いは、遠い昔の物語の中の出来事のような。
どこからともなく静かな拍手が沸き起こる。それは興奮や賞賛のような感情ではなく、この数ヶ月の不安定な状態が、ようやく収まるべきところへ収束していく安堵の感情からくるもののように思えた。
これですべてが新しくなるわけではないが、少なくとも、大きな痛みとともにいくばくかを失ったこの国の、新しい門出となるだろう。
「皆さん、ありがとう。私は国王としてここに宣言する――…」
シグルズの堂々とした言葉を聞いても、イヴァンには、新国王の威厳というものに全く実感が沸かなかった。彼の中には、あの日、弟と一緒に並んでアレクシスに叱られていた、少々気弱なシグルズの印象が色濃く残っていた。
アルヴィスはそっと壇を降り、最前列の自分の席に戻っていく。すぐ後ろに座っているのはティアーナだろう。遠くにいても、見慣れた後姿だ。
アレクシスは今日はほとんど発言せず、不機嫌とも無表情ともとれる顔で彫像のように腰を下ろしている。向かいにいる神妙な顔のスヴェインは、以前と違って落ち着いた色の服を着ているせいか、確かに真面目そうに見えた。後ろに並ぶ十二人――近衛騎士全員の顔を見るのは初めてだ――の中には、よく見知った四人も、揃いの制服を着て、おとぎ話の騎士たちのように並んでいる。
演説が終わり、ひときわ大きな拍手の音で、イヴァンははっと我に返った。
「それでは、本日の議会はこれにて解散となります。明日からは新王のもとで通常の本議会となります。皆様、どうか明日の集合まではご自由にお過ごし下さい」
議長の閉会の言葉とともに、人々が席を立つ。シグルズは、母や弟たちと顔を寄せ合って何か話していた。まだこれから、やるべきことがあるようだった。
「イヴァン!」
階段を上がって、アルヴィスとティアーナが近づいてくる。
「よう、アル」
「サーレ殿も。お久し振りです」
「久しゅうございますな。お役目、ご立派なものです」
クラヴィスは表情を緩めると、隣にいたイヴァンの肩を叩いた。好きにしていい、という意味だ。
イヴァンをその場に残し、クラヴィスは他の領主たちとともに、この後の会食の場へ去って行く。
それを見届けてから、すかさずティアーナが口を開いた。
「…イヴァン、さすがに今日は正装なんですね。なんていうか…」
「似合わねぇって? 言うんじゃねーかと思ってた。」
「いえ、意外と似合ってるから逆に驚いたんですけれど」
そう言って、彼女は口元に手をやる。
「ふふっ、でも、あんまり貴公子って感じじゃないわね」
「うっせーな、わざわざそんなこと言いに来たのかよ」
口調だけはぶっきらぼうに答えながら、イヴァンも笑っている。ティアーナからは、以前のような刺々しさは消えていた。
「クローナでは、楽しくやってるみたいだな」
「うんまぁ、忙しいけどね。ティアが来てくれて助かったよ。僕一人じゃ間に合わないから」
話をしながら、外に向かって歩き出す。
「まだ護衛なのか?」
「名目上は秘書だよ。警護してもらうほど危険なことも今はもうないし。ただ、これからまた西のほうに行くつもりなんだ。ルディと一緒に」
「西? 何でまた」
「クロン鉱石の汚染状況を調べにね。王都前の状況を少しでも改善させたいから」
戦闘のあと、使われた武器によって汚染された土地は、今も元に戻ってはいなかった。少しでも毒素を移動させようと、表土を剥がして別の場所に移動させる作業も行われたが、根本的な解決にはなっていない。雨が降って汚染土が流れ出してしまわないよう、今では戦場跡の周囲には深い掘が作られ、柵が立てられている。
「エクルの花のことは覚えてるよね」
「ああ。」
「あの花は、クロン鉱石の汚染土壌でも咲いていた。だとすれば、あの花はクロン鉱石の汚染に抵抗力を持つ植物ということになる。従来のアストゥールの記録では、クロン鉱石の汚染土の上で生き残る植物は無い、ということになっていた。それがもし、記録されていないだけで、汚染土壌に強い植物があるのだとすれば――或いは」
議事堂の外に出たところで、アルヴィスは手を掲げて微かに目を細めた。夕暮れの近い光が足元を照らし出し、外のざわめきが押し寄せてくる。芝生の上のそこかしこで、人々が歓談しているのが見える。
「やっほーう、ティア!」
どこかから、底抜けに明るい声が響いてくる。振り返ると、フィーが手を振りながら駆け寄ってくるところだった。ティアーナが明るく手を振り返す。
「フィー! 久し振りね」
「今夜の懇親会は出るんでしょ? あんたがクローナに行っちゃって、スヴェイン様めっちゃくちゃ落ち込んでたわよぉ。『アルに取られた』ーって」
「はあ? 知りませんよ。私もう、あの方のことを心配するのはやめたんです。」
アルヴィスは苦笑している。
「あとで、兄さんたちにも会いに行かないと。昨日着いたばっかりで、まだあんまり話してないんだ。」
「そっか。――お、新国王様が町に出られるみたいだぜ」
議事堂の前にいた人々が列をつくり、出てくるシグルズたちを出迎えようとしている。皆、これを待っていたのだ。
近衛騎士たちを従え、シグルズは堂々と道を歩いていく。これから、王宮の端にある建物の上から市民への挨拶を行うのだ。いまごろは、学校の仲間たちもその前に集まっていることだろう。
それを眺めやりながら、アルヴィスが囁いた。
「イヴァン、この後、少し付き合って貰えない? 確かめたいことがあるんだ」
「え、この時間からか? 何処に行くんだ」
「”下の町”だよ」
そう言って、初めて会った時と同じように微笑んだ。
「確かめたいことがある。一緒に行って貰える?」
「ああ、構わないよ」
アルヴィスのことだ。きっとまた何か、調べたいことがあるに違いない。
三人は、王宮の裏口から馬に乗って町に出た。今日は乗合馬車も止まっている。広場は新国王を見ようと人でごった返し、大通りからはひっきりなしに歓声が聞こえてくる。
それは下の町でも同じで、上の町に宿の取れなかった観光客たちが、下の町までも溢れかえっている。ちょっとしたお祭りの日のようだ。
「ここだ」
アルヴィスは、町外れの、立入禁止になっている場所で馬の足を止めた。土がえぐられ、敷石まで剥がされてどこかへ移動させられている。クロン鉱石で汚染されていた箇所なのだ。辺りにはまだ、異臭が漂っている。
「汚染された土壌の入れ替えをしていると聞いていましたが、まだ完全には終わっていないようですね」
と、ティアーナ。
「うん。かなり下の方まで染み込んでるな。この汚染は、…確かに、そう簡単に解消はされないだろう」
地面の状態を確かめて、アルヴィスは眉を寄せた。
「ここの南にある”死の海”は、はるか昔の大戦争でクロン鉱石の兵器が多数使用された結果出来たものだと言われているけれど、その言い伝えも納得出来る。ほんの馬車いくつか分の爆弾だけで、こんなに広範囲に汚染してしまえるのなら」
「焦土作戦にも使えそうですね」
ティアーナは、ぽつりと物騒なことを口にする。
「それも懸念事項の一つだ。ただ――」
辺りを見回したあと、アルヴィスは、振り返って黄金の並木道のほうを見やった。
今日もそこは、観光客で賑わっている。土壌の汚染されている場所から、そう遠く無い場所にあるが、今のところ、立ち並ぶ木々に異変は無かった。異変があるとすれば、その手前まで。――黄金の樹以外が植えられた植え込みは、民家の花壇に至るまで木々や花が萎れ、元気を失くしている。
「…アル? どうしました」
「黄金の樹は弱っていない。この距離で、少しは影響を受けていても良さそうなのに」
「え?」
彼は、じっと並木道を見つめたままだ。
「ずっと昔の記録を、調べ直していたんだ。そもそも何故、リーデンハイゼルの王家の紋章が”黄金の樹”なのか。――元になったのは、”死の海”の奥にある洞窟に隠されていた、黄金色の幹をした大樹だった、と言われている。この国が建国される際に起きた”統一戦争”の終結後、初代王の子孫たちと初期の同盟部族は、そこに記念碑を建てたと」
「伝説でしょう、それは」
「いや。記録はあまりにも具体的すぎた。実際、二百年前に”融和王”はそれを発見したと書いている。しかもその場所は、クロン鉱石の兵器を格納する武器庫の奥――最も汚染されているはずの場所だったにも関わらず、木の根元には澄んだ水が溜まっていた、とも」
「…つまり? えーと、あそこにある木は、その木の子孫ってことになるんだから…?」
「そう。僕の推論が正しければ、”黄金の樹”というのは、クロン鉱石の汚染を吸収するか、浄化できる植物なんだと思う」
「!」
ティアーナが息を呑んだ。
「まさか…そんな植物が? でも…」
「あり得ない話ではない。――その可能性は、先生もずっと考えていた。だから先生は、アストゥールには自生していないエクルの花をリンドガルトから持ち帰り、アストゥールの気候に合うように一人で品種改良し続けたんだ。何十年もかけて」
「それじゃあ…そういう植物が見つかったら、汚染された土も元通りにできるかもしれない、っていうのか…?」
「うん。汚染を除去するか、毒素を浄化する方法が見つかれば、あの鉱石を必要以上に恐れる必要も無くなる」
「罰がないなら罪もない。これまで以上にお手軽に、クロン鉱石が使われるようになるかもしれないぜ」
「そうなるなら、その時はその時だ。一度広まってしまった技術は、簡単に捨て去れない。この国に入り込んだ沢山の新しい武器。全て回収することは出来ないだろう。誰かが手にして、そして量産し始めるかもしれない。きっと記録をすべて抹消することは出来ないんだろう。…いずれ、それが戦いの道具として当たり前のように使われる日がくるかもしれない。遠い未来であって欲しいと思っているけどね」
(あの、恐ろしい兵器が、いつか当たり前のように使われる時代がやって来る――?)
彼は思わず、腰の剣に手を遣った。
もしもそうなったなら、自分たちは一体、どうやって戦えばいいのだろう。
少し微笑んで、彼はイヴァンのほうを振り返った。
「実はね。あの、クロン鉱石を使った兵器についても、研究してみようと思っていたんだ。」
「は?」
イヴァンは、慌ててアルヴィスのほうを見やった。
「けど、あれは――」
「誰かが先に研究して、より強い兵器として改良してしまったら、その時は、戦争のあり方すら変わってしまう。…敵を知らなければ戦うことは出来ない。力は、それ自体が悪ではない。今回は上手く勝てたから良かったけど、もし、僕らが西方であの爆弾の情報を手に入れられていなかったら、今回の戦争の勝敗すら、変わっていたかもしれないんだよ」
「それは、確かに…そう、だけどさ」
言っている意味は判る。だが、それでもイヴァンはどこか、複雑な気持ちだった。
あの忌まわしい兵器を、”敵”の力を研究するということは、禁じられた力を再び手にすることに他ならないのではないか、――と。
「希望と絶望は、きっと裏表なんだ。」
ぽつりと、アルヴィスは言った。
「イヴァンに見つけてもらった、あの黄金の実は、クローナで発芽したよ。まるで、この日のためのようだと思った。…僕は必ず、汚れた大地を蘇らせる方法を見つける。見つけてみせる。そして、あの兵器を無力化する方法だって探してみせる。ここが歴史の転換期だ。力を得た先にあるのが破滅だけではないのだと、僕は信じたい。」
「……。」
そう、きっとアルヴィスならばやり遂げるだろう。
けれど、その先にあるものが栄光の未来か、招かれざる破滅なのか、今はまだ、判らない。
「戻ろうか」
沈黙の隙をついて、アルヴィスが言った。馬の頭を巡らせ、丘の上へと続く道に向かって進み始める。慌てて、イヴァンも後に続いた。
日は西に落ち、空には星が輝き始めている。
今夜は晩餐会だ。会議はまだ、あと何日も続く。
冬は深まり、イヴァンにとっては間もなく、冬休み前の期末試験の時期が訪れようとしていた。
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