第37話 穏やかなる日々

 午後の最後の授業が終わった。鐘の音とともに生徒たちが動き出し、めいめいに放課後を過ごすために散って行く。

 教室の席はまばらで、以前よりも活気が無い。事件の前に故郷に帰ったままだ戻ってきていない生徒もいれば、事件の後に去って行った生徒もいる。反旗を翻した領地の出身者や、領主の縁者、或いは戦で肉親を亡くした者。事情はそれぞれだ。それでも今日も授業は行われ、イヴァンは、隅の席で意識が飛びそうになりながらも何とか話を聞いていた。

 「イヴァン、イヴァン」

横からエデルがつつく。

 「起きて、授業終わったよ」

 「…寝てねぇって。ちょっとぼーっとしてただけだよ。」

 「まったくもう」

ため息をつくエデルの横で、イヴァンは教科書を片付け、立ち上がって尻を撫でる。硬い椅子に座ったまま一日を過ごすというのは、どうにも馴れることがない。

 王都前の戦闘から、一ヶ月が経った。

 季節はいつしか冬へと変わり、その冬も深まりつつある。町では現国王の退位と、新国王の戴冠の話で持ちきりになっていった。学校でも生徒たちの噂話には事欠かない。

 ひそひそと交わされる会話を耳にしながら、エデルは、隣を歩くイヴァンをちらりと見上げる。

 「そういえば…王国議会、出席するんだって?」

 「ああ。」

サーレ領の領主であるクラヴィスが来るのはもとより、今回は、同伴でイヴァンも出るようにと言われている。

 最もそれは、アレクシスから直々の指名もあってのことだった。事件に関わった者には、最後まで見届けてもらう、というのが主旨だった。イヴァンとしても断る理由はなかった。それに、議会についていけば、久し振りにアルヴィスとも会える。

 あの謁見の後、ほどなくしてアルヴィスはメネリクとともにクローナへ戻っていった。爵位継承の手続きのためだ。次に会うとき、アルヴィスは、代理ではなく、正式に”クローナ大公”という肩書きをつけて王都に戻って来ることになる。

 「イヴァン!」

廊下の向こうから、大慌てのアステルが走ってくるのが見えた。

 「お、どうしたアステル」

 「…客だ。玄関に」

息を切らしている。

 「客?」

 「来い」

腕をつかまれ、良く分からないまま玄関まで引っ張られていったイヴァンは、受付の前に立っている二人の人物に気がついた。生徒たちが遠巻きにして眺めながら、何かひそひそと話をしている。

 「お、来たな」

にやりと笑ったのはベオルフ。今日は私服で、目立つマントもつけていない。隣にいるのは、…背の高い黒髪の美女。イヴァンは思わず後退った。

 「あー、えっと…」

 「そんな顔をしなくてもいい。今日はそっちの子に用がある」

ぶっきらぼうに言って、シンディはイヴァンの後ろに隠れようとしているアステルのほうを指差した。

 「鍛えてやるから来いと言ったのに、来ないから来た」

 「……。」

アステルは救いを求めるような視線をイヴァンのほうに向けてくる。ベオルフは苦笑しながら、助けにもならないことを言う。

 「まぁ、ほどほどになシンディ。こっちはイヴァン、お前に用だ」

 「俺?」

 「ちょいと付き合ってくれんか」

イヴァンは、アステルの肩をぽんと一つ叩いて歩き出す。「だそうだ。死ぬなよ」

 「お、おい!」

玄関の外に出ようとするとき、背後で悲鳴が聞こえたような気もするが、彼は聞かなかったふりをした。ベオルフと並んで通りに出ると、ひゅうと音を立て風が通り抜けていく。

 上着の襟を立てながら、ベオルフが歩いていくのは広場とは逆の町のはずれの方角だ。イヴァンは、ちらりと男が提げている剣に視線をやった。柄の房飾りは今日は取り外されている。

 「だいぶ寒くなって来たな。オレは、冬というのはどうも好かん」

 「今日は休みなのか?」

 「ああ。珍しく十二人全員が王都に揃ってるもんでな。今は楽な時期だ」

ということは、あの事件に関わった大物領主たちの"片付け"は終わったのだろう。近衛騎士たちは、本来の仕事である国王一家の警護の任務に戻っているのだ。

 行く手に、町の隅にある公園が見えて来た。

 建国祭のあとの物々しさはとっくに消え、爆発の痕跡も今は草に覆われてほとんど判らなくなっている。高くなっている草地の木陰に歩を進めた男は、足を止めて辺りを見回した。

 「アルヴィス様が花を植えたのは、この辺りだと聞いたんだが。――どこにある?」

 「それだよ。」

イヴァンは、木陰にひっそりと揺れている株を指した。花はもうほとんどしぼんでいて、新たな蕾はつけられていない。だが、しっかりと根付いているように見えた。

 「おお、これか。…大丈夫そうだな」

 「用事って、こんなことなのか?」

 「悪いな。確かめてきてくれって、クローナから連絡があったんだよ」

呆れ顔のイヴァンにひらひらと手を振りながら、ベオルフは木陰の花の側にしゃがみこむ。

 「ふーん、これがメネリク殿が西方から持ち帰った花ねぇ」

 「ティアに頼めばよかったのに。あいつなら、ここ知ってるし。最近見てないけど」

ベオルフは振り返り、意外そうな顔でイヴァンを見上げた。

 「――知らなかったのか? あいつは、仕事辞めてクローナへ行ったぞ」

 「え?」

初耳だった。それに、思いもよらなかった言葉だ。

 「あっちが気に入ったんだそうだ。…ま、うちのご先祖様はクローナの出身だし、オレもあの町は気に入ってる。それに、アルヴィス様に仕えるなら、それもまた…な。」

ぽかんとしているイヴァンに笑いかけ、彼は、立ち上がって少し真面目な表情を作った。

 「もう一つ、お前に報告しておきたいこともあってな。捕らえたマイレの騎士が自白した。十年前、ユラニアの森で領主の別荘近くにクロン鉱石を仕掛けて爆発させたのは自分たちだ、と。」

 「……。」

 「もっとも、実際にやったのはミグリア人の傭兵らしい。仕事にあぶれて街道で盗賊をしてたところをクラヴィス殿に成敗されて、恨みを持ってた奴を使ったんだとさ。」

 「そっか」

 「随分と淡白な反応だな。」

 「今更だしな。」

森で亡くなったのよりも多くの命が、一ヶ月前の戦いで失われた。仇を討つつもりだったのに、それが一体誰に対してなのか、実際に手を下した者なのか、命じた者なのか、すべての陰謀の大元なのか、途中から分からなくなっていた。

 ユラニアの森でのベオルフとの出会い。あの日はもう、遠いもののように思われた。

 「なあ、その騎士、どうなった?」

 「自害したよ、マイレの領主が獄中死したことを聞いたその日に、牢の中で。それまでずっと黙秘してたのが、あらいざらい全て喋って、看守の隙ついて首を吊ったんだ。…ま、あいつなりの騎士道ってやつだったんだろう。それとも、二人の主君にまみえずってやつか」

それが何という名前の騎士なのかは敢えて尋ねなかったが、イヴァンの脳裏には、他の騎士たちを束ねていた、派手な格好をしたあの、ボルドーという騎士の姿が思い浮かんでいた。

 「…まともな勝負はこんどな、って言っといたのに」

呟いて、彼は公園の開けた草地のほうに目を向けた。

 夏の頃の輝くような緑は薄れ、草原の草は、既に茶色く枯れて霜が降りている。

 「マイレ領がサーレ領の一時的な管轄になったことは、聞いてるか?」

 「親父からの手紙で。他の連中んとこもそうなのか?」

 「そうだ。今回の件に関わった貴族はすべて爵位剥奪、領地持ちの家は領地の没収という処分になってる。将来は全て王家の直轄地になるはずだが、数が多すぎて手が回らないんで、近くに信用できる領主がいる場合は、そっちに運営を任せてるらしい。マイレ領は辺境だし、クラヴィス殿なら任せるのに丁度いい。」

そう言って、ベオルフはちょっと肩をすくめた。

 「ま、オレに文官の世界のことは分からんがな。――将来はお前が引き継ぐことになるかもしれんのだぞ。覚悟はしておけよ」

ということは、今ごろレオンあたりがおおわらわになって走り回っているんだろうな、とイヴァンは思った。具体的に何がどう変わったのか、つい数週間前に届いた手紙には書かれていなかったが、次に来る手紙には、その話も書かれているのかもしれない。

 「他の貴族はどうなるんだ? マルティン…アジズ子爵のところとか。領主本人はともかく、家族は?」

 「裁判中だな。首謀者のヴェニエル侯爵はおそらく極刑になる。が、他の領主たちは分からん。ま、処刑ってことはないだろう。領地は没収されてるが、一部の資産は返却される予定らしい。親族のところへ行くか、どこか地方で慎ましやかに暮らすか。本人たち次第だろう」

それなら、マルティンも命だけは助かるはずだ。イヴァンは少しほっとした。義理も恩も無いが、少しの間とはいえ同じ学校で学んでいた相手だ。根っからの悪人というわけでもない――そう思いたかった。

 「お前、学校を卒業したらサーレに戻るんだろう」

 「ああ。そのつもりだ」

 「ふむ」

 「…何だよ」

 「いや。お前が”伯爵”の称号をつける日が想像つかなくてなぁ」

男は、愉快そうに笑う。 

 「だが、お前のような奴は、これからのアストゥールには必要だ。…これからも、アルヴィス様の良き友人であってくれよ。あの方は、お前を頼りにしていらっしゃるからな」

意味ありげに笑って、ベオルフは上着のポケットに手を突っ込みながら元来た道を歩き出した。

 「そういや、春にオレと一緒にサーレに行ったオルグって奴が居ただろう。あいつは今、リンドガルトに派遣されてる」

 「西方に?」

 「数少ない鉱石の専門家だからな。クロン鉱石の鉱山の閉鎖と汚染の調査、だそうだ。あっちもあっちで、森に潜んでる連中の狩りだしやら強制送還やら大変らしいぞ。春までにカタが着けばいいんだが」

西へ軍が送られたのも、あの戦いが終わった直後だったはずだ。エギルとの約束は、とりあえず果たせたことになる。イヴァンは少しほっとした。

 「落ち着いたら、またあの森に行ってみたいな」

 「そうしてもらえるとこっちも助かる。いずれ、リンドガルトの代表とは正式に国交を結ぶことになる。クロン鉱石の扱いの件も含めてな。その時、こっちとの橋渡し役がいてくれたほうがやりやすい」

 「……。」

西方。

 かつて意識の中に無かったその地域は、今ではイヴァンの中ではっきりとした情景を形作っていた。塔の窓から見える国境沿いの切り立った山も、深く切り込んだ渓谷も、もはや「世界の果て」では無くなっていた。




 ベオルフとともに学校に戻ったのは、それから少し雑談をしてからのことっだった。玄関に入ると、中は妙に静かだ。

 「ん、皆いなくなってるな。どこに行ったんだろう」

 「訓練場のほうに出て行かれましたよ」

受付の奥にいたいつもの女性がにっこりと微笑む。

 「皆さん楽しげでしたけれど」

 「…楽しげ?」

校舎の間にある訓練場に出てみると、ちょうど学校中の生徒たちが集まって盛り上がっている真っ最中だった。観衆の真っ只中で、シンディ相手にいちどに五人が襲い掛かり、片っ端から跳ね飛ばされている。

 「いけー! 今度こそ」

 「せめて一撃! がんばれ!」

 「…なんだこりゃ」

呆れているイヴァンの側に、倒された生徒が、他の生徒たちの肩を借りながら妙に恍惚とした表情で引っ張られてくる。

 「はあ、はあ…」

 「大丈夫か、しっかりしろ」

 「お、お姉さまにやられた…」

 「ああ。いい一撃だったな」

 「待て。お前ら、一体何を」

隣では、ベオルフが額に手をやっている。

 「…思春期のガキどもにゃ、ちぃとキツかったか」

 シンディは、あの夜と同じように目を輝かせ、生き生きとした様子で腕を振り回している。上着は脱ぎ捨て、長い黒髪どころか抜群の体型まで見せびらかしながら群集の只中に立っている。

 「さあ、どこからでもかかっておいで! こっちは剣は使わないよ。思い切り来るといい」

 「い、行くぞ…!」

少年たちの目も輝いている、が、それは純粋に剣術を学べる喜びや強者と訓練できる高揚感よりも、別の種類の興奮に満たされているようだった。

 「おーいシンディ、そろそろ戻るぞー」

 「先に行っていろ。私はこの者たちを鍛える」

 「はぁ」

溜息をついて、ベオルフはイヴァンの肩にぽんと手をやって背を向けた。

 「そんじゃ、あとは頼むわ」

 「あっこら、回収して行ってくれよ、あれ!」

 「無理だろ。ま、いいんじゃないか。たまには…」

 「おい、そこの!」

去っていくベオルフを引きとめようとしていたイヴァンの後ろから、シンディの声が飛んでくる。

 「イヴァン、お前も相手になる。今日は逃がさない」

 「おっ、イヴァン出るか?!」

 「学校一の男! これは期待の対戦だぞ」

 「何秒もつか賭けようぜ。俺は十秒」

 「なら僕は…」

 「おまえらああ!」

悲鳴に近いイヴァンの声が響く中、無慈悲な手拍子が逃げ場を奪っていく。彼は、既にぼろぼろになって隅にへばっているアステルと、傍らで小さく首を振るエデルとに視線をやった。

 「…くそー、結局こうなるのか…」

 「イヴァーン、しっかりー!」

晴れ渡る空の下、生徒たちの元気のいい声が響き渡っていた。

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