第34話 それぞれの決意

 下の町へと続く、幾重にも折れ曲がる道。松明の火が、ほぼ等間隔に揺れている。道の途中から見下ろす”下の町”とその周辺には、昼間よりもさらに多くの陣が敷かれ、息を呑むほど多くの灯りが揺れている。

 「…昼間より、増えてるな」

 「ええ。おそらく、遠方からも集まってきています。」

揺れる光を見下ろしながら、ティアーナは呟いた。

 「傭兵でも雇って、かさ上げしているのかもしれません。いずれにせよ、脅しの効果は抜群ということですよ」

 「笑えねぇ。いくら王国側が勝てるはずにしても、まともにぶつかったら、大戦争になっちまう。アルの策が上手くいくことを祈りたいな」

”下の町”の地表が近づいて来るにつれて、今更のようにイヴァンは、無茶を引き受けたという気がしてきた。

 このだだっ広い陣地の中から、果たして本当にスヴェイン王子を探し出せるのだろうか。おそらく町の宿のどこかなのだろうが、上から見ているだけでは分からない。それに、――もし見つけられたとして、人知れず接触することなど可能なのだろうか。


 だが、ここまで来たらもう戻ることなど出来ない。

 闇の中に目を凝らすと、彼は、昼間アジズ領の旗を見たあたりに狙いを定めた。マルティンがいるとすれば、その辺りのはずだ。

 「ティアーナ、外套のフードを被っててくれ」

 「え?」

 「こっからは脱走した騎士学校の生徒を装うんだ。女が居ちゃおかしいだろ」

町を降りたあたりで、二人はそろそろと辺りを伺った。町のすぐ下のあたりにも土嚢は積まれ、明日の衝突に備えてある。交渉が決裂して、戦闘になることを見越しているのだ。イヴァンは少し暗い気持ちになった。

 「本当に上手くいくでしょうか?」

 「やってみなきゃわかんねーよ。俺だって、マルティンのことは、そこまで知ってるわけじゃねぇんだ」

王都の灯りが遠ざかると、周囲は闇に包まれた。下の町と、その周辺に張り巡らされた天幕の灯りが遠くに見える。闇の中にかすかに見える旗印を目指しながら、イヴァンは、周囲の気配に感覚を研ぎ澄ませていた。

 やがて人影が見えたのは、下の町の灯りがすぐ近くに見え始めた頃のことだった。

 「誰だ」

ようやく、そう聞いてくれる相手が現われた。王都から下の町の入り口まで、警備などいなかったのだ。逆にほっとして、イヴァンは両手を挙げると、出来るだけ丁寧な口調で言った。

 「あのう――俺たちは騎士学校の生徒で…マルティン・ディ・アジズ様に会いに抜け出して来たんです。俺ら、その…学校で一緒だったんで…アジズ子爵様の陣は、どちらでしょうか?」

見張りの兵は、不思議そうな顔をして騎士学校の制服をじろじろ見ている。

 「坊ちゃまの学校のか…。ちょっと待ってろ」

兵が引っ込んでいく。イヴァンは、ティアーナと顔を見合わせた。もう少し疑われると予想していたのだが。

 やがて、兵が戻って来た。

 「お会いになるそうだ。ついて来い」

 「は、はい」

罠かと思うくらいに順調だ。こちらの名前さえも聞かれなかった。あまりにも緊張感がないのは、かえって不安になる。

 もしかしたら彼らも、これから起こる事が何なのか分かっていないのかもしれない。これが、王国に叛旗を翻そうという旧貴族たちの実態、なのだろうか。


 兵士について歩きながら、二人は、信じられない光景を目の当たりにしていた。薪の火が照らす野営地の中には、そこかしこに酔っ払った兵士の姿がある。大声で笑ったり調子外れの歌を歌ったりしている者、宴会らしき声の響く天幕、道端に寝転がってイビキをかいている者…。まるっきり、緊迫感がない。ティアーナは何か言いたそうな雰囲気だが、我慢して口を閉ざしている。

 兵士に連れられて歩きながら、イヴァンは、ふと暗がりの向こう、全くやる気のないお遊び気分の兵士たちのいる、ほんの僅か先に、雰囲気の全く違う一角があることに気がついた。

 ”下の町”を取り囲むようにして作られた、ヴェニエル侯爵家の旗のひらめく陣地だ。その旗が、この空間に見えない境目を作れ、武装した強面の兵たちが、抜け目なく辺りに視線を配っていた。

 「…さすがに、首謀者の陣だけは本気のようですね」

後ろで、ティアーナが小さな声で囁く。彼女も気がついたようだ。

 「ああ。多分、付き合いで兵を出しただけの連中と、本気で王様を玉座から引っ張り下ろしたい連中が混じってるんだ。…見たところ、半々ってとこだろうな…」

 「ここだ」

先導していた兵が足を止めたので、二人は慌てて口をつぐんだ。


 目の前には、豪華な天幕が張られていた。紫の布、金糸の飾り。派手すぎて目がちかちかするようだ。入り口に一応見張りは立っているものの、ほとんど警備らしい警備もされていない。

 気がつくと、案内役の兵士はさっさと元来た道を戻って行くところだ。

 「いいのか、…こんなんで」

呆れながら、イヴァンは天幕の重たい布を捲った。中からは酒臭い臭いが漂ってくる。

 床に転がる酒瓶に目を留めて、彼は眉を寄せた。奥のほうから聞き覚えのある尊大な声が響いてくる。

 「おう来たかぁ。ちょうど退屈してたとこなんだよ、王都の連中はどうしてる? ん?」

マルティンだ。焦点のさだまらない目で寝台の上に寝そべっている。久しぶりに見たその姿は、学校にいた頃より一回り、太ったようにも見える。

 側のテーブルの上には、食べかけの料理や空になった酒瓶が、無造作に散らばっていた。

 「…何やってんだ、お前」

 「何…って…ん、んん?」

イヴァンの声を聞いたとたん、目の焦点が合いはじめた。

 手にしていたグラスを取り落とすと、マルティンは、椅子の上に起き上がった。その顔が見る間に青ざめていく。

 「貴様――イヴァ…!」

 「お静かに」

滑るように近づいたティアーナが、剣の切っ先をマルティンの喉元に押し当てた。

 「怪しい動きをしたら殺しますよ」

 「ひ、ひぃっ…」

情けない声を上げて、マルティンは両手を挙げたまま固まった。体が痙攣するように震えている。

 「ったく。無用心にも程があるぜ。つーか、誰が訪ねて来たと思ってたんだ、あんたは」

足元の酒瓶を蹴り飛ばし、イヴァンは腰に手を当てた。

 「自分が何やってるか、分かってんのか?」

 「何とは何だ」

 「ここに集まってる貴族連中は、王様に退位を要求してる。断られれば武力の行使も辞さない。――つまりは戦争だ。力づくで政権を交替させようとしてんだぞ。」

 「ふん、そんなこと承知の上だとも」

喉元に切っ先を当てられたまま、マルティンは虚勢を張ろうとする。

 「今の国王は所詮は東方の小貴族出身よ。なーにが旧エスタード貴族だ。領地もない名ばかり貴族の小倅のくせに、王の座に居られるのは、我々名家の承認あってのことだ。その我らをないがしろにするのなら、退いてもらうしかないな!」

 「それで、スヴェイン王子を次の王に、とかいう話に飛びついたのか?」

 「そうだ。国王の座には、正しい血筋の者が就かなければならない! サーレのような、卑しい血筋の新興貴族もろとも、相応しくない王には消えて貰うのだ!」

 「なんという無礼な…」

ティアーナの瞳に、激情の炎が走る。

 「子爵の息子風情が、知ったような口を。お前の家にその爵位を与え、保障しているのは誰なのだ? 王国の領地を与えたのは?」

 「ひっ」

マルティンが怯えて口を閉ざしても、彼女は追撃を止めない。

 「その汚い口を永遠に閉ざしているがいい、愚か者。陛下への無礼の数々、それだけでも今ここでお前の喉を掻き切るには十分すぎるぞ。」

 「止めとけって。そんなの斬ってもつまらんだけだぞ。」

マルティンに近づいて、イヴァンは、テーブルの上の皿に積まれていた果物に視線をやった。甘酸っぱい臭いが漂う。西方から取り寄せられた珍しい果物――カヤポの実だ。マイレ港で聞いたとおり、西方から持ち込まれた品が、中央まで届いているのだ。

 (ということは、クロン鉱石を使ったあの兵器も、この近くにあるのか…)

朝になれば、それは人に向けて使われることになる。

 「おい、マルティン。俺らは、そのスヴェイン王子を探しにここまで来たんだが、どこにいるか知らねぇか?」

 「ふん、知っていたところで教えると…」

言いかけた鼻面を、イヴァンは思い切り殴りつける。

 「がはっ」

 「お前、こういうの苦手だったよな?」

ティアーナの剣を退けさせて、彼はマルティンの肉付きのよい腕を掴んで後ろ手にひねり挙げた。学校を退学になってから全く運動していなかったのか、感触がやけに柔らかい。不愉快な生暖かさを感じて、イヴァンは体に力をこめた。

 「ぎゃああ! い、痛い…痛い!」

 「うるせえぞ、声上げんな。誰か来るだろうが。ティア、口に布かなんか詰め込んでくれ」

 「え? いいんですか? 吐かせるつもりでは」

 「腕の一本か二本やっちまってからでもいいだろ。足でもいいが」

 「お、お前ら! 本気なのか」

マルティンは涙目になっている。

 「当たり前だろう。俺が、冗談言うと思うか?」

 「この…貴様、おれを誰だと…」

 「知ってるよ。裏切り者のアジズ子爵の息子だろ。」

 「…っ」

ティアーナが、てきぱきと猿轡を準備している。

 「イヴァン、これでいいですか?」

 「ああ。声がでないようにガッチリ噛ませといてくれ。それから…」

 「止めろ! 言う、居場所を言うからっ」

真っ青になったマルティンが体をよじって暴れ出した。二人とも、残念そうな顔だ。

 「…ここから真っ直ぐ町の方に行けば、赤い屋根の迎賓館がある。ヴェ、ヴェニエル侯爵と父が、歓待しているはずだ…だ、だが、お前らに入り込める場所だと思うなよ?! 警備は…」

 「お前なら入れるよな」

と、イヴァン。

 「そうね。私たちを、そこまで連れて行ってもらいましょうか。」

 「なっ」

 「今ここで死ぬか、どっちがいい?」

ティアーナの微塵も容赦のない笑顔の前に、ついにマルティンは折れた。

 「…おれの責任じゃない。どうなっても知らんぞ!」

左右をイヴァンとティアーナに挟まれながら、彼はよろよろと立ち上がる。

 重たい入り口の布を押し上げると、外の風が吹き込んで来た。イヴァンはそれとなく剣の柄をマルティンの背に押し当てた。怪しい真似をしたらいつでも斬る、という意思表示だ。


 入り口に立っていた見張りが、声をかけてくる。

 「坊ちゃん、どちらへ」

 「父上のところに行ってくる」

ぶっきらぼうに見張りに答え、マルティンは重たい足を引きずりながら歩き出した。

 誰かに見咎めれでもしたら一貫の終わりだ。いくら気の抜けた集団とはいえ、イヴァンとティアーナのたった二人で、ここにいる全員を相手にするのは厳しい。マルティンだって、それを狙っているはずだった。

 だが、マルティンにとって不幸なことに、町に入るまで、誰も彼らを止めて、誰何しようとはしなかった。




 町に入ったところで、イヴァンたちは、用の無くなったマルティンを手荒に殴って気絶させた。

 「ぐっ」

小さなうめき声を上げて、マルティンが地面の上に伸びる。イヴァンはその体を引きずって、物陰の目立たないところに押し込んだ。イモ袋の間だ。

 「さーて、と。ここまではなんとか来られたが、問題は、どうやってあの中に忍び込むかだな」

 「さすがに、警戒厳重ですね…」

目的の迎賓館は、黄金の樹の並木道のあった場所からそう遠くない、街道の交差する広場に面したところにある。篝火に照らされて、広場の真ん中に立つ、騎馬姿の”英雄王”の銅像が、夜空に浮かび上がって見えた。

 「あそこの中の間取りは?」

 「王家の所有する建物なので一応は知っていますが、そう簡単に侵入できる建物ではありません。要人の歓待のための施設ですからね」

ティアーナがそう言うのだ、中に侵入するという考えは捨てたほうが良さそうだ。それに、町の中はヴェニエル侯爵の雇ったらしい兵で一杯だ。目標の建物はすぐ目の前だが、今隠れている場所から、迂闊に出ていくことも出来ない。

 「何とか、スヴェイン王子だけおびき出せないのか?」

 「うーん、どうでしょうね。…そうだ。ワンデルが近くにいるはずです。一つ試してみるとすれば…」

ティアーナはふと、側に積み上げられた食料の山に視線をやり、その中から一塊の包みを取り出した。

 「ワンデルって、スヴェイン王子と一緒にいるっていう近衛騎士だよな?」 

 「ええ。彼は獣人なんです。人間よりはるかに嗅覚が発達しています。そして、これに目が無いんです」

干した棗が糸でひとつなぎにされたものが、ティアーナの手元にぶら下がっている。料理の風味づけに使う、どこにでもあるものだ。

 「え、獣人ってあれだろ、犬みたいな…干し棗なんて食うのか?」

 「そうなんです。どういうわけか、彼はこれが大好きなんですが、見た目が犬みたいだからって、肉ばかり出されるらしいんですよね」

 「へえ…。けど、どうやって匂いを?」

 「あそこに見張り用の篝火が燃えてるでしょう。イヴァン、放り込んでください」

 「燃やすのか? よっ、と。」

ティアーナの手から棗を受け取ったイヴァンは、実を幾つか糸から引きちぎって、狙いを定めてぽいと火の中に放り込んだ。ぱちっ、と火花がはぜて、香ばしい棗の匂いが辺りに立ちこめる。しかし、それも一瞬のことだ。

 「本当に、こんなんでいけるのか…?」

まとめてひと繋ぎぜんぶ放り込んで、イヴァンは半信半疑で炎を見上げた。匂いが漂うにしても、ほんの微かなもののはずだ。人間の嗅覚では、誰か酔っ払いが、どこかで火の中に食べかすを放り込んだくらいにしか分からない。

 「風向きは?」

 「こちらが風上です。上手くいくといいんですが…」

言いかけた時、建物の入り口が開いた。

 はっとして二人は、建物の影に身を隠す。出てきたのは、何か黒っぽい小さな人影だ。地面を這うようにして、こちらに近づいてくる。イヴァンは思わず剣に手をかけそうになったが、ティアーナが警戒していないのに気づいて止めた。

 彼女のほうは落ち着き払って、一歩前に進み出ると、地面に集中したまま前を見ていないらしい毛玉の前に立ちふさがった。

 「…くんくん、…くんくん… む!」

ティアーナのブーツの先まで来たそれは、大きく鼻をヒクつかせると、勢い良く顔を上げた。

 「このニオイ! ティアだぞ」

 「ええそうよ。こんにちは、ワンデル」

毛玉のように見えていたものが、むくりと体全体を起こした。それは、顔だけ見れば犬のような――だが全体的には小人のようでもある――不思議な姿をした人間だった。間違いない。王都でたまに見かける獣人、アジェンロゥだ。

 「わふん!」

後ろ足で立ち上がって気を付けの格好をすると、ワンデルは、びしっと敬礼した。耳をぴんと立てたつもりだったのだろうが、片方の耳はすぐに半分折れて、目の前に垂れ下がる。

 そのときイヴァンは、その生き物の腰のあたりに細いベルトが回され、実用的とは思えない小さなナイフがぶら下げられていることに気が付いた。ナイフの柄には、見覚えのある金と銀を織り合わせた房飾りがついている。

 (近衛騎士の飾り…?)

なるほど。形式上とはいえ、こうして武器を提げているのはこの房飾りのためでもあるのか。

 「お久し振りなのであります。こんなところで何をしているのでありますか?」

 「スヴェイン様に会いに来たのよ。そのために、貴方を呼んでたの。はい、これ」

ティアーナが差し出した干し棗を見ると、黒い小さな目が輝いた。

 「わふん~ これです、これ! 食べていいのです?」

 「いいわよ。私のじゃないけどね。…ね、スヴェイン様は、あの建物にいらっしゃるの?」

 「はいです。監視されてますです」

 「監視?」

 「疑われているのです。わふん。多分…、逃げたり裏切ったりしないかどうか」

二人は顔を見合わせる。

 「ってことは、やっぱアルやシグルズ様の見立てどおり、ってことか」

 「ええ。…この武力放棄、スヴェイン様は、止めようとしてくださっていたのよね?」

 「当たり前です。殿下は、…もぐもぐ、…正々堂々と冬の王国議会で退位を要求すればいい、と仰っていたのです。…もぐもぐ。時間がないから武力を使ってでも、と言い張ったのは、ベニールこーこーって奴なのです」

 「ベニ…ヴェニエル侯爵のこと?」

 「そいつです! 冬まで待てば、国王様を退位させられても”ほーあん”は通されてしまうから、それだと間に合わない、と言っていたのです。」

 「法案…税率を変更する、例の話か」

成る程、少しは話が見えてきた。こんな性急な方法を取ったのは、彼らが、それだけ追い詰められていたからなのだ。

 「ワンデル。大事な頼みごとがあるの。スヴェイン様を連れ出せる? アルからの伝言があるの。話をしなくちゃ」

 「わふん、やってみますです。」

糸に繋がれた棗の最後の一つまでぺろりと飲み込んでしまうと、毛むくじゃらの獣人は、満足したように腹をさすり、ちょこちょこと短い二本の足で走り出した。

 「言っちゃなんだけど、まるで犬…だなぁ」

 「見た目はね。でも、知能は人間と同等。それに寿命も人間の二倍はあるから、私たちよりずっと年上なんです」

ティアーナが言う。

 「先代王の頃からお仕えしていて、近衛騎士の中でも最古参よ。」

 「へえ…。初対面だと見た目で誤魔化されるだろうな」

 「それが狙いで、スヴェイン様専属の護衛に就いているんでしょうけどね」

物陰で待っていると、やがて天幕のほうから賑やかな声が響いてきた。

 「はっは、ただの小用です。お気遣いは無用…」

ひどく酔っ払ったような声だ。

 「スヴェイン様だわ」

ティアーナが呟く。

 「夜は暗い。足元にどうぞお気をつけて」

 「なぁに、ちょっと外の空気を吸うだけです。すぐに戻りますよ…おっと、用を足すところを見ないでくださいよ。ひっく…」

ワンデルを傍らに連れて、気取った服装の若い男が物陰に入ってくる。見張りの兵が足を止めたのを確かめてから、彼は、大急ぎでティアーナのほうに駆け寄った。

 「わふん。連れてきたのです。」

 「さすがね、ワンデル」

 「ティア。どうして君がこんなところにいる」

スヴェインは、すでに真顔になっている。酔っ払っているように見えたのも、演技だったらしい。

 「どうしても、話をしたかったんです。アルは王都に戻っています。明日の朝、クローナ公の代理人として、あなたの王位継承権の剥奪を宣言するつもりです。それにヴェニエル侯は、貴方の演技にも気づいているんでしょう? このままでは、ただの人質になってしまいますよ」

 「あー…」

一つ溜息をついて、スヴェインは頭をかいた。

 「まぁ、そうだろうなとは思ってた。…てことは、シグルズとも話をしたんだな」

 「はい。国王陛下や妃殿下とも、です。――アレクシス様は、貴方を捕らえ厳罰に処すと仰っています。ただ、無事に捕らえるおつもりではあるのです。今なら間に合います。どうか、一緒にここを脱出して下さい」

 「それは、無理だ」

彼は、きっぱりと言った。

 「何故ですか?!」

 「家族を…それと、この国を守りたいからだ。ヴェニエル侯爵、マイレ伯爵…十数に及ぶ貴族全てとその縁者、領地、表に出ない賛同者、その全てを一網打尽にするには、これしか方法が無かった」

彼は、覚悟を決めたように大きく溜息をついた。

 「王権ってのは、不思議なものだような。存在するように思っているうちは強く、存在を疑うようになったとたん、この上なく脆弱に、存在するのかどうかさえ分からないものとなる。…雇用者と使用人の関係は金と契約があればそれで済む。だが王と家臣とは、ただそれだけの関係ではない。ティア、君はどう思う? この国の三分の一の貴族たちを同時に粛清すれば、一体何が起きると思う?」

 「それは――。」

 「混乱と反感。王家の威信の致命的な凋落。繰り返される報復と疑心暗鬼にかられた粛清の繰り返し。ぼくらだけじゃなく、この国にとっての破滅が待っている。それに気づいた時、ぼくとスヴェインは役割を決めた。シグルズは国王を補佐する理想的な後継者。ぼくは国王に反感を抱く貴族たちの拠り所。ぼくのもとに集まってきた連中の情報は、すべてシグルズと共有して考えた。どうすれば彼らの力を効率的に削ぐことが出来るのか。どうすれば、破滅的な結末無しにこの国を変えられるのか」

 「…それじゃ、まさに”囮”じゃないですか!」 

 「そうさ。ぼくは反逆者たちを道連れにして舞台を降りなければならない。誤算だったのは、連中が考えていたより烏合の衆だったってことだよ。――ぼくみたいな大根役者でさえ呆れるほどに」

小さく笑って、スヴェインは額に手をやった。

 「ここに集まってる連中の腑抜けっぷりは、もう見ただろ? まともに戦えるのは、ヴェニエルとマイレの連れて来た私兵団、それにどこかで雇った傭兵団くらいだ。残りは誇りと家名自慢だけが取り柄の旧貴族様と、その腰ぎんちゃく。酒を飲んで騒いで町人相手に武器をひけらかすことは出来ても、大儀も使命も持ち合わせちゃいない。強いほうに靡く。そういう連中さ。――そう、だからこそ、王権には強くあってもらわねばならない。そういう日和見な連中が疑念を抱かない程度に、確固としたものとして」

言いながら、彼は、ちらりと背後を確かめた。見張りの兵士はそわそわしているが、まだ、こちらを不審に思っている気配はない。

 「――そういうわけだ。父上のことだ、どうせ、怒り狂ってここの連中を一網打尽にするつもりで準備しているんだろ? それでいいんだ。連中だって。自分たちから仕掛けた戦いが原因で処罰されるなら、連中だって文句は言わないはずさ」

 「その前にできるだけ多くの貴族たちを離反させようと、アルは画策しています」

と、ティアーナ。

 「被害を押さえたいんです。敵の戦力を過小評価しないで下さい。少なくともヴェニエル侯爵は、クロン鉱石を使った兵器を用意してきているはずです。あれの威力は、かなりのものですよ」

 「威力って…。五分かかって弾をつめて、至近距離でようやく鋼を割れるくらいのやつだろ? 祭の時に使われたときは焦ったけど、あの時だって馬が驚いた程度で誰も怪我をしなかったし」

 「それは筒のほう。投げて使う爆弾があるんですよ。軍勢の中に放り込まれたらひとたまりもありません」

ティアーナの切羽詰った口調の響きに押されて、スヴェインの表情も変わっていく。

 「実際に、それを見たのか? そんなものがあるなんて、ぼくは聞いていない…」

 「俺とアルは見てましたよ、ていうか使われました」

イヴァンが答える。

 「王都でそうだったように吹っ飛ばされて、しばらく起き上がれなくなった。森の中にいたから助かったようなものだ。こんなだだっ広いところじゃ、爆風を防いでくれる木もない。まともに食らったら死にますよ」

 「……。」

スヴェインは口元に手をやった。

 「それらしきものが運び込まれるのは見ていた。ヴェニエルはやたら強気だったかが、もしかして空威張りではなく勝算が…」

 「スヴェイン様。それは何処に? もしそれを使われたら」

 「ああ。まずいな」

 「わふん!」

ぴくりとワンデルが耳を立てる。

 「誰か来ますです。殿下、そろそろ戻らないと怪しまれます」

 「…ああ、くそっ」

スヴェインは、慌てて引き返そうとする。

 「スヴェイン様!」

 「ぼくはまだ、舞台を降りるわけにはいかない。お前たちはどこか、朝まで安全なところにいろ。っていうか、安全なとこが…どこかにあれば、だけど」

それだけ言い残して、スヴェインは、ワンデルとともに大急ぎで天幕のほうへと去って行く。

 「はぁー、すいませんねご心配をおかけして。大丈夫、酔ってませんよ~」

調子の外れた大声。ついさっきまで、しらふで真面目な話をしていた男と同一人物とは思えない。暗がりから薪の灯りの下へ出た途端、足取りまで酔っ払いらしくふらふらしたものになっている。その変わり身の早さには、唖然とするばかりだ。

 「スヴェイン様…」

ティアーナは、拳を握りしめて俯いた。

 スヴェインは、もと来た建物へと入って行く。最早、彼を連れ出すことは不可能だった。

 監視されているのだと、ワンデルは言っていた。新王として祭り上げる予定のスヴェインの意見も押し切って軍を出したからには、指導権を持っているのはヴェニエル侯爵なのだろう。新王を即位させるなどというのも対して重要なことではなく、スヴェインのことは、最初から利用するつもりだけだったのかもしれない。

 「戻ろうぜ。ここでうだうだしててもしょうがねぇ」

イヴァンは、イモ袋の間に隠してあったマルティンの体を引きずり上げ、ひょいと担ぎ上げた。酒くさい匂いがぷんぷんするが、このさい、荷物の臭気には文句は言うまい。

 「騎士学校の生徒があんまりウロウロしてちゃ目立つ。それに、そろそろあの、おっかねー近衛騎士の姉さんが来る頃じゃねぇか?」

 「…そうですね」

朝まで隠れていろ、とスヴェインは言った。朝になれば、貴族たちが突きつけた要求に対する最終返答がある。国王は拒絶するだろう。――その後に起こることは、両軍の戦闘だ。

 その混乱に乗じて脱出するのなら、おそらくそれほど難しくはない。ただ、いったん戦闘が始まってしまえば、それはもう彼らには止められないものとなる。




 天幕に戻り、気持ちよく寝入っているマルティンを適当にソファに転がした丁度その時、外で、叫び声が上がった。

 「侵入者だ! 王国軍が入り込んでるぞ」

兵士たちの走る音が響く。

 「怪文書が出回ってる…?」

 「早く回収しろ、一般兵の目に触れる前に。士気が下がる」

話し声が外から響いてくる。シンディが文書をバラ撒いて周っているのだ。間一髪だった。

 「危ないとこだったな。」

 「そうですね。…でも、これで私たちも、朝までここから出られませんよ」

ティアーナは、深い溜め息をつく。

 「幸い、こちら側の陣には塹壕も防御壁もありません。明日の朝、開戦の混乱に乗じて脱出すれば、王国軍側には戻れますね。でも、スヴェイン様は…。」

 「まだ何とかなるさ。あの爆弾のこと、アルが伝えてただろ? つーことは、王様やシグルズ王子だって、いきなり全軍を突っ込ませたりはしないはずだ。様子見の時間があると思う。その時を狙おうぜ」

 「……。」

それきり、二人は押し黙ったまま、天幕の端と端に腰を下ろした。

 戦いになれば、多かれ少なかれ、人が死ぬ。そうでなくとも多くの怪我人が出る。

 十年前、ユラニアの森の事件が何人の命を奪い、どれほど多くの人の人性を変えたのか、イヴァンは知っている。彼の父、領主クラヴィス・サーレも。親友のルナールも。

 そして…、彼自身も。

 「…ん」

天幕の外にかすかな音を聞いて、ふとイヴァンは立ち上がった。裏口のほうだ。

 布で仕切られた裏口のほうを覗いた彼は、一瞬何か人影が動いたことに気づいた。あっと思った次の瞬間、頭を羽交い絞めにされている。

 「がっ」

 「みーつけた」

目の前に、赤い唇を持つ妖艶な顔がある。

 なんともいえない凄みのある笑みを浮かべた女は、イヴァンの首を締め上げたまま、まるで何も持っていないような軽い足取りで天幕の中へと向かう。

 「シンディ?!」

壁際に座っていたティアーナが立ち上がる。頭を羽交い絞めにされたままのイヴァンは、じたばたしながら相手の腕にしがみつくのでやっとだ。

 「どうしてここに…」

 「気がついたらいなくなってた。勝手に抜け出した、悪い子たち。」

にっこり笑って、シンディは太い指でティアーナの額をつついた。

 「元気でいたのはいいこと。だけど、戻らないと駄目」

 「あっ…待って。私たちは大丈夫だから。そ、それより、どこかにクロン鉱石の武器があるはずなの。あれを使われると国王陛下やシグルズ様の身も危なくなってしまう!」

まともに抵抗してもかなわない。二人は必死だ。

 「…と、とりあえず話しの前に俺を降ろしてくれないか?」

シンディは口元にだけ微笑みを浮かべ、イヴァンを見下ろした。

 「今度は逃げない?」

 「……は、はい。」

頷いたところで、ようやく解放される。イヴァンは、喉を押さえながらよろよろと距離を取った。いずれにせよ、誰にも気づかれずここを突き止めたシンディの”腕前”は、確かなもののようだった。暗殺しようと思えば出来る、という話は、誇張でも何でも無かったらしい。

 「お願い、シンディ。私たちのことは放っておいて。朝になれば、私たちは自分たちで逃げられるわ。それより、スヴェイン様が心配なの」

 「ワンデルがついてる」

シンディはそっけない。

 「ワンデル一人では…。それに、陛下はスヴェイン様もろとも攻撃するつもりなんでしょう?!」

 「反乱軍だ。騎士に私情は必要ない」

 「あなた、それでも!」

向き合う二人の女性たちの間には、言いようもなく険悪な気配が漂っている。

 「おいおい、頼むからこんなとこで喧嘩は止めてくれよ。――なあ、シンディさん。あんたなら、クロン鉱石を使った武器のありかが判るんじゃないのか? 朝になって軍が動き出したら、俺らで破壊を試みる…それで王様たちのためになる。だから、見逃してくれねぇか」

 「…危険」

シンディは不満げだ。

 「だが、お前たちの言うことは判る。」

 「協力してくれる?」

彼女は仕方ない、というように肩をすくめると、何も言わずに裏口のほうへ消えていった。

 「あれ、お願いは通じたのか?」

 「多分…」

ティアーナも自信が無さそうだ。

 「シンディは、口ではああ言ってたけど、スヴェイン様のことだって心配してるはずなんですよ。古参の騎士で、王子様がたのことは、生まれた時から知ってるんですから…。ただ、彼女は、誰よりも騎士の使命に忠実なんだです。」

外は静かで、ほとんど足音も聞こえない。夜が更けて、兵士たちの宴会の音も止んでいる。天幕の奥からは、マルティンの調子はずれの鼾が、やけに大きく響いてくる。

 つかの間の平穏。だが、それも今だけだ。

 時間は静かに過ぎてゆく。黙って火を囲みながら、二人はそれぞれに重い気持ちで朝を待っていた。

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